1日雑記

2007年08月27日(月)

何も無い、とはなんだろう?

まぁ、宇宙の外側のことなんですけどね。
何も無い、と何も存在できないは同義でしょうか?
何も無いだけで、そこに何かが存在できるなら
なんとなくそれは理解できそう。

何も存在できないのであれば、きっとそれは理解できない。


宇宙が球っぽいものだとして、その内側に人が居ると考えた。
宇宙の外側がきっとある。

では、仮に球の表面上で人が生きていたらどうなるだろう?
次元を一つ落として考えて
2次元に生きているとすれば。
3次元に生きていながら、構造そのものは球だとしたら。

真直ぐ歩いていくと、元の位置に戻るわけだ。
もしも、世界にもう一つ上の次元があるのなら
もしかしたら宇宙を真直ぐ歩いていくと、
もと居た場所にもどるのかも。

もしも、一つ上の次元が時間軸で
更にもう一つ上の次元があるのなら。

ただ、真直ぐと流れる時間は
いつか繰り返すのだろうか?



2007年08月26日(日)

例えば話を書く。
一度、平日に毎日更新するというのをやってみた事があるが
書いているうちに、自分の想定しない方向に進んでしまう。

私にとって、私の脳内の人物とは関数なのだ。
行動 = F(状況)

このFの中身は私にも良く分からない。
状況を与えれば勝手に行動が帰ってくる。
行動によって状況が作りだされるなら
Fn+1 = F(Fn-1)
……なんか怪しいが。

方程式の解は一つではないので
どれを選択するかは私次第なのだが
基本的に初期値となる状況さえ与えれば勝手話が出来上がる。

おかげで、選択を間違えると
想定した話とは全然違うところにすすむのだ。

この問題に対応するため、話を分割する事を考える。

分割された話のインターフェースとなる部分の結果さえ
初めから決めておけば後々の改訂でも問題ない。


プログラムを始めて以来、
物事を分割できないか考える癖がついてきた。
一方で最近思うのだ。

分割は本当によい事なのか。



2007年08月25日(土)

く、首が……回りません。

違えたわけでもないんだけど。
ぐー。

首が痛くて美味く動けないです。
明日はどうしよう



2007年08月19日(日)

やっぱり風呂っていうのは色々考えるものですね。

最近転職が……とか妙に色々考える。
仕事上で色々とフラストレーションが溜まっているようで。

何でかなぁと考えてみた。
明日になったらたぶん忘れているから書き残そう。

結局、思い通りにいかないからなんでしょう。
私今まで、意外とどうにかなっていましたので。

無理だと言われた高校にも入学できましたし、
希望通りではないものの大学にも入学できました。
いわゆる3流大学ではあるものの
そのおかげでそれまでと同じような環境にい続けることができました。

基本的に、周りのレベルが低いところで留まり
自分に酔いたい、というのが昔から私の根の方にはあります。

水泳をやっていたので、25メートルは楽に泳げても
小学校の水泳の授業では一番下のクラスに入るようにする、とか。
3つ子の魂100まで、でしたっけ?
基本的にはきっと今も変わらないのでしょう。

予定していなかった大学だったこともあり、
大学の学科内部では上位の方でがんばる事もできましたし。
機械系だったにもかかわらず情報関係も好きだったので
そういうところでも強みがありました。

自分で対応できないところも、環境のおかげでどうにかなっており
どうも、物事を甘く見ていたような気がします。

が、しかし。
最近の仕事ではそれが思うようには行きません。
結局、今まではどうにかなっていたことで
根拠は無くても、自信があったんですよね。

今現在は仕事がうまくいかず、自信も持てていません。

自信というのは
持てているうちは不思議とほかのことも上手くいくじゃないですか。
もしくは、一度二度での失敗が気にならない。

上手くいかず、自信が持てないときは
やっぱりほかのことも上手くいかないもの。
そういう悪循環のような状態に今自分があるような気がします。

故に、フラストレーション。

直接仕事と関係の無いところでも
会社から負荷がかかっており、これがまた頭を悩ませます。
笑ってはいるものの、正直胃の辺りがですね……。


とりあえず時間が経過すればすべてが終わるんですけどね。
作業だって進めることは進めているし
会社からの負荷も時間的な制限がある。

いやなのは自分の評価が下がることと
人に不快な思いをさせてしまうこと。

それを気にしなければ、どーにでもなります。
が、これを回避するための具体的な方法が手元にないのですよ。

だから逃げたくなるんですよね。

困ったものです。



2007年08月18日(土)

アニメ映画のDVDを買いました。
パトレイバー。

約6000円。

昔、ビデオで借りて、ダビングして。
何度も見たやつ。
好きだったから。

特典映像でCMを見ることが出来た。
1989年ロードショー。

……私、8歳やん。

色あせないで――とは流石にいえない。
今のものと見比べると確かに古臭いところがあります。
でも好きなんだよねぇ。

OSとかコンピュータウイルスとか。
今だとまた違った構成になるのかな。

工作機械作成してるわけだし。
……あの頃を思い出して力をだせば
仕事として作る事ができるのかなぁ。

挙句に空を飛びやがった工作機械でも作れば面白いかもしれない。



2007年08月04日(土)

例えばの話なんだけど、綺麗なものとか、感動するものとか
その「もの」ってのは単体だと
影響があまり大きくないんじゃないかな?

花火が上がっている。
確かに、綺麗だと思う。
だが、それを見に行きたいとは別に思わない。

が、花火大会といえばいつだって人は多い。
川原で開催されるなら、川には人がたくさん。
家で見ている人だってたくさん。

ここで区分する。
私は感動できない、あるいは楽しめない人間で
感動できる、楽しめる人間が花火を見ている。

これは正しいのだろうか?


電車の中でもいいし、街中でもいい。
楽しげに話している人たちを見かける。
時々、そんな人たちの会話が耳に飛び込んでくる。
他愛もない馬鹿話。
そして、楽しそうに笑っているのをなんとなく、眺める。

そのときは私は傍観者で
そんな内容でよく笑えるな、と冷めた目で見たことが。
次の瞬間、私も馬鹿話で笑っていることがあるのを思い出す。

多分しゃべっている内容は、彼らも私も
あまり変わらないのだろう。
笑ってるか冷めた目で見ているかは
当事者か傍観者かの違いだ。

当事者で笑い、傍観者で冷める要因を考えれば
話し合っている誰かがいるかいないか、という点だ。


花火でもそうなのだが、一人で行く人は少ないのではないか。
家族連れだったり、恋人と一緒だったり、あるいは友達と。

そのとき、花火は同じであってもすばらしく、
花火を見て、よかったなと強く思えるのは
やっぱり共有する誰かが一緒だからなのかな、と。

誰かと一緒に花火を見ていた人が
一人で花火を見ていたら、それは誰かと見ていた花火と
同じくらい、すばらしいと思えるのだろうか?

あるいは一人で花火を見て退屈だと思っていた人が
ほかの誰かとその時間を共有できたのなら
それは本当にそれほど退屈なものであったのだろうか?


誰かと時間を共有するための何かは
きっかけではあっても結果ではない。

ふと、そんなことを考える。



2007年08月03日(金)


さて。

9割以上の確率で夏休み出勤が決まる


……なんかもう、色々ごめんなさい。


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