就職とは別に、ちょっとセミナーの方に行ってみる。
ふと、行きの電車で床を見ていると 女性の足が目に飛び込んでくる。 奇麗だなーと思っていたのですが……。
ストッキングなんですよね、当然といえば当然なんですが。 んで、やっぱり奇麗に見せるって意味では ストッキング重要なんだな、と。
ちょっとだけ違和感あったのは ストッキングでサンダルっぽいの履いてたからでしょうか。 つま先見えると丁度厚手になってる部分が 色、変わって見えてちょっと変だったのかな、と。
まじまじと見るつもりもなかったんだけど 何となくみてたらかかとの部分のヒビ割れている肌は 隠しきれていない。 やっぱり、かかとって難しいところなんですね。
その後、他の駅で入ってきた女性は ストッキングはいていなかったのですが、 足があまり奇麗じゃなかったわけで……。
なんていうか、やっぱり身だしなみみたいな意味として 有効なんだなーって思った日。
ちなみにセミナーはそこそこ楽しかったですが 問題はお土産にオモチャの猫じゃらしをもらったことでしょうか……。 こんなものどうしろっていうんだろう? ウチに猫いませんよ。 まぁ、帰宅後、両親に見せたら笑っていたので これはこれでよかったのかもしれない。
一日中お腹が張っている。
「がすピタン」だったかな? そういう薬も買ってみたけど 効いているんだか効いていないんだか。
オナラって一般的に思ったときに出せるものでもないです。 外に居たりすると特に。 我慢が有害って話も結構聞きますが 我慢しないわけにもいかないことがたくさん。
例えば匂いを分解するパンツなんてものが これから先発明されたら 我慢しなくてもいい文化が到来するのでしょうか?
……ガスを固形化させる薬と どっちが現実味あるだろう。 そんなバカだけど切実なことを考えた日。
どうも、胃が。
出かけたのでコンタクトを装着。 久しぶりなのだが、今は調子がよい。 おかげでこのまま寝てしまいそうでハラハラです。
洗面所が現在占領されているため はずすことが出来なくて怖いです。 しかし、コンタクトってすごいですよね。 あんなものでレンズの働きをするんですから。
しかし……目が悪くなるって 人としてどうなんでしょうね。 『自然』じゃないじゃないですか。 自然で生きていれば、おそらくそういうことはないと思います。 知恵で生み出した『不自然』の結果、目が悪くなっている。
不自然が体に毒なのか 不自然を補って余りある技術を知恵が生み出しているのか。
今更、野に帰れといわれてもできるものじゃありませんけれど。 ノアの箱舟が現実のものであったなら、 間違いなく流されているでしょうね。
携帯電話。 現代人に欠かせないアイテムの一つ。
……の、はずなんだけど。 そういえば土曜日曜と携帯のアラーム聞いてないなと思ったら 部屋に投げ出してあるヘルメットの中に埋もれて 電池が切れておりました。
なんにせよ、使う人次第ということですね。
ところで日本放送。 フジテレビの株をなんたらと。 あれって、日本放送になんかメリットあるんでしょうか? いまいち分からないんですけど……嫌がらせ?
ライブドアだとダメで、ソフトバンクだと信頼があるっていうのも 良く分からない内容だと思うんですよね。 はて、何ででしょう?
昨日電車に乗ったんですよ。
のんびりとつり革につかまりながら、窓の外なんぞ眺めてました。 ふと、目の前を横切る人。 なんだろうと思ったら、とある人から離れていったようだ。 その人を見ると、ブツブツしゃべっている。 1人で。
まぁ、色々な人がいるよなーと思いながら 少しだけ耳を澄ます。 「地球を守るために……宇宙から……」 とか聞こえてくる。
あれかな、前世では何かの戦士で 救世主を探しにいくとかそういう人かなって思ってたんですが そのうち 「フラッシュマン」とか「ダイナマン」とか聞こえてくる。 ちょっと納得。 フラッシュマンって私が幼稚園か小学校くらいの頃にやってた ヒーロー番組でしたから。 内容は覚えていませんが歌は覚えています。 祖母の買ってくれたカセットテープを何度聴いたでしょうか。
当時時空戦士スピルバンとかも歌が入っていたので きっとそういう人が宇宙からやってきたってことなんでしょう。
話しかけられたら流石に困るので とりあえず窓の外見てるだけで そっちの方は見ませんでしたが……。
しかし、ヒーローに憧れる人がいて 彼は大多数の人から見れば変わり者なんですよね。
それってなんか少し悲しいです。
経営者がライブドアに変わって 仕事を辞めるとか番組に出ないとか そーいう話をネットで見たりする。
その程度だったのか、というのが感想。
まぁ理由のある人もいるんだろうけど…… 結局リスナーはどーでもよくて本人の意向次第に見えるんですよね。 社員の人もそうだけど。
経営方針に賛同して、まったく反感無く 現場の判断とかそーいうセリフとは無縁に 上を信じて仕事してたんですかねぇ。
これは極端な言い方だと自覚はしてますけど。
会社は経営者がのみが変えるんですか? 経営者が決めるなら改悪を甘んじて受け入れるしかないんですか? 社員が変えていける部分なんて何もないんですか?
リスナー云々を言うなら、改悪を改善していけないのでしょうか? そもそも、どう変わるのかがさっぱり分からないのに 何故反感を覚えるのか……。
変わることに対する恐れって、どうしても社会の中に 溶け込んでいるものなんですよね。
既存の大きな流れを変えようとすると それ相応の大きな反発を受ける。 どうなっていくのでしょうね。
結局、楽しんでるのは日常だ。
~の間にしか出来ないという言葉がある。 実際、存在するんだろう、そういうものは。
例えば学生の間にしか……、そういう言葉。 それなら、と思う。 社会人になってから、学生の間にしか出来ないことをやりたくなる。 それを学生の間にやっていたからといって慰めになるのだろうか?
例えば海外旅行に一度行った。 もっと行っておけばよかった。 それは際限の無いものじゃないのだろうか?
学生という時間をうらやむように述べるその言葉は 今に嫌気がさしての話なのだろうか? 結局説教の類である気がしてならない。
本心からそれを羨んでいるというよりは 今の状況を楽しみながらも、若い人間を諭しているのではないか。 あるいは、今の状況がすごく嫌で 過去に現実逃避したくなっているだけか。
……というように、怠惰な生活を送ることを肯定してみる私である。
問題は梅干である。
梅干=すっぱいという認識があると思われる。 が、梅干は本当にすっぱいのか?
レモンはすっぱいと思う。 でも梅干ってしょっぱいではなかろうか?
まぁ、ウチが近くの人からいただいた梅干が しょっぱく感じたからかも分かりませんが……。 確かに味を想像した時の唾液の分泌など すっぱいと思われる要素もあるけど。
大量の塩とレモンを並べ、 梅干に近い味はどっちだ?と聞かれたら……。 レモン、選んじゃうかなぁ? 迷いませんか?
色々言い訳を探してみるも、 どれをとっても説得力があまり無い。
自分の行動や思考を慰めるように 何か別のことを考えてもすぐに否定できてしまうのが切ない。 主に、こういう考えはマイナス要因を含む時に多い。
否定がまずありきなので それを打ち消す、あるいは今の状況を肯定したくて 考えたとしてもマイナス要因を打ち消すにはなかなか至らないのだ。
さて、過去のその時間を後悔することは出来るだろうか? 良かったと思う時間を後悔することは出来るだろうか?
もし出来るのであれば、その逆もきっと可能だろう。
無駄な時間は存在せず、その一分一秒に意味がある。 後付で意味を持たせる。 充実したと思える時間に対して 無駄だと感じる時間のなんと多いことか。 けれど、多くの場合、その時間に気づく事無く まぶしく輝く充実した時間の陰に隠れてしまう。
隠れた時間に意味をつければ 人生、とてもハッピーではなかろうか?
あぁ、とりあえずおなかがすいた。 平凡だけど、今何かを食べれば私は確かに幸福だろう。
ところで、私は整理が下手だ。
気づいたいたような気もするけれど 最近改めて気づかされた気もする。
部屋が汚かったり ノートに統一感がなかったり パソコンのファイル名やフォルダの分類がデタラメだったり プログラムで変数の名前がいい加減だったり。
上の2つは意外とどうにかなるのだけど 下の2つは結構痛い。 特にプログラムではかなり苦労をすることになる。 長い名前にしたりすると自分で混乱するし 短い名前だとそれが何を示しているのかわからなくなる。 頭を大文字にして名前をつけてみたり 真ん中の辺りを大文字にしてみたり。 こういう統一感の無さというのは 物事を積み重ねていくにしたがって どんどんゆがみが大きくなってしまう。
……本当に気をつけないとダメですね。
そういえば、髪が膝まで伸びている女性をみた。 ちょっとビックリ。 長さの割に奇麗だったし付け毛かな? 全部延ばしてるんじゃなくて 少量を延ばしていたからどうなのか分からないけれど。 少なくともクセっ毛の私にはうらやましい限りです。
さて、 既に出遅れている、とかそういうのはともかくとして。 とりあえず、就職活動なんぞを。
実は一年前……いや、二年前かな? 大学院に進学するか迷っていたので 就職活動もしていたんです。
その時はいわゆる、SE(システムエンジニア)を目指していました。
まぁ、漠然とパソコンが好きだったし 画面に向かっている時間の多い仕事ならいいかなって。
先日、システム関係の説明会に行ったのだけど 昔ほど魅力を感じなくなってしまったのは やはり他にやりたいことができたからなのかなぁ……。
新しくできたやりたい事というのも 活動状況はよろしく無いのですけどね(苦笑
先日の会社紹介VTRなどを見ながら感じる事といえば 現実なのに現実感がなくて…… 自分がそういう世界の中でどこかに生きる事になるなら その時私はどーしているんだろう、とか。
作り物のVTRだけに、多少芝居がかった内容ではあったけど やっぱりそこに生きてる人は居るんですよね。 帰りの電車で見えた街に沢山人が行き交うわけです。 それ見てて、少し悲しくなりました。
こんなに人が多くて、こんなに社会があって こんなに一つ一つに説明加えて こんなに素晴らしいことがあるといって こんなに人が考えてて こんなに人が沢山いるというのに 行き交う人は他人なんですよ。
なんといいますか 人の多さに対応しただけの、 生き方を私達1人1人はしているんでしょうか? 数の前に1人1人があまりにも小さく感じすぎるというか……。
人一人の命は地球より重い!とか、 事実かどうかはともかくそういう言葉があるでしょ? そういう重い一つ一つのものが行き交うと ちっぽけな一つにしか過ぎないっていうのが……。
あぁ、でも――― 私の研究している内容に少し近いのですが バタフライ効果。
小さな出来事が与える大きな影響とでもいいますか。
世界のどこかで蝶が羽ばたくと 世界のどこかで嵐が起きる。
その内容を検証することの重要性もきっとあるのでしょうが 当面のところ…… 投げた小石が世界を救う、位の気持で居た方が 幸せなのかもしれませんね。 小さいように見えて、大きな影響を持っていると思ったほうが きっと幸せです。 やっぱり自分は主役じゃなくちゃね。
よく分からないのだけど……。
ライブドアは、結構前の段階で34%の株を確保していて 何らかの拒否権を持っていた、とか報道で。 この拒否権というのは新株発行を とめることは出来ないのだろうか?
今日、50%を越えたとかなんとか。 これだけの株を持っていて 新しい株の発行という会社の行動を阻止することも出来ない 権限しか得られないってことなのかなぁ?
朝起きると、ラジオがついていた。 普段12時に起きてるから昼だとか。そういうの言えないですけどね……
なんとなくライブドアとフジテレビのことに頭が行く。 で、気づいたんですけどね。 ネット業界とラジオ業界、 よくもまぁ、これだけ微妙な取り合わせの話なんだなと。
テレビ業界とラジオっていうのもちょっと不思議な感じ。 音だけのラジオに対して映像もつくテレビ。 どちらが『優れている』かと漠然と考えた時 両方あるほうがお得でしょ?
実際は音だけを必要とする、 あるいは映像を見ないと分からないTVより 音だけで分かるほうが嬉しいって事はあるので。
ニュースやスポーツ、情報という点で 伝える内容的が共通の部分もあるし そういう意味じゃテレビとの連携もあるのかな、とは。
ただ、今テレビの方はデジタル化、 例えば双方向性とかそういう内容に進んでる。 でも、ラジオはおそらくそういうの無いんですよね。 さらに、ネット上でもラジオ配信は結構やっている。
そういうの考えると、ラジオはこれからどこに進んでいくんだろ?
結局言いたいのは、ネットとラジオ。 それぞれ相反する……というか、ネットが栄えれば ラジオが廃れる、そんな関係にあると思うんですよ。 ラジオが培っていた技術をネットで取り入れるって考えれば 不自然じゃないとはいえ。
例えば、ipodとか、小型のHDDの話は良くきく。 東京メトロだったろうか、駅でネットがつながる環境もでてきた。 なら、小型のプレイヤーにネット機能が付くのは もしかしてそう、先の事じゃないかもしれない。 (携帯にだって付いてるわけだし)
そうすると、通常のラジオよりも ネットを経由したラジオの方を聞く人が 増えていくんじゃないだろうか? (立ち上げの問題、接続の問題あるからまだ先だろうけど) そうするとラジオは厳しくなっていくわけで……。
何となくそんなこと考えたら ライブドアとニッポン放送の関係かんがえて 少し不思議になった日。
(でもテレビ業界におんぶされてるのだとしたら それこそ先が無いわけなんですけどね)
一日中パソコンとにらめっこしてプログラムを書いてみる。
最終的にできあがたったけど そのソースコードはたった4KB。 ちょっぴり切ない。
出来上がった時 (正確には諦めて力押しのプログラムになったんだけど) の充実感は素晴らしい。
でも実はそのうちの30%くらいは開放感。 だからラストスパートも頑張れます。
好きなことがあったとします。 好きなんでしょ?と言われ、他人から強制されるソレは 好きではなくなってしまいます。 同じ内容でも好きじゃなければ それを自発的にしようとは思わないし やる意味もあまりないんです。 仕事でもない限りは。
だから好きを仕事にしてしまうと困ることがあるのかもしれません。 それだけじゃないでしょうけれど。
注意)無駄に長い上にまとまっていません。 頭に浮かんだ情報を適当に並べただけですので なんか頭のメモ用紙みたいになってしまいました。
結構簡単に本能なんて言葉を使うけど 本能ってなんなのかな、と。
理性じゃなくて、生物としての欲求を満たそうとする。 なんかそんなイメージ。 でも、行動である以上 脳が指令を送っているのだろう。
ところが脳というのは、 はじめからあるものじゃなくて 母親等の胎内で作られていくもの。 胎教なんていう言葉はあるけど 種、そのものの共通の欲求として 本能というものを教えられるわけじゃない。 なのにどうして、本能が存在するのか?
ふと。 例えば『24人のビリーミリガン』が有名だけど 多重人格って言葉がある。 もう何年も前に、ちょっと読んだだけなので記憶があやふやだけど 母国語以外の言葉をしゃべることが出来る人格とか 縄抜けの出来る人格とかが居たと思う。
どうしてもともとの人格に出来ないことが出来るのか。 おそらく、一度みたものは、記憶していなくても 脳の中では覚えていてその情報を引き出している…… そんな風に考えていた。
でも本能とあわせてもう少し別の考え方をしてみる。
例えば、種の中で共通のものといえば体の形。 頭があって、手があって、指は5本で目は2つ。 本か何かで、『遺伝子の記憶』とか そんな魅力的(?)なフレーズを見る機会がある。
実際、遺伝子みたいなものに 脳みそみたいな記憶能力があるとはおもわないけど 例えば遺伝子の配列の組み合わせそのものが 人の記憶の一部を作っているとしたらどうだろう?
すごい恐そうな顔の人が居る。 とても悪い人だった。 優しいおじいちゃんがいた。 すごく穏やかな顔だった。 そういうケースは少なくない。 生活や性格が記憶として遺伝子、DNAに影響してるのではないか。
遺伝子一つ(?)ではそんなに多くのことは記憶できないが 組み合わせなら莫大なパターンが存在する。 コンピュータと一緒。 0と1だけだと2つだけど これの組み合わせで今使っているようなパソコンがあるわけだから。
配列パターンを脳とかが一部をスキャンして それが根底となって性格が形成される。 脳が間違いを起こして、多くの部分をスキャンしてしまうと 先祖の情報が脳に埋め込まれる。 そもそも人間が使い切れていない脳の部分は大量にあるのだから 空いているところにおけばいい。 それを元に情報を蓄積すると 人格がいくつも出来てしまう。
こういうのが多重人格とかで 決まりきった配列を本能という……とか。
と、こんなことが頭に浮かんだわけで……。 もう少しまとまると何かに使えるかな。
なんとなく考えてみた。
日本の世帯数は4600万世帯くらい。 各家庭に一つお風呂があったとする。 湯船の広さを1m×0.5mくらいだと考える。 すると0.5㎡。 4600万×0.5=2300万㎡ 23000000㎡=23k㎡
なんかナウル共和国というところの面積が 21k㎡らしいので、お風呂で国が一つ埋まることになる。
だからなんだといわれても困るけど お風呂で泳ぎたいという欲求はおそらく満たされるだろう。
ちなみに酔ってるので計算あやふやです。
精神的に打たれ強い人と、打たれ弱い人。
どちらの方がいいのかな、と。 普通に考えて打たれ強い人の方が良く見える。 不屈の精神とでも名前をつければカッコいいかも。
ふと。 人に言われて、すぐに傷ついて。 良くはない様に思うが 早いところ自信を無くして方向を転換できるって言うのは ある意味では幸せなのかもしれないと。
精神的に弱いというのと 得意なものが無いとは同義じゃない。 ドラえもんで言うならのび太君は射撃とアヤトリが得意。 実際にそれが役立つかはおいて置いて……。 例えばジャイアンは歌が下手。 でも、もしかしたら陶芸をやらせたら すごい上手いかもしれない。
趣味なら「下手の横好き」とも言うし まぁ特に問題ないのだけど。
実際問題、打たれ強くてジャイアンがあのまま 歌手を目指し続けたら、それはやっぱり辛くないだろうか? 要するにそういう話なんです。
打たれ弱いからこそ、様々な可能性に挑戦できるかもしれない。 そう考えてみた、とある日。
……一応自分の意見ではあるけど反論も少し。 エジソンは言った。 99%の努力と1%の才能。 このパーセンテージが正しいかどうかはともかくとして 努力によりそれなりの域に達することが出来るという話。
努力を99%するには、やっぱり打たれ強さは必要なんです。 努力の過程の中で。 ついでに言うと99%まで努力した人間なら 1%の才能をもっていて、まったく努力しない人には 絶対に負けません。
まぁ、99%まで努力できるというのは 一種の才能だとは思いますが。
そー考えると、打たれ弱い人間は 努力を沢山する前に負けてしまうので 結局何をやっても中途半端、ということになるかも知れません。
……あえてさらにこれに反論するなら 打たれ弱い人間も自尊心とは無縁じゃないので 才能のあるものを見つけたらそれを高めようとするはずで 精神的な成長があるかもしれない―――とか。
結局どっちもどっち、やる人次第って事になるんですよね。 どちらについても言えるのは…… やる気無くなったらそこで終わりって事かな。
アメとムチ。
と、誰もが聞いたことのある言葉だと思うのですが。 アメだけを与え続ければどうなるか? 喩えに習えば虫歯になる……って所でしょうか?
少なくとも、私の経験の中では、それは良いことじゃないです。
けれど、学校の教育現場で出来ることは、 アメを与え続けることなんじゃないのかな、と少し思うわけです。 ムチを振るうのは現場の判断といいながらも 両手を縛られている……そんなイメージなんですよ。
なんかそー考えると幸先の明るい日本を期待できないというか……。 意外とどうにかなるんでしょうか?
さて、まったくどうでもいいのですが。 今日googleで検索した単語。 トイレトレーニング。 現在23歳、彼女なし。 何か間違えてる気がしてならない……。 でも誰に聞くでもなく色々調べられるネットって便利ですね。 あははははははははははははははは……はぁ(TT)
鼻水が、すこし。 これって花粉症なのかな? ずるずる。
それにしても入れようと思うとガソリンが高くなる。 ……気がする。
もし、という言葉にどれくらい意味があるのだろうか?
……実はすごい意味ありますね、失礼。 プログラムとか「もし」が無かったら成立しないし。 と、まぁそういうすごい言葉な反面、あまり好きじゃないのは 「もし~だったなら~だったのに」 という過去形が好きじゃないからなんでしょう。
「もし~ならば~である」とか。 そーいう「もし」なら意味があるんですけど。 過去やら後悔やらで使われる「もし」も多いわけで……。
確かに、仮定の過去がまったく意味ないって事じゃないとは思います。 反省したりするなら。
なんていうか、後悔って過去の自分の否定じゃないですか。 そういう自分の辿ってきた道の末に、 今自分が立っている場所があるのに その過去を否定してしまうってすごい悲しいと思うんですよ。
今の自分で過去の自分の結果をフォローできないものでしょうか。 ボール球投げちゃった自分が居ても 自分がキャッチャーやって少しミットずらしてストライクにするとか。 今の自分が何もしなければ、結局ボールで押し出しのサヨナラ負け。 球筋を変える事は出来なくても、 ミットを動かしてあげればもしかして ストライクに誤魔化せるかもしれない。 そうすれば見送りの三振……。
過去の自分を後悔してるって 結局今の自分に何も働きかけてないことが多いんじゃないのか、と。 そんな事をふと思っただけです。
私が、最初に買ったパソコンはIBMのものだった。 パソコン自体はPC9801DX……だったかな? と言うのをお古でもらったのだけど なにぶんOSがDOSとかそういうレベルだったので 実際に使い始めたのは自分で買ったIBMから。
それが壊れて、FMVのデスクトップを買ったのですが…… 最近になって、気づいたのですが この液晶、独自の端子つかってるんですよ。 本体だけ買って、この液晶使いまわそうとしても出来ない。 なんかすごくはめられた気分。
まぁ、買う時に調べればよかったのですが その時はあまりパソコンの性能については 深く考えてなかったし まさか一般的に使われる DVIとかが使えないとは思わなかったわけで……。
とりあえずFMVが嫌いになったので 今後は買わないようにしようと決意。 ちなみにSONYも嫌いなのでVAIOも買いません。
先日研究室のパソコンが一台新しくなって VAIO買ったんですけど やっぱり既製品は新品でも立ち上がりが遅いですね……。 余計なソフト沢山入ってるんですよ。
……そろそろメーカーモノは辞めたほうがいいのかな。 自作も可能ではあるんだけど いくらか不安なんですよね。
ベーグルが茹でるものとしったのは実は最近。
焼くが常識であるものを 茹でるという発想に変えられないか、私も少し考えてみた。
焼き魚を茹でるとか。 焼き芋を茹でるとか。
ところで、茹でると煮るの違い、瞬時に答えられるだろうか? ……私は一瞬悩みました。 多分茹でるは茹でたものを取り出して使う方法で 煮るは、取り出さずに、煮たものを味わうのではなかろうかと。 正解かどうかはともかくとして。
ちなみに芋はふかしたり 里芋だと茹でたりする気がするので却下した。
意外と焼くだけの物って少ないので その逆、茹でるが常識のものを 焼いてはどうかと発想を転換してみよう。
ゆで卵。
さぁ、想像してみてください。 それは秋のこと。 寒そうにしながら落ち葉を集め、屈みながら火をつけたあの人。 静かに音を立てながら燃えるそれは 単純な熱源としての暖かさではなく 気持を暖めてくれる。 手のひらをかざしながら その人と2人、他愛のない会話を繰り返し いつの間にか火は消えてゆく。 そんな中、その人が取り出したのは焼き卵。 寒くなってきた中、2人黒こげた卵の殻をむくと 引っ付いてはがれない白身にイライラし始める。 再び襲ってきた寒さを忘れ、黄身の部分をかろうじて食べる。 残った殻の処分にこまりながら―――
……なんか失敗してるような。 でも玉子焼きって並びを変えると 普通の料理になってしまうミステリー。 やっぱり失敗か。
ならばパスタはどうだろう? 茹でずに、焼く。 問題はあまり魅力的でないことだ。 普通に焼いたのでは食欲がなくなる。 そこで、こんなのはどうだろう? カフェ・ロワイヤルの応用だ。
カフェ・ロワイヤルはスプーンの上に載せた角砂糖に ブランデーを染み込ませ火をつける。 青白く揺れる炎を見ながら ゆっくりとカップに沈めて楽しむものだ。
ブランデーがパスタに合うのか謎なので よく使われるオリーブオイルで代用してみよう。
さぁ、想像してみてください。 その光は夜景としては魅力的なのかもしれない。 しかし喧騒の中を歩く貴方にとってはまぶしすぎる光。 人の流れと空気に疲れ、貴方は一軒の古びた喫茶に入る。 ゆったりと流れる音楽は先ほどまでの喧騒を忘れさせた。 だが、不思議とサイフォンの作り出す音だけは耳に届く。 あふれ出るコーヒーの香を楽しみながら、 貴方はカウンターに座った。 少し空腹感を覚え、貴方は特製パスタを注文する。 料理が来るまでの空白な時間。 普段、一分一秒を争うように書類と向き合うのが嘘のようだ。 サイフォンの中で吸い上げられていく水が コーヒーとなって戻っていく様を見ているだけで 不思議と心が落ち着いた。 そんな中、マスターがおもむろに取り出すパスタ。 それをヴァージン・オリーブオイルに浸す。 皿に移すと、ゆっくりと火を近づけた。 燃え上がる炎を確認するとそれを貴方の前に置く 「冷めないうちにどうぞ」 一礼し、マスターはコーヒーをカップに注ぐため戻っていった。 貴方の目の前でパスタは勢いよく燃え上がり 端から炭化していく。 なるほど、『冷める』と『炭化』はほぼ同義だと知ったあなたは 一本を手に取り口に―――
……うん、やっぱり何か失敗してる気がする。
と、言うわけで今日の収穫。 先人達の偉業を覆すのは難しい、と。 こういうのを骨折り損のくたびれもうけというのでしょうか。 長々書いたらちょっと疲れたよ。
余談ですがカフェ・ロワイヤルは一度飲んでみたいですね。 自宅で作ってもあまり風情がないだろうから。
外を歩く。 マクドナルドへ買い物へ。 雪を見ながら。 雪を踏みつけるのは相変わらず心地よい。
お金を親に借りていたのを思い出したので 銀行へ。 少し遠回りだけど空気が良い。 時々の遠回りは気持ちよい。
外に出ないわけではないけれど 空気を吸うというのはあまりしない。 (散歩はほとんどしないから) 通勤通学などは空気がよく分からない。
ゆっくり歩く。 歩き方が少し違う人がいた。 足にもしかしたら障害があった人なのかもしれない。 追い抜かれた。 あの人はどこに行くんだろうか?と考える。
遠回りすると普段見えないものが見えてくる…… なんてカッコいいことは何一つないけど 気持だけは良い。
ゆっくり歩くと普段気づかないものに気づく…… なんてカッコいいことは何一つないけど 心地だけは良い。
なんだかそんな一日。 結構幸せみたいだ。
昨日の新聞だったろうか。 大山のぶよ(ドラえもんの声の人)さんの話が載っていた。
子供達がみるから、丁寧な言葉遣いを気をつけた。 台本にあってもバカヤロウとかそういう言葉は使わないように 皆で相談して決めた、とか。 そんな内容だったと思う。
言葉を仕事とする人達にあって、 こういうこだわりは本当に素晴らしいと思う。 職業であるが故にもつこだわりというのは どれほどの人が持てるものなのか。
そのこだわりの中に、子供達に対する配慮が含まれているから いっそう素晴らしく聞こえるのだと思うけれど。
くだらないこだわりは頑固ともいえるし。 意味のない信念は融通が利かないだけだし。 大切なのは初志を貫くことではなく ことの本質を捉え間違わないことなんだよね。
正しいと思うことを貫けるってすごいよね。 世間の波風もあるんだろうけど。
空みたら飛行機雲が。 改めて思えば、特殊な雲だよなぁ、と。 もし、古人が飛行機雲、見たとしたら なんと表現したのだろう?
月食や日食が神(に類するもの)の行為として恐れられたのなら 飛行機雲は空を切り裂いてるようなものなのかなぁ。
ところで、雑誌の表紙を見てたらグラビアという文字。 グラビアってなんだろう?と。 なんかの略称かもしれないという事で分割して考えてみる。
とりあえず関連しそうな用語で連想してみる。 グラから連想されるのがグラマー、かなと。 んで、ビはbe動詞のbeとする。 さらにアはアイドルかアダルト。 アイドルはグラビアアイドルって言ったりすると重複するので削除。 そーすると『グラマーは大人の魅力』と変換できるわけですが 若い子がグラビアアイドルやってたりするので却下。
となると分け方を変えて…… グラ・ビア グラマー・ビアー。 グラマーなビール。 グラマーなビール腹。 ……なんか女性にこの形容はサザエさんの波平おじさんに 素敵な髪形ですね!と言うくらい恐い気がする。 という事でこれも却下、と。
と、なると G la Veer.とか。 laというのがどっかの冠詞だったと記憶しているので 女性名詞にはlaが付くそうなので―――とか色々考えましたが フランス語等は英語以上に分からないのでこれも却下。
グラ……グラ……グラヴィティー。 こうなると物理の話になってくるから 重力加速度(g)。 g be a. これだ! 加速度はaccelerationと言うので 物理では頭文字をとって"a"とする事が多い。 『重力加速度は加速度である』 意味も通りますよ、これ。 完璧です。 be動詞の三人称単数とか複数形とか気にしない! つまりグラビアアイドルとは 常に加速し続けるアイドルを形容した褒め言葉だったわけですね。
……はい、ゴメンナサイ。無理ありすぎです。
まぁ本当のところは グラビア印刷という印刷法というのがあるらしいので こういうところから派生して グラビアというようになったのではないでしょうか。 雑誌などに挿入される写真ページを フォト・グラビアとか言うらしいですし。
最近早い時間に眠れなくなったということに 拍車が掛かってしまったようなので、 まずいなと思っているところ。
んで、たまたま今日は眠気が早めにおそってきました。 夜中の1時半ごろ。 布団に入って幸せ。 これで明日は早く起きられちゃったりするんだよなー、と。
(中略)
現在夜中の3時。 眠れず。 おきてとりあえず書き忘れてたこの日記を書いているところ。
……なんで?
学校に医学辞典があるんです。 広辞苑くらいの厚さ。 開くと医学に関する用語がびっちりと。 すごいなーと思いながら、ふと考える。 医者ってこれ、一通り知ってないとダメなのかな? だとしたらとんでもない知識量。
医者になるのがどうして大変か少し理解できた日。
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