sasakiの日記
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2008年02月26日(火) |
こんなに勝手なことが許されるのか? |
ソリティアをやろうとしたら消えていた。 なんだか知らないけど、私のあずかり知らないところでパソコンが勝手にいろんなものを消しているらしい。 ときどき「使われていない何とかがあるので、整理しましょうか?」みたいな文章がでてくるので、適当に相槌打っていたらいろんなものが消えているみたいだ。最近は写真も見られなくなってきて、いちいちDVDプレィやーの世話を受けなければならなくなって、面倒くさい。 それとなんだか知らないうちにやたらと重たくなってしまい、起動するのもなにもみな重たくて時間がかかる。 何か陰謀みたいなものを感じる。 基本的にパソコンのことは何も知らないので、いろんなことをメッセージされるととても困る。そうとっとしておいて欲しいのに、兎に角毎週いろんなものがこの中にこっそり入っているみたいだ。何とかならないものなんだろうか?別に必要を感じないのに勝手にアップデートとかしている。 テレビの音声も消えてしまったし、チューニングもいつの間にか来るってめちゃくちゃな模様になっている。はっ。 ところでこの日記なんだけどもし今ここで止めたらどうなるのだろう? 勝手に消去してくれちゃうの? この結構膨大な量の原稿はやっぱりデータとして残しておいたほうがいいものなんだろうか?どうなんだろう? 考えるといろいろ面倒なことに巻き込まれてしまったみたいだ。 ところで、これ何年やってるんだっけ?
最近、近所の子供のリコーダーがとんと聞こえなくなった。 あのころ、頻繁に聞こえていたのはリコーダーのテスト週間だったのかもしえないなあ。 リコーダーは学校で習うらしい。当然ほとんどの子供はふけるという。 その前がピアニカ、その前が、はーモニカ。 ぼくは当然ハーモニカ。と言うより男の子がハーモニカで、女の子は?何を習ってたんだろう?男の子とおんなじじゃなかったような気がする。 ぼくらの世代に女子は何が得意なんだろう? それにしても、学校でリコーダーを教えてると言うことは、生徒全員リコーダーを持っていることになり、相当のリコーダーが出回っていることにもなっている。いった日本全体で何本のリコーダーが売られ、何本のリコーダーが眠っているんだろう。相当のリコーダー利権が絡んでいるとみた。あきら。
目黒君から電話。辻村さんから電話。 まあ、いい話だった、 がんばろう。 みんな、思い切り単刀直入に話しに入ってくる。 もう少し、時候の挨拶や、日々の近況や、最近の性癖などを穏やかに話し合ってからことに進んだほうが大人と言うものじゃないか? もっとも、人のことを言えた義理じゃないのは充分知ってていう。 携帯電話になってから話が兎に角早くなった。 このままいくとただの話ベタになっちまう。 昔が懐かしい。 一晩中、電話してたなんて信じられないねえ。 今はもうそんなことしたくはないけど。男同士で出来たんだから相当わたし達変わり者だったみたいだ。
松は遊んで欲しくてじたばたじたばたしている。
作詞ノートに好きだったと思われる詩が書いてあった。 前頁には2編金子光晴の詩が写し書きされていて出典もきちんと書かれているのだが、この「しあわせについてー旧友Sに」については何も書かれていない。多分、金子光晴のものだと思われる。 しあわせについてー旧友Sに
花でむれ返った部屋にいると胸苦しくなるように 幸せが禁物の人がいる 心がもとめるしあわせなんて、ほんのわずかなもので、 荷物になるほどのしあわせは、もはや、しあわせとはいえないのに 。 しあわせのアレルギー看者たちは、おおむね うすぐらい小部屋の隅で、要慎ぶかく、じぶんのふしあわせを まもって、じっとしている 窓の外の張り出しで、風雨にさらされた土鉢と、きりぎりす籠。 ふしあわせが生んだしほたれた風景の中で ある日、ふしあわせ同士がめぐりあい、そのふたりが夫婦になったが、 それはなんのふしぎでもない。
荒芒とひろがるふしあわせを埋めつくすほどのしあわせが、世に ある筈がないとおもったからだが。 爪の垢ほどの彼らのしあわせが、あろうことか、月や星よりも きらきらとかがやきだそうとは。
ラングストン=ヒューズが好きだったときがある。 多分、誰かの受け売りのような気がする。 ノートに書き写しているところを見ると好きだったのだろう。
十字架
ぼくのおやじは白人のおやじ ぼくのおふくろはくろんぼう ぼくが白人のおやじを呪うというと その呪いのやつはぼくにはねかえってくる くろんぼのおふくろを呪って くたばっちまえとねがってみても そんなひどいねがいじゃかわいそう いまじゃおふくろの幸福をねがってる ぼくのおやじはすごいおやしきで死んだ ぼくのおふくろは掘っ立て小屋で死んだ ぼくは一体どこで死ぬんだ 白くも黒もないこのぼくは
このノートの最後に
山木君が酒を飲みに行こうとして、友達の藤田君を誘ったところ、野球をやって球を顔でうけてしまい、血だらけになって救急車に運ばれ、今寝ているところだと言われ、見送りになり、次にぼくを誘ったところぼくも急性の胃炎でねており、彼は怖くなり、その日は家から一歩も出ず、布団をかぶってねたそうです。
藤田君に野球チームのメンバー、果物籠か何か持って見舞いに北かどうか聞いたところ、ひとりだけだったそうな。それもぶらっと入ってきて蝿叩きとお椀を持ってきたそうです。そのハエ叩きとおわんの由来を聞いたらーハエ叩きは、暇になっているだろうと思い暇つぶしに、おわんはーもう、球は追わんという。とてもくだらない話。
と書いてある。なんだかとても古い頃の話だ。 急性の胃炎のことは良く憶えている。 コンサートを始めて飛ばしてしまったときのことだから80年頃だろう。 何でも書いておくのはいいのかも?
その、山木君は明日、新札幌のサンピアザ劇場でライブです。 先月ぼくがやったところ。 佐々木、山木、すずきの順でやる、シーリーズ物の第2弾目です。 明日、三角山終わってから見に行こうと思ってる。 みんなで山木君の偉大なおっさん振りを見に行こう。 ほんとに格好いいから。
藻岩山はもしかすると冬のほうが圧倒的に登りやすいかもしれない。 ガレ場はないし、倒木も気にならないし、ただ登ることだけに専念できると言うのは楽なのだ。 そうなんだけど、ほんの少しの間で体力は激減していることに気づかされる。この年になると、なんだって毎日の精進が大事。 アイゼンももう少し歯先の短い奴のほうがいい。歩くたびに土踏まず健康法みたいになって辛い。次はこの間買った鋲の奴を試してみる。
今日は猫の日らしい。 べつにどうと言うことはない。 2月22日、だからニャンにゃンにゃンだと。 あのね?こういうことを考えて社会に啓蒙しようとする人出てきて、きちんと説明しなさい。くだらなよ、ほんとに。日本政府みたいじゃないか? まったく。
今日もまた途中で消えてしまい、一瞬閉じてしまおうかと思ったんだけど、昨日の今日だしなあ、もう、3時間以上ここに座って打っている。 ノスタルジア’70というドラマを始めたんだけど、消えたと言うことはまだ時期じゃないんだと勝手に解釈して、暫く止すことにした。 ウウーーーン、疲れた。 松が遊べと騒いでいるので命令に従うことにする。
最後の保存を押そうとしたら、いきなり停電。 パソコンの電源が落ちた。 あんまり悲しいので寝ます。 おやすみなさい。
4人が4人、夫々、記憶を持っていて、事実だったことが微妙に脚色されていることに気づく。 暫くぶりに百章の最初のライブヴィデオを見ると、やっぱり指が憶えてることと、言葉にして憶えていることがあり、記憶を頼りに音楽をやるというのもなかなかいい。こーやも時々別の記憶ガ蘇っているのかかすかに笑い、歌川も好きな曲だっただろう時には嬉しいらしい。伴はひたすらぼーっと座る。 人はそんなに変わらない。 稲村さんはどこからどう見ても稲村さんで、何年経ってもバンマスなのだ。 お誕生日おめでとう。 シンジも、歌川も2月生まれだ。 とりあえず長生きしよう。 同じ風景だったものが時間が経つにつれ色や臭いを変えて記憶としてしまいこまれる。 風景の中に軽やかに時間が飛んでいる。 大抵は笑っている。 幸せな時間だったらいい。 どの道、人はただ順番に並んでいる。
隣の住人は何をしている人なんだろう?とずーっと思っていたんだけど、通夜の日に誰かわかった。 思いのほか親しい人が隣に住んでいるということがある。 昔、東京に住んでいたときも同じようなことがあった。スキャンダルだ。
今気がついた。11日のまりちゃんのライブ行けなかった。 前の日までは頭にあったのにごめんね。 懲りずにまたメール流してください。 春が早くやってきた、と思ったら、また冬になった。 いくらなんでも2月に春が来るわけはないんだけど、ちょっと気温がゆるむとすぐ春が来たと思い込む。 気ばかり急く。
そろそろ、還暦のにおいがしてきた。 一つ二つ上の人たちはもうそんなことになってきた。 はははははははははははっははは。
買ってきた鋲では山は登れないことがわかった。アイゼンを取りに行こうと思う。
みんな、兎に角、もう少しがんばろう。
今日は取り立てて何もない日だった。 午後からギターと歌の練習、微妙に前掛りの日で、なんとなくすべてが走っているように感じられる。メトロノームが必要かもしれない。 何もない日だったというのは小学校の夏休みの日記みたいで気に入る。 これからは折があるたび使うことにする。
プー横丁に行く。 今日も木屋が居た。 まったり感があるのは何故なんだろう?面白い男だからゆるす。 何を許すかって聞かれても困るんだけど、なんか、許すって言いたくなる男なのだ。兎に角色々がんばれ。 今思い出した。けいこちゃんに御礼の葉書出すの忘れていた。元気なんだろうか?暫く顔を見ていない。 そのあと、川端さんと暫く話す。ランチの時間なのに話に付き合ってくれた。僕らは相変わらずおばさんのように話すのだ。おじさんもおばさんも本当は話好きだ。
また、手にガビガビができてきた。
松はストーブに頭をあぶって寝ている。 スポ太郎とおんなじだ。 猫はストーブで頭をあぶる。 たぶん脳みそはホンワリとゆだってるはずだ。 時々うなされるのかうなる。 スポ太郎はこのあと吐くんだけど、松は思いのほかタフで、気持ちが悪いはずなんだけどこらえる。だからといって偉いわけでもない。
みかんジュース飲もう。 本当はドーナツ食べたいんだけど。 恵比寿のドーナツ屋に行きたい。高い、甘い、重い、ラズベリードーナツ 3個はいける。
「天」(仮題)、全面的に変更した。3人でコーラスが出来るように。 変則的な構成なのでなかなか上手くまとまらない。でも、A,Bまではこれでいい、長めCメロがかなり厄介。なかなか潜望鏡が上がらない。
この間、毛陽のサティアンの雪下ろしをやって、帰り道、雪が深かったので長靴を履いたまま帰ってきた。 今、ずっと、その長靴を履いている。なんといっても着脱が簡単で堪えられない。昔、冬になるとおじさんたちは決まって長靴を履いていたものだ。冬靴はどうしても大事になってしまい、結構面倒くさい。そこに長靴。最初は車の運転ぐらいいいだろう、どうせ何処にも出ないんだし、結構足元暖かいし、なんか工事の人みたいで気持ちも少し違ってくるし。 これが、問題だった。全然、放せなくなってしまった。スーパーにも行くし、本屋にだって行く、このままいくと町にだって出かけそうで、どうしよう?この間までは、自転車で色んなところで見つけられ、暇な男だと言う評判が立ったばかりなのに、今度は工事関係の人に転職したのか?などといわれかねないんだけど、これが、総簡単には脱げない。セーラー服をを脱がさないで、と言う歌あったんだけど。おじさんは油断すると楽なほう楽なほうへとファッションが走る。それにしても、久しぶりに長靴を履くと楽しい。 それとかなり似合う。 長靴に合う男はそんなにいないと思うんだけど。みんなに是非見てもらいたい。こんどエスアールのホームページに松の写真とわたしの長靴姿載せてもらおう。 肇にあったら快調にも岩に登っていると言うこと。こっちが長靴で悦にいっているところなのに、順調に健康になっているみたいで悔しいから、アイゼン早く買って登らないと遺憾。夏とそんなに変わらないらしい、昇ってる人は。結構混みあっているみたいだ。
マリちゃんにライブいけたら参加する旨のメールを送ったら届かなかった。どうなってるんだろう?2月11日にライブをやるいうことで。 誰か読んでいたらこれ伝えてくれませんでしょうか? 家のパソコン最近微妙に壊れ始めているような気がする。 なにがどうと?詳しくは説明できないんだけど、そこはかとなく、微妙な部分が働いていないような気がする。果たして、パソコンと言うものはこんな風に情緒的に発狂していくものなんだろうか? キューブリックのHALの例もあることはあるんだけど、あっちは作り話だからさあ。知らないものが色々よそから入ってきているのはどうなんだろう?
松はついに高いところの戸を開け、高いところからこのパソコンのある部屋に侵入する経路を確保できるようになった。とにかく、ひっきりなしに側にいないと気がすまないみたいで、だんだんストーカーみたいになってきた。就寝時は布団の中にもぐって手を握ってくる。面白い猫だ。 齧り癖もへっては来ているんだけど、その代わりいざ齧るとなると思いっきりになるので被害は甚大。それと相変わらず紙を食う。小さいネズミの人形の尻尾だけ食べてしまう。ウサギの皮で出来ているみたいで、とにかく尻尾だけ齧りとって飲み込んでしまう。排便はきちんとしているので詰まってる気配はないのでまだそんなに気にしていないんだけど、猫色々だ。
書かなければ、の寒中見舞いがまだ手がつかない。
「天」の歌、頭のメロディが決まった。これで、大体は解決つくはずだ。 タイトルは「潜望鏡をあげて」か?潜水艦の歌じゃないのだ。
sasaki
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