ゴールデンじゃないウィークに - 2007年05月24日(木) 先日書いた通り、ゴールデンウィークは仕事ばっかりでロクに休めなかったのだけど、 行きがけや帰りがけに例の「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」に立ち寄って いくつかコンサートを聴くことができた。 聴いたのは、 ・ジャン=クロード・ペネティエ(ピアノ)とエベーヌ弦楽四重奏団による フォーレのピアノ四重奏曲第1番と弦楽四重奏曲。 (5月2日13時30分〜 ホールB7) ・岡田博美(ピアノ)で アルベニスのイベリア組曲第3、4集 (5月2日22時30分〜 ホールB7) ・ミシェル・コルボ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア/ローザンヌ声楽アンサンブルによる フォーレのレクイエム。 (5月5日22時30分〜 ホールC) の3つ。 5月2日〜6日の期間中あれだけあるコンサートのうち(200くらい?) これだけしか聴いていないのだから 音楽祭全体がどうだった、とかそんなことは書きようがないのだが、 それでもあんな夜遅くまで東京国際フォーラムという巨大な敷地に人がいっぱいで 食べたり飲んだりしながら「次これ行こうか」なんて言ってる人を見ていると (一日中いる人もたくさんいるんだろうなあ) やっぱり素敵なことだ、と感動する。 特にいつも「どうしてクラシックはこう売れんかな〜」なんてボヤいている業界の人間としては、「こういう自由な雰囲気を目指してたんだ!」ってね。 私が聴いた3つはそれぞれとても良かった。 フォーレの室内楽、というのは以前から非常に優れた音楽で ちょっとその音楽の感触において、他に比べるもののない感じを、 ベートーヴェンの晩年やブラームスなんかと違った厳しい「孤独」を、 また逆にこういった人たちと並べて考えられるような質の高さを何となく感じてはいたが、 今回、私の中でその漠然とした感じがついに実像を結び始めた気がする。 もっともピアノ四重奏第1番はフォーレが比較的若い時に書いた曲なので そこまでの厳しい世界ではないが、それでもすごく緻密に、 ブラームスの室内楽を思わせるほど精密に書かれた高いクォリティを誇る音楽だということが、ペネティエの素晴らしいピアノとエベーヌ弦楽四重奏団の懸命な演奏によって、よくわかった。 もっともベートーヴェンだとかブラームスだとかを引き合いにだすと フォーレの、ハーモニーがたゆたい、うつろいゆき、絶えず色合いが変わっていく中でメロディーが浮遊していくようないかにもフランス、という独特の音楽と違う世界のイメージになりそうだけど、 むしろ厳しい緻密さこそがそういう色合いや雰囲気を生んでいく、ということを改めて気づくことができて、何だか嬉しかった。 そして同じフォーレのレクイエム。 これこそ、私もそうだし、多分音楽好きの人がイメージしているフォーレの音楽そのものだと思うが、 この演奏はとてつもなく素晴らしかった。 実は学生時代、初めて聴いた「レクイエム」のCDが他ならぬ巨匠コルボのものだったのだが、 この曲を、彼の指揮で実演で聴くのが、その時からの夢だった。 ・・・ここでそれが叶うとはなあ。 しかもこの値段で。(←望外) ありがとう、フォル・ジュルネ。 名匠が長年手掛け続けているものというのは、 どんな世界でも同じなのだなと思うのだが、 その創っている「対象」を超えて、 そこから違った何かが生み出されていく。 ここで聴くのは確かにオーケストラの音のはずなのだが、 私の中に響いてくるのはもう音ではない、厳粛で深い「何か」。 昨年アーノンクールで聴いた「メサイア」もそうだったが、 人が歩みゆく末に生まれるもの―― もちろん選ばれた才能を持ち そういった人が努力に努力を重ねて初めて生まれるものだけど―― は本当に偉大だ、と心から思う。 私は45分の間、心地良い集中の中、天国なのかどこなのかわからないような あたたかい恍惚の中にいた。 そして岡田博美さんという、日本人の中でも稀有なピアニズムの持ち主によって弾かれたアルベニス。 私は実はアルベニスだとかグラナドスなどのスペインの音楽にはちょっと縁遠かったのだけど、 (たまにCDで聴く程度。ちゃんと勉強したことはない) こんなに心の底から「生」の喜びを放射している音楽だったのか、 と、それを今まで知らなかったことを恥じた。 楽しい、愉しい、というより「嬉しい」音楽。 しかし岡田さん、という人は それこそポリーニ並みの優秀なピアノのタッチや技術を持って、 硬質な、透明で精密で胸のすくようなリストやラヴェルを弾く人、 っていうイメージを持っていたから、 アルベニスを弾く、というのは意外だったのだけど (意外な感じだから行ってみたかったのだ) まさにそういう、一見スペインの音楽には合いそうにない冷ややかなピアニズムから アルベニスの熱い「生」が透けて見える、溢れてくる。 こういうものが聴けたことはまさしく意外だった。 そのあたり、ポリーニが弾くドビュッシーに共通するようなものがあった。 ... 懐かしい!「さくら」だ - 2007年05月21日(月) またしても更新がすっかりご無沙汰になってしまい すみません! ゴールデンウィークはちょこっとしか休めず(><)、 素晴らしい天気を尻目に憮然。 でも仕事の行きがけ、帰りがけに例のラ・フォル・ジュルネ音楽祭を聴きに東京国際フォーラムに寄ったり、 つい先日はクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団のブラームス・チクルス(交響曲全4曲を2晩で演奏した)に行ったりして、 音楽には恵まれていたから、まあいいか、というとこか。 特にドホナーニ&北ドイツ放送響のブラームスは、 満を持して行ったに相応しい、 ブラームス体験の集大成、と言えるような素晴らしいものだった。 とまあ、これらのことはまた次の機会(いつになるんだ?) に書くとして、 今朝、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」を地上波でなく、少し前の時間に放映しているBSで見ていたら その後に、まあ懐かしい、数年前にやっていた朝ドラ「さくら」の再放送をやっていた。 この「さくら」、私はこの数年間に見た朝ドラの中でも結構お気に入りのひとつで、 主役の高野志穂は今どこで何をやっているのか知らないが、 (別にキライではないが) 今や大活躍している小澤征爾さんの息子、征悦(ゆきよし)くんが一躍このドラマで有名になったり、 あの長澤まさみが13?14?くらいで出ていたり(当時からかわいい)、 その弟役にえなりかずきの弟の江成正元がなってたり、 思い出?が多い一作。 私が大好きだったのは、小林亜星が演じていた主人公の祖父。 口は滅法悪い江戸っ子だが、情は深いというありがちといえばありがちな人物。 長丁場のドラマのどのへんに、どんな話で出てきたかまるで覚えていないが、 この祖父が言ったセリフは忘れない。 「ウソをつくな、とは言わん。他人にウソをつくのは場合によってはいい時もある。その人のためになることもあるからな。 でも絶対いけないウソってのがあるんだ。 それは自分につくウソだ。 そういうことを続けていると自分がわからなくなって、いつか自分が自分でなくなっちまうんだ。」 正確にこういう言い回しだったかは曖昧だけど こんなセリフ。 今、ここで書いていてもすごく心の奥深くまで響いてくる。 これは日常生活でももちろんなのだけど、 音楽と向き合い、関わっていることをしていると このことがとても重要になってくる。 これは仕事であっても仕事でなくても同じ。 いつも自分の心と対峙していないと、音楽をちゃんと感じることも、 ましてやお客さんにプレゼンテーションすることもできなくなってしまう、 とよく思うのだ。 ...
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