1日雑記

2008年11月27日(木)

のり遅れたorz

ってことで、Intelのcore i7が発売されたことを
半月も経ってから知る。

まぁソケット形状違うし
ddr3のみらしいのでメモリの流用も出来ないから
とても手が出なかったとは思うのだが。

core2の45nmプロセッサが出たときは
深夜に並びたかったが結局並べなかったし
今度こそは、と思ったんだけど。

残念。



2008年11月24日(月)

最近読んでいる「深海のYrr」
まだ上巻の三分の二くらいまでしか読んでいないけれど
結構おもしろい。

内容的にB級ホラー映画とか、
安っぽい感じの映画で出そうだなぁ等と考えていたのだが。
しっかり映画化されるらしい。

何時公開されるのかよく知らないが
見に行きたいなぁ……



2008年11月22日(土)

書こうか、と思っていて書いていなかったのだが。
まぁ、TVを付ければ元厚生次官のニュースが流れているわけで。

それにしても、テレビの報道を見ていて
法治国家で法に則って制定された制度を悪の権化としつつ、
法治国家であることを前提として犯人を非難する。
ここにそこはかとない矛盾を感じるのは私だけなのだろうか?

ネットなどで時々見かける『天誅』という言葉も
年金問題の過剰な報道が根底にあることは疑う余地もない。

今回の件は年金問題とは関係なさそうではあるが
仮に、年金が原因であったとして、犯人と報道の違いは
肉体的に追い詰めているか、
精神的に追い詰めているかの違いしかない気がするのだが。

法治国家といえば、暴力的な手段を否とするイメージも強いが
民主主義が強い現代、相変わらず核の恐怖による平和は健在だし
他国への経済制裁という力業も肯定されている。

直接的な暴力を肯定するつもりは無いが、
少なくともこれまで受けてきた教育のおかげで
頭の根本的なところで直接的な暴力を否定しているのだが
間接的な暴力があらゆる所であらゆる形で肯定されているのを見ると、
直接的な暴力との違いは一体どこにあるのか少し、悩む。



2008年11月16日(日)

ねんがんの蒸器をてにいれたぞ!

……と、言っても誰にも殺されない自信はあるような。

煮る、焼く、蒸すと調理方法はあるが
蒸す調理器具を持っていなかったので購入。
コレで、何の躊躇いもなくジャガイモが購入できるゼ!

以前、蒸器が無かったのでお湯少なめにジャガイモ煮たんですけど
煮崩れちゃって美味しく無かったんですよね。
湯につかってない上部は美味しかったんだけど……。

ウチの近くのスーパーは
じゃがいもとかにんじんを一個で売っていないので
必然的に数個まとめての購入が必須になる。

一人暮らしをしていると、全部消費するのが結構大変。
まぁ、調理が面倒だから、というのが大きな原因だけど。

が、しかし。
蒸器の登場により、お湯を入れて火を付けておくだけで
大好物のじゃがいもがホックリと蒸し上がるわけである。
購入した当日なんかは嬉しくて
デザートにサツマイモまで買っちゃったよ。

安い、腹にたまる。
調味料は塩かマーガリンでもあれば十分。
塩分過多?
じゃがいも味噌汁よりは塩分少ないんじゃないかな?

そんな26cm鍋、3000円の幸せ。



2008年11月12日(水)

個人的にはあまり興味のある話題ではないのだが。

不意に閃いたわけで、
差別と区別は意味が違うんだよね、きっと。
差別は侮蔑の意味合いがあるような。

つまりですね。

女性差別と言われるものの中に
悪意無く、区別しているものを差別と呼んでいるものが
沢山あるのかなぁ、と今更ながらに。

いや、どこぞの新人アナウンサーの女の子が
アイドルみたいな形でデビュー、というような話を見て。
結局、局の方針なら仕事というわけでしょ、これも。

ちょっと前に、女性だからお茶くみ、は
女性差別だと聞いた事があった気がするんですよ。
あるいは接待とか、受付とか。

でも、今回のアイドルのような扱いの中で
女性差別だ、って話は聞かないなぁ、と。

ネガティブな思考でいけば
自分の性で都合の悪いところだけ
平等を主張する――と考えられなくはないのだが
たぶんそれもちょっと違う。

どこかに閉じ込められたとき、人災、災害に問わず。
女性、子供をまず解放するじゃないですか。
平等じゃないから、老若男女問わず、
くじ引きで解放する順番決めます、とはならないでしょ。

多くの場合、成人男性の方が女性や子供より体力があるから
残されるというわけで、根拠のある順番の決め方ですよね。

女性専用車両があって、男性専用車両がないのは
おそらく痴漢(男)は沢山居ても、
痴女(女)があまり居ないためだと思われるし。

権利とかじゃなくて、純粋な区別って
もう少しあっても良いんじゃないかなぁ……。



2008年11月11日(火)

数々のネットワークゲームを試してきたが。

ネットワークにログオンするのに1時間以上費やしたのは
今回が初めてだ。

Games for Windows - Liveってやつだったのだが。

流石Microsoft、わかりにくい構成のサイトを作らせたら
右に出るものはない。

MSDNライブラリ、然りなのだが
致命的な問題は検索機能にあるような気がする……。
私の使い方が悪いだけなのかなぁ。



2008年11月10日(月)

最近の少年ジャンプで連載している漫画の中で
購入している漫画というとアイシールド21があるのですが。

基本的に、単行本で買うのが私のポリシー。
そして、雑誌では読まないのがこれまたポリシー。
……たぶん。
例外はあるけれど。

さて、今日買い物に出かけたら、アイシールド21の新刊を発見。
とりあえず、それをもってレジへ向かう。

で。

少年ジャンプの表紙で壮絶にネタバレされたわけで。

本日発売なのか、ジャンプがレジの横に積んであるわけですよ。
表示がアイシールド21なのかーって思いながらちょっと見てたら
タイトルロゴの直ぐ側に試合結果が書いてあるわけで。

そりゃまぁ、こういう結果だろうって言うのは色々あるけどさ。
漫画が漫画だし、結果よか仮定が大事だとか!
色々あるのは分かるんだけどさ。

……月曜日にジャンプコミックス買うのは鬼門かぁ。



2008年11月06日(木)

そいえば、泣くと鳴くの違いについてちょっとだけ考えた。

痛かったりすると、人は泣くわけだが
さて、動物は痛いときに泣くのか、鳴くのか。

泣くと鳴くは直感的に違うものだと判断したが
あくまで、人として感じる範囲であって
あらゆる生物で共通の概念であるかは分からない。

言葉があるからこそ、泣くと鳴くを差別化して考えるが
人に言葉がなければ、
泣くと鳴くの区別はやっぱり難しいのではなかろうか。

人間の赤ん坊に限れば
生まれて泣くのは元気な証拠。
産声。
コレは泣いている。

が、他の動物で生まれた瞬間に泣くのは見たことがない。
少なくともテレビでは。

産声みたいに、決まった瞬間に「泣く」のであれば
鳴き声と泣き声の区別が付くのだろうが
そうでないなら区別がうまくできないわけで。

もしも、泣くのが人にしかない機能だったなら。
特定の種族にだけ、特定の機能が備わっているのならば
そしてそれを意図せず、実行に移せるのなら。
それはきっと素晴らしいことだろう。



2008年11月05日(水)

パジャマで学校に登校するのび太君。

……に、代表される
寝間着の上に制服を着て学校に行っちゃうとか。
なんて漫画チックなんだろうと考えていたのだが。

自分でやるとは思わなかった……orz

といっても、寝間着がTシャツなんで
Yシャツにアイロンかけて
気付いたらそのまま着込んでいた、と。

帰宅後、なんか変だと思ったら寝間着の上にYシャツ着ていたわけで。

……はぁ。



2008年11月04日(火)

そーいえば、脳とか色々書いたけど。

匂いってどこの誰がどういう風に記憶してるんだろ?



2008年11月02日(日)

人の脳みその容量は決まっている……とは思うが
生きている間に全部を使っていないという話も聞くもので。

さて、本を読んでいて不意に。

同じ作家の本を読んでいたら
何となく内容が似ていた。

だから?とか
当たり前、の一言が出てしまえば終わりだが。

自分脳みそと過去の記憶をこねくり回してみてごらん。
同じ事で悩み、同じ事を延々と考えては居なかったろうか。

同じテーマを別のアプローチから考えなかったろうか。

別に不自然な事でもないし
私なんかは、繰り返し考えることで頭に情報を植え付ける。

しかし、折角容量が余っているのに
同じ事を考えるのは勿体ないとは思わないものか。

Word,Excelのファイルを考える。
ファイルを開いて情報を更新するだけだと
ファイルサイズはさほど、変化しない。

が、新規にファイルを作成した場合
それだけで100KB近い容量を使うのではないだろうか。

無駄に容量を使用して良いのであれば、
そう、あなたは適当に作成したファイルを
適当に、デスクトップに保存することは無いか?

脳みその容量というHDDは余っているのだ
新規に作るだけ付くって容量を無駄に使ってみても良いのでは?
デフラグだって空き容量が15%あれば問題なく出来るのだから。


……と。
コンピュータが出てきたところで。
人の記憶は、コンピュータに保存されている記憶に勝てるだろうか?
情報の劣化というそれっぽい要因を考えたとしても
まぁ、自分の記憶を当てにするなら
コンピュータに書いた記憶を当てにする。

世界中の情報量は、ものすごい勢いで増大しているわけだが
コレを人の脳に詰め込むとどうなるか。
時間も勿体ないし、保存されている情報を引き出したとき
その情報の信頼性が疑わしい。

脳みそには使われていない場所が沢山ありそうだ。
HDDの空き容量のようなイメージであるならば
それはHDDに保存すれば良いことだ。

人の脳みそのすごいところは、ひらめくことだ。
気付くことだ。
応用することだ。

気付くこと、ひらめくこと、発見すること、応用すること。
これらは、脳みその容量とどのように結びつくのか?
「青い」、という単語と、「空」を知っているとき
青い+空とくっつけて考えれば青い色をした空だと認識出来る。
どこかの誰かが、青いという単語と、空という単語を
くっつけることが出来ると発見したのだろうが
さて、この場合脳の容量とはどうなるのか?
形態素として記憶している言葉をくっつけただけだ、
その都度くっつけて考えれば、
「青い空」という一つの単語で覚える必要がない。

そう考えると、脳みそは記憶を司る部位だと思えるわけだが。

何故だろう、もっと脳は、新しいことを見つけるときに
活性化しているような気がするのである。

それこそが容量であり、
記憶はまた、別のところに存在しているような。

何かに、気付きそうなのだが
何かはっきりしない。

まぁ、人の脳を記憶などという、
HDDで代替出来そうな用途に使うのではなく
気付くことに使えれば素晴らしいと思うわけである。

ところで私は都道府県の位置がさっぱり分からない人間である。


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加