20年近く続けてきた水泳を とりあえず区切りつけてきた。 最近なかなか行けなかったから。
習慣のようになっていたものを 習慣でなくしてしまった時点で 大切な何かの大半は失っていたんだろうな、と。
とはいえ、明確に終わりをつける ……なんだ、俺、まだ泣けるじゃん。
女性の下着がチラリと見えたりすると えっちーって感じなんですが。
そういう前提で、今日テレビ見てたんですよね。 ニュース。フランスかどこかで ランジェリー・ショーとかがあったらしい。 モデルさんが下着姿で闊歩したりと。 でもなぜか、あーいうのはえっちーって感じじゃないんですよね。
場所が場所だけに、オシャレな下着が沢山あるんでしょうし 着ている人が人だけに、奇麗って事でまとまっているというか。
まぁ下着に限らず、奇麗な人のヌード写真集は やっぱり女体の美しさって部分で 芸術って意味合いが大きいし……。
絵画じゃ裸婦っていうのはよくあるテーマわけで。 そういうことなんでしょうかね。
人体って言うのは、やっぱり奇麗なんですよ。 男性女性に限らず。 人間だから奇麗だと思うのか、その辺はわからないけど。 直線や、平面じゃありえない 滑らかな美しさといいますか。
ふつーに生活してるとその体に余計な付加が加わるので あまり奇麗だとも思わないですけどね。
猿の惑星とか見て。
タイムマシンでもいいのです。 過去にいったとする。 未来でもいい。 別の惑星でもいい。
そういう今居るところとはまったく違うところに飛ばされたとき 理工系の人間のクセに何かを作る技術がない。 そう考えると切なくなる。
例えば、パーツがあればパソコン組めるでしょう。 部品があれば、機械も作れるかもしれない。 あるいはそういう知識をつける機会は これからもあるかもしれない。
でも、0から作れるか? あるいは一つ一つを作るための理論、理屈を ちゃんと説明できるかといわれると、無理なんですよ。
そう考えると 手元にある知識や技術が、ものすごく虚空に思えてくるんです。
私の持っているものは土台が存在するわけです。 知識でも技術でも。 その土台が無ければ……何も出来ない。 土台の上っていう限られた場所だけの技術。 他の世界に飛ばされたら、 それはまったくの無力なんだなと思うと ちょっと悲しくなるのです。
他のたとえだと…… ジグソーパズルを作る事はできるけど ジグソーパズルの紙のつくり方がわからない、みたいな感じかな?
最近は気づくと目覚ましを遅らせてまた布団にはいってます。
光と闇。 よくある言葉ではあります。
人は光を好むけれど 寝るときには目を閉じる。 暗くないと眠れない。
例えば目を瞑るのは見えなくなってるわけじゃない。 まぶたにより光をさえぎられているだけなのに。 脳はその時点で目からの情報を遮断してます。 結果として眠れるのでしょう。
どうして光に良いイメージがあり、 闇に悪いイメージがあるのか。
眠りが死を連想させるから、そんな事なのかな?
私の小さい頃から ヒーロー戦隊みたいのがあったわけです。 最近(?)はアバレンジャーとか言う名前だったり、と。 うつらうつらとしながら何となく思い出し 私だったらなんて付けるかな、と。
……因果戦隊・カンレンジャー。 ゴメンナサイ、センスないです。 柑橘戦隊・オレンジャーってのも考えた。 ……やっぱりダメだと思いました。
眠いときってよく分からない行動とるんですよね。 今日は一度で目覚めようと思ってたのに 起きるときに 「今日は右を向いて寝てるから、私は女性だ。 だから今日は起きなくていいだろう……」 とか訳の分からないことを考えて結局寝坊。
普通ですよね? ……普通だよね、きっと。
昨日は珍しく早く眠りまして。 と、言っても午前1時。 この時間を早いという生活はどこかおかしいのかもしれません。
暗くなれば眠り 明るくなれば起きる。
当たり前のように聞こえるけれど もはや当たり前のことではない。 人としての本能に逆らってしまったなら 一体、人は何に成るのでしょうか?
私は、絶対的には幸福で 相対的にも幸福だと思う。
でも、絶対的に不幸で 相対的に幸福な人もいるし 絶対的に幸福で 相対的に不幸な人もいる。
絶対的は個人の感じる幸福、不幸福。 相対的は日本人、あるいは全人類を幸福順に 並べたときの自分の順位。
実は絶対的と相対的の意味が違うよーな気がしますが 気持の上では間違ってない気がするのでまぁいいでしょう。
いえ、こんなこと書いたのは 掲示板なんかで余命宣告されたとか言う話が 書き込まれていたからなんですけどね。 それが事実かどうかはたいした問題ではなく 実際にそういうことがあるということが問題で。
トイレに飾られた世界地図(のカレンダー)見てて、思うのです。 確かに、同じ時刻、世界のどっかで、 誰かが、何かをしているんだな、と。 当たり前なんですけどね。 当たり前で現実であるはずなのに 全然現実のこととして捉えることが出来ないのが 不思議でしょうがない。
ちなみに昨日の問題の答えは以下です(反転してください) 8÷(3-8÷3)
ところで夢を見ました。 ……犯罪犯してつかまる夢。 刑務所行っても住めば都、じゃないけど 全然恐怖心が無かったのが夢とはいえ、怖い。 素面のときに、つかまるとか言われたら当然恐いのですが…… 夢ってそういう恐怖心もないんだっけ?
それで起きたら今度は足の親指が痛い。 今も痛い。 爪の外側辺りがずきずきと。 むーん。
ところでブラザー。 聞いておきたい事がある。 ウィッグとヘアピースの違いってなんなんだ。 結構気になるんですがどこ調べればいいのやら。
水泳に行って泳いできたら、足をつりました。 筋がビーンとなるんですよね、あれ。 常に筋肉に変な風に力がはいったような……。 んで、ふと。 全身筋肉痛になれば 力こぶなんて問題にならないほど ムキムキカチカチな肉体を手に入れられる! ……わけありませんよね。
そもそも腹筋をつったりすることないですからねぇ。 今度メカニズムでも調べてみようかな?
さて、結局教育指導要領、というか…… ゆとり教育が間違っていた、と文部科学省が 実質認めたわけですが。
結局責任を取る人間はいないということでしょうか。 見直しまでに3年。 学力空白の世代。 文科省の人間にとってはただの数字であり たった一度の人生を狂わせて誰も責任を取ること、 ないのでしょうか?
そうそう、 どこかの小説に載っているそうですが 8,8,3,3を四則演算(+、-、×、÷)を使って 24を作るとかいう問題があるそうです。 暇な人はやってみてはいかがでしょう?
NHKと朝日新聞が 放送の内容に政治介入があった、無かったで 争っていますね。
どちらの事実が真実かどうかは知らないけれど 政治家が自己弁護すると 逆に怪しく見えるのはやはり日ごろの行いのせいなのか。
元々政治家は言葉に命をかけるべきなんですよね。 なのに最近はどうもいい加減な言葉が多い。 ……言葉に対する責任が多いから、それ故に どうしても逃げ腰になる、ってことなんですけど。
まぁ実は社会的地位を放棄してまで 保身以外の事に精力を注ぐなんて芸当は 普通の人には出来るはずもなく。 彼らのあり方は日本人としては ありきたりの行動でしかないわけですよ。
それでも政治家の保身行動に あまり感心しないのは 政治家としての良心にどこか期待してるからなのかなぁ……。
働いている人間からしてみれば そんな期待は冗談じゃない、というような事がよくありますよね。 ~という職だから~くらいはしろ、と。 でも当事者達にとっては そんなことまで知るか!って叫びたくなる。
第三者から見れば、好きで(好きでじゃないかもしれないけど) とりあえずは自分で選んだ職なんだから そのくらいやれ、と。
そうやって社会は持ちつもたれつなんでしょうね。
少し見方変えれば親が子に対するモノだって同じなんですよ。 高校からは義務教育じゃない。 好きで学校行っているはずなのに、何故勉強しないのか、と。
やはりどこか自分を棚上げして、他人に強要させる 自分の姿があるはずなんですよね。
そのこと自体は間違えていないのですが。 現実ばかりをみて理想を語れないのは進歩が無いだろうし 自分に出来ることばかりを他人に強要していては 相手は自分を超える可能性がほとんど出来なくなってしまう。
これを自分勝手ととるか、前向きに捕らえるか。 どこに境界があるのかな。
『バカの壁』 の、冒頭を少し眺めてみる。
この人、馬鹿じゃねぇ! 裏切られた気がします。 もっとバカなことを山ほど書いてあると思っていました。 例えば 人間の耳は4つあるべきだとか (音源やらが分かりにくいし) 人間の目は進化においてただの障害であるだとか (前方しか見えず、距離もたいした事ないし) やがて人はハゲばかりになるだろうとか (毛によって身を守る必要がなくなるし)
……そんなくだらないことばっかり 真剣に書いてある本だとばかり思ってました。
普通に納得させられてしまいそうな内容ばっかりじゃないですか。 これはこれで面白いかもしれませんけど。
それはそれとして何となくテレビ見てて そろそろ宮崎駿さん、 気球あたりをテーマにして作品でも作ってくれないかなーと。 唐突に思った一日。
人というのはなかなかどうして…… 意味の反する言葉をどちらも使いたがるものだ。
運命と分岐。
運命も分岐も、道という言葉を使い人生を表すのに 良く使われる言葉なんですよ。 両者の違いは運命が一本道なのに対して 分岐は人生の選択を表したもの。
一つ一つを自分で選択したという場合には分岐 道があらかじめ決まっているときには運命。 前者を使い人生を説明する人が多い反面、 運命という言葉も数え切れないほど聞いてきたわけです。 意味が随分違うはずなんですけどね。 同時には並べて語られないものの 同じ人間からこの二つの言葉を聴くことは少なくない、と。
まぁ両者に共通する部分もあるんですけど。 自分より、自分の人生において優位に立つものが居る。
運命なら、神様が道を定めているし 分岐にしたって、『道』というのは 誰か先人(神)がいてこそ出来ているわけなのだから。 進んでいる人はまだその先が見えないけれど 道を作った誰かには、それがどこに続いているか分かっている。
……簡単に人生を道にたとえるけれど それは少し悔しくはないだろうか?
誰かが進んだ、誰かが作った道を歩いている。
意味の上で、誰かを諭すとき それは道という言葉ではなく、開墾・開拓として 説明するべきなんじゃないのかなぁ?
自分で道を作ったほうが良いといってるわけでしょ。 まぁ「自分で道を切り開け」って言葉も聞きますけど。
極端な話、ゲームみたいなもんなんですよ。 少なくとも私は「○○の人生・大攻略!」 みたいな本や記事があったら嫌です。 先が分かってたら、こういうものが作られる可能性あるわけでしょ。
あらゆる可能性をシミュレートして その結果を記す。 当事者にしてみれば 間違いの少ない人生を選べるわけですが 先が見えているのも大成、失敗に関わらず面白くないかなと。
人生をあらわすなら、それこそ 『一寸先は闇』 が、もっとも近いのかもしれないね。
聞くも涙、語るも涙……か、どうかは分かりませんが。
土曜日、テストが3教科あったのですよ。 けど朝おきたら気持悪い。 きっとお腹がすいてるせいだろうと思い 一応薬を飲んで電車に乗る。 ……特急電車って素晴らしい。 全然とまらないから気持悪くても降りるに降りられませんでした。
結局目的の駅までついたらしばらくベンチのあたりで 気分落ち着けるまで歩けませんでした。
が、テストに遅刻するわけにもいかず 気合を振り絞って会場へ。
ひたすら辛い。 頭がウネウネ、吐き気もするし。 それでも最初の教科は乗り切ったのですが 2教科めからは足が痛くなってきて 3教科めまでの間に一時間の休憩があったのですが 寝るに寝れない、動きたくない、下半身は痛いと……。
オマケにその一時間で写そうと思ってた教科書は忘れるし。 (ノートは持ち込み可) しかもテストで写そうと思ってたところが出てるし。 (何となく見るだけは見てた。内容はさっぱりだったけど)
とはいえ、テストで集中してるときは何とか耐えられるんですよ。 手持ち無沙汰になったとたん、悲惨です。 帰ってから検温したら38.2℃でしたね。 ちょいと高め。
まぁ無事帰ってこれたのですが、今日もテスト、と。 ぐっすり眠ったおかげで何とか復調してきましたが ノートを書こうと思ってたのがほとんどできず 今日のテストも教科書わすれて おまけにかろうじてノートしていたところが 全然役に立たなかったなぁ。
頭はやっぱり少し痛いし、気分も悪いし。
久しぶりになかなか辛い体験でした。 いい経験になったけど。 社会人になるとはこういうことなのでしょうね。
そういえば最近、白髪が増えたのですよ。 鼻毛の。 頭の白髪はほとんど出ないのですが 鼻毛の白髪が結構でてるってミステリー。 まさかすね毛とかって白髪になりませんよねぇ? ちょっとどきどき。
NHKの番組の内容に関して政治的介入が あったんじゃないのだろうか、とか。 そんなニュースが少しあります。
そんな内容を記憶していたのだが 今日のニュースでNHKが否定していました。 政治家さんの方も否定してたのかな。
放送料が不正に使われていたりと そういう状況下で騒がれている現状。 もしもこの報道が嘘であったなら NHKは致命的な打撃をうけるだろうなーと。
まぁ介入があったかなかったかについては どちらの言い分を信用するってわけでもないですけどね。 実家にいるので放送料についてもあまり関心が無かったし。
ただ、NHKは結構良く見てるので ちゃんとした調査の結果を出して欲しいな、と。
ところで、電車の中で考えたのですが お腹が痛いとき、貴方はどうしますか?
というか、私はお腹をさすります。 これが問題。 痛いところをさするという動作は 結構一般的ですが 具体的にさするという行為はどのような意味があるのでしょうか? 怪我をした所をさすれば、 擦れて痛いです。 内部からの痛みであるならば、 おそらくさすることに意味は無いでしょう。
では一体、さするという行為に何の意味があるのでしょう。
まぁ、おそらく温もりですね。 お腹が痛いとき、お腹があったまると 何となく楽になった気がします。 まさに気休めというのにふさわしいと思うのですが……。
でもまぁ、病は気からと昔から言うくらいだし 気持が大切なのは今更感がありますけどね。
しかし……本当に医学的な効果ないのかなぁ? さするということに。
関東。 明後日、明々後日はどうやらセンター試験。 明日は大学の方が準備あるらしい。
私は明日から4日連続で試験。 まぁこの際それはどうでもいい。
センターの時は良く雪が降る(ような気がする)。 二度目のセンター試験受けたときは雪でした。 その翌年か翌々年も雪だったような。 今年のセンターも雪が降る可能性があるみたい。
受験生に影響が出ないといいですけどね。
最近自分が勉強、梳きなのか嫌いなのか良く分からない。 嫌いじゃないけど、現実逃避はしたくなるし。 就職の時期は自己を見つめなおすいい機会なんだろうけど。
色々矛盾やらを抱えているようなつもりでも おそらく何度やっても同じような行動をとるでしょう。 そーなるとそれは矛盾じゃなくて 当然の行為って事になるんでしょう。
しかし、自分の動作全部に理由つけたら すごいつまらないと思うんですが、どうでしょうかね。
奈良の小学生殺人事件。 いわゆるロリコンの犯罪だったようですが……。
さて、と。 ロリータ・コンプレックスというような異常性愛。 何が異常なのかなーと少し考えてみる。
子猫とか、猫とか。 犬とか、パンダとか。動物とか。 これらを可愛いと思う人は多いわけです。 子供を見たとき、可愛いね、というのは おそらくこの可愛いと同列に並ぶものではないかと。
その可愛いに対して欲情してるわけですから 異常と呼ばれる一面もあるのかな、と。
まぁ、もっと他に色々要素があるでしょうし 上に書いたようなことが正しいとしても そんなに大きな要素としては認識されないでしょうが。
犯罪者云々はともかくとして ジャンル、言葉としてロリータコンプレックスが確立している以上 何か本質的なところで見落としがあるのではないかと思います。
要するに、この様な性癖を持つ人を『異常』とひとくくりしたり 特定のジャンルを好む人達、というような分け方をするのではなく 多くの人間がこういう要素を内包しているのではないかと 疑い、根本的な改善を模索することが必要なのでは、と。
結局この辺は社会風潮そのものの話だから…… どうしたものなんでしょうね?
腕がね?なんかね、ビリビリ痺れるのですよ。 右腕がぴりぴりと。 肩こりかと思って揉んでもらったけどこってないって言うよ。 ……原因不明とか一番いやです。
初めてのことじゃないので またか……という感じですけどね。
成人式に暴れる成人が……と、今年も報道していました。 事実として、暴れる人はいるんでしょうが 報道がその行為に拍車をかけている部分もあるのでは、と。 目立ちたいからバカをやる、 そんな風潮があるような気がしまして。
バカ(騒ぎ)という事で考えると テレビの影響はやっぱり大きいわけで……。 年末、カウントダウンのテレビや、年越しライブやら、特番。 人気の歌手グループ(アーティストとは言いたくない)が 意味も無く騒ぎ立てる姿をみて 今頃渋谷で新年なんとかで騒ぎ、叫んでる若者は こういうところから派生していくんだろうなーっと。
と、どうもタレント達がバカみたいに騒ぐ行為を 卑下しているような書き方になってしまいますが 意味も無く騒ぐ行為そのものは、 テレビの中では大切だとは思いますよ。
特に『災』が去年の一文字に選ばれるような状況、 年末、最後の最後には津波で悲惨な状況です。 新年というお祭り気分を盛り上げる人たちは 確かに必要なんです。 義務や、仕事という意味で騒ぎ立てているのかどうかは知りませんが とりあえず明るく振舞えるのはすごいですし。
ただ、そういう箱(テレビ)の中の行為が 現実に飛び火するとちょいと迷惑かなとは思います。 やっぱり、基本的にはテレビの中は フィクションなんですよね。
そういうのが曖昧になってるから ニュースのような事実を伝える情報は 現実のものとして捉えにくくなるし、 冗談と本気の区別をつけることの出来ない人が増えるわけです。
しかし、『成人』式なんですから 成人らしく厳しく逮捕やらしてもいいような気がしますが そうはならないのでしょうかね? 大人になるっていうのは責任が発生するって事ですからねぇ。
どういうわけか、最近タイピングが遅くなった。 尚且つ、不正確になった。 考えてみれば、数日(1、2週間) まともにタイピングをしていなかったからかも知れない。 趣味やらなんやらで、 結構タイピングをする機会が多いのだけれど 帰省してたり、ゲームにはまってしまったり 趣味に費やす時間が減ったのが原因というところでしょうか。
現在はテストからの現実逃避ということもあり 結構タイピングする機会もあるわけですが……。 いえ、少しですよ?現実逃避。 多分。きっと。
それにしても肩がこる。 それにしても口内炎が多い。 不調なはずなのに ……なぜか日常に戻ったような気がしてしまう。 ものすごいダメっぽい。
言葉って難しいなと。 同じ意味でも言い方はさまざま。 そして少しずつ意味が違うことが多い。
厳密には正しくなくても 何となく意味が分かればそのまま会話と成立したりする。
結局のところ、一方的な正解はあまり意味が無い。 日本語の神様みたいな人が居て 一つの文章を書き上げたとする。 言葉一つ一つの小さな意味をしっかりと把握し 場合にふさわしい言葉を書き連ね、文章にする。
だけど読み手がそれを認識しなければ 大雑把な内容しか記憶として残らないのだ。
言葉っていうのは経験と結びついて記憶される。 日々の生活の中で出てくる言葉を聴き 場面と結びつけて意味を知る。
本当は辞書やらなんやら使えば正確な意味をとれるのだろうけど わざわざ一言一句辞書を引くわけでもない。
経験から言葉を学ぶ以上、親の言葉が間違っていれば 子供は間違った……あるいは中途半端な意味としてしか その言葉を捕らえられないわけである。 そういう意味では、言葉が劣化するのは避けられないわけだ。
でも、誰にでも分かる素晴らしい言葉遣いは きっとあるんだろうなぁ……。 そんな使いかたができればいいな、と思う。
秋葉原行ってみた。 近くに行ったので。 どうもあそこを歩くと胃のあたりが……。 人が多いのがあまり好きじゃないというのが大きな要因かなぁ。 とりあえずジャケットじゃなくてコートにすればよかった。 そんな一日。
ヤマギワというところでCDを購入。 ついでに他の階に移動してパソコンソフトを見てみる。 階案内が書いてある。左には何が置かれているとか。 まぁよくある案内板でしょうが ボーイズラブ(いわゆるホモ)の文字が 書かれている案内が存在しているとは思いませんでした。 店内の一角に専用コーナーが設けてあるとは……。 私もまだまだ修行が足りませんね。 ……あまり修行したくないですが。
最近ではblogというのが日記として人気なようで。 例えばここの日記もblogにしたら……と少し考えてみる。
……ダメですね。 日記っぽくない要素をふんだんに盛り込んでいるこの日記は blogには向かないでしょう。
さて、テスト勉強からの現実逃避か、 しばらく訪れていなかったサイトなどをいくつか覗いてみました。 ……欝やら何やらの文字が並んでおりました。
環境が変われば、やっぱり精神的に不安定になるんでしょうかね。
私自身気持が不安定になることが結構ありますが それでもなんとか耐えられるんですよね。 まぁ……落ち込む動機が社会生活のなかでの 嫌なことってわけでもないからなのかもしれませんが。
本当に辛いことを体験していないのか 本当に夢中になれることを見つけいないのか。 夢中になった事で裏切られると 立ち直る自信はないですね、流石に。
逃げ場の確保。 ずるいかもしれませんが……作っておくべきなのかもしれません。 一つの価値観を全てに生きていると それが崩れたときに耐えられないでしょうから。 ついでに言えば、一つの価値観が簡単に壊れてしまう世の中ですから。
昨日書いたソフトですが 二作目ではなく一作目でした。 発売90年。 それからしばらくして入手したと思うのですが 90年だと私9歳ですよ。 81年生まれだから。 ……年月って経つの早いですねぇ。 それで片付けていいのか微妙だけど。
さて、どうにも…… 明後日テストなのでテンパってます。 好きで大学院いってますが それでも辛く感じるのはわがままなんでしょうね。
実は院の内容とは関係ないですがね、今回のテストは。 パソコン、結構いじったり好きだけど ちゃんとした知識は少ないですし……。 結局好きでやってることだし、がんばりますか。
……ウチでPC98が現役だったんだから年も取るわな。 OSはDOSだったし。 フロッピー2枚入るようなPCだったし。 なんか昔からパソコンやらでぐるぐる回ってる気がするなぁ、私。
小学校のころかなぁ。 いや、中学校の頃かな。
家にパソコンあったんですよ。 まぁ、ゲームとか出来るわけです。 シムシティとかぷよぷよ。
結構ゲーム好きで、 シムシティはなんかの機会に買ってもらったわけです。 当時256色の色を出すのに何か追加してたはずなので 今から考えると結構前のことなのかな。
まぁ、それでシムシティ買うときに 何のソフト買うか色々悩むわけですよ。 やっぱりRPGゲームとか好きで。 ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとか。 結局ハードの問題であまりこれらはやらなかったけどね。
んで、そー言うの好きなんだけど パソコンソフトとして買う気はなかったわけです。 あまり魅力を感じなかったし。
まぁ、難しいというのはあったんだけど。 その前に買ったパソコンソフトに 『ドラッケン』ってのがありまして。 パソコン自体子供向けじゃないし 内容もかなり難しくて最初の最初で挫折しました。 英語とか出てきてもちんぷんかんぷんだし。 まぁそういう事で マイナーなソフトは敬遠してたわけです。
先日、パソコンのRPGゲームを買いました。 そんときに、ふと。 あぁ、そうか、昔有名タイトルにこだわったのは 友人との共通の話題ってモノだったっていうのが あるのかもしれないなーっと。
面白い、面白くないはともかく 誰もやってないようなゲームやっても 学校で話ができないじゃないですか。 というのが小中学生なんだろうなっと。
でも、今もゲーム買ったりしてるのは 完全に一人楽しむものになったわけです。 そういう意味ではやっぱり私みたいな人間は 特異なんだろうなぁ。 (掲示板とかそういうコミュニティーは存在するだろうけど)
余談。 昔やったRPGでも好きなのはありました。 (クリアは出来なかったきがするけど) ふと調べてみれば、 先日買ったゲームはそれの続編に当たるものでした。 当時やったのがⅡで、今回買ったのがⅥ。 昔やったゲームの方を調べると発売が12年くらい前なわけですから ……あ、しかも今年年男だわ、私。 なんかめぐりにめぐってるって感じですねぇ。 しみじみと。
母方の実家に帰省したりゲームにはまったりで 何かとつかれました。
何となく去年のクリスマスは何を考えていたのかと 日記を読み返してみると見事にスルーしてました、話題から。 逆に間抜けにも思えるような。
それにしてもお正月。 あまりおめでたい感じがしないのは やっぱりすごし方が悪いのか。 気分一新する出来る日なのにね。
家の中でもホッカイロを使うミステリー。 いえ、足先、手の指先だけものすごい冷えるんです。 エアコンつけたりすると暑いし。 冬山でも使える足の保温シューズ(?)みたいのつけたけど 全然あったまらないのでカイロも利用することに。 でもしもやけにはあまりならないんだよね。 なんでだろう。
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