ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

優しさの「メサイア」 - 2006年12月21日(木)




今年ももうすぐ終わり。

そしてその前にクリスマス。(あたりまえだ)

今年はクリスマス・イブが日曜日、そしてその次の日曜が大晦日、
ということで何だか慌しい気がしませんか?

そしてクリスマス・イブといえば、私は恒例の聖歌隊。

今年も張り切って歌うよっ!!



もっとも今年歌う曲は去年とまったく同じ。
まあ、そこが若干物足りないのだけど、
ここ数年ほぼ同じレパートリーを歌い続けてきたせいか、
私自身含め、聖歌隊のメンバー一同、非常にハーモニーの質が向上してきている。

そういう中で歌うのは本当に気持ちいいし、歌の中の「祈り」により没頭できるのです。



ところで我々が歌う曲にヘンデルの「メサイア」のナンバーが何曲かあります。
(今年は有名な「ハレルヤ・コーラス」だけだけど)


「メサイア」といえば、
この秋、26年ぶりに、音楽ファンが一日千秋の思いで待っていた
巨匠指揮者ニコラウス・アーノンクールの来日公演がありました。
そして私は、アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏する「メサイア」を聴いてきたのでした。


なぜ今頃書くんだ?こんな大事なことを。


いや、何でかな?
単に忙しかったり、書く機を逸していただけか。
こないだようやくロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のことを書いたくらいですから。。。


でも、実はアーノンクールの「メサイア」のコンサート、
私にとってはこの秋最高・・・というよりここ数年で最大の体験でした。
(ルツェルン・フェスティバルやコンセルトヘボウ管弦楽団などを聴いたにもかかわらず)


もちろん21世紀に入ってからも色々な素晴らしい経験をコンサートでしてきましたが、こういうのは久しぶり。

20年近く前だと私なんかには、
クーベリックが指揮するチェコ・フィルのコンサートを筆頭に、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルだとか、カルロス・クライバーの2度の来日、またフィッシャー=ディースカウの歌だとか、リヒテルのピアノ・・・
そういう、尋常ではない「普通の」体験を超えた、「コンサート」という範疇も超えた
言ってしまえば「音楽」をも超えた体験を、数年に一度はできたものでした。
(う〜ん、こうしてみると日本ってすごいトコだ)


でもナカナカ最近そこまでのものは。。。
10月にアバドが指揮したルツェルン祝祭管弦楽団のマーラーがかなりそういった次元だったけども。


また話が膨らみすぎそうだ。
アーノンクールの「メサイア」。


最初のシンフォニアから、この音楽の核に一気に触れさせられた感じでしたが、
私が何といっても最初に感動させられたのは、第1部の中盤あたり、
私たちもよく歌うナンバー、「For unto us a child is born(ひとりのみどりごが私たちのために生まれる)」という合唱。

オーケストラの序奏がまず、他の「メサイア」の演奏(CDだったらガーディナーやミンコフスキの指揮など)なんかを聴いた耳にはすごく遅くて「あれ?」と思っていたら、
その後すぐ出てくる合唱のなんというやわらかくて優しい歌い出し!
それこそ赤ちゃんをそーっと、柔らかい羽毛のような毛布で包んであげるような感じ。
ひそやかな喜びが声高にではなく底流して。

そうだ、だってイエスという救い主が私たちのために生まれたんだもの、
私たちがそういう大いなるものに対して喜ぶときは
大きな声で騒いだり歓声をあげるんじゃなくて、
こうして静かに微笑みながら喜びをかみしめるものなんじゃないか。

ましてや、イエスは満室の宿屋の馬小屋で生まれ、
その顔を見て祝ったのは
マリアとヨセフ、そして数人の羊飼いと東方の三博士だけだったのだ。


自分の体の中に突然光が満ちた瞬間でした。
不意に涙がこみあげてきました。

なんという優しさと慈しみ。
これがアーノンクールとオーケストラと合唱団(アーノルト・シェーンベルク合唱団)が数十年の長きにわたって音楽と対峙してきた末に辿り着いた世界なのか。

この合唱がこういう音楽だった・・・歌詞の意味を考えてみればこの上なく当たり前のことだと、彼らの演奏を聴いた後には思えるのに、全然気付かないどころかそういう響きを想像もしていなかった。
私たちの聖歌隊も、今までこの合唱はひたすら元気に高らかに歌い上げていたし、
それは私たち下手っぴ合唱団どころか、超一流の人たちだってそうだ。

私は今まで何を見ていたのだろう。


アーノンクールに感謝です。


後になってでてくる(第2部の終わり)、「ハレルヤ・コーラス」でも同様でした。
あんな遅めで、ひそやかに始まる「ハレルヤ」は聴いたことがない。

これは主要新聞や音楽雑誌の批評でも皆さんが、異口同音に書いていました。

あの「ハレルヤ」を聴いて、クリスマスの本当の喜びというのは
世間一般で見られるこんな賑々しい、派手なお祭りではなく、
この世の真の喜びを心の中でひそやかにかみしめ祝うものだということを
アーノンクールは教えてくれたのではないか、と。
(もちろん理屈としてそうしたワケでなく)


私もまったく同感です。


大体、アーノンクールの、例えばモーツァルトのオペラなんかの今までの演奏―― とても優雅典麗から遠いナマナマしく過激で挑発的な響きのもの ―― からしたら、
本当にこの「メサイア」は驚きでした。


優しさ。。。いつくしみ。。。


この2つのナンバーだけでなく、最初から終わりまで、実際に鳴っている音以上に音楽の始める直前・直後の静けさが、この指揮者の到達した境地を強く感じさせていたと思うし、
音楽の力はこれほどまでに強い、
ということを改めて私に確信させてくれました。

大きく聴き手を包み込む、純粋な結晶のように美しい音楽。


プログラムを見ると、彼らが持ってきたのは3つのプログラムで、
このヘンデル「メサイア」のほかは
モーツァルト「ヴェスペレ」「レクイエム」と
バッハの「管弦楽組曲」ほか、のプロ。

モーツァルトの「レクイエム」も聴けるものなら聴きたかったですね。
(さすがに時間もお金もなかった・・・。)
来週あたりNHKのテレビでやるらしいので、すごく楽しみです。




...

続・コンセルトヘボウ - 2006年12月15日(金)




先日(だいぶ前になってしまいますケド)、
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の音の素晴らしさについて感激したことを書きましたが、
その演奏会の批評だとか、ファン・ブログなどを見ると、
「コンセルトヘボウ管弦楽団の音は変わってしまった。もうあの類稀な音は世界から消えつつあるのだ。」
といった意見が多くてビックリしています。


いや、ビックリしているというのは半分嘘で、
私も「変わってきたなあ」とは思っていました。迎合しているワケじゃなくて。

でも「変わってきた」のは2年前にヤンソンスが首席指揮者に就任して、その直後の来日公演で既に感じられたことで、それは多くの人がそう思っていたのでは?


コンセルトヘボウ管弦楽団の音が「変わった」のは、実はかなりさかのぼること1990年くらい?、前首席指揮者のリッカルド・シャイーとのコンビで初めて来日した時にも、
というかその時の方がむしろ強く感じましたね。

と言いつつ、この時私は初めてコンセルトヘボウ管弦楽団を実演で聴いたのだけど。

CDで慣れ親しんでいた、ベルナルト・ハイティンクが指揮したこのオーケストラの何ともまろやかな音が随分威勢のいい、ちょっと荒っぽいくらいの音になってしまっているように感じ、「なんだ。コンセルトヘボウ管弦楽団なんてこんなモンなのか。」
と思ったのを覚えています。


でもその後シャイーと何回か来日公演があり(毎回聴いたワケじゃないけど)、
CDなんかも継続的に聴くにつけ、随分元の音に戻ってきてるなぁ、などと感心していた後、2002年彼らのコンビで最後の来日公演を聴きました。

曲はマーラー「交響曲第3番」。

あれは本当に感動的でした。今でも耳の中に響きが残っています。
あの時に「これがコンセルトヘボウ管弦楽団の本来の音なんだ。」と
変な言い方ですが、すべてが解決したような気がしました。


しかし大体、「本来の音」なんて私が知っているわけがありません。

「本来の音」?それはどれ?

じゃ、なぜそう感じたのか?


なぜかはよくわからないし、説明もできないけど
あの時ホールを満たした音には、
CDで昔のコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を聴く時どんな指揮者が指揮しても(アーノンクールでもクライバーでも)、絶対に存在している音の手ごたえと、
シャイーとともに20年近く作り上げてきたであろう、その時しか聴けない音とが
両方とも同居していました。これは確信をもってそう思います。

言ってみれば、これが「伝統と革新」というものだと思うのです。


私は先日ヤンソンスの指揮で聴いたコンサート、
確かにシャイーの時に比べてもまた違った方向、
響きがクリアで明快で前にせり出してくるような感じが一段と強くなったな、
とは思いましたが、
彼らの持っている音の柔らかさ、奥行き、あと「品格」ですね、
これがなくなったとは感じませんが。


「変わってきた」けど変わっていない手応え。


もちろん、昔の音に愛着を持ち、感傷的になる気持ちはわからないではないけど。
きっとシャイーの時と同じく、時がたつともっと音が落ち着いてくると思うな。


あ、でもひとつ思い出したのは、
ヤンソンス、オーケストラとの関係がいいのが余程嬉しいのか、
「彼らとはこんな音も出せる。あんな表現もできる。」
って随分無邪気な指揮をしてるな、ってとこが時折ありました。

これがマゼールだったらさぞかし嫌味な演奏になるだろうな、と思いつつ
(マゼールさんゴメンなさい)
やっぱりヤンソンスだと「見得をきる」ように音楽を後ろから駆り立てても、マゼールのようにはならず、
あくまで誠実な音楽になるのだな、と感心していました。








...

コンセルトヘボウ管弦楽団の音を「世界遺産」に - 2006年12月04日(月)



どっかのパクリのようなタイトルですけど、
ナマで聴いた人はみんなそう思ってくれるんじゃないかなあ。


マリス・ヤンソンス指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。
11月30日、サントリーホールの公演を聴いてきました。
(アップ遅っ。曲はドヴォルザーク「交響曲第9番・新世界から」とストラヴィンスキー「春の祭典」)


どうしてこういう柔らかくて奥行きのある、マイルドな、深くて品格のある音が出るのか?


オーケストラの伝統の業に感動し、ひたすら陶酔した夜でした。


...




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