1日雑記

2008年06月29日(日)

と、いうわけでメモリを買いにいったんですよ。
町田のツクモ。
DDRのバルクを。
確かに、油断してましたけどね。
昔使ってたサブPCのマザーとCPUを
全然使ってなかったら引っ張り出して。
メモリの規格みたらDDRでやんの。
当時余裕なんて無かったから256程度のメモリが頑張ってる。

主流であるDDR2なら適当に枚数持っているんだけど
DDRとなると……。
で、どうせ安いし、バルクで2GBくらい買ってくるか、と。

事前に値段も調べてみて
だいたい、1GBで3000円ちょっと。
これならいいやーって。


店について、なんとなく店内見てると、
CPUやマザーボードが安い。
セレロン430で4000円未満、
ASUSのマザーで5000円切っている。
店としての価格の比較はしらないけれど
ブランドモンでこの値段で売ってるとは知らなかった。

昔使ってた、サブPCって
マザーはバルク、CPUは中古。
クロックで1.8GHz。
たまたま見たセレロン430が丁度同じ1.8。

ほら、DDR2のメモリならあまってるわけだし……。

散々悩んだ末、
PCも消耗品と割り切って、マザーとCPUを購入。

引っ張り出した奴は調子あまり良くないし
今更DDRのバルク買ってもねぇ?
流用できないかなって。

こうして無駄にお金が減っていく。



2008年06月26日(木)

評価の月。

結論から言えば、非常に評価が低かった。
まぁ、予想は出来ていたのだが。
自分が評価する側の人間だとしたら
もう少し低い評価になっていたと思うので
救ってもらったみたいな意味合いでは
ありがたいとさえ思えるが。

期待しているからこその評価、と
古来からの殺し文句も頂きつつ。
もう少し頑張ろう!という事なのだが。

……結果に結びつかなかったし
空回りばっかりで効率も悪かったけど
当人は頑張ってたつもりなんです。

それでいて、別の道も勧められる程度に
ダメダメな状況となると
もう正直どうしたものかと。

どうしようね?



2008年06月24日(火)

ちょいとネットを見ていたら
非常に興味ある求人があった。

募集の内容も、まぁ丁度いいくらいで。

いいなぁ、と思いながら転職に思いを馳せる。

暫らく、悩んでみて
ネガティブではなくポジティブに
転職したいと考えたのは
今回が最初かもしれないと、も。

転職したいと考えた事は幾度もあれど
その理由の殆どはネガティブなもの。
精神的に厳しい時に考える転職は
なんとなく受け入れやすかったのに
つらくない時に考える転職は
なんとなく受け入れづらい。

こういう心理の時に、
それでも、と思えるのは
一つの目安なのかなぁと考える。



2008年06月19日(木)

よく、テレビや漫画などで
ステレオタイプのオタクなんてものが登場する。

美少女キャラクターを例に出す、
そんな会話を聞いていると
非オタク曰く
「そんな子、現実にいるわけ無いじゃん」
という言葉に対し、
受ける側も色々あるが
「いつかその内現れる」とか
「3次元なんか興味ない」とか。

しかしこれ、表層的な解釈であって
実際にはそういう考えの人って少ないのではなかろうか。

昔から、どうもそのギャップに悩んでいた。

現実には、と言われ
それを否定するよりは肯定する人の方が多いと思う。
にもかかわらず、止められない止まらない。


一つ、考えた。

現実という言葉に対し、夢を考える。
夢だけではなく、仮想現実を考える。

例えば、本に夢中になる。
本の中に引きずり込まれる。
夢中になって読んでいる時、
貴方は現実のことに気付くか。

もちろん、インターホンがなれば玄関に向かうし
お腹がすけばお菓子をつまむ。
が、意識は本に向いたまま。

このとき、人は現実に居ない。
現実よりは本(仮想現実)に重きを置いている。

ネットゲームでも良いが、文字という共通項を探すなら
ネットの掲示板か。

書籍が書籍であるのは、終わりがあり有限であるからだ。
だから、終わりが無い話――主人公の話がそのまま本になる――
そんな物語も成立している。
話は終わりを迎えると、人は本の世界から現実の世界に戻る。

あるいは類似する世界を求めて
次の本へと取り掛かる。

これがネットの掲示板だと終わりが無い。
厳密な意味ではないが。
なぜかといえば、個人という読み手に対し
書き手が圧倒的に多いからだ。

これにのめりこんでしまうと
抜け出るためのきっかけがつかめない。
本なら終わりがあるのに、終わりが無いから。

ネットゲームだって同じだ。

それならば。
もしも、現実よりも仮想現実の中で生きる時間が長かったらどうだろう。
8時間眠ると残りは16時間。
一日、8時間以上ネットに繋いでいる人は
見た目ほどには少なくないはずだ。

8時間、現実に行き
8時間、仮想現実に居て
8時間、寝ていたら……。

一般的に、現実を重視するのは
そこで生きているからだ。
本やネットは娯楽。
せいぜい、数時間を占めるだけであり
現実はその何倍も続く。

が、もしも仮想現実に居る時間が現実と同じならば
その人にとって、仮想現実は現実と同じくらい
「あたりまえ」のものになっているのではなかろうか。

現実と仮想現実は違う事を認識していながら
意識はしなくても仮想現実というものを大事にしている。
だから、現実とは違うと言われても当たり前だとしっていながら
止められない止まらない。

「現実?興味はあるよ」と。

実際には働かないと
仮想現実は手に入らず
働いてしまえば現実の占める割合が多くなる。
境界があるなら、きっとその辺なのかなぁとは思うけど。

仮想現実を現実の代替とは考えず
それを一つの現実と感じてしまい
しかも仮想現実は現実より占める時間が多くなる。

ギャップはこんなところにあるのかなぁと
漠然と考える。



……そーいや、ATOK買っちまったぜ。
あんなの前世代的なPC好きのツールだと思ってたのに。
蕩けるほどに滑らかだ。



2008年06月15日(日)

秋葉原の通り魔事件から一週間が経過して
色々報道されているこの頃。
ゲームやアニメ有害論がまた噴出するかと思っていたが
今のところ、あまりそういう話は見かけない。

事件について報道される度に
何気なく事件について考える。

ワイドショーなどを見ていると
コメンテータから理解できないという言葉が飛び出していた。
実際、理解したくはないのだが……。

例えば、加藤容疑者に殺傷された被害者遺族の方が
加藤容疑者に殺意に近い感情を抱いたとしても
それを理解できない、と言う人は少ないのではなかろうか。

ところで、現代の日本において
生きているというのは二つの意味を持っている。
一つは生命活動そのもので、
もう一つは社会的な命。
ドラマや映画なんかで、社会的に死んだ、という言葉を
時々聞くのだから
逆に言えば社会的に生きているという言葉は成立するはずだ。

生命活動としての生と社会的な生を
イコールで結びつける事は出来ないが
少なくとも、両者は深く結びついている。

社会的な命を誰かに奪われた時
奪った相手に対して強い感情を抱くのは
これも理解の範疇であると思う。

では、もしも社会そのものが、自分の社会的な命を
圧迫(迫害)し続けていたと考えているのなら
その感情はどこに向くのだろうか。

恨みたいのに恨む相手がいない状況。
定義上は存在しても実態の無い相手は
恨むに恨めず、感情の行き先は別のところに向かう。
誰でも良かった、と加藤容疑者は言ったが
社会で生きている全ての人間が対象だったのではなかろうか。

全てが嫌になったと言ったとき
それなら何故自殺しないのか、という言葉もわからなくは無いが。
誰かを恨んでいるから、
自分を殺せと言っているようにも聞こえるわけで。
無関係な人間を巻き込む位なら、という前置きがつけば
全面的に同意したいが、
刺した当人にすれば無関係ではなかったのかもしれない。

何にせよ、行為を正当化する気はまったくないが。
ここが日本で、法治国家である以上。


とりあえず、破壊衝動は誰しもが持っているのだが
それを行動まで持っていく前に
抑制している何か(多分理性とか)が
目に見えるものではないことが少々怖い。

見えないのは当たり前なのだが。



2008年06月06日(金)

こういう場所に
書く時に
音を気にした
事が無い。

日本古来の
書き方で
韻を気にする
書き方が。

……あるのかどうかは知らないが
人気の高い書籍には
言葉のリズムがあるのでは。

先日買った、文庫の中に
海外作家の物がある。
和訳されたその本は
何故か素直に読みきれず。

色々理由を探してみたが
不協和音と結論付ける。
和訳された一文は
無駄に長いところもあれば
短すぎるところもある。

結果として、妙にリズムが悪い。
読みづらい。

ならばと思い、
リズム良い文章を考えたが
これは無理だと諦める。

いや、本当に言いたいことが言えなくなるし、これ……。



2008年06月04日(水)

コンビニに行ってみたら
テニスの王子様の最終巻を見つけた。

確か少年ジャンプの読みきりの頃に見て
なんとなく記憶に残っていて
それ以降、連載が始まってからダラダラ購入していたという漫画。

必殺技がどんどん進化行く様は
さすが少年漫画と思いつつも
さすがに終盤は少し笑ってしまう事が。

まぁ、それはともかく
私くらいの年だとスポーツの必殺技といえば
キャプテン翼なんですよね。

考えてみれば、
初代シリーズじゃドライブシュート一本だったんだよね、あの漫画。
アレンジはあったけれど。

そして中学生くらいの時に
雷獣シュートが出てきたわけで、
アレをまねして何人の中学生が足を痛めたのだろう。

あの理屈で強いキックになるはずが無いよねーと
結構笑って友人達と話していた気もするが。
最近、デコぴんの原理だとおもうと
急に強いキックが出来るのではないかと思い始めたり。

指に力ためてヒタイを打つからねぇ。
でもデコぴんの原理を応用したシュートでは
いまいち格好がつかないと思う今日この頃。


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