1日雑記

2005年02月28日(月)

遊園地に、悪夢を見られるアトラクションがあったら
流行るだろうか?

ジェットコースター、お化け屋敷。
恐怖のためのアトラクションはあるけど
多分悪夢を見られるアトラクションがあっても
流行らないと思うのは何故だろう。

例えばバンジージャンプでもいいけれど
安全の上にある恐怖、という意味合いでは
悪夢もバンジーも変わらない。

むしろ、綱が切れる可能性などを考慮すると
悪夢のほうが安全かもしれない。
それでも、どちらかを選べといわれたら
バンジーを選んでしまいそうな気がする。

なんというか、お化け屋敷が苦手な人って
怖いから苦手なんだと思うんですよ。
悪夢っていうのは、万人に恐いものだから
『得意』な人が居ないと思うんです。
慣れもない。

……やっぱり流行らないね、悪夢。



2005年02月27日(日)

午前、2時ごろを境界にしていたんです。
寝る時間の。

それくらいに眠れば、まぁ翌日活動できるかな、と。
ところが最近はその時間に目が冴えてる始末。

昼寝してることが多いからかな?とも思いますが
どうもそれだけでは無いような。
夕方とか、22時ごろとか、眠くなったりするんですけどね。
(その時間に眠ると確実に0時ごろ起きる事になります)
これって多分体によくないと思うんですよ。

うーん、なんか体が可哀想になってきた。
体は脳の被害者なんです!
……あれ?



2005年02月26日(土)

ところで、ロシアってアジアでしょうか?
ヨーロッパでしょうか?

世界地図みてたら、また。
モンゴルあたりにアジア州ってかいてあったんですけど……。
その辺り一帯を示していると思うんですが
文字の位置的にロシアもアジアなのかな、とか。
でもアジアって感じじゃないですし。
はて?


ところで、和音ってあるじゃないですか。
決まった音の重ね合わせで
奇麗な音になる。

反対に不協和音というのも存在します。

和音を心地良く感じ
不協和音を不快に感じる。
それは人類共通の概念なんですが
何で、共通なんでしょうか?

人それぞれ感覚は違うでしょう。
例えば、納豆をくさいと思う人もいるし
別に平気と思う人もいる。
ブルーチーズを美味しいという人もいれば
食べられない人もいる。

そういう感覚において
千差万別にもかかわらず、和音、不協和音は共通の概念です。

音階というものを作るずっと以前から
人は『音楽』を知っていたんでしょうね。
まぁ周波数とか振幅とか重ね合わせとか……ちゃんと説明できるんでしょうがそれも野暮ってもんでしょう。奇麗なものは奇麗でいいかな、と。とりあえず。



2005年02月25日(金)

最近のマイブーム。

薄いコーヒー。

いや、元々コーヒー苦手だったんですよ。
頬が痛くなるので。
でもなんか学校とかで無理やり飲んでたら
最近は結構平気になりまして。

普通の濃度のコーヒーに
たっぷりのクリープとかを入れて飲んでたんですが……。
最近は薄ーく作ったコーヒーをブラックで飲むのが
美味しく感じています。

苦味というよりはコーヒーの味がする気がして。
(でがらしの)紅茶やお茶に近いので
馴染み深く飲めます。
……びんぼーくさいですが。

しかたないんですよっ、
学校だとティーバック一つで
5,6杯の紅茶は普通に飲みますので。

好きなんだからしょうがない。
……うん、しょうがないはず。
喉を潤すって目的だから味なんてしなくたって平気なんだい。

負け惜しみじゃないよ?



2005年02月24日(木)

春一番が吹いた次の日に雪が積もるし。

例年、春一番の次の日は寒くなると聞くけど
春の次に冬が訪れるというのはいかがなものか。
春一番という名称が正しくないのではないかと思う。
春先一番、春前一番、春の兆し、春の前の冬の春とか。
……なんかどれもいまいち。


ところで日本の国旗。
日本人ならまぁ、どんな国旗かわかるでしょう。
描けといわれれば、描けるかも知れません。
……本当に?

トイレに世界地図があって
そこに国旗がかかれているんです。
バングラディッシュの国旗と似てるんだよなーと思いながら
考えてたんですけど。
ふと、旗のなかにある円の大きさ違うのかな?と。

で、良く考えたら
国旗の中の円の大きさ知らないんですよ。
赤丸の。

多分、国旗である以上サイズ決まってると思うんですが
旗にたいしてどの程度の大きさなのか
まったくわからない。

もしかして、日本の国旗描ける人って
日本人にほとんどいないんじゃなかろうか、と。
日本国旗ってむずかしーですね。



2005年02月23日(水)


春一番。

外に出て、学校に向かうと
とても心地よい陽気でした。
思わず歌いたくなってしまいましたね。
松任谷由美の春よ来い。

……でも、既に来てるって気がしなくもないので
なんかちょっと違ったのかもしれない。


春一番って、名前の穏やかさとはかけ離れて
強い風のことを指すんですよね。

しかし、風って不思議なもので……。
発生原理はわかるけど
発生してる場所っていうのは
まぁ見られるものでもないわけで。

しかし、すごい力の風が吹くっていうのは
それ相応の力が使われてるって事だから……。
想像を絶しますよね、そんな力。



2005年02月22日(火)

アポロ13号って映画。
結構好きな映画なので。
最近は便利で、それに関する裏話などもネットで調べたりできる。
こういう楽しみ方もあるんだなーっと。

先日、NHKのプロジェクトXでカセットテープの話が。
アポロ11号の月面着陸に関して、持って行かれたとか。

今日、原付で走っていたら月が見える。
月の兎。餅をついている。
先人達は、月を見てそんなことを連想したわけだ。
それから何年後なのかは知らないが
人は月にまで到達してしまった。
それもカセットテープがやっと音楽を録音できるようになった頃に。

パソコンに近いところで生活してるから
IT関係の発達には相変わらず驚く。
そのITの発達が、まだまだ未熟な頃に月に着いたというのは
すごいとしか言いようがない。

もっとも、パソコンというのは
画面の中のことでしかない。(表現微妙だけど)
もっと大きなハードとして考えたとき
あれからどれくらいの進化をしているのかなぁ。
機械工学科にいるくせに良く分からないや(苦笑

アポロ11号から時が経ち
すごい進歩したのかもしれないけれど
日本のH2ロケットは失敗するし
スペースシャトルは壊れてしまうし。
それよりずっと前のアポロ13号は奇跡の生還。

結局、人が作っているって事なんだよね。



ところで、情報の免許取得のための単位が全部とれてしまいました。
年間26単位。
後期分はテストのときに風邪引いて諦めてましたが
可がほとんどとはいえ、克服。

それにしても
前期・夏季集中・後期の3つあるんですが
前期・夏季で6分の5が優、残り1つが良。
後期で6分の4が可で残り2つが良。
……なんか凄い差ですねぇ。



2005年02月21日(月)

光の中にいられたら幸せか。
でも眠るのは闇の中がいい。

眠いので寝ます。



2005年02月20日(日)


三角形の内角の和、180度。

何時だか、必ずしもこうなるわけではないと本で読む。
球の表面に書かれた三角形の話。

言われてみれば、なるほどな、と。
でもどこか誤魔化された気がする。

当たり前の世界地図。
日本を書けといわれたら
落書きのような日本を書けるけど
やっぱり平面に書かれた日本。

もしも、球の上に書かれた
三角形の内角の和は180度ではない、と言うことが
誤魔化しであると思うのなら、
その逆である今、私の知る日本地図も
誤魔化しであると感じることが自然なのだろうか?

地球儀とか、球を考慮に入れた地図もあるけど
普通書かれる地図はそういうものではない。
厳密にしなくても、大差はないということなのだろう。

これが誤魔化しであったなら、
私はいろいろなところで誤魔化されているのかもしれない。
いろいろなところで誤魔化しているのかもしれない。


私は私以外のものに対して、本当に誠実ですか?
私は私以外のものを、ちゃんと見ていますか?



2005年02月19日(土)


10年の歳月、といわれ
体感として一瞬の出来事のように感じる人は多い。

これから10年といわれ、短いと思う人は少ない。

10年前を思い出し、あっという間だったという人は多い。
しかし、この言葉をもう少し、ちゃんと言うと
「10年という長い月日にも関わらず、あっという間だった」だ。

要するに、10年という時間を短いものだと思う人は少ない。


例えばの話である。実例ではなく。
私利私欲のために殺人を犯した人が
10年で出所してきたといわれたら
あるいは、10年の求刑、判決だったとしたら。
私は短いと感じる。

人の一生。
例えば余命が残り20年程度であったとしても。
それを奪ったにもかかわらず
償いが10年だったら許せないだろう。
そしてその周囲の人間に
その事実を背負わせ、一生を過ごさせる。

それだけのことが、10年という服役で
償われるというのは納得がいかない。
そういう事である。

そう考える人は、多分私だけではない。

結局、行き着く先は
「目には目を、歯には歯を」
なのではないだろうか、と。
更には倍返し。

実際問題ではなく、感情の上では
そのくらいの罰を望む、そういうことだ。

それが感情論であるならば
何故法との矛盾が生じてくるのか、と。

国家は人の集合体である。
ならば、人の意思、感情によって構成はされないのだろうか?
人の感情と異なったところに法が、何故存在するのか。

まぁ冤罪云々のせいなのかもしれないが。
こういうところから、犯罪者の人権が保障され―――。

国家というのは人から生まれ
人の手を離れ、自我を持ち、個人を喰らう。

あるいは、こういうものを
リヴァイアサンと呼んだのだろうか?



2005年02月18日(金)


探偵小説というわけでもないけれど。

例えば、人類が滅亡して建物や家具だけが世界に残っているとします。
絵とか写真は一切残って居ません。
そんなありえない状況での話しですが……。

例えば、地球外から知的生命体がやってきて
建物を、家具を見たとき
私達の体がどういうものか連想出来るでしょうか?

靴が残っていれば、二足歩行かもしれないと連想できるかも。
手袋があれば指が五本と分かるかもしれないし
手が2つというのも分かるかもしれない。
服があれば―――というと簡単かもしれないので
そういうのもなしにして、と。

例えばイスの存在から立つと座るということが連想できないか。
人の身長が連想できないか。
エアコンが高いところについているが
スイッチは本体についていない。
身長はそれ以下だろう。
ドアノブの位置や形から
移動とは別な何かがあるだろう。

……と、色々連想していって
人の形にたどりつけるものでしょうか。

唐突にそんな疑問を抱いた日。



2005年02月17日(木)

別にライブドアが好きだとかそういうことはない。
堀江社長もあまり好きではないし。

ただ、今回の
フジテレビとライブドアのニッポン放送についての
構図は面白いな、と思う。

世界規模ネットワークの到来にあわせて
マスコミの存在意義がもっと薄れるのではないか、と。
多分、そんな風に考えていた人も
少なからずいたんじゃなかろうか?

けど、情報化の大規模ネットワークがもたらしたものは
実際のところ、個人の得られる情報量が
尋常ではない多さになったことと
意見の交換の場、他人の意見を見ることのできる場が
格段に増えたというあたりだろう。

相変わらずマスコミの存在は強いように思う。
それでも、ネットでは最近はブログのように
様々な情報のやり取りの形も生まれている。

そんな中で
今回のようなことは、従来の情報提供者と
これから主流を担おうとする情報提供者との
戦いのように思えて、ちょっと興味を持って見守っている。


将来性だけで問うなら、私自身は
ネットワークのほうに分があるとおもう。

でも一方で、日本を動かしているのは
政治家に代表されるような古い人たちで
彼らは企業に求めるものは発展性よりは信頼性であろう。

さてどうなることやら。


ところで、名刺。
今日、学校でもらったんですけど
貰い方が悪かったと教授に怒られた。

片手間に、片手で、いい加減に貰ったわけですが
考えてみれば社会常識がなかったんだなぁ、と。
実際、そういう常識を学ぶ機会はなかったですし。
まぁ、今後は改善していくとして……。

しかし、こういう形式はどうにも馬鹿馬鹿しく思うのは
まだ私が若いせいなのか。
手紙でもそうだけど……。

ただ少し思い返せば……堀江社長の感じは好きじゃないし
傍から見てると、美しさに欠けるって事なのかもしれない。



2005年02月16日(水)


色々無駄にしてるけど
知っているけどこれからも無駄、するんだろう。

後になって〜出来たのにと思うだろうけど
今やらないんだから本当にやりたいことじゃないんだろう。



2005年02月15日(火)

大阪府寝屋川市の市立中央小学校で、
教諭の鴨崎満明さんら教職員3人が殺傷された事件。

テレビのニュースでもよく取り上げられている。

事件の内容を伝えるだけではなく
昔の池田小学校だったろうか、児童が殺傷された事件以来
問われ続けてきた学校の防犯について良く語られる。

しかし、ふと思う。

確かに、今回進入を防げなかったという点などについて
色々検討すべきこともあるだろう。
だけど、児童に怪我人が出なかったというのは
成果なのではないだろうか?

もちろん、今回亡くなった方のことや
ご遺族の方達のことを考えると
とても痛ましく思う。

だが、池田小学校以来、問われてきたのは
子供の安全であって教諭の安全ではなかったのではないだろうか?

PTAの地域見回りでもいい。
仮に不審者がいて、それを取り押さえようとしたなら
そのPTAの大人に当然危険が及ぶ。
だけど、そのことについては
今までの取り組みで考えてこられなかった。
少なくともその対処法を聞いたことはない。

完全無欠の空間を作ることなんか出来ないから
見回り等を計画しているのに
見回りの人間に被害があったからといって
それが学校の防犯の失敗とし
あれこれ大きく議論するのは
何か過大な期待をしすぎている気がしてならないのだ。

そういう意味で、今回の事件は
今までの防犯の取り組みとしては『成功』になるのではないか。
子供に害がなかったのだから。
(精神面の話は別として)
『失敗』があったとすれば
それは子供を保護する人間に対する
安全の配慮が足りていなかったということだ。
今までの取り組みに失敗の烙印を押されるのは
子供に被害があった場合でなければおかしい。

もし、日本で銃を売買できたのなら……
あるいは防弾チョッキなどを
このような場合を身に着けるというような
マニュアルが作成されていたのではないか。

だから、今テレビ等で議論されている多くの内容は的外れであり
今までの仕組みが問題だったわけではない。
考慮していなかった部分が問題なのだ、と。

結局警備員でも置くのが一番分かりやすい方法なのだけど
お金がないのが問題。
結局はそれが全てなのだけど
ほとんどの場合、その事に触れられはしない。

だから、空回り。



2005年02月14日(月)


やっぱり就職となると迷います。

色々やってみたい分野はあるものの
そのうちの一つについて。

要するにIT関係の仕事なんですが
平均継続雇用年数……だったかな?
これは数年っていうのが普通なんですよね。

正直、そういう話を聞く機会は多かったし
そういうものだと分かっていても
いざ自分が……となるとコレで結構しり込みしてしまう。

働くという形で考えたとき
きっとこういうのは自然なんだろうな、と思いながらも
頭のどこかで終身雇用に期待する自分が居るわけです。

結局、環境が変わるのが好きじゃないんですよね。
まぁ、実際問題転勤やらって言う事もあるし
ずっと同じじゃ居られないんですけど。

周りが変わらないことで
自分も変わらない気分に浸ることが出来ると
錯覚してるのかなぁ……。

時間の中に生きていると認識したとき、
最近、焦燥感を感じるようになってきたんです。
『あれから何年』という言葉が
多くのことについてその意味を持つようになって
これからますます多くなっていく。

……本当の意味で
残りの時間を楽しむのであれば
数多の転職は一つの道なんだと思います。
可能性と視野、自分の世界を広げられるわけですから。

なんか変なところで矛盾がでてるような……。



2005年02月13日(日)


It's a small world.
小さな世界っと。

世界でも、社会でもいいんです、この際。

例えば、ロード・オブ・ザ・リングでもいいし
ハリーポッターでもいい。
スーパーマリオでもいいし
シンデレラでもいい。

その中で、確かに世界が存在しています。
現実の世界とは違う、世界です。

焦点を当てているところ以外は見えないけれど
それ以外のところにも世界があって人が居る。
そんな風に考えることは誰だって出来るわけです。

現実の場合は
地球の裏側に多分人が居るでしょう。
海だったら魚でもいいです。
そこに確かに世界が存在します。

話の中や、空想の中での見えない世界と
現実の見えない世界。
それぞれの違いは明白。
しかし、捕らえ方によってはどちらも
世界として存在しているわけです。

空想の世界の便利なところは
自分で拡張できることです。
その世界が居心地よければ
自分で見えない部分を作ってあげればいい。

ふと、こんな風にして作られた世界が
ピーターパンに出てくるネバーランドの
原型の一つなのかなぁ、とも。
作者が誰かも知りませんが。

まぁ、それはそれとして
居心地の良い世界を自分で拡張できるからといって
そこにとどまり続けていてはいけない、と。

精神は幸せになれるかもしれないけれど
肉体が幸せになれないですから。

それぞれを幸せに出来たら
それは素晴らしいことですよね。



2005年02月12日(土)

子供を見ました。
1歳……くらいかなぁ?

指をしゃぶっていまして、可愛かったです。

ふと、なぜしゃぶるという行為が
子供の共通の行動としてあるのか?
そんなことが頭によぎりました。

しゃぶる→唾液。
と、この関係が頭に浮かんだので……。

http://www.drymouth.jp/daeki-info.htm
調べてみるとこういうサイトがありました。
唾液というのは、殺菌作用等
人として生きるのには欠かせない効能を持っています。
ところが、赤ちゃんというのは
まだ歯が生え揃っていなかったりしているため
唾液の分泌の機会が少ないのではないかと考えられるわけです。
(食事の機会とかね。租借をすることが少ないし)

そこで、おしゃぶりをするのではないでしょうか?

口に何かを含むと、唾液が分泌されるわけですから
子供が自衛のために、指をしゃぶっているのではないか、と。

……考えすぎでしょうかね?



2005年02月11日(金)

どこをどう、読み違えたのか。
弓術を豆腐と読み間違えたわけで……。
弓と豆の字が少し似てるからかな。
とりあえずそういう経緯で豆腐について。

目の前に豆腐。
貴方ならどうする?

醤油、薬味。

まぁいいでしょう。
でも私、そのまま食べるの好きなんですよ。
何もかけずに。
んで、何もかけずに食べると
時々変な顔されるわけです。

そーいえば、私の大好きなものに『節分豆』があるんです。
砂糖まぶしたようなやつもあるんですが
普通に鬼は外〜ってあの豆が大好きなんです。
これまた、そういうと変な顔されたりと。
美味しいよね、と同意してくれはするんですが
大好きだ〜って感じじゃない。

豆腐も節分豆も大豆って事考えると
どうやら大豆の旨みが好きらしい、と。

それはそれとして、豆腐……
ミョウガを薬味にするのは格別ですが
オカカはあまり好きじゃないです。

まぁ豆腐にかかわらずオカカを何かに使うのは
あまり好きじゃないんですけどね。

そういうわけで、
今回は弓術を豆腐と読み間違えた一件についてのレポートでした。



2005年02月09日(水)

色々とあるだろうけれど

一つの問題は集合を一つと認識することにあるんだと思う。


何でもいいですが……
例えば自転車はハンドルやサドルやパイプや……
それらの集合を総合して自転車と呼んでいます。
自転車そのものがどれであるのかも分からずに。

例えば人間。
山田さんという人が居たとして
私が山田さんを指したとき、
それは山田さんの胴体を指しているかもしれないし
皮膚を指しているかもしれない。
それらの集合が山田さんで、
山田さん『そのもの』は一体どこなのか分からない。

例えば『1』
一つの文字に見えるけれど
小さなドットの集合。
たまたまこの形にみえる物を1と呼ぶだけであって
結局1と認識されるそのものがどこにあるのか良く分からない。

もっと小さくすれば分子の集合だし
更に細かくすれば原子
中性子や電子……
どんどん小さくなっていく。

大きくすれば地球でもいい。
いろんなものが新しく作られ壊され、無くなって、生まれて。
でも地球は地球。
個別を指して地球とは言えないけれど
家の中にいて地球を指せといわれても難しい。
でも地球の上にいる。


民族でも、町でも、種、群れでも
結局集まりを一つのものとして認識してるから
その感じ方に違いがあると隔たりが生じてしまう。

だから誤解が生じるし
問題が起こるし
色々あるわけです。

自虐的な趣味の持ち主でもなければ
好んで体を傷つけない。
戦時下、思想の違いでもなければ
自分の国を傷つけるようなことはしない。
でも、人間って種の中では傷つけあう。


だから、全ての原因は
集合を一つと認識することにあるんじゃないのかなぁ……。



もし、これを話にして、私がオチを書くなら。

最後は集合を元(集合を構成する要素)に分解するんでしょうね。
存在する全てのものが、それをそれ以外と認識できないくらい。
一番小さいものに全てを分解してそれで終わるわけです。
それで全ての問題が無くなる。

あるいは全てを統合します。
原子の集合を一つの物として認識するように。
それ以下では物を認識しない。
次はAという金属とBという金属を
金属というもので統合。
金属は金属であって、AもBも認識しない。
そうやって最後は全てが一つになります。
それで全ての問題がなくなる。

……なんかどっちもハッピーエンドじゃないような。
って事は問題があるから幸せなんですね、私達。



2005年02月08日(火)

なんか連日変なことばかり書いているような。

ちなみに今AM5:00
多少おかしなテンションは許容してもらえるよね、きっと。


んでまぁ。
生物にとって結婚ってシステムは
自然なんだろうかと考えさせられる。

初恋があって、次にだれか好きになって
以下続く。

年の頃合、もしかしたら結婚。
それ以降はその人とずっと歩む。

結婚しなければおそらく別の人と。
新しい人を好きになるでしょう、いつか。

結婚っていう区切りをつけてしまうことで
それ以降、伴侶以上に好きになってしまう人が居ることは
背徳とされる世界。

まぁ一方通行だったら(片思いだったら)いわなきゃばれないし
あるのかも分かりませんが
相思相愛になったら不倫になりますし。多分。

結婚してなきゃ他に好きな人が
結婚したらそういう人は出来ない。

そんな都合のいい生き物でもないような気がするんですよね、
人って。

再婚とかそういう言葉も含めて。

もっとも、実際には夫婦は生涯つれそう事が多いわけですが
好きというより義務という側面が強いのではないか、とか。
もちろん好きは好きなんでしょうが
そういう気持より他のものが強くなっていくんじゃないかと。

なんか悲観的なんですけど……
いや、悲観的でもないのかな。
うん、好きだとかそういうことよりもっと価値のある
何かがあるのかも。
それなら悲観的じゃない。
良く分からないけど。

お見合いやらなんやらって言葉は置いておいて
好きあっている=結婚
みたいな方程式が頭の中に残ってるから
融通が利かないんですね、多分。

ただ、やっぱり思うんですよ。
結婚というシステムは
『不自然』なんじゃなかろうかと。

極端に言えば人そのものが自然からかけ離れているともいえますけどね。



2005年02月07日(月)

寝るとき。
とても恐かった。


一日中、バカみたいなことやってて
頭がすごい疲れてたせいだとおもうけど。

いつか年取って。
死ぬんだってことを現実のこととして感じたら
すごい恐くなってどうにもならなかった。
今考えてる自分が消滅するんだって思ったら
泣きたくなったり、吐きたくなったり。

時々こういうことはあるんですけど
久しぶりに大きい波がきたいみたいで
今もそれを考えると胸のあたりがなんかきついです。

一瞬、ベランダから飛び降りたら……
とかも考えてみたりしましたが
(まぁこの手のものはまず実行しないので安心ですが)
妙なもので―――

死ぬのが怖いくせに、死んでしまいたいと思うような。
要するにはやく『死』という恐怖から
開放されたいんだと思うんですが……。

例えば80歳まで生きられたとしたら
後、50年以上はあるわけです、人生が。
50年、死ぬって恐怖と向き合わないといけない。
四六時中考えてたら気が狂っちゃうでしょうね、多分。

唐突な事故死って言うのを連想することはあります。
でもあまり恐くない。
多分現実のものとして理解できないからでしょうね。

ついでに即死であれば理解する間もないですから。


そもそも何が怖いのか良く分からないんですよ。
だから怖いんです。
というか、これって恐いって気持で合ってるのでしょうか。
なんか自信がなくなってきた。

……まぁ、こんなこと書いてますが
相変わらずのんびり無駄な時間を過ごしている訳で。
内容としては何気なく書くには不謹慎なのかもしれないけど
事実として恐怖を感じてるわけですから。

ちなみに私は今日も元気です。



2005年02月06日(日)


物語ってなんなのでしょうか?


困ったことに、出来事の無い日常だけを書いても
それはきっと何の面白みも無いものでしょう。

熱いお風呂に入った後のぬるま湯は冷たく感じ
雪の吹雪くあと触れるぬるま湯は暖かく感じる。

甘いケーキばかり食べてれば
すこしすっぱめのみかんをすっぱく感じるし
カレーの後のみかんは甘く感じるかもしれません。

作品に起伏を与えるために、私達がすることは
何のことは無い、
自分達が生み出した『子供』達を一度不幸にすることです。

結果的に乗り越えられればいい。
様々なジャンルが存在するでしょう、が
多くはハッピーエンド。

結果的に味わう不幸は幸福のスパイスでしかない、と。

それで良いんですけどね。
何の問題もないはずだし
そうあるべきなのでしょうが……。

でも。

自分に『人』の一生を左右させる力があって
その人の幸福のためには一度不幸にさせたほうがいい。

そんな事をする私達は一体何者なのでしょうか?


最終的にはその作品を見る人が
何かを感じることが目的であり
登場人物はそのための手段でしかありません。

道具として利用するために『彼ら』を生み出し
自分のいいように操る。

何か創作物を作るという上で
前提になるようなことに何を言っても仕方ないのですが……
それでも唐突に業(ごう)が深いんだな、と。


創作物の登場人物はあくまでも架空の人物です。
漫画だっていい、100ページ目で死んじゃった人も
10ページ前をみればまだ生きてます。

そういう意味では
『その世界』の時間軸を自由に行き来できてしまうんですね。
良く考えてみれば。
自分達の世界の時間軸を自由に動けるなんて
そう考えればとんでもないことなのに。
へんなの。



2005年02月03日(木)

頭で考えるっていうのは
思ったよりも中身の無いものなんですよね。

実際言葉にしてしまえば
(言葉じゃなくてもいいけど)
浅いものになってしまう。

それがあたかもすごく思えるのは
曖昧さをすべて取り込んでいるからなのだろう。

何度も繰り返し
〜かもしれない、〜だったら、〜ならば。
そういう不確定要素が全て一つのパッケージの中に
収まっているのから
実際に形にするまでは素晴らしく思える。

形に出来ることが何よりすごいと思えるのは
そういうものにかかる労力故、なんだろうね。


ところで最近寒波がすごいらしいので。
とりあえずベランダにバケツを置いてみる。
水をいれて。

久しぶりに氷でも見てみたいなっと。

なんでそんなことやるのかと聞かれたりしたけど
突発的にこういうことやりたくなりますよね?

でも残念ながら二日連続で失敗。
思ったより寒くないらしい。

次の寒波はいつだー。



2005年02月02日(水)

プログラミングをやっていると
自分の脳の構造がプログラムに適していない構成だな、
と思う事があります。

多分、この種のものは
経験によりある程度変わってくるのでしょう。
考え方というものですが。

プログラムに適した考え方というのがあるのだと思うわけです。
適してないからエラーが沢山出ると。

もし、プログラムを書くときに
どういう構造にすれば良いか
経験もほとんどなしに直感的に理解して
さまざまなケースを瞬時に把握できれば
その人を天才と呼ぶのでしょう。

多分、世界見れば天才って沢山いると思います。
でも、結構埋もれちゃってますよね。

テレビとかそういう情報がある世の中、
ところがそういう天才が取り上げられることがあまり無い。

その人が歴史に残るか残らないかは、
後世の人にしかわからないから
リアルタイムでこの人はすごい、と断定するのは
難しいのでしょうが……。

各分野が専門的になりすぎた今、現代は
あるいは天才にとって不幸なのかもしれません。



2005年02月01日(火)

抽象的。

分かっててやるなら、それはきっと意味のある物なんだろう。
しっかり言うのが(描くのが)嫌で
結果としてみる人間にとって抽象的になってしまうなら
それはまったく意味を持たずに、ただ有害無益な物なのだろう。

こうやって、公開している以上
読み手に対して分かりやすく書くことが必要。

決まりがあるわけじゃないんですけれどね。
分かりやすく書かなければならないっていう。

実際私もそう思います。
こういう日記に限らず
ホームページなどで自分が公開しているものは
あくまで自分の趣味なのだから。
他人にケチをつけられるいわれはない。

でも少し考えると、ちょっとだけ変なんですよね。

それなら、何故公開しているのかが分からない、と。


分かってくれる人だけ、分かってくれればいい。
言い方を少し変えていけば
いかにもそれっぽい、あるいはカッコいい言い方になるかも。

でも結局、それは自分の表現の手抜き……
あるいは読み手に対しても、自分に対しても
無責任なもの羅列でしかないわけです。

分かりやすい公開っていうのは
ネットマナー、ネチケットに相当するものなのでしょうか?


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加