縁側日記  林帯刀





2005年11月30日(水)  数式。


十一月が終わることに今気がついた。
そういえば、デパートはもうクリスマス一色だった。
(まだ早いだろうと思っていた)
イルミネーションを飾る家も増えてきた。
十二月はもっとあっという間に過ぎるんだろうか。
柿の木の葉が落ちて、庭を埋めつくしている。
季節の変わり目は後から気がつくものだけど、
僕は変わり目が好きだ。





やっと「ソフィーの世界」を読了。
長かった。
今までおぼろげだった「哲学」が、
ちょっとはっきり見えてきた。
成長だと思おう。

「博士の愛した数式」(小川洋子)も読みました。
本屋で目にとまって、帯とあらすじを見て買ってしまった。
(本についてはこういう勘が大事なときがある)
家に帰って、「ソフィー」の残りを急いで読んで、
それから読んだ。
とてもよかった。
まだ読みはじめたばかりのところで、
なぜだかじわじわ涙が出そうになった。
読み終わってからもじわじわしていた。
なんだろうな、著者がていねいに書いたのが分かる、
というか、伝わってくるものがあった。

正月に映画が公開されるらしい。
キャストが好きな俳優ばかりでうれしい。

ストーリーに数学がからむと気になる、
という傾向があるかもしれない。
タイトルも忘れてしまったけれども、
いつだかの数学者の映画も気になっていた。
原作(またはノベライズ)を探してみようか。





電話では相手の声しかわからないけれども、
寝そべって何かしながら話す声と、
ちゃんと姿勢を正して話す声では、印象が全然ちがうものだ。
だから見えないからといって気を抜いてはいけない。
これは中学の先生に教えてもらったこと。

詩や文章だって、電話の声と同じだと思う。
どれだけきれいな印刷だって、個性のない画面の文字だって、
それがどう書かれたか、というのは、
読む側に伝わるはずだ。

意識する、しないに関わらず、
「書くこと」には、
読むひとへの「誠意」がなくてはいけない。
当たり前でも、心にとめておきたい。







2005年11月21日(月)  秋日。


霜が降りる季節になった。
畑も山も家の屋根もきらきら光っている。
霜は、日が射してくるとすぐにとけてしまって、
すぐに乾いてしまう。
それでも、ときどき、
雨樋を流れる、ちろちろという音が聞こえる。
とてもちいさいけれど、
岩から染み出した源流のような、きれいな音だ。

夜中に長い笛の音が聞こえて、
なんだろう、鳥だろうかと思ったのだけど、
鹿が鳴いているんだと分かった。
鹿は滅多に鳴かないと聞いたことがある。
山によくひびく切ない声だった。
人の目に触れない山の奥で、
ひっそりと冬を越すのだ。





なんだかすごいひとに会ってしまった。
話すことがいちいち水晶の柱みたいなのだ。
しっかりと地面に立っていて、
光を吸収しながらさらに強く発光しているかたい柱だ。
僕はそれを見上げて、ただうなずくばかりだった。

気がつけばすごいひとにばかり会っている。
(いや、すごいひとのところに未熟な僕が飛び込んでいるのか)





「ドストエフスキーの青空」(宮尾節子)を読んだ。
最後まで読んだら涙が出て、
泣きはじめたら止まらなくなってしまって、
トイレへ行って鼻をかみながらしばらく泣いた。
なんてこった。





まずは、よく動く体にならなければ。
動かすための神経と意思を鍛えなければ。
心に光を。





ああ、カレン。
あなたの声が聞こえます。
あなたの国からも、あなたの眠る墓地からも、
遠くはなれたこの窓辺で、
あなたのレコードがまわっているのが見えますか。







2005年11月14日(月)  祭囃子。


古いLPを引っ張り出して聞いている。
オフコース、中島みゆき、さだまさし、カーペンターズなど。
さだまさしのコンサート音源もあって、
さださん、昔からしゃべりも得意だったんだな。

ただ、赤い鳥がないのがくやしい。
カセットテープは前から聞いていたので、
LPもあるものだと思っていたんだけど、
おそらく誰かにダビングしてもらったのだろう、
と母は言う。
仕方ない。
今は、オフコースの「OVER」をくり返し聞いている。
別のLPのジャケットに、
メンバーが年をとったらこうなるんじゃないという扮装
(白髪でひげもじゃ、とか)をしたのがあるんだけど、
少なくとも小田さんは、
これから歳をとってもこうならないな、
と思ったら笑ってしまった。

再放送の「ローハイド」をおもしろく見たりしていると、
ひょっとして生まれてくる時代を間違えたのではないか、
と思わないこともない。
まあ、なんにしろ今は二十一世紀なのだから、
ここであがいてみせようじゃないか。





そういう言い方自体がおやじくさいという意見は却下。





摩り替わり、入れ替わって、
そうやって気がつかないうちに
光のあたらない外側で、
まるく並べられた椅子と
そこに座っているひとたちを見ている。
いつからこうしていたんだっけ、
あの中のひとつに腰掛けていたような気もする。
ライトがあたたかいオレンジ色で、
とてもいい匂いがして、
みんななんだかやわらかい顔をしていた。
でも、そこに空いている椅子はなくて、
立ち尽くすしかなくて、
どうしたらいいか、考えている。

さっさとあの重い扉を開けて、
ここを出て、
どしゃぶりのなか、
走っていってしまえば、いいのだ。
激しい雨に打たれて、
びしょびしょになって大声で笑えばいいのだ。
でもできない。
あこがれている。
恋焦がれている。
これは、エゴか?
両手で顔を覆う。

やがて、僕の立っている場所にさえ雨が降り出し、
むきだしのコンクリートを打つ音が、
遠くの祭囃子のように聞こえている。
あの中にいない自分が、救いようのないやつに思える。
雨音はいつしか耳鳴りになり、
僕はいつもの縁側で、
見慣れた通りをながめていた。

秋になるとかなしい気持ちになるのはなぜだろう。







2005年11月04日(金)  渋柿。


二階からのぞくとすぐ近くにうちへのびる電線がある。
(たぶんあそこから電気がきているんだと思う)
電線は庭の上を横切っているので、
いろいろな鳥がよく休んでいる。
特にそのあたりには柚子やら柿やら、
とにかく鳥が好きな木が植わっているので、なおさらだ。
今は庭の反対側にある大きな柿の木もにぎやかだ。

しかも彼らは渋柿をちゃんと食べないでいる。
猿なんかは渋柿でも「食べられるかな」とかじって、
「ぺっぺっ」と何度もやっているらしい。
僕も(興味で)食べたことがあるけれど、
今でも思い出せるくらいまずかった。
そんな渋柿は、たいてい皮をむいて吊るして、
干し柿にすればいいおやつになるけれど、
取らないまま、実がやわらかくなるくらいまで置いても、
甘くなって食べられるようになる。
そのころになってやっと、鳥たちがつっつきはじめる。
彼らがそれを承知した上で、
「今年はよく実がついたな」
「もうそろそろじゃねぇの」
「いや、あとニ、三回霜が降りるのを待て」
とかしゃべっていたら、
おもしろいを通り越して拍手を送ってしまうだろう。
そんなわけで、庭の渋柿は食べられることもなく、
黄色いぴかぴかした実をすずなりにして、
冬を待っている。





スズメ、本当は、
「なんか食えそうなの(豆)が落ちてる!」
「食っちゃえ!」
「お、食えるぞ!」
「うめえ!」「うめえ!」
「うお、なんか来るぜ!」
「ニンゲンニンゲン!」「逃げろー!」
なんだと思うけどね。

そもそも、
電線にスズメが何羽もとまってて、
思わず携帯のカメラで撮ったんだけど、
ちっちゃすぎてよく分からない米粒になってしまって、
そこで親父のデジカメを持ってきてまた撮ったんだけど、
それでも小豆ぐらいにしかならなかった。
という話だったんだけど。
鳥を撮るのは大変なんだよ。
という話だったんだけど。





寒くなってくると、
スズメとかがぽこぽこしてきて(防寒のために太る)
それがまたかわいい。
最近はモズとかキビタキもよく電線にとまる。
彼らは声がでかいので山に響いてるんじゃないかと思う。





前回の「本を教えてくんなまし」を受けて、
メールをくれた方がいました!うわーい!
ありがとうございます!
さっそく本屋で探してみるです。
妹尾河童さんはイラストも書くんですね。知らなんだ。





「もやしもん」買いました。
おもしろい。
菌のどうでもいい会話が可笑しい。
「ついてきちゃいました」とか。
かもすぞー。

どうやら「大学の研究もの」にはまりやすいようなので、
「動物のお医者さん」も文庫版で
(古本屋にある分だけ)買いました。
借りて読んだことがあるんだけど読みたくなったわけで。
抜けてるところを早く補充したい。

気になっていた「ソフィーの世界」も買った。
まだ途中だけど、もっと若いときに読めばよかったかなぁ。
と思った。





スーパーで買い物をしたら、
隣のレジ係が高校の同級生らしきひとでした。
名札がよく見えなかったから分からないけど、
たぶんそう。
びっくり。
なんだかんだ言って地元ではたらくひとも少なくないのだな。
あ、声はかけませんでした。
僕はクラスでは一匹狼に近かったので。





最近「電波塔」に追加した、
「続・ダダだよ」はおすすめです。
いや、あそこにあるのはおすすめばかりなんだけど、
特におすすめです。
気持ちが荒んだときに行くといいです。




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