sasakiの日記
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All finished !2月27日。
ユキちゃんのアコーディオンソロを入れて音録り終了。 楽しみにしていたソロ、カッコいい演奏で、ハッピーに終われた。 ありがとう。 さみしいなあ。終わってしまった。
「コヨーテとUFO」飛び立ちました。 街明かりのように地上で光っていた大きな飛行物体は一閃、空中に穴を開けファンファーレを奏でる。
パンパカパーーーン♫
少しライナーを書こうかと思ってます。
おわり
2014年02月25日(火) |
これはどう見ても間に合わない。 |
目が引っ込む程魂を詰めてミックスやって、もう、今日はこれで限界。 ピアノ一本、歌一本の調整が一番難しくて、ゼロか180度か?の選択になって、結局は行くなら180度、チャレンジャーに決定。正直いうとよくわかんねえ。 10時くらいに終わって、ホップスに西岡君とネギチャーハン食べに行く。 ハッシーがサラダと赤ワインでジュンク堂について熱く語ってるところだった。 僕も西岡くんも車なのでジンジャーエールのすごく辛いやつを頼む。 ハッシーは本屋は頻繁に行くべきだと熱く語る。 僕と西岡くんは取り敢えず精も魂も使い果たしているのでボンヤリとネギチャーハンとアスパラとなんだかのスパゲティが来るのを待っている。何だかは何だったかなあ?人の食べたものは覚えてないもんだ。 ハッシーはレコーディングの交通整理とデザイン一般を受け持っている人で、発売日を守る役目も背負っているけど、僕らのいい加減な日にち延ばし作戦には聞く耳を持たない。 2月の頭頃におおよその目処がついて、もうそろそろ発売日を決めてもいいだろうということで、4月14日が決まった。 これを守れなかったらあたしはボウズになって世間にお詫びしなければいけなくなるから、ついてはあなた達しっかりと予定日を守るようにと固く言われてきたのに、ハッシーをボウズにさせる羽目になるかもしれない。 ハッシーは女性なのでそうおいそれとは坊主にさせるわけにはいかない。 僕も3月14日に坊主頭で舞台には立てないので、ここはトラで西岡君に責任をとってもらうことにしよう。 僕らはとても欲が深くて、録り終わった楽曲を聞いて、ああもしたい、こうも行けると小学生みたいにジタバタしている 日記に今の出来高5%くらい、と書いてからここ迄たどり着いた。 もうじき完成だ。 いいに決まってる、かもしれない。いい、だったらなあ。いくない(北海道の方言)訳がない。三年は聴いてる計算になるから、いいのか悪いのかよくわからん、と図々しく開き直る声もたまーに聞こえてくる、自分の中から。 残念なことに人生は引き返せない、「あっ、あそこか?」というところがあったりするけど、もう、どうにもこうにもだ。 三年前と何か変わったかというと何も変わっていなくって、ただ、三歳年をとっただけ。 僕は元気に63歳と6ヶ月音楽を作ってるよ、ということを声高に叫びたいだけなんだね。そして、チームになって積み上げて行ってくれた大勢の人の力もすごく聞こえてくる。とってもゴージャスなアルバムになってるから、期待していいよ。 まあ、お礼は改めてするけど、とにかくもう少しだ。がんばれ!
タイトルに「これはどう見ても間に合わない」と書いてあるが、間に合わないと言い切ってるわけではない、のではないのではない、ということもない。・・・これくらい書いておけばわけがわからなくなるだろう。
村谷さんからオホーツクフォーク祭り2014年の概要が届いた。 今年は6月7日(土曜日)に決定。 先輩が気合を入れている。僕らはまだまだ。 さて、明日は最後のダビングがある。 まだ終わってない様にみえるなあ、この書き方は。
おわり
松が布団の上にモッチリと乗っかっていて、寝られない。 折角上に乗っかってもらう光栄に与ってるので、無下に邪険に出来ない。 スポ太郎ほど重たいわけじゃないからギリギリで忍耐出来る。 一昨日、喉の端っこがチリチリしてのだけれど平日は何ということもなく、過ごせたので気のせいか?と思ったけど昨日の朝、少しチリチリが広がって、今日、風邪と認定した。今は涙の様に鼻水が滂沱と流れ出る。 此の所、珍しく風邪ひかないと偉そうに人に言ってた矢先だったので、黙って寝てる。
猫を胸にのせて風邪ひいて寝てる。 風情があるといえば風情がある。
ああ、重いなあ。だんだんいらっとしてくる。
2014年02月12日(水) |
Gibson J 50 |
最初に買ったギターがカスガで、値段相応に鳴らないギターだった。 鳴るかならないかを言えるほど贅沢な身分じゃないから、こんなものかと思って使っていた。まだ、マーチンもギブソンも知らない。 バンド始めた時も、サークルの仲間達はどこのギターメーカーかわからないような怪しい楽器を使っていた。弦が6本あってそこそこの弦高だったら乱暴に弾くことはできる。時々カホンみたいに叩いたりもする。 僕たちは仕事にするつもりも、これで金が稼げるなんて夢にも思っていないし、人に知られたいとも思っていなかった。 ヤマハライトミュージックコンテスト、LMCに出てみるかと稲村さんがチラシを持って部室に入ってきたのが半年か一年たってからだろうか? 「Let it be」が出たばかりで、ジョージ・ハリスンの「I me mine」が気に入っててコードを研究していた。 そんなある日、「ねむくなるまで」を持ってきた。 僕はカスガのギターからジャンボに変えた。 どうやら、世の中にはマーチンやギブソンというどえらい音がするギターがあるらしいという噂が入ってくる。 同じ大学生で持っているやつまでいるらしいという情報までちらほらと。 気がついたら北海道予選も軽々と飛び越え、東京の本戦会にまで出ることになっていて、それ以後はコンテストに出るとほぼ決勝戦まで勝ち上がる。自分たちもうっすらと気がついていたが、コンテストあらしだった。 いなむら一志という歌がない限りはあり得ないことだったけど。 いなむら一志には歌えない歌はないだろうと隣でギターを弾いて、つくずく思っていた。それくらいすごいボーカリストとソングライターだった。 僕らは巣で餌を待ってるひな鳥みたいに、ただ、いなむらさんが新しい曲を持ってくるのを待っていて、唄い出すと恐る恐る後ろからついて行き、ギターをいれたり、ベースを置いて行ったり、フルートを吹いて行く。
最初にみんなの前に現れたのがGibson J 50。所謂外国もの。得意満面だった。 いなむらさんは大体これ以降Gibsonに走って行く。 僕は後にも先にもマーチン一本。 ジョンが弾いてたGibsonからずっとGibsonが好きだったのじゃないかと思われる。
乱暴にいえば「ねむくなるまで」からこの仕事につくことになっていたのだろう。 コレクターじゃないけど、いなむらさんはギターをたくさん持っていた。 コレクターじゃない証拠に高いギターは集めていない、どうしてそんなギターを買うの?というようなものが多々あったように思う。 一曲作るのに一本ギターが要ると言ってたのを、ぼんやり覚えているけど、多分冗談じゃなかったんだろう。その感覚はギターを持っていない僕にもわかる。 新しいギターには新しい曲が埋まっているような気がする。
僕の家にGibson J 50がある。 昔むかしのJ 50ではないだろう。 僕のところにそのギターがきた。 折があったらみんなにも見せてあげるよ。 アマチュアの頃に憧れていたギターを。 稲村さんの使ってたギターを。
クリスマスから休んで早2月。 札幌の気温は2度。 一月は過ぎて行った。 何が残るかわからないけど、きっと適当なものを選んで記憶になるのだろう。 時間が止まらないところに住んでいるので、何がなんでもそれに付き合って先に進まなければいけない。難儀なもんだ。 唄を歌って、ギター弾いて、相変わらずうまくならないな?と毎日思い、仲間がこの毎日進んでる時間から降りて、止まった場所を時々確認して、人は毎日年を取っていくもんだと感嘆して過ごす。 歌入れは全部終わった。 火曜日に全部並べて見る。 歌は一本採り。基本的には。 オケもあと少しですべて終了。 長かった。
この休みも長かったかも。 また、真面目に書き出そう。
練習兼ねて。
おわり
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