1日雑記

2005年04月30日(土)

学校がないと、暇らしい。
することが無い、というわけでもないのだけど
忙しくないとなんかつまらない。

時々の休暇は欲しいけど連休はあまり欲しくないのかもしれない。

贅沢すぎる……あるいはわがままな話なのだが
現状ではそうとしか思えない自分も少々辛い。


最近、都合により履歴書を書く機会が多い。
パソコンに文字を打ち込んで、考えをまとめ
それを履歴書に書いていく。
そうすると思うのだが、パソコンで書くときと
紙に書くときで、読点の数が違う。
多分、上の言葉一つをとっても
紙に書くと
『紙に書くときで読点の数が違う。』
と一つにつなげてしまうだろう。

どうも、パソコンに書くと読点の数を
多く取りすぎる傾向があるみたい、私の場合。

多分紙に書いているのが正解に近いのだろう。
見返すと確かに読点が多い。
『私は、』などと主語の後につけることも多いし。
多分読みやすくするために付ける点なのだろうが
つけすぎるとしつこいし……。
ニュアンスは学んできたが、
どういう風につければよいのか
ちゃんとしたのは学んでいないかもしれない。

同時に、最近修辞法についても少し調べた。
感覚的に使っていることが多いものだが
やっぱり一つ一つに意味があるのだろう。

言葉を使うのは面白い。
まだまだ下手だけれど。



2005年04月29日(金)


何故鳥には羽があるのか。

……と、それ自体あまり問題じゃないかもしれない。
例えば、人ではなく鳥類の脳が進化して
人と同じように考え、生きている世界だったらどうなるのか。

きっと、この世界とあまり変わらないのだろう。
鳥が休むのは木とかそういうものの上だし
飛んでいないときには地上に居るのとかわらないのだから。

ふと、車とか科学技術が進歩しないのではないか、と思う。
考えてみれば、人にだって足はついているわけだ。
にもかかわらず車や自転車が作られているわけなのだから
いくら羽があっても飛行機は作られるかもしれないし
自動車や船だって存在するかもしれない。

羽が退化する可能性もあるけれど……。


いずれにせよ、無いから欲しくなるのだろう。
鳥が進化していたら、猿をみて手を欲しいと思うかもしれない。



2005年04月28日(木)

飲み会がありました。

よって、陽気になれる人というのはうらやましい。
私の場合、弱いというのもあるけれど
陽気になるよりも気分が悪くなるので。

まったく、では無いのだけれど。


そういえば、中学生の頃だったろうか。
お酒を飲む人になりたかったなぁ。
競馬場とかで飲んでいる人。
あんな感じ。
何故と今聞かれると良く分からないのだけど。


……ちなみに今は悪人になりたいと思っています。



2005年04月27日(水)

自己中心って結構難しいのかもしれない。

そんな事を考えた日。


新宿、都庁のすぐ傍にある建物にちょっと行ってきたのです。
ふと外見ると、でかいんですよ。
都庁もでかいし、その後ろに広がる街もでかい。
こんな馬鹿でかいものの中に自分が居て
あまりにもちっぽけだと知る時。

大きすぎる世界の中で自分にどれだけのことができるのか、と。

自己中心、自分を中心に世界を回すっていうのは
それだけでかいものを自分を中心に回すって事。
それがどれだけ大変な事なのか
どれほどの影響力をもっていられるのかと
そんな事を考えたら
自己中心で居られる自信が少し無くなった、そんなことです。

大きなものに、どうやって立ち向かっていくのか。
手持ちの武器が少し足りないかなと思い始める。



2005年04月26日(火)


さて、時々大学の食堂を訪れるのですが……。

ここ3回くらい連続して
注文したものが出てこないのはどうしたものか。

最初はたぬきソバ頼んだらたぬきウドンがでてきたり
(ちなみに関東なので揚げ玉です、たぬきは)
山菜ソバ頼んだらたぬきソバが出てきたり
(ちなみに、揚げ玉入り山菜ソバになりました)
今日はコロッケカレー頼んだら卵カレーが出てきました。
(結局コロッケ+ゆで卵カレーになりました)

結果的には得してるんですけど
気分的には負けてるのは何ででしょう。


それはそれとして、時々表現ということについて考える。
例えば、絵画ならば絵を通して訴えたいことを。
小説ならば物語を通して。

と、考えていたのですが
それなら歌手や、指揮者というのはどうなるのでしょうか?

作詞作曲、あるいはそのどちらかでもいいのですが
している歌手の人なら問題なく伝えたいことを伝えられるでしょう。
しかし、既存の曲を歌ったり
指揮者であるなら指揮をする人は
『なに』を表現しようとしているのでしょうか?

あるものを自分なりの形に変えて
聴衆に与えるだけで満足なのでしょうか?

指揮者の様とかを見ているととてもそうは思えず
何かきっと、その中に意味が含まれているのだろうと
そう思わずにはいられないのですが
あまりにも楽譜という限定されたものが存在する中
何をどのように伝えようとしているのか、
あるいは伝えられるのかが気になっています。

一度そういう人と話してみたいと
初めて思った瞬間です。



2005年04月25日(月)


まぁ、認識が甘かったことは認めましょう。

生まれてこのかた、通勤電車を通学に利用したことなかったから。
甘く見てましたよ、井の頭線。
どんなに混んでても……電車に乗れないなんてこと
ないと思ってた。
押し込んでも、手で体を押し込んでも
全然中に入れない。
あーいうの見てると人間の強さを垣間見れるというか……。
良く皆無事ですよね。

まぁ、結局その電車には乗れなくて
その1分後くらいの電車で
比較的ゆったり出来たので
結果オーライ、怪我の功名でしたけど。

おかげで、なんか少し笑うことが出来ました。
つまらないことなのにね。



2005年04月24日(日)

久しぶり……ではないのだけど
ちょっと精神的に追い詰められてきたかもしれない。

愚痴でも書けば少しは晴れるかもしれないけれど
悔しいので書かない。


こういう不安定さを、むしろ利用したいという気持がいくらか。
話を書いたり、絵を描いたりするときに。
ただ、悩んでるだけじゃ意味がなくて
多分、一つ答えを見つけないといけない。
別に悩みだけを提示して
後は各自で解釈してください、も
ある意味正解なんじゃないだろうかとはおもうのだけど……。

それはそれとして、一つ結論を出さないと
一つの作品として成り立たない気がするんですよね。

さしあたって、精神面と同じくらい困っているのが金銭。
こんなにも困窮していた時期が過去にあったろうか。
こういうとき、実家だと助かるなぁと心底思う。



2005年04月23日(土)


昨日、テレビで『紅の豚』をやっていた。
この作品、好きなんですよね。

多くの作品は、作品を通して何かしら伝えたいものが
あるのだろうと考える。
でも、本でもなんでも、読み解くって事をしてこなかったので
練習がてら少し紅の豚について考えてみた。

ネットで少し調べてみたのだけど
テーマを含めるというよりは、
カッコいいを描くって感じの作品だと。

風の谷のナウシカだったら腐海や無視を通して
自然に対する人のあり方がテーマになっているんだろうか。
天空の城ラピュタだったら、人の争いや醜さを。
戦争の愚かさでもいいけど。
もののけ姫なら素直に自然との人の付き合い方。
……と、表面見るとそんなところが
テーマになっているのかな、とは思う。

でも、なんか他にも中に意味が含まれているんじゃないのかなと
思ったりもするわけで――。
それより深いところに何かテーマがあるなら
そういうのを読み取れるようになるといいなという話。


とりあえず紅の豚。
なんで豚なんだろうか?
そこら辺、一切触れてないんですけどね。
魔法がかかっているらしい、としか。

そこら辺端折って、豚であることを考えてみると
とりあえずポルコが人間そのものが好きでないから
人間に戻れないんじゃないのだろうか。
フィオに
「フィオを見ていると人間も捨てたもんじゃないと思えてくる」
だかと語っていたので。
裏を返せば、普段は人間は捨てたもんだと思ってるってことだし。
結果的にフィオがきっかけとなって
人間に戻ったんじゃないか?と思える描写がされているので
そんな気がするんですけどね。

で、人間の何で嫌いかと言えば、やっぱり戦争なんでしょうね。
かつての仲間が死んで、1人になった。
でも飛ぶって事から離れられないから賞金稼ぎのようなことやってる。
機関銃を買いに行った時
「戦争をやっているわけじゃない」
とか言っていたのはポルコなりの境界線なのかもしれない。
殺しをやらないというのも、戦争にしたくないからなのかも。
その後、店の若い見習いが戦争屋と賞金稼ぎの違いをたずねていたから
その2つの違いは結構曖昧なんだけど。

とても似てるけど、境界線をキッチリ引いているといえば
ジーナも当てはまる。
賭けをしていて、昼間にポルコが訪れてきたら
愛そうと思っている、と。
そのすぐ後に、「恋なら簡単に出来る」と言っている。
要するに簡単には愛せませんよ、といってるわけだけど
恋と愛の違いなんてやっぱり曖昧なんだと思う。

……と、そういう風に考えてみると
何か伝えたいことが含まれているのかなぁと思えたりするんですが
別にこういう解釈加えていったものが正しいかどうかなんて
たいした問題じゃないんですよね。

作者の伝えたい意図と違うものであっても
受け手が感じたことがあるならそれが事実だから。

作品を見る上で、それに含まれる何かを解いていくのは
パズルにも似たものかもしれないけれど
そんなことしなくても楽しめるし。
一方でパズルを組み立てて、組みあがったものがあるなら
その全てが正解になるわけで……。

ジグソーパズルみたいに見本があっても
自分で組み立てられたならそっちが正しい組みあがり。
そんな気がするということです。

なんか取り止めのない話になってしまった。



2005年04月22日(金)


ケンカって言うのは、1人じゃ出来ないんですよね。
中国との最近のことを見ているとそんな事を思う。

反日デモに呼応して、日本でも何か反応があるかと思いきや
少し気になったが、せいぜい週刊誌や
一部の人が過激に何かを言うだけ。

過去のこととして、実際問題
ほとんどの日本人が罪の意識は持っていないのだろう。
だから他人事のようになるのではなかろうか。

それはそれとして、小泉首相の言を聞いていると
靖国問題をすっかり忘れているんじゃないだろうかと
疑いたくなるような言葉が良く飛び出す。
間違いなく、反日感情の一端をになっている問題なのに。

最近、少し元気を取り戻してきたように見える小泉氏です。



2005年04月21日(木)

電車のっていて、何となく手を見る。
つり革に捕まっていた女性の手。

すごい奇麗。
どれくらいかというと
もし、私が女性だったら隣のつり革には摑まりたくないくらい。

細くてスラっとしているとはこういう事を言うのか、と。
肌も奇麗だし。
顔の肌は、手ほど奇麗ではありませんでしたけれど。


ふと、その2つ隣の女性の手。
荒れている。
とても荒れている。
荒れているというよりは、アトピーのような感じなのだろうか?
以前研究室で一緒だった人が
あんな手をしていたと思う。
もしかしたら水仕事をしている人なのかもしれない。

でも、奇麗な人でしたよ。


別に見つめていたわけじゃないのですが
何となく目に留まったので。
私の手なんて人の事いえるような奇麗なものじゃないし。

いえ、上のことが本題じゃないんです。
どこだったか
「手の冷たい人は心が温かい」
何となく思い出したのは
荒れている手は、作業をしている証拠かもしれないと思ったから。
手は基本的に作業をするためについているので
より多く使っている人の方が
どうしても傷つきやすい。
それは悪いことじゃないんだよなーとか。

んで、数学の命題と逆説、裏と対偶(みたいなもの)。
もし「手が冷たい人は心が温かい」を真だとすると

「手の冷たい人は心が温かい」(真)
「手の暖かい人は心が冷たい」(?)
「心が温かい人は手が冷たい」(?)
「心が冷たい人は手が暖かい」(真)

に、なるわけでして(本当か知りませんけどね)。
心が冷たい人は手が暖かいって
絶対貶し文句ですよね!
こういうと、
「手が暖かい人=心が冷たい」
に聞こえるから不思議です。
間違っても「君の手、暖かいね」
というのは褒め言葉にしないようにしましょう。

※重ね重ねですが、洒落です。鵜呑みにしないで下さい。



2005年04月20日(水)

最近連日早いのでちょっと書いている暇が……。

すでに2時半なので寝る時間が遅いですけどね。
このあたりが習慣化してるのが最大の問題です。

本当は中国の反日デモやらのこと
書きたかったんだけど……。
明日になったら忘れてそうなので今日の日記に
メモ書きということで。

つまらない内容だけどね。



2005年04月18日(月)

なんだか寝てしまった。

起きたら6時。
疲れてたわけでもないと思うんだけど。


大学の食堂で食事をする。
ふと、机の落書きに目が留まる。
大学、始まって間もないし……いや、もしかしたら
1月頃の試験勉強のときの落書きが
まだ残っていたのかもしれない。
らしくて、少し微笑ましかった。
……微笑ましかった、様な気がした。
するはずだった。

描かれていたのは

44

 ̄ ̄

↑のような落書き。
まぁ、筆算ですね。
筆算なんですよ。
……この計算を、筆算使ってやっているんです。
足し算なら小学生レベル、
掛け算でも筆算使うまでもなく、
暗算いけるだろうって言うレベルの。

……うん、まぁ掛け算苦手な人いるだろうし
そういう人はしょうがないかもしれないなーと思いながら
少し目を横にずらすと

48

の文字。
得意げに描かれた48。
足し算なんですよ。
44+4を暗算じゃなくて。
ここ『大学』の食堂なんですよ。
日本の行く先が少し心配になったこのごろ。


まぁ、友達に説明したりするのに
何気なく描いた可能性もあるので
一概にどうだと言える内容じゃないとは思いますが
口頭でも44+4くらいどうにかなりそうだと思うのは
私が理系だからなのでしょうか?



2005年04月16日(土)


昔から、夢でよく見るもの。

高いところから飛び降りると
ゆっくりと落ちていける。
助走をつければ、遠くまで。

多分、このイメージは水泳から来ているんだろう。
ずっと泳いでいたから。
ゆっくりと降りるイメージが体にあるんじゃないのかな、と。

実際に飛び降りたらすごい勢いで落下するんだから
これを体験するにはとりあえず月に行くしかない。
生きているうちにいけるかなぁ?
……多分むりだけど。



2005年04月15日(金)

電車に乗っていて。

ふと広告に目が行く。
『恋におちたら』
と、最近のドラマらしい。
まぁ、それ自体は特に。

ちょっとしたに目を移す。
『草なぎ剛×堤真一』の文字。
一瞬、草なぎ氏と堤氏が恋に落ちる
禁断のドラマなのかと連想してしまう。
きっと私が悪いのではない。
一部のそういう風習(?)がいけないのだ。
そうだと思う。そうだと思いたい。

ちなみにドラマは見てません。



2005年04月14日(木)


ちょいと赤坂まで行ってきた。

歌謡曲なんかで、赤坂を歌ったものが結構あった気がするなと
歩きながら考えていたんですけど
あまり情緒風情のある場所でもなかったです。
外苑通りあるいてたからかもしれませんけどね。

とりあえず神社の馬鹿でかい鳥居があったのが印象的でした。
なんかこういう考えはちょっとアレですが
この鳥居、いったいいくら掛かっているんだろうか?とか。

皮肉に近い内容では
過去の宗教を上げ、宗教だけは懐が潤っているとか
そーいう事を書く人もいるわけですが
こういう鳥居を見ていると
あながち間違いでもないのかなぁ、等と。

……国で建ててるわけじゃないよね?きっと。



2005年04月13日(水)


どっかの教育委員会かなにかが
卒業式で国歌を歌った時の声の大きさを測って
評価がなんたら、と。

教員とかもチェックして、起立しなかったら処罰。

新手のギャグかと思ったけど
全然笑えないのでギャグじゃないのだろう。
これで子供に愛国心が根付くと思っているなら
日本ってとっても楽観的なんじゃなかろうか。

中国の最近の運動を見てると
国を好きなんだろうな、と思う。
ひねくれた見方をすれば
日本が嫌いなんだろう。

日本を好きという国民より
日本を嫌いという外国人のほうが
なんか活発っていうのはどうなんだろう……。
微妙に虚しいような気はするけど
今現在、国に関わることが
まるで他人事のようにしか思えない自分が居る。



2005年04月12日(火)


そろそろ化けの皮がはがれそうです。私の。


まぁそれはともかく……。
最近昼寝が出来ないんですよ。
昼寝といっても21時とか22時から
2時間くらい眠れないってことなんですけど。

心的なストレスが少しあるとは思いますけど……。
夜は普通に眠れるので不眠症とか
そういうのとは一切関係ありません。
ある意味健康的ではあると思うんですが
頭のもやもやが消えないので気持悪いです。
もやもやからの逃避が睡眠なんですけどね。
逃げちゃダメってことなのかなぁ。


なんかちょっと変わったことしたいと思うこの頃。



2005年04月10日(日)

鼻が詰る。
喉が少し痛い。

風邪だったらいいなぁ、と思う不健康そうで健康そうな戯言。
花粉症だったら困るのです。
鼻があまりにむずむずするので
一日中くしゃみをしていた。
漫画とかで風邪を表現するのに
くしゃみが良く使われるのは何故なのだろう?
実際に風邪を引いたら咳が出るのだけれど。

眠ろうと思っても眠れない。そんな日。



2005年04月08日(金)

一つ、悩んでいる。


テーマをかくのか
ニーズをかくのか



2005年04月06日(水)


桜が咲いていました。
一気に暖かくなったから、ですね。


……これで、6回目。
今の大学にきてから、この大学で見た桜の回数。
これで最後。
その事にが少し寂しいのは事実。
ふと、来年の桜はどういう気持ちで見ているのかなぁ、とか
年取ったら来年の桜は見れないかもしれないとか思うのかなぁ、とか。

毎年日記で書いている事に、
桜の散った後の新緑が好きだっていうのがある。

それが本題じゃなくて、その頃から
今に至るまでの一年を思い出してみた。
何してたっけ?

いやー、過去を思い出せないってあるんですね。
確か秋は台風たくさん来てたなぁ、とか
友人を女装させたなぁとか
夏になれば2週間講習会で拘束されたなぁとか。
でも7月頃のことを考えると
あまり記憶にない。

で、日記を見返してみる。
……あぁ、こんなこと書いた。
それに加えてこんな気分でこんな出来事があったから
こんな風にしてたんだと思い出す。

日記を見るまでの間
実は夢でも見てて
6〜9月くらいまで何もなかったのかとか
色々考えてしまいましたよ。

希薄に生きているといわれるとそれまでですがね。

まぁ、その日その日は一生懸命みたいです。



2005年04月05日(火)


漠然と、鉄砲で頭撃たれる場面を想像してみた。
なるべくリアリティのあるように。

全然リアリティが無かった。
でも、可能性として……確実なこととして
銃をもって、頭に突きつけて
引き金を引いたら私の生命活動は止まってしまうだろう。

ありえなさそうな現実は想像だけのものとして存在する一方
アメリカにでもわたってそれなりの手続きをすれば
想像だけのものではなく、すぐそこにある現実として
存在するわけだ。

改めて考えると、少し不思議に感じたのだが。

実際に銃を突きつけられた経験があれば
おそらく現実のものとして捉える事が出来るんじゃなかろうか。
私の場合、あまり無駄な経験をすると
無駄なことばかり考えてしまいそう。
年取っていくと経験増えるし、少し不安。



2005年04月03日(日)


楽な姿勢をとろうとする。
楽な姿勢をとっているから体がつらくなる。

楽というのは体が欲求するのだけれど
辛くなるというのはどこか矛盾があるのだろう。
姿勢が悪いということなのだけれど。

正しい姿勢を常にしていれば、
それが楽な姿勢に結びつくのだろうか?
楽な姿勢は作られるものか、
あるいは自然にあるものか。

少なくともイスに座りながら
足をベッドに投げ出して
体を横にしながら
パソコンを叩いている今のこの姿勢は自然じゃないだろう。



2005年04月02日(土)


人の人生に土足で踏み込む……とでも言いましょうか。

結構、自分でやっていることが正しいのかと
自問することがあるのです。
自分のことなら、これでもいいか、で妥協できるんですが
人のこととなると話は別で。

最近、そういう機会が
些細なことから少し大きなことまで、いくつかと。
今日も、ゼミ候補生に対して
研究内容の説明とか。
興味を持ってもらえるのは嬉しいけれど
一方で希望を満足させられるとは思えない。
そういう部分で少し消極的になってしまったりもします。

もっと直接的に関わる人は大変そうだな、と
改めて感じた日。


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