銀色の日記
モクジイク?|モドル?
2010年10月05日(火) |
Chronicle 菖 |
2003年3月26日生まれ、我が家で初めて産まれた子猫が菖です。 源造と葵の子ども。
母猫・葵がトイレで変な声で鳴いていたので見に行ったら小さなお尻が・・・。 逆子でした。 慌てて引っ張って出し、膜を破りヘソの緒を切ってやりました。 葵が舐めようとしないのでタオルでゴシゴシ。 2匹目の弟・一八を産んで落ち着いたのか葵がお乳をあげ始めやっと安心。
初めて家で産まれた子猫で可愛くてたくさん写真を撮りました。 菖は真っ白で顔も源造似でした。
「あやめタン」と呼ぶと「キャー」と返事をしました。 それが面白くて何度も名前を呼びました。 時に「あめタン」と呼んでみたり、それでも必ず返事をしてくれました。
ハウス野良と呼んでもいました。 懐いていない訳ではないのですが、ほとんどくっついてはこず 家の中で自由にまさに「家の中の野良ちゃん」状態でした。
2004年3月に子猫を産みました。 その頃の我が家はベビーラッシュで、菖と一週間違いで棗も子猫を産んでいたので 菖、棗に樹が加わり3匹で子供の取り合いをしていました。
菖の子猫のうち一匹だけ亡くなってしまった子がいます。 菖と同じ真っ白な子で、一匹だけ成長が遅くちょっと目を離すとみんなから離れたところで居ました。 見つけては菖のところに戻していたのですが。 亡くなった時はやはり箱から出て隅の方で息を引き取っていました。 まだ生後一週間から十日くらいだったように思います。
菖が体調を崩し、病院に通い始めたのが7月の末頃。 初めて連れて行った日は「今夜が峠」だと言われましたが、なんとか持ちこたえてくれました。 毎日、他の子達とは別に缶詰をあげたのですが 缶詰のフタを開ける音を聞くと「ニャーニャー」と鳴きながら台所に来てくれました。 食べるのが一番。そう思います。
7月末から約二ヶ月雨の日もありました。 猛暑の中、毎日だったり調子が良くなれば2〜3日開けたりとバスで通いました。 体がシンドイのに菖もよく頑張ったと思います。
最後の日も病院に行く前に何か食べたそうだったので、 缶詰を少しと食べやすい小粒のカリカリを少し。 生きる気力はあったはずです。 夜、缶詰を開けているとフラフラと何度も座り込みながらみんなと一緒に食べようと歩いてきました。ご飯の場所まで来た時に倒れ込み、それから二度と起き上がることは出来ませんでした。 今夜は一緒に寝ようと抱いて寝室まで行きました。 何回か後ろ足を掻くような仕草をした後、コトリと静かに息を引き取りました。
7歳・・・ 短い一生でした。 7年間ありがとう、菖ちゃん。 よく頑張ったね。 虹の橋のたもとでかあちゃんを待っていてね。
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