1日雑記

2005年07月30日(土)

とりあえず24歳になりました。
段々嫌になってきている誕生日。
そろそろ時が止まってはくれないものか。


今日も学校で、帰宅途中にふと考える。
誕生日に亡くなる人も結構いるのだろうか?

生まれた日に死ぬ、とでもいうと何か劇的なことのように聞こえるが
単純に考えて365分の1の確率で誕生日に死ぬことになるので
あまり珍しい話でもないかもしれない。

先日三十路を迎えた人と話をしたが
まだこれから楽しいこと沢山あるしと言っていた。
漠然と年を取るのがいやだったけど
結局楽しめないならいくつになってもつまらないし
楽しめればいくつになっても良いのかな、と。


都合により、子供のイタズラがどんなものがあったかと
ちょっとネットで調べてみることに。
自分がどんなイタズラをしたかなんて覚えていないので。

グーグルで『子供 イタズラ』とか入れて検索してみた。

……なんか『女児にイタズラした○○を逮捕』とか
そんな見出しばっかりが出てくる。
検索ワードをかえても似たり寄ったり。
ネットに育児系のblogなどがあふれているため
親の育児日記でも出てくるだろうと思って
検索した私としては少々ショックでした。

改めて、少し病んでいるなぁという印象。

結局、こういう情報を集めるなら
掲示板でも覗いた方が早いということに気づき
情報としては満足のいくものに。

しかし、理想と現実のギャップという点において
育児はその最たるものなのかもしれない。
大変そうです。
私も苦労かけたのかなぁ?やっぱり。



2005年07月29日(金)


1.昨日、研究室の友人が本を読みながら校門を通過したら
  こけたらしい。笑った。

2.今日、私は携帯をいじりながら門をくぐったら
  ぶつかってたんこぶを作った。昨日の友を笑えない。


裏口、のようなところでして
鉄の門に小さな入り口がついているんですよ。
で、頭を下げてくぐるんですが
立ち上がるタイミング間違えて脳天直撃。
近くに工事やらの人がいたのに
周囲にガーンという音が響いて恥ずかしい限り。

頭を触るとプックリと……。
たんこぶなんて何年ぶりだろう。

そういえば、たんこぶって何なのだろう?
頭に限った話なんですよね。
例えばひじでもいいし、すねでもいいけど
骨が比較的皮膚に近いところにある部位は結構あるわけです。
たんこぶがどういうものか良く分からないけど
頭蓋骨のように、骨に近いところをぶつけると
なんかプックリ膨れるのかとおもったけど
すねぶつけて、たんこぶとは言わないので
もうちょっと違い要因がきっとあるのでしょう。

たんこぶって結構硬いじゃないですか。
もしもあのふくらみが内出血とかで
血液がたまっているなら針でつつくとへこみがなくなるでしょうか?

昔から、どうもたんこぶって
危険な状態とはみなされていない気がして。
たんこぶができる内は安全だよー、みたいな。

結構進学してるくせして
ぶつけた直後に頭悪くなったらどうしよう?とか
相変わらずありえないだろ、と思いたくなる心配が
突発的に心に浮かぶのが何とも。

あ、も一つ脳天の毛が無くなったらどうしようかとも心配したなぁ。
こっちはあながちありえないことでもないのか?
……うーん、怖い怖い。



2005年07月28日(木)


雲を見た。

……いや、昨日の話なんだけどね。
台風去った後で、晴れ渡る青空と
入道雲のような雲が1つ2つ。

あのような形状を見たとき綿を思い出す。
が、綿というのはその形状で維持し続けることはむずかしい。
力を加えると、簡単に変形してしまう。

雲は上空で恐らく風という
とても大きな力を受けているにもかかわらず
なかなか変形しようとしない。
……いや、もしかしたら風吹いてないかもしれないけど。

綿は実体があるけど
富士山などに登って雲を掴もうとすると
そこにあるのは霧みたいなものであって
つかめるものじゃない。

形状があれほど似てて色も似てて
性質が異なるとなんか不思議な気がしてきます。
雲と言うあれだけ大層なものがあるのだから
それに思いを馳せるのはある意味当然なのかもしれないな、と。

理屈として雲を知った上で
理想として雲を使いたいと思うこの頃、
とりあえずあの上で寝れたら気持がよさそうです。



2005年07月27日(水)


さて、思い返して欲しいことが一つ。
人類の進化について。

人は猿から進化した、と
ほとんどそう解釈してかまわないだろうし
これは周知の事実であると思う。

猿の行動を考えてみると手を使い木から木へと移動する。
それは昨今騒がれる、都会に現れる猿についても例外ではなく
手が主な移動に使われる部位であることは否定できないであろう。

また、猿だけではなくオラウータンを考えてみても
行動の基本は手である。
動物園などで、手で移動する猿やオラウータンを
何度目撃したであろうか。

つまり、人は移動手段としてかつて手を利用していたと考えられる。

その後人は道具を使うようになり
細かな作業を手の指でこなすようになった。
一方で足は掴むものでなく、体を支えるものとして
活用されてきたため、掴むというような進化ではなく
支えるものとしての進化をするようになった。

これらの事を踏まえながら、人の体の構造を考えて欲しい。

頭があり、手があり、足がある。
それぞれの長さ、つまり頭からの距離を考えると
手の指先の方が足の指先よりも脳に近いことが分かる。

指令を出す場所に、近ければ近いほど
すばやい反応ができる……とは
感覚的に理解できるのではないだろうか?

伝達、という概念を考えた時
距離が開くとその精度は落ちる。
障害の要因は距離によって発生する可能性が増えるし
また、当然伝わるまでの時間は距離が長いほうがかかる。
さてここで、私は一つ考えたのであるが
脳により指令が伝達される以上
細かな作業を行う手は、足よりもリニアに動くのではないか?

この仮定は脳からの距離を考えると
証明されるのではないかと考える。
脳から手に、あるいは指に指令をだし
その指令に従って動いた指は、触覚により
再び脳に情報を送り、その情報を元に再び指令を修正する。

この一連作業は双方向性の情報交換であるといえる。
そして、情報交換は距離が短いに越したことは無いのである。

つまり、本来足よりも手の方が情報を的確に実行できるのだ。


さて、我々は文明の利器を持つ。
ここで考えたいのは車やスクーターというものである。
文明の利器とはいわば道具であり、
上記のように、人は道具を使い進化してきた。

そしてその道具を使うのは、足よりもリニアに動く手であるべきだし
そうやって人は進化できたのである。
その結果、元々移動に使っていた手は
足に取って代わられたのであるが……。

ここで考えて欲しい。
車は道具である。
ならば、本来手で扱うべきではないか?
もちろんハンドルは手であるが
移動の手段として、道具を用いる以上
手でアクセルやブレーキを使うべきではないか?
そう考えると、現在の車の多くは
アクセルブレーキと、不適当な配置になっていることが分かる。

一方スクーターを考えてみると
足はオマケであり、スロットルやブレーキは手で行う。
コレは道具を手で利用するという事であり
進化の流れに即しているわけである。

また、他の交通の道具を考えてもらうと
例えば電車であっても飛行機であっても
基本的に重要な操作は手が行うことがわかると思う。

これからも車のアクセル・ブレーキが
不適当であることが判明すると思う。
我々は、不適当な道具を与えられているのである。

つまり、車の運転において
アクセルとブレーキを間違えることは自然なのだ!

以上、先日アクセルとブレーキを間違えた男のいい訳でした。



2005年07月26日(火)


二年前の就職活動の中で思ったことがあります。
いわゆる、派遣業務が名前を変えたような
アウトソーシングという職種があるが、これは先が無い。
だから働きたくないなぁ、と考えていました。

今改めて考えると、本当にあってるのかな?と感じます。
先が無いと思った理由の1つに
当時受けた説明があるのですが……。

当時受けた説明はバブルがはじけてから、
自分達の会社の中だけで人材を育てるのは
リスクもあるし、大変なことが多い。
お金もかかるし即戦力が欲しい。
だから外部から技術者を受け入れて……という説明だったと思います。
(なにぶん2年前なので記憶が曖昧だけれど)

その当時の感想としては
それならば今不景気だけれど、景気が戻ったら
多くの会社はまた、自分の会社の中で人材を育てるに違いない。
今はお金が無いから外部から人を入れているが
お金があるならば自社で育てた方が良い人材ができるはずだ。
それならば、技術者を派遣するアウトソーシングは
先が無い、と私は考えていたわけです。

最近では、バブルの時の教訓を生かして
今後も無駄な人材を社内に抱えることはしないはずだから
アウトソーシング事業はやはり廃れることは無いのかもしれないと
思うようになりまして。

もっとも、就職として考えた時
ある会社の事業に携わるために派遣されて
その仕事が終わったら別の会社の事業に関わるために派遣されて……
と考えると、年をとった後どうなるのか
怖いな、と別の意味で働きたいとは思わないのですが。
年を取った時に必要とされるのは経験であって
技術力とはまた少し違った話になると思うので。

IT関連のブラック企業(労働環境の悪い会社)で有名な
ある企業の事を考えてみると
若い人材は使い捨てなんですよね。
若いうちは捨てられない、というか……。

情報の出所が掲示板などの情報が多いので
本当か?と思いたくなる気持もありますが
実際自分で考えてもそっち方が理にかなっているんですよね。

年取ると頭固くなるし、体力はなくなるし
なんだかんだ言って、年取っても給料が全然上がらなかったら
生活していけないと思うので。
そうすると若い人材をどんどんいれて
年をとったら捨てる方がいい。

人情とか、人生を軽視している感じがしますけど
会社が利益を無視して社員を優遇(この場合は雇用し続ける)したら
それは犯罪になるかもしれないなぁと。
株主がいる以上、会社の利益を無視したら困るだろうし
極端な例で言えば会社の収益を政治献金なんかにするのも
法で規制されてた気がしますし。

これからは実力主義とか言われたりするけど
実力が無かったら生活もできなくなるって考えると
実力主義の究極は無能者は死ねと言っている気がしてならないわけで。

そうなっていない現在、世間は優しいと考えるか
甘いと考えるべきか。



2005年07月24日(日)


『理屈じゃないんだ』

とは良く聞くが私は理屈っぽい人間だと思う。
……白状すると理屈というより屁理屈なので
屁理屈っぽい人間という方が確かかもしれないけど。

いずれにせよ理系ということもあるのか
理屈で考える事が多いのは事実。
物事をそうやって解釈しようとする。

物事の善悪や良し悪しは筋道を立てて
理論的に説明した方が分かりやすい。
それは恐らく小説でもそうだと思う。

そういうわけで、私が話を構想したりする時も
ついつい、理屈で考えてしまう。
というより、私の場合
10人の登場人物がいたら10人それぞれが
自分であるかのように感じることができないので
ある登場人物が居た場合、その人はどうやって行動するか
理屈で判断し、行動を決定する。

が、ふと考えてみると
世の中にある恋愛など多くのことは
理屈で考えて終わるようなものではない。

例えば世間で恋愛小説として認識され
人気がでているのであれば
それは共感を得ているということである。
要するに理屈だけではないはずだ。

理屈というのは、筋道が決まっている。
10人いれば10人が、ほぼ同じ道筋を辿ることができる。
理屈で無い場合、まさに十人十色である。

そう考えると、作家という人はとても大変なんじゃなかろうかと
今更ながらに考える。
理屈じゃない動きをしても10人全員が1人(作家)と
同じ行動をとるのであれば、それは不自然だ。

自然にするために10人いたら10通りの考えを
考えなければならなくなる。
100人いたら100通り。

そう考えるととんでもない作業に思えてならないわけで……。

世界が理屈だけだったらどんなに単純でどんなに楽で
どんなにつまらないだろう。



2005年07月23日(土)


ふと、他の会社の話を聞くと
内定式は10月3日とかが多いようだ。

なんでも、内定を正式に出すのは10月からだとか
そういう取り決めのようなものがあるんだとか。

7月中に内定式をやった私の立場はどうなるのだろう?

ちゃんと採用内定通知なんてかかれた
ちょっと厚い紙を貰ったというのに。


久しぶりに『ふがし』を食べた。
美味しい。
しかも徳用である。
なんていうか、最高である。

アレが何かと考えれば小麦粉。
原材料は小麦粉がほとんどで
味付けに黒砂糖と蜂蜜とかそういうもの。
まさに駄菓子である。

せんべいが米である事を考えれば
原材料が小麦粉だろうが立派なお菓子である。
パウンドケーキなんて元々は
小麦粉とバターと砂糖を1ポンド(パウンド)ずつ
混ぜて作ったからパウンドケーキなわけで……。
そう、つまり
ふがしにバターをつけて食べるとパウンドケーキに!
この夏、流行るお菓子はこれだ!

きゅうりに蜂蜜つけるとメロンになるという話と同じ原理だ。
だが、個人的には瓜に蜂蜜でスイカのほうが
名前的にも無理が無いんじゃないかと思う。
瓜に蜂蜜というのはなかなか合わせる気にならない。
これがまさに食い合わせというものであろう。
てんぷらとスイカ。
うなぎと梅干。
これらは一緒に食べると危険だといわれている。

つまり
瓜のてんぷらに蜂蜜をつけて食べるのは危険である
まさに危険な香りがぷんぷんする料理ではないか。

作り方としては
かぼちゃのてんぷらを考えてもらえればいいだろう。
かぼちゃの代わりに瓜をつかう。
かぼちゃよりやや柔らかいが形状を似せることができるので
多分出しても疑いなく食べてくれるだろう。

次に蜂蜜である。
蜂蜜をつけて食べろ、というと流石に引くとおもう。
アイスクリームのてんぷらなんてものも
世間にはあるからどうにかなるかもしれないが
基本的にてんぷらに蜂蜜はつけない。
ちなみに私はてんぷらを塩で食べるのが好きだ。
塩と砂糖を入れ替えられたら多分私は激昂する。
……それはそれとして、
ばれないために卵のかわりに蜂蜜を使う。
どっちもベトベトする液体だからきっと代用できるだろう。

この夏、肝を冷やすのに作ってはいかがであろうか。
色々嫌な汗をかくこと請け合いである。
人に食べさせても自分が食べても
きっと色々な汗をかくことになるであろう。

さぁ、みんなもレッツトライ!
ちなみに私は間違えても作らないし、食べないが。



2005年07月21日(木)


なんか、気持が沈んでいる時の方が
生きてるって感じがするなぁ、と。

以前は周期的に気持が沈んで(理由も無く)
そのたびに色々考えていたのですが
最近そういう機会が減りまして。

どうも電車で通学してるとそういう状態に
陥ることがあるとは何となく分かっているのですが
なんで電車でそうなるのかは良く分かりません。

が、今みたいに特に何も無く
頭空っぽで生きていると
なんか生きていることが当たり前みたいに感じられちゃって。

生きている時間と死んでいる時間どっちが長い?
なんてバカな問が成立しない以上
生きていることが当たり前でいいと思うんですが……
生きている間は生きていることが当然だから。

むしろ生きている事に疑問感じるときのほうが
その対比として、自分が生きていると実感できるわけで
なんか、生きているんだなーって後になって感じられます。


5月、色々悩んで疲れた。
なんか結構あっという間に過ぎたけれど
後になって思えばとても長い時間に思える。

漠然と生きていてもあっという間に時間が流れ
こちらは後になって思っても
やっぱりあっという間の時間なわけで。

そういうの含めて、頭使っている時の方が
なんか辛いから幸せなのかもしれないなぁ。



2005年07月20日(水)

何かの冗談か?
と思いたくなるくらい口内炎が酷い。
直りかけたのに、新たに2,3箇所増えるという始末。


インターネットで『ゆず庵』という店のレポートを見た。
(随分前にも見たのだが、レポートが増えていたので)
他には『コロンビア』という名前の店のレポートも。

結論から言うと、どちらもとんでもないパフェを
メニューに持っている。
値段が5桁に届こうか、という時点で
根本的にパフェと言えない気もするが……。

パフェ以外のレポートを含めて読んでいると
どうも店長が好きで色々やっているような感じ。
やりたくて楽しんでバカをやれるというのは
見ていてうらやましい。

ついでに映画をちょっと見た。
作るのが楽しくて仕方ないんだろうな、という内容。
監督も色々やれて楽しそう。
見せる楽しさよりも作る楽しさを優先したような……。

楽しめるというのはそれだけで素晴らしい。
会社の研修のようなもので花丸を書いた私も
ある意味状況を楽しんでいるのだが(苦笑

世の中の人を考えると
1.好きなことを仕事にしている人
2.仕事は仕事、趣味は趣味で割り切っている人
3.好きなことに近いことを選んで仕事している人

1は怖い。私はとても怖い。
好きなことが壊れたり辛くなった瞬間
仕事を失うか、楽しみを失うか。

2はどうだろう?
仕事の中に楽しみを見出すことができるかもしれない。
仕事と趣味を割り切っても、仕事が忙しくて
趣味に時間を回せない可能性も。
仕事が嫌ならとことん嫌になってしまいそうだけれど。

3……中途半端と言えなくもない。
けど境界を曖昧にすると仕事が嫌いになっても
趣味を嫌いにならなくてすむ気はする。
けど仕事も趣味も、人生そのものもダラダラしてしまいそうな。

……と、マイナス要素見るとどれも悪く見えるのは当然ですが
一番魅力的で、誘惑されるのは1なんですよね。
傍から見てても羨ましい。

今のところ3のズルズルダラダラ状態で
困っているところではありますが……
一つだけやってみたいことが。
ちょっとやそっとの貯金でどうにかなるものじゃないのだけど
歴史を見てみたい。
未来を見てみたい。
亜高速で移動すれば時間が遅く流れるって
昔から言われている。
それを信じて、亜高速で回りの時間をどんどん経過させて
地球がどうやって変わっていくのか
見てみたいと思うことがある。

見てどうするの?といわれると困るけれど
単純に歴史がどうなるのか見てみたい。
過去じゃなくて未来の可能性を実際に見てみたいと思う。

コンピュータでもいい。
10年前と今を比較すれば
携帯電話をはじめとして取り巻く環境が全然違う。
100年後はどうなっている?
SF映画のような世界が出来上がっているのか?

だから未来を見てみたいな、と思う。
科学技術が上手く進歩してくれて
かつ、私が株でもやって大もうけできれば
実現できる可能性が無くもないけど……
あまりにも他力本願な要素が多すぎですね。

もうちょっと現実的な夢はないものか。
……いや、現実的な夢って魅力ないかな?



2005年07月19日(火)


オープンキャンパスの手伝いをしてきたのだが……。

模擬授業というものもある。
実際にある設備を外部の人に使ってもらうという試み。
もちろん、学科の宣伝を含めて。

それで、改めて思ったのだが
とにかく先生の説明が下手。
しゃべり方、時間配分、内容。
高校教員だって下手な人は沢山居るが
それに比べても下手である。

私は予備校に通ったことが無いから
良く分からないが予備校の授業は分かりやすいと聞く。
面白いとも聞いたことがある。

そういうのを経験してきた高校生にとって
あの授業はちょっと……と
大学生の私から見ても思わざるを得ない。
まず、矢継ぎ早に気づいたことをどんどんしゃべる。
計画性が無い。
知識の押し売りである。
分かりにくいし、面白くないのだ。

次に時間配分。
ダラダラとした講義が延々と40分。
実習の時間をとるが20分。
面白くも無い学科の宣伝と内容の説明。
やっている内容の説明にはなったかもしれないけど
大学に来て欲しいという宣伝にはならなかったのではないかと。
時間延長も良くない。
無計画であることがばればれである。

そして内容。
相手が何に興味を持つか考えていない。
自分の知識をどうしても前提とした話し方なので
分かっている人にはわかるのだが、高校生やその親御さんには
恐らく初めて聞く単語が沢山あったに違いない。

準備も不足していた。

学会での発表などではそれでいいのかもしれないが
説明の対象を考えない授業というのは
聞いていてあまり愉快ではなかった。

大学教員も高校教員もそうであるが
外の社会を知らない人も多い。
一般的な会社に比べると明らかに緩い。

教員になるなら、社会を経験した方が良い、
というのは私が信じて疑わないことであるのだが……。
結局経験ということなのだろうか。

どんな職につくにしても、色々な経験をして
比較対照を持ったほうがいいのではないだろうか。
『〜に比べれば』と言うような考え方が
必ずしも良いわけではないのだが
定規が無ければ何も測ることはできないわけで……。

井の中の蛙、苦労を知らず。
忙しい忙しいとよく言う教授であるが
帰宅時間などを見ていると
よくいる社会人の人に比べるとそんなに忙しいとも思えない。
自分の知っている範囲で、自分を尺度にするなら
大抵のことは辛いし忙しく思えるだろう。

そういう時、忙しさでも何でも
比較となる対象があれば、励みになるんじゃないかと
私は思うのだけれども。

そういうとバイトの経験なんてものがあげられるかもしれないが
バイトの経験というのも、責任を考えると
社会の経験というにはちょっと弱い気がする。


人の振り見て輪が振りなおせ、と。
私ももしも教員になれるようなことがあれば
今日の体験などを忘れないようにしたいものだ。

教員が良い授業をする事を目標としなかったら
仕事の上での目標が何もなくなってしまうわけなのだから。



2005年07月18日(月)

バレーボール見てると思うんですけど……
ブロックするより6人でレシーブ体勢整えた方が
返しやすいんじゃないのかなとか。

ブロックでポイント取れることも多いけれど
逆にブロックが原因でやられることも多い。

ならばいっそブロックをなくして
全員でレシーブするのもありなんじゃないだろうかと。
まぁ、世界中でやるチームが無いのだから
ダメかもしれないけど。

でもブロック0ならフェイントによる失点はなくなるし
満遍なく散らばれるため取りやすくなるし
バックアタックにも距離をとって対応できるから
バックアタックをブロックすることにより生じる失点が
少なくすむ……とか?

こうしたらどうだろう、と思うことは良く出てくるけど
実際実行できることは少ないので少し寂しい。
全員レシーブだれか試してみてくれないかなぁ。



2005年07月17日(日)


内定式に行ってきた。

世間一般の話を聞くと10月1日に
内定式をする会社も多いようで……
少し早めの内定式。

……まぁ、期待してなかったけど
内定者全員男っていうのは
やっぱり何か切ないものがありました。

というより採用者数が思ったよりも随分少なくてビックリ。
元々求人者数が示されていたわけだけど
その半分……まではいかないけど3分の2以下。
数が多ければいいって訳じゃないけど
同期の数があまり多くないというのは
どこか切ないものがある。

他社の内定の説明を受けた時には
既に180名くらい内定者が出てるとか
(まだ採用してるので200名越える)
知人だと160人近く同期が居るとか。
これらIT業界は比較的求人数も多いみたいだけど。

もちろん業界分野が違うし
一概に同列に並べては言えないけれど……。。
それにしたって10分の1程度なので少し寂しい。


で、周りに志望分野みたいの色々聞いてみたりもしたけど
ソフトやる人あまり多くない感じ。
そういうのを知るとやっぱり専門的な
システム構築ってIT企業とかに委託するのは
必然なのかなぁ、と思うようになる。

パソコンを知るようになって
「何でこんな簡単な事を外部に委託するんだろう?」
と、疑問に思うことがたびたびありましたが
システムに携われる人数一つ考えても全然違う。
なんか妙に納得してしまった。

これがビジネスということなのかー。
(違うかもしれないけどね)



2005年07月16日(土)

車でラジオ聞いてて
マークX(TOYOTAの車)のCMだったかな。
『若い頃は年老いることに恐怖を――』
というようなクダリ。

その後に『年をとってからは――』というように
最初に述べた負のイメージを払拭するCMでした。

やっぱり私も感じるんですよね。
年をとることに対する恐怖。
もうすぐ24歳になりますが
オジサンとの境界だと思っている30歳まであと少し。
あと6年もあると思う一方で大学、大学院と過ごした時間と
同じだけの時間がたった時、30歳になると思えば
あっという間であることを実感します。

何に恐怖しているのかといえば
一つは寿命というものなのだろう。
年々死に近づいているわけだから。

もう一つは変わることへの恐怖。

『慣性』って言うのがあるんですよ、物理で。
慣性(かんせい)とは、外力を受けない限り
同じ運動状態を保ち続ける性質のこと。
(引用:ウィキペディア)

物に力を加えても慣性力っていうのが働いて
同じ状態であり続けようとするわけなんですけどね。

きっと気持にも慣性ってのがあるんじゃないのかな。
私の場合は止まった状態であり続けようとします。
考えようによっては、そういう気持は
幸せって事なのかもしれません。
嫌な状況や環境に置かれていたら
変わりたいと思うわけですから。
変化を望まないのは今が幸せっていうのも
あるのかもしれませんね。

年をとったからこそ、思うことって言うのは
やっぱりあるんでしょうか。
年をとってからの生きがい。
見つけてみたいものです。



2005年07月15日(金)


幼馴染が、結婚するらしいと書いた気がする。

流産したらしい。
当人、伴侶共に体を悪くして結婚式も延期だとか。


私なんかとは比べ物にならないくらい
しっかりした人なんですよ。
いや、幼馴染とはいえ知っているのは断片なんだけど。
その断片は凄いしっかりしてるから。
全体像は凄くしっかりしてるイメージなんだよね。

なんでこういうことになるのかなぁ。

責任のという言葉さえ理解しているのかも
分からないような人達もいて……
妊娠したり、させたりして中絶される子供もいる中で
生まれるべきところに生まれられない子供。


そんなこと考えて、こういう風に日記に書いている過程で
母親のお腹の中で成長するという事が本当に最適なのか?
なんて思いの浮かぶ私は本当に救いようが無いと思う。

容器の中と母親の体の中、どっちが安全かって。
仮に容器の中が安全だったとして
普及するかといえばそれはないんだろうなぁ。

常に最適な答えを人が選択するかといえばそんな事もない。
遺伝子操作だってそうなんだよね。
99.99%の安全が保障されたとしても
反対する人は沢山居るんだろうなって。

それを道徳や倫理で語るが
そもそも道徳や倫理といったものが存在する理由は何だろう。
小中学校で語られる道徳は
社会の中で『普通』として生きるためには必要なことで……。
要するに道徳や倫理って
「人がやられて嫌な事をしない」
って事なのかね。

ならば、と。
これだけ価値観が多様に生まれている現代にあって
道徳や倫理といったものは本当に必要なのだろうか?
先人のひいたレールの上を踏み外さないように……
先人達という大人がいう事を守らないと
悪いことであるかのようにおびえる現代人という子供。

人を規制するのならば法があれば良いわけで
その方がずっと分かりやすい気さえしてしまう。


私の頭の中の、理屈の部分がそうやって説明してて
感情の部分が馬鹿らしいこと考えてるなって言ってるよ。

一体私何を考えているんだろ。
なんかダメですね、眠いからか。
もう寝ます。


追伸:
頑張らなくてもいいから元気になってください。



2005年07月14日(木)


スターウォーズがやっていた。
飛び飛びだけど、エピソード1、4、6を見た。
それだけしか見てないけれど
現在の所あまり好きな映画とも言えない。

敵役が、あからさまに悪というイメージが強いというのが一点。
水戸黄門なんて勧善懲悪だけど好きだから
それだけが原因じゃないけれど。


実際には完全な悪とか完全な正義は存在しない。
例えば普遍的に悪だと思われるテロ行為だって
彼らは無意味に行っているわけじゃない。
自爆テロなんてなおのこと。
ただ、主張するための行為として
テロが間違っているというだけで。

娯楽である以上、現実に即したものにする必要は無いのだけど。
ただ、敵役にも感情移入できると
展開にのめりこめるかなって。

作品における悪を書くのは結構簡単なのかもしれない。
自分のために悪いとされる事をする人を敵にすれば良い。
最近の時事でいうなら道路公団の天下りに関する事。
OBに情報を流したり、企業を優遇するのは
自分が天下った時の事を考えてのこと。
第三者から見れば、彼らを豊かにするために
税金を払っているわけでもないので
ただの犯罪でしかないのだから完全な悪である。
当人にしてみれば今後ゆとりをもった
生活をしていくための手段だし
その立場になってみれば分からなくも無いけれど。

こういう立場の人間を書けば
共感させることは難しいかも知れないが
現実問題として良くあるケース。

戦争に関係する作品を書くとき
難しいことが何かと考えてみると
それはきっと登場人物の『犬死』ではあるまいか。

どうにも、鉄砲の弾1発で死んでしまうのが人というもの。
崩れた壁につぶされても
あるいはその後救出されても
ショックで亡くなる人もいるくらい、脆い。

脆いだけに、その人が背負っている歴史を無視して
あっさり死んでいくのが戦争。

作品で言うならば、登場人物の背景は
作者(映画なら監督でもいいけど)が作り上げていく。
色々積み上げたものを、無意味に崩さなければならない。
それが戦争。

だから登場人物に愛着をもって書いていれば
それだけ戦争の本当の辛さを書くことが難しくなると思うわけで……。

戦争を美化しないのであれば過酷に書くべきだし
過酷に書くには登場人物が残酷に死ななければならない。
そして登場人物は自分の生み出した生き物達。

こうやって考えてみると
興味本位で書いたりしたくなるようなものじゃないのかもしれない。
戦争に関わる作品というものは。



2005年07月13日(水)

とりあえず、妹の原付を借りて学校へ。
近くにある駐車場の入り口を確認したりするため
少しうろうろと回ってみる。

とりあえず、他人の原付は怖い。
挙動とかは、自分のヤツよりも随分安定しているのだけど
やっぱり何かが違う。
他人のモノに乗って高速出せる人って凄い。
真似はしたくないけれど。


就職活動を終えてからのほうが
企業の情報収集をすることが多い。
志望分野だけではなく、色々な分野。

EDINETというところで
有価証券報告書を読んだりもしている。
ネットの掲示板などで名前の挙がる企業をみてみたり。

実際、あまり世間のニュースを知ろうとしないから
有名な企業とか良く知らなかったりするんですよね。
そんな中、キーエンスという企業の情報をみてビックリ。
平均年齢31.9歳で平均年収が1333万!

自分の就職先と比較してみると
平均年齢が10歳も早い段階でもらえる年収が2倍以上。
「甘い話に気をつけろ!」
とでも言いたくなるような待遇ですよねぇ。

でもリクナビとかに書かれた初任給は
どの会社もほとんど画一なんですよね。
その後の昇給が全然違うということなんでしょうか?

昇給といえば、自分の行く会社を調べてみたら
成果主義制度とかいうのが導入されているらしく
ボーナスで最大で30%くらいの賃金格差がでるとか。
なんか今から恐々諤々しながら狸の皮算用を。

後2年くらいは貰えないんでしょうけどね。


それにしても最近頭を使ってない気がして仕方ない。
気が抜けて早1ヶ月くらい経ってるし
そろそろなんとかしないと。
がんばんべー。



2005年07月12日(火)

11日の日記なんですけどね。
11日の午前2時くらいに書いたんですよ。
どうせ今日も代わり映えの無い日常だと思って。

やー、こういうときに限って話のネタが出来るんですね♪
原付が壊れました。

まぁ過去壊れることはあったんですけど
メータ回らないとか
ライト点かないとか。
今回は通学の途中でエンジンがかからなくなりました。
しかも間のいいことに
丁度学校と家との中間あたりで。

原付どこかに置いて車でとりにきても
1人で載せられるか分からないし
いちいち戻ってまた来るのも馬鹿馬鹿しいので
炎天下、それも日の高い正午ごろに
坂道だらけの道を押して帰りました……。

久しぶりに絞れるほどの汗をかきながら
1時間くらいかけてどうにか家に帰り着きましたさ。

最近始めた無駄な筋トレが微妙に役立ったようで
結構楽に押せたのが唯一の収穫というか。

それにしても明日からどうしたものか。
定期を買うか車でいくか原付を直すか。

そういえば就職活動が終わって
気が抜けて風邪でもひくかと思ったけれど
幸い風邪をひくことも無く。
代わりに腕時計が壊れて電気髭剃りがダメになって
原付が壊れてパソコンが調子わるくなって……。
体の代わりに使っていた機械が壊れていきます。

身代わりになってくれているんですね!
……とか感激できればいいのですが
あまり嬉しいと思えない貧乏学生がここに。

アルバイトしないと本当にマズイかもしれません。



2005年07月11日(月)


掲示板見ていて唐突に、気づいた。
将来像がまったく無い。
就職関連の話です。

ソフトの開発という事で入社を決めて
今からどんなことをするのかわくわくしてます。
……してました。
けど30代後半くらいになって
一体自分が何をしているのか
まったく具体的な想像ができなくて。
そもそも希望が無いんです。

無計画、企業研究不足と言われても仕方ないかもしれませんが……。
少し言い訳をさせてもらうと
就職において突然志望した会社を変えたというのが原因です。

私の元々の志望はIT業界(独立系)でSEをすること。
就職先では製造業でソフトの開発などを担当することに。
入社後の業務として考えれば極端な違いは無いのですが……。

SEは『35歳定年』といわれることがあります。
理由としては
・頭がついていかない
・体力的にきつい
・給与が相対的に高い
等など……。

そういう話を知っていたので
IT関連の会社での面接では
プロジェクトのマネージメントや
コンサルティングといった事を将来的にやりたいと言っていました。
実際そういう道に進むSEの方は多いようです。

掲示板でそういう話題が出ているときに
ふと我が身を振り返ってみたのですが……。
ハードに載せるソフトを専門にする人たちは
将来的に何をする人が多いのでしょうか、と。

35歳定年といわれる理由の一つが
技術の進歩に頭が追いつかなくなるという事である以上
自分の持つ技術が足りてないのにエンジニアを名乗るのも
ちょっとおこがましいように思えるわけで……。
そうするとどのような分野であれ
ソフト開発に関わり続けるのは無理なんじゃないかなとも。

そうなると自分は将来何をやっているんだろうか?
そう考えてまったく思いつかずに愕然と。

製造業をしている会社と独立系のITの会社では
20代に行う仕事の内容が似ていたとしても
40代での仕事は異なってくると思うんですよね。

プロジェクトのマネージメントなど共通する部分はあると思うけど
仕事の内容はやっぱり少し違いそう。

そんなわけで、改めて将来やりたいことを模索してます。
先輩社員ってどういう進路考えているんでしょうかね。
今度聞いてみようかな?

もっとも、IT関連全般に言えることだけど
急速に普及したので、今いる大人数のSEやプログラマが
今後どうなっていくのかは不透明(先例が無い)みたいですけど。
昔からソフト開発やらの人はいたけど
それにしたってそんなに数が多く無かったですから。

基本的にはピラミッド構造ですよね、会社や仕事って。
管理職に就く人もいるし平社員のままの人もいる。
SEという職種においてもピラミッド構造が成立し
かつ、35歳定年説のように高齢で技術に頭がついていかないなら……
出世できない多くの技術者は淘汰されるんじゃないのかなと。
平のままですら居られない可能性があるなっと。

産業革命以来のエンジニアは経験を重宝されたので
食いっぱぐれも少なかった気がするんだけど
情報社会のエンジニアは技術で若い人に勝てなくなったら
もはや存在意義がなくなってしまう気がして。

今はいいけど、結構厳しい仕事選択しちゃったかな?
頃改めて考えるとちょっと先が怖いです。
そうだなぁ……技術と知識がある程度ついたら
工業高校の教員でも目指してみようかなぁ。



2005年07月10日(日)


強制力……とでもいいましょうか。

自分ひとりで、何かを決めて
ずっと自分に負担をかけるというのは難しい。
少なくとも私には出来なかった。

例えば、予備校に行かなくても勉強は出来る。
……出来るけど、難しい。
出来る人はいるだろうしそういう人は凄いと思う。

最近の例で言えば筋トレも含まれる。
なかなか体に負担をかけ続けることが出来ない、と。
だから曜日とか時間を決めてやれば
小さな強制力がそこには生まれるわけで……。

人として漠然と頑張り続けるって可能なのだろうか?

私にとっての不幸はそういうことが出来ないことで
私にとっての幸福はそういうことに早めに気づいたこと。
諦めといえば諦めかもしれないけれど。

いい大学に進みたいとかそういう見栄はあったけれど
それを叶えるためにする努力と比較した時
その辛さを感じてまで、見栄張ることができなかったんですね。

ただ、短期的に熱中することはある。
凄い熱中してしまう。
それが今の私のスキルを構成する土台になっている。
もし、こういう熱中ができなかったなら
私はもっと酷い状態だったろうなぁ。
後は同じことに何度も熱中できれば……。

まとめて言えば
私は好きなことを続けるタイプじゃなくて
好きなことを見つけるタイプなんでしょうね。



2005年07月08日(金)

筋肉痛になるくらいでないと筋肉が成長しないみたい。
そう思うと少し筋肉痛も愛せます。
適度に運動中。

さて、ロンドンでテロがありました。

結構警戒されていたのにもかかわらず
テロが起こってしまったという事。
比べれば日本なんてほとんど何も対応してないのだから
テロが起きたらどうにもならないだろうな、と。

爆発という事で、頭を過ぎったものが
「ロンドン橋落ちた」
歌……童謡かな?

何で落ちたのか分からないけど
橋が落ちるって大事ですよね。

結局戦争起きて
テロは無くならなくて……
何のための戦争だったのだろう?
戦争の時の報復って意味合いだったみたいだし
今回のテロも。



2005年07月07日(木)


夕飯食べて昼寝のつもりで寝たら
朝まで寝てしまいました。
なんか少し疲れてるのかな?


さて。
かねてより考えていたことがある。

ボディービルダーの
相撲取りってアリじゃない?


ムキムキのボディービルダーの方々を想像して欲しい。
彼らがまわしをつけたらどんなに凄いだろうか?
……いや、その部分は想像しなくてもいいのだけど。

冗談はさておき脂肪よりは筋肉の方が重いと記憶している。
相撲取りが脂肪をつけるのは相手に押されないように、
簡単に動かないようにするためだと考えている。
ならば、多量の筋肉をつけるボディービルダーも
相撲取りとして活躍できるのではないか?
いや、むしろ相撲取りは
ボディービルダーのような体形を目指すべきでないのだろうか?

もちろん、脂肪の方がつきやすいだろうし
体重だけで考えた場合脂肪を沢山つけたほうがいい。
だが、重ければ必ずしも強いというわけではない。
それは小錦や貴乃花、舞ノ海など数々いる力士達が
それを照明している。

お相撲さんはあの脂肪の下に凄い筋肉があるのだろうが
それとて、ボディービルダーのそれには及ばないのではないか。

ボディービルダーの筋肉の重量とパワーを武器として
相撲界に殴り込みをかける人はいないものか……。

ボディービルダーが力士として活躍できるのではないかと
考える理由は他にもある。
まず相撲が国技であるということ。
歴史がある……といえば聞こえはいいが
逆に言えば基本的には江戸の頃から
極端には変わっていないということだ。

現在、スポーツ医学などはどんどん進み
また、栄養を抽出する技術も沢山ある。
ボディービルダーというのは闇雲に筋肉をきたえれば
良いというものではなく、多量のたんぱく質が必要になる。

もちろん江戸時代にもたんぱく質はあったが
筋肉をつけるという目的で多量に摂取することは
無かったのではないだろうか?
もしくは知らずに過剰に摂取し、さらに激しい運動をすることで
重量がつき、相手に打ち勝とうとする力士は
存在しなかったのではないだろうか?

その後、力士といえば丸い脂肪の沢山ついた人、というのが
固定観念となり、過剰な筋肉を持って対抗するという
考えそのものが生まれなかったのではないだろうか?

つまり、ボディービルダー力士とは新しい可能性なのだ!

他にもある。
例えば、相手を押すという動作だ。

漠然と考えた時、物を押すなら自分の体がしっかりしていた方が、
あるいは体重があった方が押せると思うだろう。
それは多分事実である。
物に寄りかかる事を考えてみればいい。
体重があるほうが、力が加わるのだから。

だがもう少し考えて欲しい。
仮に、目の前に大きな四角い物があったとする。
それを頑張って押すが、動かない。
しかし、もしも物体の近くに壁があったらどうするだろうか?
壁に足をつけ、体をつっかえ棒のようにしながら
押そうとする人も多いのではないだろうか?

それがどういうことかというと
押すという行為は足のバネ
つまり、足を伸ばすという動作の延長にあるのではないか。
壁に体をつっかけて、物を押している絵を
90度傾けてみれば
地面から物を持ち上げているように見えるだろう。

では、同じように重いものを持ち上げる事を考える。
この場合、重要となるのは腰から下の部分の力となる。
もちろん、物を支えるだけの上半身や腰の力が
必要になるが、この点はクリアしているとする。

腰から下の部分が重要であるならば
腰から上の部分は「おもり」である。
上が軽ければ、軽い分だけ重いものを持てるようになるだろう。
(物さえ支えられるのであればだが)
つまり、物を押すというのは下半身の「力」が重要なのであり
上半身の体重はあまり意味が無いのではないだろうか。

そう考えるならば体重が脂肪を沢山つけた
力士よりも軽いという点についても
極端な不利を受けることは無い。
少なくとも押し合いにおいては引けを取らないはずである。

さらにもう一点。
例えば、重量挙げのオリンピック選手と
横綱を並べてみる。
どっちが重いバーベルを持ち上げることが出来るだろうか?
恐らくオリンピック選手である。

相撲という協議は相手を転ばせても勝ちであるので
重量挙げのように相手を持ち上げる力を
きたえることが出来れば有利である。
バーベル上げなどのトレーニングを含めて考えると
やはり相撲よりはボディービルダーの方が
有利なのではないかと思うわけである。


と、こんなことを考えた結果
ボディービルダーは相撲取りになれるのではないか
相撲取りはボディービルダーのような体形になるべきではないか
等と考えたわけですが……。

まぁ、ボディービルダーが
マワシでがっぷりよつに組む競技になったら
多分客層が変わるでしょうね。


余談ですがボディービルダーは大会に出るとき
ダイエットするみたいです。
なんか腹筋の割れ目とかをを強調するということらしいです。
普通は腹筋の割れ目のところに脂肪がついているそうで……。
そういうのを削って、くっきり見せるとか。

よーするに、冗談めかして書いてはいますが
仮にこの話が現実のものとなっても
ムキムキ〜テラテラ〜ニッコリ、キュッ♪
な、ビルダーの方が相撲取るわけじゃないだろうという事を
付け加えておきます。



2005年07月05日(火)


ふと、振り返れば私は大学で何を知ったのだろうか、と。

正直に言いまして、現在所属している大学は
人に声を大きくして言えるような大学じゃないです。
偏差値でいうと、とても低いところ。

何校も受験した結果こうなったので
自分の実力だと良く分かっているし
後悔したということは無いです。

けれど、同時にどうしてもコンプレックス
のようなものを抱いていたのも、また事実です。
入学当初、ですけれど。

もっといい大学に入りたいというような欲求です。
やりたい事が見えていたわけではなく
単純なブランドとしての。

そういうわけで、一年目は少しわがままをさせてもらい
センター試験を受けさせてもらったりと。
安いものでもないんですけどね。

まぁ、結局勉強を頑張ったということも無く
自分に対する諦めやけじめみたいな意味で
受けるだけ受けて終わったという感じでした。

それからは多少のコンプレックスや劣等感を感じながらも
普通に大学生活を送っていたし
結局どこに行っても本当にやりたいのならば
どのような環境でも出来るはずだ、
と納得したりしました。

言い訳や負け犬の遠吠えというよりは
そういう考えの下、結局行動を起していないなら
それはやっぱり自分が悪いし
どこに行っても(悪い意味で)変わらない
というものです。

最終的には色々な運があって
今の大学に入れてよかったと考えています。
再度受験できるといわれてもう一度受験するかは謎ですが(笑
まぁ、最初に言ったように運がかなりあったので……。

――という前提がありまして、と。

ふと就職のことや今の自分の行動を思い起こしてみると……
やっぱりブランドネームを考えてしまったり
行く事を決めた会社について
他の人、あるいは他の会社より
優れた点を探して優越感に浸るという
およそ趣味がいいとは言い難い行動を取ることがありまして。

一体全体、私が大学で感じ取ったことは
どこに行ってしまっているんでしょうか。
そんな気持になりました。


……まぁ、今も大学で感じたことは正しいと思っているし
就職においては安定性ってものもありますし。
ずーっと同じ会社にいる可能性が
どれくらいなのか分からないけれど
先の事考えると安定性も重要な要素だったりしますし。
大学云々とはまた違った意味合いがあるとは思いますけどね。

あるいは、進路を決めるという点においては
そういう見栄や何やらで決めてしまってもいいのかもしれません。
大学進学や就職を問わず。

これからを決める環境のきっかけですから。
もしも、本当にやる気になれば
どんな環境でも行動が取れるのであれば
入れ物を重視する必要は無いのではないか、と。

人間が入れ物の中に入れられたとして
入れ物が大きければ、中で自由に動けるし
小さければなかなか自由に動けないけれど
どうにか体勢を変えていくことは出来る、みたいな。


考えてみれば、親が子供に言う
『いい大学に進めばいい会社に入れるから……』
って言葉の終着点にきちゃったわけですね。
この先は私次第ですかね。
いい会社かどうかは知りませんが。


などと、書いてみたものの
友人などの社会人になってからの生活を見てみると
気合と根性で何かやれるってレベルを超えているよーな。
本気でやる気になっても出来ないかもしれない。

大変そうです。

一部で言われている『ブラック企業』
社員使い捨てとか苛酷な労働環境とか。
そういうところを選んでしまったら
さらに自由がなくなってしまい
普通の状態よりもさらに厳しい状態で
行動しないとならなくなりますねぇ。

といっても、そういう企業にあって
転職する人もいることを考えれば
どうにか工面すれば工面できるのかもしれないけれど。

少なくとも、零細金型業の社長さんの
掲示板での書き込みとか見てると
まったく余裕なさそうで。
そういうのに比べればブラックと言われようが
まだ楽なんじゃないのかなと楽観視。

実際に自分で経験してみないと
責任持った話が出来るわけも無く
全体的に甘く見た発言なのかもしれないけれど。



2005年07月04日(月)

腕立て100回
スクワット100回
腹筋 未計測



腕立て50回
スクワット50回
腹筋50回



腕立て0回
スクワット0回
腹筋0回


上から、一昨日、昨日、今日。
凄い落差。
時間が遅いのでちょっと今日はやらないだけです。
明日こそはやります。
きっと。

とりあえず筋肉痛で体が痛くて。
なれないことはするもんじゃない――とも言い切れない。
あからさまな運動不足。
3段腹(腹筋の)くらいは維持したいのだけど。

ダイエットとは違うかもしれないけれど
やっぱり体重は少し気になるものです。
体重というより体形かな。

日本において細身が美しいとされて
一体、何年経ったのか分からないけれど
世界の国々と歴史の中には
丸みを帯びた女性が美しいとされた場合もあります。
絵画を見ても裸婦の絵はそういうのが多いし。
女性特有のやわらかさというか
そういう『美しさ』は確かにあるんですよね。
母性的な魅力とでも言うんでしょうか?

ヘアースタイルもそうだし
各年代で奇麗さの基準が変わってくるわけで……。
人間における普遍的な美なんてものが
果たして存在するのかどうか。

過去も未来も相変わらぬ体の素晴らしさは
健康である、事でしょうね。
そういう意味じゃ少し今の美は歪んでいるのかな?
ビックリするくらい細い女性も多いので。
あまり健康的とも思えないし。

あ、でも『美容と健康のために』なんて
謳い文句もでてくるくらいだから
美容=健康につながることは多いのだろうか?
中高年対象かな?この文句は。

まぁ、成人病やら何やら
ダイエットだけじゃなくて健康的でないことが多いので。
ちょっとは体鍛えたいところです。


今日はちょっと証明書が必要で役所の方に行きました。
本籍地で貰わなきゃいけないらしくて。
本籍地が3,4回越す前の家の住所になっているので隣の県。
(といっても役所まで3,40分もあればつきますけれど)
あまりメリットが無いのは事実です。
親が多分こだわり持っているんでしょう。
私だけの本籍地移せるのかどうか知りませんが
面倒くさいのでするつもりもないですし。


相変わらず就職のことで頭がいっぱいなこの頃。
いい加減、頭切り替えないといけないんですが――。
明日も微妙に就職活動が残っていたりと。
来週の土曜日でどうにか終わる……と信じています。
別に面接やるわけでも筆記やるわけでもないので
辛いのは電車賃だけですけどねー。



2005年07月03日(日)

昔就職活動をした時の資料が残っていた。
……まぁ整理してないだけ、ともいえる。

全部落ちたから(とも言い切れないけど)
院に進んだわけで……。
もしもこの中の一社に受かっていれば
入社したかもしれない。

そう、思いながら資料を見返し
ネットで情報を調べたりしてみる。

1.元第一志望の会社。
新卒:採用人数
2006年度予定 400名
2005年度実績 316名

2003年度従業員数 4589名
2004年度従業員数 4784名

2年分あるはずだから
4589→4784名になる間に
新卒だけで600名以上いるはずですから
中途もあわせると結構な人数になると思うけど……。
でも、2年間で実質200名の増員という不思議。
2年前に就職してたら
私は200名の中に入っていられたのでしょうか?


もう一社。
合金鉄日本最大手の一部上場企業の情報・通信事業部門が独立した
と説明を受けた会社も2年前受けました。

当時全然気にしなかったけど
ちょっと調べてみたらその合金鉄日本最大手の一部上場企業
の名前が分かったのでヤフーで株価調べてみた。
なんか出てこなかった。
直接会社のサイトみたら
会社更生法を適用してた……。

よくよく見ると会社説明の資料にも
そんな文字が躍っていたけど
当時はあまり気にしなかったんですね。

まぁ、もしも内定を貰っていたら
その会社に行っていた可能性もあったわけだから
そういう意味じゃ企業研究不足だったなぁ、と思うけど
それ以上に気になったのが
合金鉄日本最大手の一部上場企業でも
会社更生法を申請するような景気や状況だということで……。

私の就職するのも機械系ですから
同じようなことが起こらないとも限らないわけです。
そう思うと今までとは別の意味で少し心配になってきちゃいました。

一部上場企業なんて結構しっかりしてるところだろうし
それでもダメなんて、と。

怖い世の中ですよね。



2005年07月02日(土)

話の中で出てきたので受けた会社の数かぞえてみた。

22社(内:内々定5・辞退2)
ただ、内定が一つ出るまでは14、5連敗してました。
書類選考で落とされたものも含むので
印象が薄い会社も結構あります。
もしかしたらまだ他にもあるかもしれない……。

1、2ヶ月フルに活動してこのくらいの会社数だから
ときどき聞く40社とか50社って人は
相当大変なんだろうな、と思う。

合同説明会とか言うのは一度も行った事がないので
(学部4年の時の学校での合同説明会は行ったけど)
こういうところで受ける会社数を稼ぐなら
もう少し会社数が増えたかもしれないけど。

あ、学部の頃の敗戦記録を上乗せすると
20連敗超えてるかもしれない。

就職活動を終えたイメージだと運が5割、実力5割。
ものすごく話しにくい面接官もいたし
全然分からない筆記問題もあった。
一方で面接のツボを掴むきっかけになったような面接もあったし
上手く出来る問題が並んでた筆記もあった。
SPIなんて全然勉強しなかったけど
通るところは通ったし落ちるところは落ちた。

運の要素が結構ある就職活動だけど
動き始めとか活動そのものを
ほとんど運(行き当たりばったり)に任せていた私は
今頃になって後悔しています。

結果そのものは凄い満足しているんだけど
自分の軌跡を考えると、一歩どころか半々歩間違えば
凄い後悔していたであろう事が明白だから。

大学院に進んだのだって行き当たりばったりの要素があったし
学部の時に落ちた会社を院卒で受けたら受かったり。
そうやって受かった、元第一志望だった会社は
ネットとかでちゃんと調べたらちょっと黒い噂が流れてたり。

まぁ、後は会社に入ってからの行動、活動ですね。
そこで後悔したら結局、面白くないですからね。


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加