1日雑記

2005年09月29日(木)

さて、生きる事は勉強するという事でもある。
勉強という事の元をだたせば、知りたいことを知るということ。
何も記憶できずに生きていれば、きっとそれは悲しい事だと思う。

いずれにせよ、人が生きていく中にあって
疑問を感じ、それに答えを求めようとするのは本能だ。
いや、むしろ逆なのかもしれない。
例えば何が危険であるかをしる。
そうする事は生きる事につながるのだ。

どんな動物が獰猛で、どこが弱点なのか。
どの植物に毒があって、どの金属を口にすると危険なのか。

それらを知ることが生物として生きるうえで不可欠である。
つまり生物である以上、知ろうとすることは自然なのである。

さて本題だ。
おでんの主役ってなんでしょう?

……まぁ、これが知りたいわけなんですが。

おでんの美味しい季節になりました。
しかし、おでんには昔から疑問があります。
どの具が主役であるのか、と。

例えばコース料理でもいいですが、連想すると
メインには重いものがきます。
美味しい料理というと例えばステーキを思い出したり
ハンバーグだったり
魚だったら白身魚のソテーとか……。
色々ありますが
少なくともハンバーグの付け合せのニンジンやポテトが
食事の主役という人はいないでしょう。
バーベキューやすき焼きをやったとき
肉こそ主役という気はしませんか?

つまりそういうことなのです。
いったい、おでんの主役はなんなのでしょうか?

確かに各家庭によって入っている具材も様々でしょうが。
コンビニのおでんとかも色々種類ありますし。

ウチのおでんの場合、肉関係は入っていない気がします。
で、大根とかはんぺんとかちくわとか。
そんな中で私にとってのおでんの主役とは卵です。
ゆで卵。

しかし、肉などに比べて卵というのはインパクトが小さい。
魚という事で考えれば、ツミレなんていうものも
おでんに入っているし、はんぺんなんて魚のすり身です。
はんぺんについては味がよくしみこむ事もあり
主役級であるかもしれませんが……。

かなり昔の話ですが、友達が家に来たとき
家でおでんでした。
そのとき、彼らにとってはどうやら大根が主役クラスだったようです。

どれをとっても主役のような力があるにもかかわらず
いまいちおでんの主役がつかめないんですよ。

万人に共通するおでんの主役とは存在するのでしょうか?



2005年09月27日(火)


エビがっ、エビがぁ!
体長2メートルもあるエビが私の部屋に!!

……という夢を見た。

はさみはなかったので
カッパえびせんのえびみたいなエビが部屋に。
気持ち悪くて部屋の扉しめたんですけど
中から置き忘れた私の携帯電話がなってるんですよ。
しかたなく扉あけて携帯とったりなかなか冒険でした。

多分探せば体長2メートルのエビのぬいぐるみくらい
どこかで売っているでしょうが
私は絶対買いません。
エビ。


そういえば、久しぶりに幼馴染に逢いました。
この前結婚したんですけどね。
身近な話を聞くと、なんか「ハァー」って溜め息です。

私と一つしか違わないはずなのに
ずいぶん大人びて見えたのは
もう3年も働いているからなのでしょうか。
やっている仕事もあって、結構たくましい体でしたし。

なんか幸せそうでよかったなぁ。
うらやましいというよりは嬉しかった。

さて、貴方は今幸せですか?

客観的に幸せだろうかと思案する私は
多分幸せの絶頂というわけではないでしょう。

もっとも、マルチ商法やると幸せになれるとか
そういう風に感じる幸せもあるようなので
そういうことで感じる幸せよりは幸せだと思ってます。
金銭的に恵まれる幸せよりも
心理的に恵まれる幸せ、みたいな感じでしょうか。

お金があれば欲求が叶うし
精神的にも余裕ができて豊かになれる
……というのであれば。

極端な話、子供は皆不幸という事になるし
年収の高い順に幸福だというとても分かりやすい図式ができる。

それだけじゃない、
それに加え自由にできる時間が沢山あるほうが幸福というのであれば
働かずに生活できるニートは最高の幸せであるという事になる。

これらのバランスが……と考えるのであれば
何かをやれば幸せになれるという単調なものではなくなるはずだ。


幸せ探してる間は不幸かといえば
必ずしもそういうわけじゃないんですよね。



2005年09月26日(月)


小人の物語。

疲れた靴屋のおじいさんの元に小人がやってきて
寝ている間に、代わって靴を作ってくれるのです。
あぁ、なんともすばらしき物語。

……か、どうかは知りませんが。
(そもそもこれで内容が合ってたかもわからない)
とりあえず小人は居るんです。

例えば書いた日記を読み返すと
それは私が書いたものなのです。
紛れもなく。

私が私の書きたいように書いて
私の主張だけをただ盛り込むので
読み返したときも確かに私の日記なんです。
……まぁ当たり前なんですけど。


一方で、ちょっと創作した物語などを読み返してみると
どうも自分が書いたのか分からなくなるという
錯覚に陥る事があるんですね。
実際私が書いてるわけなんですが……。
登場人物たちの主張や行動は
私の行動や主張と一致しないからなのかもしれません。
確かに書いている当時のことを思い出すと
あぁ、こんな事をこんな風に思いながら書いたなぁ、と
記憶から引っ張り出す事はできるのですが
最終的な完成品を見返したとき
どうにも自分が本当に書いたのかと、錯覚してしまいまして。

木を見て森を見ず……と、いいますが
物語というのは一節一節、あるいは単語の組み合わせが
話として成り立っていきます。
それぞれを注意しながら修正して……とやっていますが
一つ一つの木を見て、調整してきた私は
森を見たとき自分のものなのか疑問を抱く、と。
もしかしたらこんな事なのかもしれませんが。

しかし、そんなわけの分からない考察をするまでもなく
もっと単純に原因を解明する事ができるのです。
そう、小人です。
小人が私に代わってキーを打っているのです。
だからこそ出来上がった後で
しばらく時間がたってから見返す自分の書いた物語は
なんともむずがゆい気がするのです。

こんなところにも小人は居たんだ……という話。



2005年09月24日(土)


何かに特化した知識と言うのがない気がする。
それはそれで少し寂しい。
やるからには自分の理屈を確立するくらいの
知識を持っている方が話していて楽しいだろう。

知識、と言った。
知識と言うのは過去に確立された情報の事である。
逆に言えば今の情報ではない。
どんなに新しくても外部から得た情報は
それを情報として作り出した人間がいる。

そう考えると知識だけと言うのも少し寂しい。
確立された情報をぶつけ合っても
結局価値観の差がある以上、結論は出にくい。

新しい考えをぶつけ合うのはきっと楽しいだろう。

一方で、根拠と言われるものがなければ
それは中身のない会話になってします。
その根拠とは知識の事である。
(完全なイコールではないが)

クイズと言うものは既存の知識を競うものだ。
いままで、インターネットを使えばあまり知識が要らないとか
そういうようなことも日記に書いた。
それが事実であるならば、クイズなんてつまらない。
でも、実際には楽しんでいる自分がいる。

計算機というものがある。
これが進化してパソコンと呼ばれるようになった。
もしかしたら、当時頭でやった方が速かった計算を
計算機というものを何とか利用しようとした結果
パソコンが生まれ、インターネットが普及した。

無駄と言う言葉は、未来において無駄にしなければ無駄ではない。



2005年09月21日(水)

さて、アムウェイというものがあるらしいです。
っていうか会社なのかな。

前提ですが、少し見た限り、私はこれを危険と判断しましたので
否定的な立場とってます。
詳しく聞きたくもないです。
詳しく聞いて自衛できる自信もありませんので。

第一印象を何より信用する事としますので
もしもこれをやられている方がいて不快に感じていたら
まぁ、このページを閉じてください。


単刀直入に。

これに妹がひっかかりました。

まぁ流石に肉親なので戸惑いましたが。
実際にまだ購入とかそういう話にななっていないようですが
結構信用していたので会員になるのも
そう遠い日の話じゃないかもしれません。

止めようかとも思うけど
にわか仕込みの頭の知識で
何十万人をとりこにする謳い文句に
対抗できるとも思えないのでどうしたものかと。

これやると色々幸せになれるそうです。
嬉しいですね。
金銭的に豊かになると心が豊かになるということなのでしょうか。

人に勧めるのが生粋な良心からでてくるから性質が悪い。

破産っぽいことをした人も中に入るようですが
会員に対する割合から考えるとそんなに多くないでしょう。
実際に続けている人もいるわけですから
信じてればそれはそれでいいのかもしれません。
住めば都といいますし。

少し問題なのがいわゆるマルチ商法と似通っている
(というか私は同一のものだと思いますが)
ことでして、周りを巻き込む可能性が強いからです。
知人を会員にするとポイント溜まるって……。
ポイント溜まるとお金だかの形で還元されるそうです。

結局問題となるケースは
このお金のために無理やり友人やら勧誘して
友達なくすというケースとか
入れ込みすぎて大変な事になるケースとかっぽいですが。

まぁ、友達なくしても自分の価値観と合わないって切り捨てて
こういうものを盲信して幸せなら
それはそれでいいのかもしれないですが。
幸せなんてその人の価値観の中に生まれるものなので。
傍目にみて不幸でも
本人が幸せならいいんじゃないかと思います。
巻き込まれるのは勘弁ですが。

しかしなぁ……
幸せになれるとかそういう話があったから
親にも良心から勧めてるみたいなんだけど。
むしろ就職する方がずっと親孝行になると思うんですけどねぇ。

改心してくれる事を祈りつつ。
会員の当事者達からすれば改心なんて心外な物言いなのだろうけれど
突き詰めていけば儲け話をフイにした……って事だろうからね。



2005年09月20日(火)

yahooニュースを見ていた。
1つの項目に目がとまる。

『ツネ様』写真集
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/soccer_national_team/?1127210189

これはー……つまり
前巨人オーナー渡辺恒雄会長の写真集か!?
と、ものすごい興奮いたしました。
通称ナベツネさんのセクシーショットや
水着までのってる写真集だったらどうしようかと。

あの小泉首相も写真集が出たくらいなのだから
読売会長ともなれば一面広告で宣伝されるに違いない。
にっこり笑ってフォーリン・ラブと、
白い歯を見せながら写真集の広告をするに違いない。

……と、そこまで被害妄想(?)がかき立てられたところで
詳細をみてみると
サッカーの宮元恒靖さんの写真集でした。
ちなみに既に5万部予約が入っているとか。

個人的にはナベツネ写真集のほうが面白そうだと思うのですが。
そんなのものが発売されたら誕生日を迎える友人達に
是非一部ずつプレゼントするとか売り上げに貢献したいところです。

一時話題の人でしたからねぇ。
需要はあるんじゃないかと思いますよ。
……どういう使われ方するか微妙なところですけど。



2005年09月19日(月)

土日も学校でした。
終わらせるべきものが終わらなくて。
なんとも切ないです。
夏休みらしい夏休みがほとんどなかった今年度。
……いや、毎年の事かな?

休みといえば、就職先は週休2日らしいです。
良くも悪くも週休二日。
祝日なし。
とにかく週2回休むような調整になるらしいです。
もちろん減ることはあるみたいですが
増える事は無い様で。

まぁこれがちゃんと施行されるのであれば
標準的な会社なみだとは思うのです。
休日出勤が普通の業界もあるのでまだまだ油断は出来ません。


そういえば最近ガムにはまってます。
噛めば噛むほど味が出る、と言う事はないのですが
キシリトールなので少しは歯に優しいかもしれません。

そういえば私はよくおなかが張るのですが
キシリトールを10粒喰らい食べると
便秘の人でもどうにかなるという話が前にテレビでありました。
おなかが張っているときも
キシリトールをまとめて食べればすっきりするのでしょうか?

いや、下剤とか浣腸とか世の中には色々あるのだから
キシリトールなんて使わずにそっちを使うほうが
楽なのかもしれませんけどね。
ちなみに「ガスぴた」だったかな?そういう名前の薬をのんだりしますが
なかなか効かない私の体。
効く人にはおなかの張りが直るんだか、
張らないんだかということらしいんだけど。

どうも長時間の移動とかするとおなかが張っちゃうんですよねー。



2005年09月17日(土)


覆水盆にかえらず……という言葉が頭に浮かぶ。

しかし、よくよく考えてみるとたいした問題じゃない。
アメリカの方じゃミルクがどうとか言うらしいけど。
盆に置いた水を何に使うかと言う話。

コップに水入れて、こぼれたら元には戻らない。
それで何が困るかと考えてみる。
飲み水であれば、蛇口をひねればまた水が出てくる。
水不足の状況下だって
まったく水が手に入らない事は少ない。
昔も今も、多少なりとも私たちを取り巻く状況は違うだろうが
水の入手がそこまで困難だったとは思えない。

先日のアメリカの大規模なハリケーンで
水不足などが深刻な状態になったのは知っているが
このことわざの中に深刻な水不足という状況と
読み取れるような言葉は一つもないのだから
平時の事柄だと考えられるのだ。
それならば別に、水がこぼれて困るのことはすくない。
多少床が濡れるかもしれないが。

手間はかかるがやり直しは出来る。
そんな事がこの言葉の中に含まれているんじゃないかと
少しだけ考えた日。

もっとも、水がこぼれるのはともかくとして
水がこぼれる前の状態に戻す事は出来ない。
おねしょをした子供がそれを隠す事が出来ないように
事実は事実だと言う事ですかね。


ところで、少し株に興味がある……と、前に書いた気がする。
実は就職活動をしていて
何社も回ったわけだけれど
その中で回った企業の株価を
新聞などで眺めたりする事がある。
最後まで行った会社などは印象も強く
よく情報を集めたりもするのだけれど……。

筆記で落とされた会社がある。
……まぁ、エントリーシートの誤字を見つけたのにそのままだしたり
履歴書の判子の溝が詰まって書くのに失敗したりしてたので
落とされて当然と言えば当然だったのだけど。

そういうわけで、別に深く関わったわけではないが
なんとなく株価に注目していた会社。

で、当時見たときの株価が3500円。
2ヶ月くらい前から下がってきているなぁ……と思ったら
とうとう2500円くらいになっていました。
だからなんだと言うわけでもないのだけど
少し悲しいと言うか。

3000円をきったくらいのときに
「きっと持ち直すんだろうな」と
根拠もなく考えていたのだけど
結局そのまま下がり続けている。
もしも株を買っていたら孫をしていたわけですねぇ。
この語の展開は分からないけれど。


またまた話変わって車の話。
色々欲しい車を相変わらず調べているけれど
出てくる情報の中に雨漏りの言葉が含まれる事が多く、
少々切なく感じているこのごろ。
オープンカーってそういうものなのかなぁ?



2005年09月16日(金)

旅行に行ってきた。
自発的にはまず行かないが、行ってみるとやっぱり結構楽しい。
30人くらいで行ったので車の台数が数台あったのだが
私は乗員の方。
出せと言われても出せなかっただろう、怖くて。

でも、避暑地のような場所を走っているのをみていて
やっぱりこういうとき自分で走りたくなるな、と。
今までそういう気持ちになったことがほとんどなかったのだけれど。


旅行は楽しかったが、帰ってくるとやはり少し安心する。
帰宅までの道のりが長いことなど、理由は色々あるだろうが。
旅行って行ったときはリフレッシュできるけど
帰ってくるときに疲労が溜まってしまうのが常。
いかに、帰るときに疲労なく帰ることがというのが
永遠の課題と言うところか。



2005年09月14日(水)


車が欲しい。

……と、最近思うようになってきた。
それで色々考えてみる。

1.軽を薦められた。
→よし!SUZUKIのカプチーノだ。
「10年くらい前のやつでボロボロだし維持費が結構かかるよ」

2.軽で似た形状のものを――。
→よし!ホンダのビートだ。
「カプチーノより古いよ」

3.新しければ問題ないはず。
→よし!ダイハツのコペンだ。
「新しいからまだ高いよ。それとお勧めしない」

4.ならば軽ではなくて好きそうなデザインのやつを……。
→よし!三菱のエクリプスだ。
「左ハンドルが多いしATばっかり(MTが欲しい)」

5.国内はきついのか。それなら海外だ。
→よし!フィアットのバルケットだ。左ハンドルでも気にしないっ。
「エンジンの耐性が……。結構壊れやすいよ。
 その上パーツ高いから修理にもお金かかるし」

ことごとく否定される悲しさや。
どうせ年とったら落ち着いた車を欲しくなるんだから
今のうちにこういう車狙ったっていいじゃないか。

それにしても中古でMT車かったら
家に帰るまでに事故起こしそうです。
ATですらてこずるのに。

なんか値段含めてぴったり合う車がないよー……。



2005年09月13日(火)

とある検定試験を受けようとしていたのだが
まさか前日に試験がキャンセルされるとは思いませんでした。

日本ではあまりまだメジャーな検定ではないようなので
まぁ、こういうこともあるのかな……と解釈しましたが。
そもそも当日に試験料払って
当日に結果がでるというあたり、
かなり薄っぺらい試験だと言う気はします。
もっとも、学生割引がかかって
試験に1万円も取られるので
薄っぺらいと困るのですが。

……ま、前日にキャンセルが入るくらいだから
多少馬鹿にしても文句は言われまい。


久しぶりに100円ショップを堪能してきました。
めがね拭き、100円。
普通に買うと高いので、ためしに買ってみました。
一緒に買ったラヴェンダーのお香は失敗。
煙いだけでした。
当たりはずれがあるなぁ……それが100円ショップ。



2005年09月12日(月)


間違い探し。

1. #
2. #
3. ♯
4. 井

……間違い探しじゃないか、それぞれ何であるかを当ててみましょう。
回答は↓を反転させてください。

1. ナンバー、いげた
(プログラムをする人はよく使うがシャープといってる人多し)
2. ナンバーの半角。Shift + 3
3. シャープ
4. 井原のい



2005年09月11日(日)


小学校から始まって、歴史と言うものが好きだったためしがない。

テストをどのように克服するかに悩んだ事はあっても
歴史を知りたいと思った事は皆無である。

今もそんなに知りたいと考えているわけではないが
まったく無知でちょっとだけ後悔している。
例えば中世、ヨーロッパの頃
治安はどのように守られていたのだろうか?
警察と言うのはないのではないかと思う。
だが罪人が野放しと言う事もないとおもう。
そうするとどういう組織の人間が
治安をつかさどっていたのだろうか?

ネットで調べてもすぐに調べられなくて
ちょっと考え中。
知らないと言うことにこんなにもイライラするのは久しぶり。
そういえば先日、中国から来た博士の人と話してて
とことん自分が無知だと痛感したばかりだった。

正直、頭の中の知識というのは
そんなに必要ないんじゃないかと考えている。
インターネットという巨大なデータベースがあるのに
有限である頭のなかに雑多な情報を詰め込む必要があるのかと。
でも常に調べられる環境にあるわけじゃないし
頭の中を調べるよりも確実に時間がかかる。
そういう風に考えたら頭の中の知識というのも
良いのではないかと考えるようになった。

人間ってどこまで知識を詰め込めるのだろうか。
使われない部分の脳も結構あるときくのだけれど。



2005年09月10日(土)


結構長い期間、技術的な研修があるらしい。
3ヶ月とかそういう期間。

その間、基本的には1人部屋ということなのだが
風呂トイレ洗面所は共同。
個人的にこの3つ、共用は好きではない。

まぁ慣れれば問題ないのだろうが。

その期間中、とても気になるものの一つがインターネット。
接続するような環境が無い可能性があるので
ノートパソコンとPHSなどは必須になりそうな予感。
(ネット依存が結構すごいので)

もう一つ、足。
研修場所というのはどうも地方になることが多いようで
どうしても車が必要になる事があるみたい。

お金は無いのだけどローンでも組んで買おうかしら。
欲しい車の目安はつけてあるけれど
あまり詳しいわけではないので人と相談しながらです。

ロータリーの機構が好きなので
少し欲しかったのだが
燃費悪いとの一言で断念。
ガソリン高いんです。

今は軽を少し考え中。



2005年09月09日(金)


なんとなくNHKを見ていたらニートについてやっていた。

一歩間違えると私もニートになりかねないんだろうなぁ、と。
感覚的に『分かる』とはっきり言う事は出来ないが……。
ゲストで来ていた作家の人は共感できる部分があるとか
そんな事を述べていたけれど。
傷つきやすい、とかそんな事を言っていたかな?

何事もひとくくりで原因を考えても
様々な原因が中で渦巻いているはずなので
あまり意味が無いような気もするが……
多分、私が自分に正直に生きるとニートにたどり着くんだろう。

ゲストの作家さんが言っていた
傷つきやすいというのは多分正解なんだと思う。
今の学校などを見ていると
体罰からはじまり、細かい教育まで
一言で言ってしまえば過保護である。

『保護しなければならない』という対象であるという考えと
『個人を尊重する』という2つの考えを並べて考えた時、
両方を満たすと過保護になるのではないか。

保護(教育)というのは知らない人に対して教えると言う事だ。
一方、個人の尊重はその人の考えを大切にすると言う事である。
『知らない』人間の『考え』とはいったい何なのだろう?

未熟である事を認めながら
それを尊重するということ、
その事に矛盾があるような気もするのだが
それを補おうとすると尊重するようにしながら教育する必要がある。
間違えて歩く人間を正しい道に引っ張るのではなく
何度も何度も言葉で方向を正そうとする。
今やっている教育というのはそういうものなので
手で引っ張られる事に子供がなれていない。
だからいざ社会に出ると言うときに傷つく……。
確かにそんな気がするので
傷つきやすいというのは正しいのだろう。

けどニートの原因やらを考えたとき
傷つきやすいと言うのは大きな要因なのだろうか?

甘えなどに代表されるように
悪い方向に自分に正直だということが
ニートの大きな原因なんじゃないだろうか。

先日、ふとしたときに冗談で考えていたのだが

「私が自分に正直になると
 他人に対して嘘つきになる」

冗談で、友人にあること無い事吹き込んだり
嘘をつくことがある。
根拠の無い理論をあたかも理屈っぽくしゃべる事もある。
これらの行動をとると何故か顔にすぐ出て、にやけてしまうし
声が笑ってしまうので冗談だとしか思ってもらえず
そのもくろみは成功しないが。

成功しても冗談だったとすぐに伝えるので
とりあえず冗談としてとらえてくれるのだが……。

冗談は冗談として
もしも私が悪い方向に正直になったら
人に対して嘘をつく、というのが一つの形になる気がするわけだ。

働きたい気持ちというのがある。
今から実際楽しみだが
生涯楽しんでいられるとも思わない。
辛い事もあると思う。
そういう時、自分を欺いてでも続けるだろう。
その後、また楽しめる事があるかもしれないし。
もしもそのとき、自分を欺かず、正直になっていたら
きっとニートになっている。
その後働きたいと言う気持ちはなく
ただ、だらだらと生きる。

たとえると……なんなんでしょうね。
禁断の果実の枝が年々低いところにおりてきているのかもしれない。



2005年09月08日(木)


改めて考えると自転車って概念はすごいと思う。

ほぼ例外なく、日本人なら自転車に乗れるだろう。
ほぼ例外なく、子供は乗るときに練習して、最初は転ぶだろう。

この世の中に、目標を達成するために練習を必要としていながら
誰しもがその目標を達成出来ているなどということが
いったい、どれほどあるのか。

九九をいえるとか、ひらがなを書けるとか、時計を読むとか。

これらは教育の中に盛り込まれる。
義務教育と言う日本人の子供なら誰しもが受ける権利を持っている
小学校の中で教えるのだから
当然その理解度は高い。
その使用頻度も高いため、必然的にこなす事が出来るようになる。

極端な事を言うと、用事のころのトイレトレーニングなど
生活をしていく中で練習し、覚えていく事は沢山ある。

しかし、自転車のように誰に強制されるでもなく
必ずしも習得する必要性がないのに
ほぼ全ての人が習得している技能というのはなかなかないだろう。

普及、というような言葉を使うのはたやすいが
自転車の普及率を考えたき、
これはもはや脅威の数値なのではあるまいか。
それも、転ぶ(痛み)という要素を備えているのにもかかわらず。

自転車って、本当にすごいものだ。



2005年09月07日(水)

2日連続で夢を見た。
しかもあまりよくない夢。

夢の中で生きてるんだから悪夢じゃないかもしれないけど
後1週間で死ぬんだか、世界が破滅するんだかであがくと言う夢。
途中で目が覚めたんだから悪夢の類なのかもしれない。

考えられる理由。
冬に使うような掛け布団をかけて寝てるから。
……あの重みが好きなんですよ。
扇風機止まって、暑さやら重さやらで
悪夢を見るのかもしれない。
後は精神的な圧迫感が。
20日までに色々やる事があるのに
全然やってないんで頭が警告発してるのかも。

まぁ2日連続で嬉しくない夢みるのは久しぶりだし
せっかくだから今晩も見れないかと期待中。
お化け屋敷より安価でしかもリアルに怖い。
夢だからさっぱり忘れられて後腐れもない。

現実で圧迫されるより悪夢って気軽でいいよね。



2005年09月06日(火)


夢を見た。

あまりいい夢じゃなかったみたいで早い時間に目が醒める。
夢と言うのは、結構覚えていないものだ。
なにか創作に使えそうな内容だったので
パソコンでも立ち上げてメモ書きしようかと思ったが
寝起きなのでする気力もうせる。
夢は覚えていない事が多い、ということは
寝起きでも何故かしっかりと認識していた。

せっかく見た夢なのだから、忘れてネタに出来ないのは寂しい。

と言う事で、そのストーリについて一生懸命、頭で考えたわけだ。
夢は虚構だが、思考は現実。
……と、寝起きの頭は結論出して
2,3度そのストーリを頭で追ったのだが
結局忘れていました。
その後にまた寝なおしたのが一つの原因だけど。

しっかり覚醒しているときには
夢であろうが、その後に必死にストーリをトレースしようが
どちらも脳の思考には変わりがないのだから
忘れるときには忘れるって分かるんですけどね。
寝起きってわけの分からない理論が必然であるかのような
錯覚に陥ることがよくあります。
それは荒唐無稽である夢と似た感覚。
そう思うと、夢の無茶苦茶さもどことなく
現実とつながって感じられる不思議。
夢と現実、完全に別物のように捕らえていたけど
やっぱり根(人)は一つなんだよね。



2005年09月05日(月)


ちょっと本が欲しくて久しぶりに古本屋へ。

さて、先日中世ヨーロッパを舞台にした話を考えた。
すると疑問が湧く。
服装や通貨がどのようなものであるのか?
結局インターネットで調べたりしたのだけど
自宅に資料となる書籍の類が全然ないのも寂しいと思い
ついでに資料を探してみる事にした。

大雑把に歩いてみただけなので
それらしい資料は見つからなかったのだけど
なんとなく思想哲学、宗教といった書籍のコーナーで立ち止まる。

時代を考えるなら
当然思想や宗教といったものが重要になる。
現代までのこる思想の多くは
沢山の人が共感したものであると考えるからだ。
そうでなければ恐らく記録が残っていないだろう。
それに残っていてもそれは取り上げられないだろう。

古代ローマの頃と頭が微妙に混同している気がしなくもないが
少なくとも人の思想を知ることは重要である。


さて一方、宗教。
幸か不幸か、宗教という色の薄い日本に生まれた。
おかげさまで宗教は好きじゃない。
神様なんていないと思ってる。

だが、日本は例外として
(もしかしたら日本も例外じゃないかもしれないけど)
現代において、宗教を信じない人の方が少ない気がする。

中学生の頃だったか、無神論者なんて言葉を覚える。
少し響きがいいので、
「俺は無心論者だから〜」
なんて言葉を使った記憶がある。

さて、事実はというと単純に食わず嫌いなだけである。

なんとなく宗教の書籍の並んでいるコーナーを見ているとき
恐怖感を感じた。
これらの書籍のどれかを読んだとき
私はまだ神を信じないでいられるか、と。

宗教なんて――と、バカにする日本人は多い(と思う)。
実際路上を歩いているときに声をかけられる宗教は
いかがわしいものが多いだろう。
そういうものを見たとき、話のネタになったりする。

私だけでなく、宗教を持たない人の多くは
宗教をちゃんと学んだ事がないのではないだろうか?
もちろん歴史の授業などの中で
知識としてはついているだろうが。

神様を否定するのは結構簡単なのだが
知らずに否定することと知りながら否定する事ではその重みが違う。

例えるならば――
先ほど食わず嫌いという言葉を使ったが
一口、生のニンジンを食べて
美味しくなかったからニンジン嫌いというのはたやすい。
その後、ニンジンは美味しくないものだからと言い、食べずに
結構支持をもらえそうな「ニンジンは美味しくない説」を
力説する事は簡単にできるのではないだろうか。
だが、ニンジンを使ったあらゆる料理を実際に食べ、
あらゆる栽培方法を知り
さらにニンジンの栄養価を十分に知った後で
本当にニンジンを嫌いだと言えるか、と言う話である。
それだけやってニンジンは美味しくない、というなら説得力あるが
一口食べただけでニンジンが美味しくないと言うのは浅く感じるのだ。

そんな感じで
もしも宗教をちゃんと学んだとしたら
私は宗教に食われるのではないかと思い、恐怖感を感じたわけだ。

別にちゃんと宗教を知って
その上でのめりこむのはあるいはありなのかもしれないが
現在のところ、
宗教にのめりこむ=危険
という方程式が頭の中で成り立っているので
出来ればご遠慮したいと考えている。

もしも宗教を持たない日本人が
ちゃんと宗教を学んだとき
いったいどれくらいの人数の人が宗教を持つようになるのか。
そんな事に少し興味を覚えた日。



2005年09月04日(日)


寝ぼけた頭で考え事してたら
あることに気づいた。
錬金術はとっくの昔に成功していたんじゃなかろうか。

……といっても化学的な話じゃなくて。

錬金術が何かといえば、金を作ろうという試み。
金はずっと昔から、貴重な金属として扱われてきた。
それゆえに、硬貨として用いられた歴史がある。

人間が生きるための一つの手段は物々交換だと思っている。
自らの得意とする分野で物を獲得し
自分の必要とするものと交換する。
個人か集団か等の違いはあっただろうが
基本的にその原則は変わらないだろう。

さて、時代が進むとお金という概念が出てくる。
金貨や銀貨はどの程度普及したかはともかくとして
それ自体に価値のあるものとして取引されていた。
金というものを仲介してはいたが
仲介させた物質そのものにも価値があったのだ。

その後、現代の紙幣についてふと考えてみた。
紙切れである。
(明治頃は紙幣が普及してきた頃になっても
 銀行が金と交換してくれたようであるが)
が、社会に目を移せばお金目的
(紙切れ目的)のために生臭い話は後を絶たない。

ただの紙であるにもかかわらず、その価値が認められているわけだ。

もう一度、錬金術について考えてみる。
価値のあるから『金』を作り出そうと、奮闘した話だろう。
はじめの話に戻るが、価値があるゆえ硬貨として利用された。

と、それだけ考えたら
人はお金というものを作り出したそのときから
ある意味錬金術は成立していたのではないか、と。

価値を決めるのは人間だ。
例えば
江戸時代(だったと思うが)にはトロは猫またぎと呼ばれ
捨てられていた。
例えば
ほんの、何十年か前はソフトウェアは
その価値を認められていなかった。
ハードウェアのように形のあるものの付随であって
それそのものの価値を認められるようになったのは近年である。

錬金術の内容を見れば
金を作り出そうという試みである。
だが、その目的を考えれば
貴重な(価値のある)ものを作り出そうという試みになる。
そして、後者においてはずっと昔から行われている事なのである。

そして、お金という形の金の代替は
流通量がふえ、金と等価でなくなったときから
人の作り出せるものとして認められるようになったのである。


……まぁ、実は陶芸品とか手芸品とか
人の作る創造品との境界があいまいになるので
微妙といったら微妙なんだけどね。
木を削ったコップにだって価値は生まれるわけなので。



2005年09月03日(土)


とあるセミナーに行ってきた。
暑さで上着を着ることなく、行動していたわけだが……
ベルト締めるの忘れてた。
ベルトなしの上着なしで歩いていたので
みっともなかっただろうなぁ……。

スーツがそもそも入学式に買ったときの物。
カバンはリクルート用のカバン。
この時期(よりちょっと前だけど)
就職活動が辛いという理由がよくわかる。
暑くてかなわない。

服装が服装だけに
就職活動中の若者に見られているんだろうなーと思いながら
セミナーを受けにいったのだが
セミナー終了後、そのセミナーを開いた企業の人に
名刺を貰えないか言われた。
学生ですので、と断ったのだが……
まさか社会人と思われたなんて事はないよなぁ。
そりゃまぁ、確かに同年代の人は
すでに会社勤めしてる人も多いわけだが。
それでも学生の持つ体からにじみ出る若々しいオーラが
失われているとも考えにくいし。
うん、きっと最近の学生は名刺を持つのが基本なんだ。
そうに違いない。


しかしこれで終わらずに、
別件で近いうちにまたスーツを着る事になる。
……夏用、買おうかなぁ。
買ったら買ったで今年はもう着ない可能性高いのだけど。



2005年09月02日(金)

これでもIT関連に就職を希望したという事もあり
ITに興味のない大多数の人よりは
その業界に詳しいという自信がある。
無論、実際に働いている人に比べると
足元にも及ばないし、同じ業界を志望している学生より
飛びぬけて詳しいというわけでもない。

さて、私はとある会社に就職する事になると思うが
そこでの仕事は何になるのかよく分からない。

機械を作っているようなところなので
もしかしたら制御のような事をやるかもしれない。
でも制御といわれても実はよく分からないのだ。

そういえば面接のときに
ソフトウェアでもどの分野をやりたいのか、と聞かれた。
やりたい事があるにはあるので
その分野の事について答えたのだが
はてさて、その答えが的外れであった可能性も高い。

実際、そのときに何種類かの説明をしてくれたのだが
具体的に認知するまでにはいたらなかった。
この状態で、私はいったいどこに行くのか。

オールマイティとスペシャリスト。
どちらを目指したいかと聞かれると
さて……一点集中で極めたい気もするけれど
性格的に浮気が多くて色んなことをかじりたくなるんじゃないかとも。

まぁ、どちらを目指す以前に
モチベーションを保つ事が出来るかということが
何よりも大きな問題点なのだけれども。



2005年09月01日(木)

さて、私はまだまだあまい。
カキ氷の話の続き。

何故か頭に残っていたので
もう少し色々考えてみたが……。

問題となるのは氷とシロップの割合、
そしてシロップを砂糖水とした場合、砂糖水の濃度の問題だ。
こんな基本的な味に関わる項目を見落としたのは
不覚としか言いようがない。

さて、比率の問題であるが
100ccの水で一杯のカキ氷が出来たとする。

世の中とは便利なもので、
数学に置いて黄金比と言われるものが存在する。
最も美しいとされる比だそうだ。

さしあたっては最高=最も美しい
という事で、この比を使ってみたいと思う。

黄金比とは
x^2=x+1の正の解らしい。
具体的には
1:(1+√5)/2
となる。
約、1.618程度になるので
シロップが多いのも困るし
1:(1+√5)/2 = x:100
と考える。
ここでxはシロップの量である。

するとx=62ということになるので
シロップの量は62ccである。

さらにこの62ccにたいして黄金比から
砂糖を溶かす量を決めると
38グラムとなる。
水0度のときのショ糖の溶解度は179グラムなので
十分溶けきる量である。


これだけ考えてもまだ不足があるとすれば
あの、フワフワカキ氷に液体がかかったときの
微妙に硬くなってしまう悲しさと
時間の経過とともに溶けてゆく切なさであろう。

前者の問題は解決が難しいとはいえ
後者の問題は容器一つを考えればよい。
単純に液体窒素を内部に含めた容器を考えてもよいが
冷たすぎて凍っては元も子もない。
ここは0度に保つようにコンピュータ制御する必要が出てくる。
そして、ただの容器にコンピュータを搭載するのも工夫がない。

そこでしゃぶしゃぶをするための鍋の形を思い出す。
あの中心に、富士山のような出っ張りの付いている鍋だ。
あれならば中心部に伝熱するため
0度の容器を作った場合、中心部も冷え
より長く楽しめるであろう。

ジンギスカンをするときの鉄板も考えたが
あれでは底上げしていると勘違いされそうなので却下する。


さて、これだけ考えてようやく最高のカキ氷になったわけだが……
絶対失敗するとしか思えないのはなぜだろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加