ひぽこんコラム

2004年06月29日(火) 自殺と芸術

 きのうに引き続き自死についてなんですが、作家に限らず今、日本では本当に恐ろしくなるほど、交通事故死より多くの人が自死の道を選んでいるんですよね。1年に3万人以上と聞きます。これは本当に本当に悲しいことです。
 そしてそういう世の中だからこそ、もっともっと今よりたくさん文学や音楽や絵画などの芸術があふれて、人を本当の意味で癒してほしい。勇気づけてほしいと思う。と言うか、人々が本当の意味でそういうものの力に気がついてほしいなぁと思う。世の中で言う癒しの音楽とかじゃなくて、自分にとって真実、癒しになり、助けてくれる芸術を誰もが見つけてくれればいいのにと思う。
 人はそりゃ、ゴハンがあれば生きていける。飲んで食って寝て。家族でもいれば恩の字?でもそれだけでは心が乾ききってしまう。そして今の日本の多くの人達の心は乾ききっている。もっと芸術がすぐ側にあってそういう人達の心を支えてくれたら、自死の道を選ぶ人が減るのじゃないか?と思う。
 そりゃ世の中は大変なことばかり。お金を稼ぐのも本当に大変だし。まちがったことが横行し、ズルしてる人が得をして。真面目にちゃんと生きていても報われなくて、生きていることに虚しさを感じてしまう。なんのために生きているの?と誰にともなく問い掛けてしまう。
 でもその答えなんてない。でも、答えはないけれど、芸術はそんな気分の時に「でもいいんだよ。今のままで。今のあなたは間違っていない」というエールをくれるものだと思う。そういうために芸術はこの世に存在してるのだし!!そして実際に私は何度そのエールをもらったことか!去年、狂ったようにREMを世界中で見まくったのもただただそのエールをもらいたかったからだし。
 日本人はもっと生活に、自分に身近な芸術を見付ける努力というか、目を持って欲しいなぁと思う。別にたいそうなものじゃなくていいから。わらべ歌を口ずさむでもいいし。塗り絵を自分でするのもいいし。ちょっと意味合いは違うかもしれないけど毎日、夕陽を眺めるでもいいし。芸術の持つ力に気がついてほしいなぁ。それを見つけられると見つけられないのとでは、人生がかなり違うと思うのだけど…。そして芸術の担い手たちは、芸術のそういう意味合いを意識してほしい。もちろん作る時に「これで癒してさしあげましょう」などと思えというのではない。でも芸術がどれだけ大切なものか、それをちゃんと意識して欲しい。半端な気持で、これは売れそうだ!なんて風にして作らないで欲しい。これは新しいとか、これは〜〜風でカッコイイとかさ。そんなこと全て愚かしいのだから忘れて、自身がまず最も崇高な心の場所に達して、そこで作って欲しいと願うのであります。

2004年06月28日(月) 死なないで

 作家で脚本家の野沢尚さんが自殺したというニュースを読みました。ガ〜ン。いや、正直言って彼の特にファンであったわけではありません。でもなんか、春には鷺沢めぐむさんが自殺して、こうして続くと、表現者は今、死ぬしかないのかな?なんて思ってしまって悲しいです。
 そりゃ、作家が自殺するなんて珍しいことじゃありません。芥川も誰も彼も自殺してる。作家の思考はそういう風に運びがちだろうし。でも今というこの閉塞感だらけの未来が真っ暗な社会にあって、表現者が次々に、しかも「次作を期待されているであろう」表現者が自死を選び取って行く現実が辛いです。今が生きるには辛過ぎる時代であり、何かを敏感に感じ取る人たちが生きて行くことが困難な時代であることを、証明されているような気がして。今と言う時代に表現者が何かを表現することに虚しさを感じてしまうことが証明されているような気がして。表現が無用であるかのように思えて。葛藤が無意味だと言われている気がして。
 今、死を意識している人達、どうかどうか生きてくださいと言いたい。自死は止めてくださいと言いたい。いきなり何も言わずに、いやたとえ言われても死なれたら、残された者は、どうしたらいいのかわかりません。こんな依存をされて迷惑だろうけど、残される者たちのためにせめてもう1度生きようとしてくださいと言いたい。特に何かを表現してる人達よ、あなたたちは我々の生きる希望なのです。あるときは糧にさえなるのです。どうか死なないで下さい、と言わせてください。そしてもちろん、あなたも死なないでね。

2004年06月20日(日) ひきこもりのコラムを読んで

 ふと「ひきこもり」が気になってグーグルで検索したらNHKのやってるひきこもりサイトを発見。そしてあれこれ読んでいたら、重松清さんの書かれたコラムを見つけて熟読、そうなのかぁああと思いました。重松さん、和田は何冊も彼の本を読んでいるんすが、元々女性週刊誌とかSPA!とかとかのライターやってましたという人だから、なんと言うか文章の運びが上手過ぎて時々「本当はあざといよな」とか思ってもしまうのだけど、でもその職人芸に泣かされ、また人間をどこまでも信じてるという立ち位置に「やっぱりこの人はこれでいいのだ」と思わされてきているのだけど、このコラムもヨカッタ。
http://www.nhk.or.jp/hikikomori/
2003/column/col9b.html
そしてそうだよなぁ。「ひきこもり」の人達って完璧を求めてるのかもなぁ?とか思いました。完璧な私。完璧な家族。完璧な友達。それは言い変えれば理想の私。理想の家族。理想の友達。理想の社会。さらに言い帰れば純粋で美しくて気高い?
いやしかし。むろんそんな人などおらず。そんな社会などはどこにもなくて。みんないい加減〜〜で。いいわけばかりして。ダラダラと生きて、ズルすることばっかり考えてる。汚濁ですわ、汚濁。特に最近の日本なんて「人生色々会社も色々」首相っすからね。それなのに「参院選には興味な〜い」っていう国民ですからね。そりゃもう。純粋な心で生きて、純粋さを他にも求めたらやってられないでしょう?
 でも不思議なのは、すごく不思議なのは、そういう心の状態になったときに「死」を求めずに「ひきこもり」を選択するって、どういうことなんだろうか?ってこと。そこでダ〜イブして死んじゃうってこと、大いにありえるでしょう?(しかしあのダイブ俳優君は絶対に「ハイ」だったんだと思う和田。そうだよねぇ?よくあることっすよね?)
 ああそうか。「ひきこもり」を選択した人達は、本当は「希望」があるのかも。心の奥底には。しかもそんなひどい心の状態ながらも「死」を選択「させなかった」ほどのものすごく大きな大きな希望があるのでは?……うううんむ。どうしたらそれを引き出せてあげられるのだろうか?希望を形にさせてあげられるのだろうか?
 む、むずかしいねぇ〜〜。今後考えてみまちゅ。
 でもひとつだけ思うのは「ひきこもれる環境があるのなら、気にしないでひきこもってなさい」ってこと。いいじゃん。親がいてぇ、とりあえず生活費あってぇ、どこにも行きたくないのなら、行かなくても。廻りはあれこれ言ってもさ。生き方に正しいも悪いもない。将来?そんなの誰の人生も保証ナシ。ほれ。「人生色々」首相のせいでさ〜日本だってテロ起こるで〜〜。(と、脅すのが良くないってムーア監督に怒られますね?)だからあんま先のことなんて心配せんで〜。ひきこもれるだけひきこもってしまえ!と和田は無責任に思います。でも、そう思ったら、ち〜とはラクじゃないのかな?社会的な、常識的な「通念」にあまり自分が振りまわされないほうがいいと思う。まぁ、完璧主義な方が多そうなのでその苦しみも当然なのだろうけど。でもさぁ。いいんだってば。悪くないってば。ちっとも!
 ところで。和田的希望なお話。去年、NYでハゲちゃんライブを見た直後に地下鉄駅で出会った「REM熱狂的ファン」の日本人少年@“生まれて初めての海外旅行でREMを追っかけてます”がこのHPを見つけ出してくれてメールをくれたこと。オバちゃんは嬉しかったっす。広がるハゲ・マニアの輪!えっ?広げてどうする??え〜っと、とりあえず本人(←ハゲ坊)にでも言ってみるか?広げてるって…。

2004年06月17日(木) ワルシャワはいいけど、でも。

 『フィガロ・ジャポン』の最新号を見てブッ飛び〜〜〜!
 何故って?だって「誰よりも早くワルシャワへ」と題して、ワルシャワ@ポーランドの特集してるんですよ〜。フィガロお得意の旅企画で。
 えええっ?ええええっ?ですわ。だって、あそこだろう(と、回想)。しばし遠い目。その後、うつむく。
 で、なんかあんのか?と思ってページを開くと、あるんだわ、これが。ブッ飛び〜〜(@リエ・ミヤザワ)。ええっ?こんな所あったのかぁ??と驚くような可愛いお店やら、可愛いグッズやら。さすがフィガロでんがなぁと平伏しました。でもでもでも。和田が見た所と絶対に同じ場所という所が、なんだかものすごくものすごく奇麗に写っていたり…。あああぁああ。女性誌マジック。すごいなぁ〜と感じ入りました。
 ワルシャワ。そうなんですよね。この5月からEUに加入してどんどん変ってきているんです。新しいんです。すごいんです。だからフィガロなんです。和田が去年「わずか1泊13000円で泊まった超高級ホテル@REMも同じでした」も、そのページによると「1泊40000円くらい。ピカソも泊まったすごいホテル」になっていました。もうそこには和田のような貧しい者は泊まれないわけで。EUに加入するということは=物価も他の国並になるということなんですね。でもそれじゃ、あの貧しい人々はどうしてんだろう?と心配になったりします。
 で。やっと本題なのですが、ワルシャワ、そりゃ奇麗でキッチュで可愛い所もあるんですが、ダメなんですよ。何がって、そりゃもちろんこの欄ですからね、ええ、「病院」です。病院。和田が去年ワルシャワに行く前に(注:いまさらですが、和田は去年REMの追っかけで己の誕生日にワルシャワに行きました)ありとあらゆるポーランドに関するウエブページを見ていた時に複数発見したのが「ポーランドで病気になったらロクな医療機関がないので、すぐさまドイツに行け」とか書いてあったのでした。いや、もちろんこれが本当かは分りません。しかし複数書いてあって、和田はもおおおおそりゃああああああ行く前にすごく心配になってしまい、たった3泊4日のことだったのにブルってしまい、行く理由もないのに、ワルシャワの後にロンドンを入れてしまいました。なぜに?ええっ〜と、ロンドンには「順天堂の分院」があるからです(笑)。だから「万が一ワルシャワで具合悪くなっても→ロンドンで順天堂」と思った〜わけ〜ですぅ。マジ、そのためだけに和田はロンドンに行きました。そして3日間ブ〜ラブラして、それから病院については全く不明なダブリンへと旅だったのでした。もちろん何事も無く…。
 「だからなんだって?病院がないからワルシャワはダメだってイチャモンつけるのかって?」byフィガロでしょうが、あ、いや、そんなつもりはないんですけどぉ。でもフィガロ様には載ってない、そんな「ワルシャワの真実」でしたぁ。
 あ。そうそう。余談ですが、ワルシャワで一緒に遊んだ20才のポーランド人のマーチェック君が言った「ほら。ワルシャワってさぁ、全部やられちゃってるじゃん、ナチスにぃ」(←日本語で。彼は日本語ペラペラ)というのが今でも忘れられません。その「やられちゃってるぅ」という言い方がなんだかすごくヨカッタと言うか。そうか〜〜〜やられちゃったかぁ〜〜としみじみ思ったの。

2004年06月11日(金) バリウム死

 ぎょええええええええええええっ!こ、こ、このニュースを読んで下さいっ!
「岐阜県洞戸村の住民健康診断でバリウムをのんだ男性が(76)が腹痛を訴え、2日後に死亡していたことが11日、分かった。別の女性(80)も腹部の激痛で緊急手術を受けた。2人とも腸に穴が開いてバリウムがたまっていたという。」
 なんたること、なんたること!やっぱりやっぱりやっぱり死んじゃうんですね。バリウムで死んじゃうんですね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!だってさぁ、あれオカシイよね、どう考えても。飲んだことある人はお分りになるでしょうが、飲んで→下剤飲んで→出てくると、完璧にあれ、白い石ですよね?石。それをしみじみ見ては和田は「これ、腹に残ってないだろうなぁ?残ってたらどういうことになっちゃうのかな?狼みたいに腹の中に石がたまって死んじゃうのかな?(注:赤ずきんだっけ?7人のコヤギだっけ?狼の腹に石がど〜のこ〜のなのは?)」といつもいつも疑問に思っていたんですよ〜。
 しかもですよ。病院とか医者は、たとえば今回のこのケースでも「下剤を渡していた」とか言いますが、バリウム飲む時って若い人でも「具合悪いとき」だったりして、胃だろうが腸だろうが、弱ってるわけじゃないですかぁ?そんなときにさぁ、あんな石になるもの飲まされて、さらに「腸を荒らす」下剤飲まされてさぁ。穴開くっての!たまるっての!死ぬっての!年寄りなら、なおのことだっての。もっとちゃんと「この人はバリウムに耐えられるか」をよ〜〜〜く考えろっての。あまりにうかつじゃないのか?
 それにさぁ。思えばバリウムってもう何十年も同じ形のまま存在してるよね。色々なものが進歩してるのに、バリウムってな〜〜んも変らないよね?多少味がついたりしてるが、そんな〜ん、かえって気持悪くしてるだけ。あれ、もっと改良すべきだよね?そう思いません?バリウム業界みたいのがあって、日本医師会とかと癒着してんじゃね〜のか〜?とうがった見方したくなりますわ。ほんとに。
 ああ。早いこと「カプセル1粒飲むだけで胃も腸も検査できます」っていう、夢のようなカプセル君がもっと広まりますように。どうやらそれ、本当に完成してはいるみたいだし。みんなソレになってくれればいいんだよ〜。

2004年06月09日(水) 赤貝に悩む

 梅雨ですなぁ〜。梅雨に入った途端にからだのあちこちが痛み出し、ヒィヒィです。んで母親に電話したら、今日「みのもんた」ので仕入れたらしいネタでさっそく「リンパの流れが悪くなるからだ。らっきょう食え、赤貝食え」とうるさい…。しかし、もんたよ、さすがに絶妙!梅雨に入った途端に梅雨時の体の不調ネタをやってるとは!
 だからというわけではないのですが、今夜はたまたま「赤貝」を食べました。しかし赤貝。貝。貝って傷みやすいでしょ?だから食べる直前になってな〜んとな〜く臭いをかいでみたら、なんとな〜〜く〜〜臭いような気がする。いやいや、これはナマ物の臭い…と己を納得させようとしたのですが、しかしどうして〜〜も〜〜臭いような気がしてしまう。
 で。仕方なく。冷蔵庫から飲み残しの「米酢」(笑)取りだし、砂糖と混ぜ混ぜして醤油もたらし、三杯酢にして貝にダアアアアア。結局「酢のもの」にしちまいました。あ〜〜。赤貝がぁあああああ!
 ナマ物が腐ってるか腐ってないか、腐りかけかOKか、その見分け方ってあるんでしょうか?これからの季節、これに悩みますわ。みのさん、ひとつ、ヨロシク。

2004年06月05日(土)

 あの九州の犯人のオンナノコ、ここんとこすげええ荒れてたみたいっすねぇ。クラスの男子にナイフつきつけるは、授業中わざと居眠りするは、みたいな。でも担任の教師も親もなんとも感じてなかったらしい。おそらくその度にきっと「ダメですよ。危ないから。ナイフはそう言う風に使うものじゃない」とかなんとか言っていたのでしょう。
 しかしぃ。子供が、もしくは子供の心のままの大人が荒れてるときって、とってもとっても悲しくてしょうもないときだろうに。寂しいなんてのは通り過ぎて悲しくて悲しくて虚しくて虚しくていつ死んでもよくって、ただ生きてる感覚を確かめるために荒れるのだろうに。
 それなのに。感受性おニブちんの教師とか、大人は、そういう子や人相手に「ダメですよ〜。こうしなさい〜」などと教訓を垂れたりする。ありがた〜い人生の「あり方」を説いたりする。正しいことを切々と語る。
 あちゃ〜〜〜。それじゃ逆効果だっての。そいつらのしてることは「私は心配してあげてるの。私はあなたを導いてあげるの。だって私は正しくてあなたはダメだから」と言ってるのと同じ。ちゅ〜か。そいつらの潜在意識は間違い無くソレ。自己満足のための発言、行動。いやらしい。「心配してるいい人な私」に酔ってるだけ。
 そしてそんなこと言われたら、荒れる心は打ちのめされ、もう自暴自棄になるだけになって誰かや自分を傷つけるしかなくなる。先にあるのは、ただ「死」のみ。
 だからそうじゃないのだよ。そういう荒れてるときって、ただ大丈夫って言って欲しいんだよね。でも「大丈夫だぁ。ガシッ」なんていきなり抱きしめられたらグエエだ。(そしてそういう愚かな間違いを正しい人々はよくする)そうじゃなくて、指1本くらいニギニギしてもらって「大丈夫だってば」って言ってもらいたい。それだけなんだよね〜〜。あああぁ。
 でもなぁ。分らないんだよね。おニブちんには。おニブちんは、モノの見方が1コだけだから。正しいと自分が信じる、それだけだから。それ以外の考え方はあり得ないから。そのくせ、おニブちんは己がかなり人の心が分るカウンセラーみたいな気分だから。
 …って。なんか。和田、思いきりイヤな野郎発言っすね。「私だけは分ってるの。ほかの人はみんな鈍感なのよ」=ソフィア・コッポラみたいなぁ〜〜。グハハハハハ。ソフィアじゃけんのぉ〜。ソフィアじゃ〜〜〜。(と、その名前に爆笑する)

2004年06月04日(金) モハマド君はオモチャじゃない

 むぉおおおおおおおおお!(←冬彦さん状態…って古い?)怒りで頭がおかしくなりそうですっ!!
 というのも。モハマド君。あのね、モハマド君はオモチャじゃないんだよっ!それをなんだ、日本のテレビは。東京から沼津への移動を追いかけ。サービスエリアで子供と握手させ。コーラ買わせ。ホテル(沼津のボロッこい東急ホテル)はキラキラな花束なんてあげて。病院はピカチュウを与え。千羽鶴をあげる。
 馬鹿か?おまえら、全部、馬鹿か?どうして「ファルージャでのアメリカ軍の無差別な攻撃でたくさんの人が、もちろん子供も攻撃されて死に、まだモハマド君はラッキーなことに目をやられてだけで済みました。でもそのアメリカ軍にイエ〜サ〜と言ってるのが日本です。モハマド君、ごめんなさい」って言わないのか?そして、花束の代わりに、金やれよ。その方がいいんだよ。それが現実だよ。奇麗ごとすんなよ。
 前にもここに書いたけど、ファルージャへの無差別攻撃はものすごくて、私のようなアーパには想像もつかないことで。で、そこで死んだ人達の写真が少しだけアルジャジーラ・テレビのサイトに載っていて。子供とか撃たれて血みどろになると、砂が体中にくっついて、土人形みたいになっちゃうんだ。口あけて。目あけて。砂だらだけで。それを見ろよ。それを知れよ。
 そりゃ、モハマド君の目が治ることはいいことだ。それがたった一人でもゼロよりはずっとマシ。すごくいいことだと思う。だから橋田さんたちがしようとしていたことは、とても意義がある。それに命をかけたことは本当に尊い。
 でも報道の仕方がちがううううううううううううううううううううう!
 久しぶりにかなり本気で怒ってしまった和田です。あまりにも愚か過ぎるんだもんっ。
 ちなみに。…ちょっとは笑いを。
 沼津せいれい病院って、和田が幼い頃に通っていたまさにその病院っす。和田の馬鹿本の中に出てくるような病院っす。そんな病院っす。笑いました。それは。ああ、あそこか〜〜。あそこでいいのか〜〜?って。

2004年06月03日(木) デブはデブ

やっぱり「りんご酢」より「米酢」な気がする…。リンゴ酢はリンゴな分だけ栄養があっちゃって、太っちゃうんじゃないか?
 などと。己の暴飲暴食を棚に上げてリンゴちゃんのせいにしてみる和田であった。ハイ、リンゴ酢ダイエット、全く効果をあげてない6月です。
 ところで和田はこのあいだ病気が判明した時に、恐ろしいことに貧血と血中たんぱくの不足なんてのがありました。今までそんなこと一度も言われたことがなくて、一体どうしたこと?とおののいているのですが(もちろん頭の中ではすでに「胃から出血?」とか「子宮癌?」とか様々クルクルしてます)それで医者が「肉食え」なんて言うからいい気になって「肉〜〜肉〜〜」などと肉食ってることもまたデブを増殖させていると思います。やっぱり魚魚魚〜〜♪の日々にしていると、デブは少し〜減る。肉肉肉〜!は絶対に太る。誰がなんと言おうが。あ。もちろん、野菜ちゃ〜〜ん野菜ちゃ〜〜んの日々は何よりも痩せる。
 でもさぁ〜。思うんだけど、たとえば北尾トロさんの日記(http://www.vinet.or.jp/~toro/)
などを読んでいると「今日は朝からなんにも食べていなかった」とか書いてあって。和田は驚く!朝から何にも食べなかったりしたら、昼過ぎの時点でめまい起こしてブッ倒れること間違いなしっ。私、血糖値がガンガンさがっちゃってダメなんですよ〜〜〜(えっ?糖尿?)。そしてやっぱりトロさんは痩せているし、そのあたりの体質みたいなもんにもデブとヤセの差って絶対にあるんだと思う。どんなに努力しようとしても(まぁ、ぶっちゃけ、努力してないが)デブ体質は変らず。痩せず。そんな〜???「一ヶ月で10キロ減量」とか「加藤大、半分の体に!」(←こんなん見てるの和田だけ?)とか、私からすると幻にしか思えません。
 あ!前に腸の検査して、腸の中をチョキチョキ切られたときは1週間で6キロ痩せました!チョキチョキか〜〜(遠い目)。
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