ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

時は移ろう - 2003年09月30日(火)

東京はこのところずっと秋晴れ。


夏が来ないで秋がきちゃった、とか
そんなの寂しくてやだ、とか

そんなことはもうすっかり忘れてしまったよ。


さわやかな空気。


不思議だなあ。
秋って理屈でいえば春と同じ太陽の高さ、
昼と夜の長さも同じじゃないですか。

なのになんで秋は、
ワクワクする春とちがって
あたりみんな見るものが寂しそうに、
でもホッと落ち着いて見えるのか。


木々から次第に葉が落ち、また赤や黄色に色づいてくるからか。
しかしこの斜陽の感じ、光が黄金色にくすんでくる感じ、
これはこれで心地いい。


あーー、
なんだかまた京都に行きたくなった。
(JRのCMか?)


この3,4年秋になると京都に出かけるのだが、
あんなに気持ちが平安になるところはない。



歳とったってことですかねぇ〜。



...

謝肉祭 - 2003年09月29日(月)

シューマンの「謝肉祭」というピアノ曲、
私は大好き。


シューマンのピアノ曲はみんな好き。

シューマンって人はそれまでの先輩たち
モーツァルトやベートーヴェンやシューベルトたちとは少し変わってて、
彼らが交響曲だとか、ソナタだとか、構成のキチッとした音楽を最初から志向していたのに比べ、
シューマンは若い頃から文学的、散文的な志向を持っていて(この人は批評家でもあったくらいだ)
大いなるイマジネーションをもって、幻想的な物語を「語る」ような音楽を最初から書いていた。
特に初期に、ピアノ曲の傑作、例えば「トロイメライ」や「パピヨン」なんかが集中しているのだけど、「謝肉祭」もそのひとつ。


様々な情景が色とりどりに表れては、消え、
威風堂々と、情熱的に、また静かに瞑想し、
楽しくもあり、凶暴でもあり、またうっとりと夢見るようでもあり、そして美しい。


昨日、その「謝肉祭」の素晴らしいCDを買った。
こないだ4月に初めてナマで聴いた、静かなる巨匠ネルソン・フレイレの演奏。


「謝肉祭」はあんな名曲なのにナゼかいいCDがない。
もっとも、これは私の思い入れが大きすぎるせいかもしれなくて、
単に私が気に入らない、というだけか。


もちろん色んな名手、大家から若い人までこの曲をレコーディングしている。
例えばラフマニノフ。
この演奏は凄い。
以上な迫力と濃密感がなんともいえないが、いかんせん録音が古すぎて
針音の向こうで音楽を聴いているみたいでなんとも歯がゆい。

それから私の好きなケンプ。
これが良いんだ。
しみじみとした広がりのある幻想味が素晴らしい。
ドイツ人っていうのは元来こういう素朴なロマンティックな民族なんだな〜
とホッとする。
しかしこの巨匠は今度は技術がいかんせん足りない。
70歳で録音、って歳のせいもあるだろうが、この人は若いときから
指の早くまわる人じゃなかった。
聴いてて「ガンバレ〜〜〜!!!おじいちゃん!」といいたくなるくらい
ヨッコラヨッコラしている。

それから去年でたキーシンのCD。
これは鮮やかだ。
こんなに弾ける人、今は他に誰がいるんだ?というくらいすごい。
音楽も十分つまってて、周りの凡百というピアニストを圧倒している演奏だ。
…しかしこれはこれでは今度は「なんだかシューマンはどこへ?」という感じが聴けばきくほど強まる。
このCDはレコード・アカデミー賞もとっていたが、私には何だかピンとこない。
その美しさ、鮮やかさたるや異常なくらいなんだけど
そこで終わり、って感じがどうしても私には拭えない。


あと私が好きなのは、そして一番聴くのが南米の大家
ブルーノ=レオナルド・ゲルバーのCDだ。
全てがバランスよくあって、とってもいい。


しかし、ようやくフレイレのCDを聴いて
「これぞ私の決定盤!!」
と狂喜、感動だ。

鮮やかさや技術ではキーシンの演奏ですら足元に見下しているほどの凄さだし、
幻想的、情熱的、誠実。
なによりもこのピアニストの魂のド真ん中から真っ直ぐに音楽がふきだしてきているのが
手にとるようにわかる。
頭で考えるより先に、本能的に心から音楽があふれ、
心の動きに微妙に反応するが如く、音色が万華鏡のように変わっていく。


こんなにピアノのCDで感心・感動させられたのは久しぶりだった。


ネルソン・フレイレは地味な巨匠だが、
知ってる人みんなに「ピアノ界の至宝」として尊敬されているのは
まったくもって納得なのである。





P.S 
ところでBBSがしばらく前に突如消えうせ、何度も問い合わせているのに一向に返事がないんです。
新しいBBSをレンタルするか、また開設しますので
しばらくお待ちくださいませ。



...

記憶2 - 2003年09月25日(木)

音楽とともに記憶が甦ることがよくある。

…という話をこないだも書いたっけ。
秋の虫の音を聴いて学園祭シーズンにぶわーっとタイムスリップした話。


昨日も夜あるCDを聴いてまたしても同じ感覚におちいった。


今度はシューベルトのある小品のCD。
弾いているのは往年の巨匠、ウィルヘルム・ケンプ。
私の大好きなピアニスト。



もう10年も前のことになるか、
私はあるピアニストの全国ツアーを担当し、ほぼ1ヶ月、毎日のように日本各地を
その人とともにまわっていた。

大変だった。

まだ私のキャリアは浅かったし、相手のピアニストはそこそこもう大家になりつつある人だったし。
英語もロクに話せない私がそんな仕事をしていること自体プレッシャー。
対等に仲良く音楽談義やら世間話をできる状態では全く、なかった。


毎日気が張り詰めていた。

毎日、移動スケジュールは問題ないか? アーティストの健康状態は大丈夫か?
ちゃんと食事は確保できてるか?
頼んでおいた飲み物はちゃんとあるか?
ホールのピアノは大丈夫か? 楽屋はちゃんとしているか?
(これは事前打ち合わせを綿密にやっていても、行ってみたら「なんだこりゃー!」ということもままある。)
会場の音響はどうか?プログラムは届いているか?

そしてホールの裏方さんやスタッフといい人間関係で、しっかり現場の作業が進められるか?
とにかくコンサートをとどこおりなく終わらせなきゃ!

一瞬一瞬が勝負。気が抜けない。

あのツアーは1ヶ月も続いていたし、いい加減疲れていた。
ホント辛かった。


しかし救い、というかそれが全てなんだけど
彼はそれはそれは素晴らしいピアニストだったし
その彼が毎回弾くシューベルトの小品がなにしろ美しく、
リハーサルは客席で聴き、本番は舞台袖で聴くそれが何よりの私の癒しだった。


それが昨晩すっかり頭の中から漏れ出し
体全体がその時の感覚でいっぱいになった。


音(それに私の場合は匂いだ。)は
本当に記憶の部屋をあけるカギだ。





...

多忙なり - 2003年09月22日(月)


忙しい 
ああ忙しい
忙しい。


先週から急に仕事の密度・量が上がってきました。


ちょっと日記の更新もこれからしばらく減ってくるかも
しれません。


といいつつ結構書いてたりして。


いやいや、わかりません。


でも長い目で見てて下さいね。

こういう忙しい時はその分ネタもたまりますから。


...

弱冷房車 - 2003年09月19日(金)

弱冷房車、ってのは冷房が弱い車両のことっすよね?


昨日も今朝もそうだったんだけど
最初普通の車両に乗って、あまりの混雑ぶりに息苦しくなってきたので
途中の駅で比較的余裕のあるとなりの車両に乗り換えた。

そこは弱冷房車。
「暑いけど仕方がないや。」


ところが、
あれっ? 涼しいぞ。
快適〜〜♪


なんでだろう?
周りを見ると視界がワイド。
女性が多いから頭いっこ分突出するのだ。

普通車両は圧倒的に男なので目の前は
必然的にクサい男の髪の毛というワケだ。(>y<)


しかしそれにしてもそれで暑いのか?
弱冷房車は女性が多くて、車両上部に空きスペースが多いから涼しいのか??


でも出てくる風もどう考えても弱冷車両の方が冷たいぞ。


どうなんだ?東○!!


謎だ…



...

いよいよシーズン - 2003年09月17日(水)

忙しくなってきた。

さすが「芸術の秋」=「死のロード」(私ら的に)


電話はひっきりなし。
その銃弾の雨をかいくぐって自分の仕事をしている感じだ。


でもかいくぐってるばかりじゃ全体の業務に差し支えるから
電話にでなければならない。
しかもアコムのごとく笑顔な声で。


するとその場にいない担当の仕事とか、問い合わせに答えなければならない。
たまにおじいちゃん、おばあちゃん、またはオタッキーな方の
「あの指揮者はあーですな。このピアニストはどーなんだ?」
みたいな話にもお付き合いしなければならぬ。

すると自分の仕事が進まない。


ジレンマである。


しかしながら私的には、以前に比べれば随分楽になった。
以前はやることをメモに書きながら、終わると消していったが
消すより増えるメモの方がはるかに多くて、
メモはセロテープで継ぎ足され、
トイレットペーパーのように長く、机のはしからダラーンと垂れ下がっていったものだった。

今はそんなことはない。


がんばろう。私。



...

検索 - 2003年09月16日(火)

最近、嬉しいような、恥ずかしいような
正直申し訳ない、と思っているんだけど
よくこの日記に「検索」から来る方がいらっしゃる。


このところだいぶいいらっしゃる。


一番多いのは、やはり音楽家名で、という方。
なにしろ知っての通り私は色んな作曲家や演奏家の名を書くから当然といえば当然。

一度グールドとキースを並べて検索していた方がいるのにはビックリ!したけど。
やっぱりこういう並べ方をする人もいるんだ…と感動?した。


最近爆発的に多かったのは、ハーディング/マーラー・チェンバー・オーケストラとミラノ・スカラ座。
これは私に限らず話題の公演だったから当然だ。


そういえば以前、ドラマのことを書いた時にものすごい数のアクセスがあった。
(芸能界の場合は数がハンパじゃないんで、さすがに○で一部隠したりすることにした。)


しかーし、
正直言って申し訳ない気分でいっぱいだ。

もちろん、まあ〜こんなに来ていただいて〜、と嬉しいのだけど。

でもねえ、何か「なるほどなるほど。」「おっ!」というようなことでも書いてればいいけど…
私自身は「なるほどなるほど。」「おっ!」と思うから書いてるんだけど、
真剣に「こんなこと知りたい。」と検索してくる方には
「なんだ、こりゃ?」だろうなあ、と思うし。



しかし、たま〜に「えっ!こんなことで。」と思うようなこともある。


例えば2週間くらい前には   「伊那製陶」(*_*;

いつだったか  「うなじ攻撃」(_□_:)!!


があったのには超ビックリした。 



...

オテロ - 2003年09月11日(木)

で、昨日はミラノ・スカラ座の「オテロ」。


最初の幕はなんだかフラフラしてて「あれっ?」だったが
(まあ、初日だったし)
終わってみればさすが天下のスカラ座。
指揮のリッカルド・ムーティが超カッコよく、
オーケストラがいつもながら,
何かの生き物か化け物か?って恐るべし。
イアーゴ役のレオ・ヌッチ、デズデモナ役のアンドレア・ロストが抜群だった。
主役オテロの新人、クリストファー・フォービスも幕が進むにつれてどんどん
良くなっていった。



しかし何と言っても「オテロ」ですよ。「オテロ」。

シェークスピア → ヴェルディ&ボーイト(台本書いた人)の創作に
深くうたれないわけにはいかなかった。



“嫉妬”が全てを食い尽くし、破滅に至る。
人間の永遠のサガだ、と思う。



あ〜〜〜、怖。


明日はわが身、とか言うなよ。(-。-)



...

音楽シーズン開幕! - 2003年09月10日(水)

いよいよ秋のコンサート・シーズンに突入するわけだが
私は昨日と今日でもう早くもクライマックスを終えてしまう、という感じ。
(早っ!)

ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラと
ミラノ・スカラ座来日公演「オテロ」。



昨日のマーラー・チェンバー・オーケストラのコンサートは
曲はベートーヴェンの「田園」と「運命」というちょー名曲の2本立て。

ハーディングは今、私が一番期待、というか聴くのが待ち遠しくて仕方がない指揮者でまだ28歳。
初めて聴いたのが5年前(ってことは23歳かい!)だったのだが
エクサン=プロヴァンス音楽祭来日公演でオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の指揮をした。

華奢な青白い青年が指揮棒を振り下ろした瞬間、
私はカミナリにうたれたような、脳天に鉄槌を叩きつけられたかの圧倒的な衝撃を受けた。
もう、まごうことなき、疑いようのないとてつもない才能の出現だった。


その天才は未だ変わらず、昨日も素晴らしいベートーヴェン、
スリムで無駄のまったくない、覇気満々で燃えに燃え、でも弾き飛ばした吹き飛ばしたところなんて皆無の最高のベートーヴェンを演奏してくれた。
「もう一回スコアよく見てみなきゃ!」と思ったくらい。
そしてそのマーラー・チェンバー・オーケストラの恐ろしいくらいの上手さ。

彼らもまた平均年齢20代という超若いオケなのだが、その上手さたるや半端でない。


あまり詳しい話は避けるが、このコンビの演奏、
響きもスタイルも今までのオーケストラ演奏にないある「新しさ」があった。
それはもう鮮やかに「新しい」。

彼らの出現によってこれから「新しい音楽の響き」が未来へと駆け抜けていく。


いや、それにしてもこの若い指揮者とオーケストラの
輝かしさ、創造的な気運がただただまぶしく
ただただ圧倒された。


日頃は自分も若い若いとか思っていて、滅多にこんなこと思わないんだけど
流石に昨日は彼らの「若さ」にうたれてしまったな。




...

記憶 - 2003年09月09日(火)

今朝はまた夏の暑さが戻ってきた!


しかし昨日なんかはすっかり秋の気配…。


昨晩なんだかとても疲れていて、帰ってからベッドで横になり
しばらくの間ぼ〜んやりとしていた。

涼しい風。


すっかりうつろな頭の中、外からコオロギやマツムシだろうか
たくさんの虫の声。


ジーッ ジーッ ジーッ
コロ コロ コロ コロ



私のぼーっとした体が、静かな庭に響く彼らの声に包まれていた。


そんな心地良い中、突然すーーつと私の頭の中に明滅したものがある。


それは高校の時の記憶。
いや、それは記憶というよりはその時の感触だ。
その頃私の全身が味わっていた感触…


学園祭だ。



そう、9月は私の高校の学園祭シーズンだった。
学園祭の発表へ向けてのオーケストラの練習、
それにクラスでの出し物の準備、
その季節は毎日いつもより学校を遅くでて、日に日に早く暗くなる夜を帰った。

友達と喋りながら、
また駅から家への静かな道、
少しずつ涼しくなる秋の夜に虫がいっぱい鳴いていた。

あの頃は何も考えずとにかく毎日を楽しく、
学園祭のことばかり考えていた夜だったっけ…。


そんな時のことを思い出したのだ。きっと。
体にしみこんでいる、自分でも忘れていたような記憶。


思い出、っていうのはそんな風によみがえってきたりする。


不思議…。



...

いけないことか?? - 2003年09月05日(金)

隣のボクちゃんがうめいていた。

「あ〜〜〜!!! イライラする。やることがありすぎて頭が煮詰まって
もういっぱいいっぱいだ! ボクの人生はどうなるんだ!」


(…ホント女のくさったようなヒステリックなヤツ…)s(・`ヘ´・;)ゞ

「まあまあ、じゃ、20分でも30分でも公園でも行ってブラブラしてきたら?
噴水でも眺めてると気分転換になるよー。」

と私が言ったところ

「キーーッ! 何を言ってるんです、いい社会人が。
そんなことしていいワケがないでしょ!!!」



そうなのか?
そのくらいいけないのか??


まあねえ、もちろん仕事中に散歩行くっていうのは,タイムカードをつけてるサラリーマンにとっては会社規定に反するに違いない。
サボリ、ってことだからね。

でも、煮詰まってどうしようもなくて、
ちょっと気分転換することで仕事がはかどるのであれば
それは仕事のうちじゃないのかね。
勝手な解釈だろうかね?


事実、私はしょっちゅう(そんな長時間じゃないよ)気晴らしに歩きに行っている。
エッヘン。(← 威張ってどうする。)

いや私の場合、原稿書きなどが結構多かったりするので
ちょっとした散歩でいいアイディアが浮かんだりするのだ。(← 小説家じゃあるまいし)
まじ。


しかしこのボクちゃんのような、「規則は守るためにあるのです。」
という形骸化したような雰囲気が最近では大勢を占めるので、誰にもそのことは言わない。


でも、どう思います?


確かにね、私は昔から校則だとかなんだとか
何のためにあるんだかわかんない規則に縛られるのが嫌いな人種だ。


音大に行ってたくらいだし(?)
その前は私は普通の都立高校に行ってたのだが、
当時私の成績で、行くに適当な高校が3つほどあった。
その中で私は校風、カラーが自由な学校を最優先して受験した。
ナント私の行ってた高校は校則がナイ。

そのせいかどうか、我が校は浪人率が他の2校より圧倒的に高かったのだが、
昔から卒業生には有名人や財界の大物、芸術家、面白い人物が続出している。
行ってて良かった、と思っている。



まあ、自由気ままもホドホドにしなきゃな、とは思うが、
本末転倒な束縛はカンベンしてくれ、って感じ。



...

Good bye Yesterday - 2003年09月04日(木)

今朝、着替えてる時にふとスピーカーの間に1枚のCDが落ちていることに気が付いた。

拾いあげると、それは今井美樹の「Good by Yesterday」のシングルCDだった。


なつかし〜〜い ヾ(@°▽°@)ノ


さっそくかけてみた。


この歌は彼女自身と染五郎が主演したドラマの主題歌だと思うのだが、
なんてドラマだっけ??



私は歌を聞く時、ってか好きになる歌というのは
その音楽そのものももちろんだが、歌詞に惹きつけられることの方が圧倒的に多い。


松田聖子の歌の松本隆の素敵な詞とか、
前に書いたけど平井堅のデビュー曲「Precious junc」とか。
あとスピッツのとっても文学的?詩的なものとか。


この今井美樹の歌が流行ったころも、色々ツライことがあったころで、
心に響いて聴く度に涙じわーっとしたものだった。


まあ、ありふれてはいるのだけど。
“涙の数だけ人は幸せになれる。Good Bye Yesterday , Hello tomorrow ♪”…


…あれ?? これしか覚えてないぞ。 (-_-)
今朝聴いたばかりなのに。


いやいや細かいところまでもっともっと素敵な詞なんです。


それに彼女の歌声って、すべてふわっと掬い上げてくれた上で
いつも前をむいているんですよね。


とっても静かな勇気がでるんだよな〜。





...

日本人の新鮮さ - 2003年09月03日(水)

私は小澤征爾さんの指揮する音楽がすごく好きだ。


ご存知の通り、彼は今やウィーン国立歌劇場の音楽監督という
音楽界最高の地位。


このことで逆に日本でも一躍時代の人となったが
別に「指揮界の寵児」「世界のトップを走る指揮者」小澤征爾の名は最近有名になったわけではなく、
もう1960年代にはもうその名声は確立していた。

アメリカ最高のオケのひとつボストン交響楽団の音楽監督だったし、
ベルリン・フィルやウィーン・フィルの常連で、ミラノ・スカラ座やザルツブルク音楽祭にもしょっちゅう出てたワケだし。


誤解を恐れずに言えば、あらゆる分野で活躍する日本人の中で
最も世界的な人物ではなかろうか。
アメリカでは昔から野茂やイチロー以上に有名であり
ワールドワイドでも黒澤明さんと同じかそれ以上に著名な日本人であったのだ。



昨日の夜、小澤さんがボストン交響楽団を指揮するリムスキー=コルサコフの
「シェエラザード」を聴いた。


ところでダントツで抜きん出た才能や有名なものには必ず「アンチ派」がある。
アンチ巨人しかり、あと何かな…?
音楽ファンにも「アンチ小澤」という人はたくさんいる。

実は私も小澤さんの指揮する音楽の全てに感銘を受けるわけではない。
昨年、爆発的なセールスを記録した「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」も
ウィーン・フィルのニューイヤーとしては久々に活気がある一夜だったものの
ずいぶんさっぱりしたシュトラウスのワルツになってしまって、あまり酔えなかった。


それは小澤さんが「良くない音楽家」だからではなくて
彼がとても個性的なものを持った音楽家であるため、合う曲と合わない曲があるのだ。
相性ですよね。

小澤さんの個性がその指揮している対象の音楽をものすごく活かすこともあれば、少しばかり魅力を殺いでしまうこともある。


その個性というのは、私から見れば(プロの批評家さん、ごめんなさい。)
肌理の細かい感覚で音を微妙に扱う感覚と、
抜群のリズム感。
オーケストラを鵜飼のごとく正確にあやつる技術。
清潔で、生真面目なくらいの誠意と情熱。
というところだろうか。


結果的にはラヴェルだとかプーランクのような精密なフランス近代音楽、バルトークなどは抜群に彼の強みが発揮されるが、
イタリア・オペラや、ブルックナーのような野暮ったいくらい精神的なものが勝った曲や
さっきのシュトラウスのような官能的で優雅な音楽は、いまひとつ食い足りなくなる。
(…と私は感じる。)


でさっきの「シェエラザード」の話にもどるが、
これは「え、これがよく聴かれる原色的で濃厚なロシア音楽???」と思いつつ
実に清潔で、隅々まで細かく微妙〜なニュアンスで彩られたこの小澤流「シェエラザード」。
なんとも魅力的で、眠るどころかどんどん目が冴えてしまった。

まるで最上の高級な漆塗りのひんやりとした感じ…



私は、小澤さんがヨーロッパ音楽界に彗星の如く登場した時、
きっと世界の聴衆はこんな新しい(エキゾチックな?)感覚の出現を
新鮮な驚きをもって迎えたに違いない、 と思わずにはいられなかった。



...

かくて秋 - 2003年09月02日(火)

いや〜9月になりましたね。
昨日からだけど。



しっかし、今年の夏はなんだったのかね?
てか夏だったのかね?


暑い暑い、と文句をヒーヒー言ってばかりいるいつもの夏。
勝手なものだが、やはりそれが夏。
ダラダラ汗を流しながら、原始人のような格好で
寝っ転がってウチワでパタパタ、
氷をたっぷりいれて、カラーンとアイスコーヒーを飲む。

幾日もなかったな。


不完全燃焼もいいとこだ。


そして「芸術の秋」へ。
私には「修羅場の秋」へと季節は進む…



がんばろっと。



...

縁 - 2003年09月01日(月)

昨日、遠い親戚にあたる方から
こんな言葉をいただいた。




血は水よりも濃し。
縁は血よりも濃し。






含蓄のある言葉である。

これからも大事にしようと思う。



...




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