ネガティブ、な話になってしまうが。
同窓会があったわけです。 気付いたら、社長やってるやつも居て なんだか凄いなぁと感心してみたり。
そんな中の、飲み会の空気は嫌いじゃない。 居たいと思う。
が、喋りたいかというと、そういう欲求はあまりない。 適度に会話をして、後は周りの話を聞いている、 それだけで十分楽しく、そこにいたいと思う。 無口でそこに居ることが出来たら楽だなぁと考えることも。
んで、ちょっと考えるわけです。 人生を脚本や、舞台や、物語にたとえる事があるでしょう? 主演、自分。 主人公、自分。
自己中心、ではないのだけれど 自分の人生、自分が主役。 それが大切だと思っていたし、それが当然だと考えていたのだが。
同窓会という稀な機会は 過去の話の続きなわけです。 勿論、過去から現在は繋がっているわけですが 自分の周りの環境や社会は異なっている以上 やっぱりちょっと違うよね。
第一幕とか第一章とか第一部とか。 それぞれの単元が小学校だったり、中学校だったり。 あるいは学年か。
そう言う中では、『今の自分』を重要視しなくても大丈夫。 ほとんどが思い出話だから。
今の自分が居なくても(喋らなくても) 過去の自分を振り返ることが出来る。
何というか、自分の人生を舞台とするなら そのときの私は観客として参加出来る。 主演である必要が無い。 そんな風に、錯覚したわけです。
思い返すと最近、そういう事が多いような気がするんですよ。
自分の人生なのに、どこか観客になっているような。
今が嫌いとか、そう言うわけじゃなく 単純に見える景色を見ていたい、ただそれだけ。
一方、観客であり主演でもあるおかげで 不安にもなるわけです。 このままじゃ、物語が何も進まないよ、と。
舞台における主演と観客。 観客として居るとき、なんか人生の本流から 乖離しているような錯覚を覚えるんですよねぇ……。
難しいね。
実効性のないフレックスが導入されるらしい。
誰もが何かしなくちゃ、は理解出来るとしても もう少し、方策は考えられないものか。
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