1日雑記

2004年06月30日(水)

とりあえず学校でサーバーを作る必要ができたので
情報を収集しながらLinuxを導入してみる。

ウリとして無料っていう事があるのだが
ディストリビューションによっては……やら
色々あるのでなんともめんどくさい。

とりあえず有名なRedHatを利用してみることに。

書籍にCDがついてたので、2300円ほどでOSが買えたわけだ。


自作をしたとき、OSが高くて旧HDDを流用した経緯が実はある。
ついでにこっちのPC、Linuxにするかなぁと考える。

書籍の値段だけではあるが
実際に利用するのにはこういう本を買う必要があるし
(もちろん、必ずではないが)
そういう事を含めながら
Winの10分の1の値段だな、と考えるとなんとも不思議である。

安いといえば安くあがるのだが、
ただ使うならWinのほうがいろいろ都合がいいだろう。

10分の1、書籍をこれから増やせば8分の1、5分の1となっていくだろう。

使いこなすにはある程度の努力が必要で―――
ただより高いものはない。
……なるほどなぁ。

まぁせっかくですので色々いじってみますが。



2004年06月29日(火)

意外……かどうかは知らないけれど
自分が狂ってるな〜と思うことが少ない。

自分が狂ってるとも思わないが
気づいていないのは自分だけというのが一番怖いので。

最悪のケースだけは想定して、という事で。


当分は平気なんですが
こういう思考ばっかりしてると
自分の気持ちでマインドコントロールされそうで恐い。

出来るできると何回も何万回も頭の中で反芻(はんすう)していると
本当に出来るような気になってしまうことがなくもないわけで。

人の道は踏み外したくないですよねぇ。



2004年06月28日(月)






       ―――






それだけです。
たったこれだけです。
棒が三本。後は知りません。

これがなんであるのかは俺も分かりません。
でも、唐突に思ったんです。

頭の中に沸いたイメージです。
なんか上手く表現出来ないんですけど……
悩みとか、喜びとか。

言葉にするんじゃなくて、もっと根源的なものを
あらわすとしたら、こういう風に単純なんじゃないかな。
あらわすとかじゃないか。
なんだろ、この感覚。

どんなに辛くても、棒は棒で……

なんていうか、其処に在るんです。
紛れもない、単純な棒が。



2004年06月27日(日)

そうですねぇ、例えばの話ですが
世界を再構成する力があったとします。
自由自在に世界を変えられるわけです。

全ての原子を意のままに操れて、
考えるだけで勝手に原子が移動してそれを形成しているものを
まったく新しいものに構成しなおすわけです。

これだけだとあまり悪い事に聞こえないかもしれないけれど
モノを自由に壊すことが出来る力があった、というと
まさに悪役って感じがするわけです。

原型を破壊し、新しいものを作るわけですから
モノを壊すという手段については
前者も後者も共通しているわけです。

たった一つ、新しい物を創造するという一点が違うだけで
あたかも神様であるかのような力になるわけです。

実際、創造するというのはものすごい労力と
発想を必要とするわけです。
世界を創ったのが神様だとすると
小さいながらもモノを作っている我々との境界は
一体どこにあるのかと考えるわけです。


少し方向性を変えてみるわけです。

アヘンを作る、銃を作る、兵器を作る、あるいは人を作る。

兵器や銃を作ることは、恐らく日本ではダメでしょうね。
アメリカとかだとわかりませんが。

人を作ることは倫理的に禁止されています。
先日、研究のためならば、云々認められた気はしますが。

倫理とは何か、と考えるとこれまた難しいんですよ。

他人の敷いたレール。
それに従い、人が嫌悪する行為を避ける。

その事にどれほどの意味があるのでしょうか。

国や文化の違い一つで、180度覆る可能性もあります。
そんなものにしがみ付く事の意味です。

人を作る事を避け、
一方で人工的に人に近づけるための努力は続いています。

それがロボットだったり、人工臓器だったり……。

倫理という曖昧なものに準拠するからこそ、
人は混乱するんじゃないか、と。

そーいえば先日掲示板で
近親相姦に関する話題が上ってました。
まぁ、それが事実であるか冗談であるかというのは
そうたいした問題じゃないんですね。

要するに、そういう問題が事実であったときに
一体どう考えるかって話なんですよ。

そういえば、近親の間に出来た子は遺伝子的に
奇形児が生まれる可能性が高いとか色々。

恐らく日本じゃ何人もいないでしょうが……
と、そこまで考えて一つの疑問。

それが検証されるほど、近親間の子供って多いのだろうか。

ラットやらなんやらで実験しているんでしょうかね。

倫理の問題なんていったらそれこそ同性愛とか……
山のようにあるのに、
その一つとして明確な答えなんて出ないんですよ。
そういう事を考える事についての
意味について考えてみると―――

なんか不毛ですね……。

あぁ―――
倫理は不要と言ってるわけじゃ
ないですよ。
(念のため)



2004年06月26日(土)

とりあえず、原付で走ってる最中、
両目をマッサージしてみました。

前が見えませんでした。
――いや、当たり前といっちゃ当たり前なんですが。

車が前を走っていたわけで恐かったです。
――いや、当たり前といっちゃ当たり前なんですが。

当たり前のことなんですが、
それを実行に移すまでは当たり前じゃないわけです。

実行して始めて見えなくなるし
実行して始めて恐いんですよ。

生活してれば当たり前といえるような経験は沢山するのに
当たり前である事を感じることがほとんどないんです。

擬似的な経験をもって、
当たり前などと言い切れるのは愚かじゃないでしょうか?

まぁ、すこし違う言葉で言えば固定観念ってやつなんですけど。

TVとかのおかげで、擬似経験には事欠かない昨今、
境界線を引けない人が多いわけで……
自分は境界線引けるようにがんばりますよ。
自信ないけど。



2004年06月24日(木)

かなりどうでもいいことなのだが……
ウチのパソコンは汚い。
中身が汚い。
何がどこにあるのか分からないように汚い。
フォルダ開いてみたら外れ(中身がない)事もたびたびある。
初期化したいけどできないこのジレンマはどーすれば……。
いまから移動するとリンク切れるんだもん。
……まぁいいか、ダミーってやつですね。
チャフだ!



だーかーらー……俺に押し付けるな、と。
ウチの教授ですが。

苦手なのは分かるけど
学生の相手するの拒否しないでください。
そして拒否した学生こっちにまわさないで下さい……お願いだから。



2004年06月23日(水)

レミング。

集団自殺をすると言われていた生き物。
ハムスターやねずみのような小動物みたい。

新聞を読んでいたら、集団自殺説は誤りで
本当は捕食されていたという結果が発表されたそうな。
(昨年の話のようではあるけどね)

スーパーファミコンでもあったんじゃないなかなぁ。
レミングを題材として扱った、レミングスっていうゲーム。

どうも、集団自殺という話に拍車をかけたのは
ディズニーの映画に依るみたい。

もっとも、あの外見みてると……
船が沈む時にねずみが海に飛び込むという話を思い出すわけだ。
それなら集団自殺してもおかしくないなぁ、と。

集団自殺というと危篤なイメージが沸くわけではあるのだが
人間もあまり変らないかも知れない。

戦争やらなんやらは民族や国、あるいは宗教の違いによって行われるが
他の種からみれば人間という種が
人間という種の数を削っているだけなのだから。

自らの種を減らすって意味で考えるなら
立派な集団自殺じゃないかな?
まぁ、自分を殺すわけじゃないから自殺じゃないけど。
種殺……とでも言うのだろうか。

本能的に自らの種の絶対数を減らす、みたいな。


人の体の遺伝子やらなんやらなんて、まだ未解明な部分が結構あるわけだし
万が一、自らを殺そうとする因子がどこかに混じっているなんて事が
判明しちゃったら、きっと大変なことになるんだろうなぁ。



2004年06月21日(月)

内容わからん人にとってはさっぱりだと思うので無視してください。



とりあえず17回切って17分割する方法について考えてみる。

友人に聞いたら、中心に向かって17回切ればいいと言われ
なるほどなー……と思いながらも
途中で止めていいならどこか一箇所
『V』の字を2回で書くように刃を入れれば
残りは大きいほうを適当に切っても17分割できるんだよなぁ……と。
……まぁ、切り方は『L』でも何でもいいんだけど。
一部分を2回で切り取ればあとは―――。

これだと面白くないので人体について当てはめて考えてみる。
しかも中心に向かって全て刃を入れると考える。

仮定として対象が直立しているものとする。
この上体で人体の中心を探すと、恐らくヘソの辺りだろうか。
ここで問題となるのは刃を入れる角度にある。
ヘソから脳天まで一本の線を考え、
これを基準線(θ=0°)とする。
『基準線』と、『右肩とヘソを結んだ線』の角度は
θ=20〜25°というところである。
これ以上角度が広がったところから刃を入れると
腕が切り離され、17分割の妨げとなる。
つまり、腕を避けるような位置から刃を入れなければならない。

そこで基準線から±25°を刃を入れるぎりぎりの境界線だと置く。

次に下半身である。
まず、腕をまっすぐ下ろしていると仮定すると
θ=135〜225°の範囲(90°)が
ぎりぎり腕、指にかからない位置である。
しかも足の形状はまっすぐ中心に向かい切れ目を入れるには適さない。
しかし、あえてこの点については目を瞑ろう。

つまり、総合的に中心に向かい刃を入れられるのは
50+90=140 つまり140°の範囲しかない。
この範囲に対し、17回刃を入れるのだから
それぞれの幅は140/7=8.23 つまり8.2°程度が目安となる。

これがどの程度困難であるかについては
実際にケーキカットでもしていただければ分かると思う。
ましてや、戦闘中に行う行為である。
この行為がどれほど神がかったものであるか理解できるのではないだろうか。

更に、この線というのは直線ではなく、
体にあらかじめあるというのが設定であるから
8.2°を目安としながら、非線形に切る事は―――


……あー なんていうかごめんなさい。冗談です。


余談であるが、
刃物を持った相手と対峙した場合、
致命的にならない部分に刃物を刺させ、
その部分の筋肉に力を入れるという手段がある。
人の筋肉はとっても強いので
生半可な力では抜くことができない。
……まぁ、刺されてなお、そんな芸当ができるとも思えないけど。

ついでに、刃物が腹部等に刺さった場合、うかつに抜くこともお勧めしない。
出血がひどくなり、逆に危険になる可能性もある。

と、言うようなことを中学校の理科で聞いたような。
今考えてもひどい先生だった……。

なんか物騒な話ですが
登場する出来事は全部フィクション……でありつづけることを祈ろう……。



2004年06月20日(日)


ごめんなさい―――

さて問題です。
このとき、何を許しているのか、何が許しているのか、
あるいは許されたものはなんなのか。

謝るという言葉が何を指すのか。
そういうことです。

謝罪というのは相手へ対しての、気持ちをやわらげるものだろうか?
私は、謝罪というのは
自分の気持ちをやわらげるためのものだと思う。

許すのは、相手だが、
許されることで救われるのは自分の心だ。
恐らく、相手の心じゃない。



2004年06月19日(土)

土曜日ですがとりあえず学校に。
来週からレポート提出期間だというのに終わらない。
まぁうちの研究室の研究班の一つなんかは
土曜日でも出てきてるしまぁいいか。

少し疲れて自動販売機へ。
新しく出たコーラC2発見。
とりあえず飲んでみる。

まず……くはないが……。
ダイエットコーラと何が違うのか少し考えてみる。
……マイナーだったダイエットコーラのパッケージ変えたのか。
これが商売というものかっ!

それは冗談ですが、根本的なところで
「カロリー気にするならコーラなんか飲むな」と。
……ごめんなさい、そういう私も全然やせられてません。
そして机の一番下にはビスケット詰め合わせが!
―――俺、ダメ人間。



2004年06月18日(金)

私に何ができるだろうか。

何かに特化したい。
そういう願望はあるものの、それは主役じゃないわけだ。

……せめて、ねぇ。


そういえば先日新聞を眺めていたら
「何故死んだらいけないのか」というフレーズが出ていた。

なんだか、ちょいと前にそんなことを日記に書いた気もするが
同じようなこと考える人はたくさんいるんだなぁ、と。
同じうんぬん以前にかなり陳腐なフレーズではあるんだが。

タイトル見たら「死の壁」だったか、最近流行の本。
なるほどな、と思いながらも買う気にはならない。

―――以下は半分くらい冗談で構成されます。

そろそろ人は本というものから脱却していくべきなのではないか。
本という情報媒体は、一方的な情報である。
例えばTVという情報媒体もまた、一方的である。
確かに、一方的に情報を与えるものは多い。
だが、テレビを見てみると分かるように
最近では双方向性をもったものになりつつある。
インターネットでもそうだ。メールや掲示板というものを利用することで
決して一方向ではなく、相互に意見を述べる環境があるのである。
そういう環境にあって、本というものは
ただ、一方的に伝えるものであり、作者に手紙を書くというのも
あまり普及している意見交換の手段とはいえないであろう。

人は間違いを間違いと認めることができるし
間違いから新たな事実をつかむこともできる。
時代は常に進み、時代は常に新しくなる。
古い情報をいつまでも保持するのは
歴史的な観点から言えば無益ではないものの
技術的な観点から言えば無益どころか有害である。
例え名著と言われるような書籍であったとしても
その技術的な内容が色あせないか、といえばそうでもない。

そのとき、本という媒体は改訂することはできても
その本質、そのものを変えることができないことを考えれば
常に遅れた情報を保持しつづける
情報媒体であると考えられるのではないだろうか。

さらに本を調べるというのはその処理速度についても問題がある。
山積みにされた本の中から一つの目的を取り出すのには
膨大な時間がかかるであろう。
だが、電子データであるならば、検索一つでずいぶん時間を短縮できる。
例えばデータベースという分野において
それが発展してきたのはその利便性からである。
そういう観点から考えても本という媒体にこだわることで
作業効率を落としていることは否定できまい。

つまり、人は本から脱却していくべきである。
いつまでも本に頼ることは、決して利口ではない。


……と、まぁ半分くらいは冗談ですが。



2004年06月16日(水)

TA(ティーチング・アシスタント)。

教授の補助である。
……いや、確かに教授とはいえ、苦手な人間がいるのは分かるよ。
学生でちょっと変な人がいるのは俺も分かったさ。
だからって、だからって―――
俺に押し付けないで下さい。

疲れたよ……ぱとらーっしゅ。



2004年06月15日(火)

学校の人に「Pさん、余裕無くなったよね」、と。
(原文のままじゃないけどさ)
気持ちに余裕がなくなった、と。

まぁ、冗談言い合ってたところだし
あまり深い意味は無いんだろうけど……。

言われてみるとそうかもしれない。

「んな事は無い」と笑って見せたものの
たしかに少しダメかもしれない。

まだ会話なら取り繕えるんだけど
気持ちの方とか、もう少し直接的なところだと
自分のいやな部分が見えてきちゃってなんかダメだ。

疲れちゃう。


まぁ、毎度毎度ある事です。
そのうちどうにかなるでしょう。

その間に愛想つかされなきゃ、の話ではありますが。



2004年06月14日(月)

SQLというデータベース関係のことをやってみる。
……さっぱりだ。

後一週間でレポートを4つほど完成させなければならない。
その一環。
こういうときにこそ他のことをやりたくなるのが人というものか。


そういえばホームページ関連で
更新するつもりでリンクを切った所の更新を
一向に行わず、どうも迷惑をかけてしまったようだ。
誠に申し訳ない……。

いっそ昔のまま復活させようかとも思ったけれど
見るに耐えない、と言うのはあるんですね。
あまりにも体裁が整っていないもので。
文章として統一性が無いものが、
あれほど醜い(見難いにあらず)とは思わなかったのですよ。

はてさて……あと300行程修正加えれば1/4完了かなぁ。

分かる人だけ分かってください。



2004年06月10日(木)

風呂場で、ふとした違和感を感じる。


現実が現実でないような、そんな感覚。
夢心地とでも言えるだろうか。

ファンタジーな話とか、ゲームや漫画なら
その違和感は正しいのだろう。

違和感に気づくことから始まり、
例えば徐々にその違和感が大きくなり
非日常的な体験をする、とか。

ところがドッコイ、私は現実に生きている。
違和感を感じようが
例え夢心地であろうが、それには理由が存在するし
変だと思っても現実に体験していればそれが事実。

実のところ、今回の感覚は寝不足だったのが起因していると思う。

およそ、そのすべては科学で解明できると信じている。
人の感じる小さな違和感から、
神経系に関することが原因となる各部の痛みや
病は気から、というような、事まで。

しかし……すべてを現実として受け止めるって
ものすごい大変なことなんじゃないだろうかと思ってしまう。
……甘い?


少し横道にそれて
『人の思考』というものが方程式で表すことが出来るか、と。

例えば、ビックバンと言われるような宇宙の始まりがあるわけだ。

そこで初速度を与えられた物質は
明確な理由をもってぶつかり……星となって
あるいは、生命を生み出して……と。

つまり、その物質のすべてに存在する理由があるならば
人の考えていること、思考、すべてが方程式で解明できるかもしれない。

そんな事を考えなくても
人の思考の起源や、そう言った種のものが
方程式で表せないと断言は出来ないわけだ。

これを望まないという人がいた。
なるほどなー、と。
それはそれで理解できるのだが……。
確かに生理的に受け付けないという部分はある。


しかし……例えば多くの人は人工知能(AI)
ロボットというものを凄いという。

AIの究極は、こういうことなんじゃないだろうか。
人の考えを方程式で表す、と。

いま、研究は進められ、どんどん進歩していくAI。
過程として得られる成果も大きく
AIBOを知らない若者も少ないだろう。

しかし最終的に得られる結論、それが否定さる可能性はある、と。
……なんかちょっと複雑。



2004年06月08日(火)

漠然とした考えではあるのだけれど……
人と人との関係でもっとも大切なのは
どれほど相手との時間を共有できるか、ではないかとおもう。

……こんなこと書いてる自分を振り返ると
結構ドライだという気がひしひしと。
わざとそういう風にしているという感じがなくもないけれど。

多分怖いんでしょうね。
傷つくのが。
自分の弱い部分は良く分かってるし
傷つく要素があれば常に逃げようとする。

だから、曖昧に人と接する。

そういうペルソナみたいなものをつけてるうちに
どっちが本物の自分だか分からなくなっていくんだろうねぇ。


なんか変な方向に話が進んだが
書きたかったことは最初の二行なんですよね。

たいした話じゃないんですけど、ネット上の知り合い(?)が
人と付き合い始めたという話をしていた。

うらやましい話だね、と思いながらちょっと考え事。
かれこれ、2年以上ネットという空間を介して
毎日のようにその人と会話をしているわけだが……
それでも相手の何分の1もわからないわけですよ。
もちろん、ネット上っていう限定された空間での会話だけど。

相手のことを聞いてみるとお互い社会人ということもあり
週に1度会えるか会えないかという事らしい。
しかも相手の休みは平日なので
なかなか時間を合わせることも難しいという。

恐らくいくらかの人はこういう出会いなどを繰り返し
結婚していくんだろうな、と。

怖くないのかなって思うわけです。
これから何十年と連れ添う相手であるならば尚のこと。


……ま、転ばぬ先の入院費用とでもいいますか
私にゃ無縁の心配ですな。

あぁ、そういえば昔ながらにお見合いって言う言葉はあるわけだし
そういうのに比べりゃなんぼかいいのかな。



2004年06月07日(月)

OK、ボブ。単刀直入に言おう。

太った……。


……4月の段階で確か66キロくらい。
今朝体重計に乗ったら69.2キロですぜ、旦那。

学校で知り合いに言われたんだよ、太った?って。

結構食事とか抜いてるし
やせたことはあっても太ることはないだろーと。

注意一秒怪我一生ってな。

俺が悪かったよ。
……元に戻すよう努力いたします。


余談ではあるんですが昨日生まれて初めて(だったとおもう)
魚捌きました。

手が魚くさいです。

でもなんとなく楽しかったし……
定期的に料理したほうがいいんだろうな。



2004年06月05日(土)


正しいことが出来ないと思うことはかまわない。
だけど正しいと判断できない事は問題だと思う。



2004年06月03日(木)

口に出すということと思い込みということ。


例えばの話であるが、「だるい、だるい」と言っていると
気持ちで負けてしまう。本当にだるい訳でないかもしれないのに。

マインドコントロール。
その一環なのかもしれない。

人の評価についても同じ。
人が人のことで分かるのは、恐らくその人の何分の1にも満たないだろう。

それでも分かった気がするのは、普段の付き合いと他人の評価。

言葉というのは気にしていないかもしれないけれど……
いや、気にしないような事だからこそ、影響力が大きい。
普段を作っているその大半は言葉だから。

口にしている言葉の一つ一つが、自分を作っているということ。
自分の中で作っている自分も
他人から見える自分も。

どんなイメージがある?と聞かれて
言葉以外で表現することなんかほとんどないし。


またたとえ話で恐縮。
TVで凶悪犯のことがやっていた。
その人相が写る。

30歳過ぎたら自分の顔に責任をもて、と言う事もある。
たしかに、普段の行動が顔体にでることもあるだろう。
でもそれ以上に、凶悪犯だから顔が怖そうに見える
という部分も恐らく否定できないだろう。

人の体は物理的に構成されている。
それは否定しようのないもの。

だけど、それを見る側の人間にとっては
物理的に目で、物理的な相手の体をみるという行動の間に
一枚のフィルタが挟まれる。
それは言葉で構成されたもので、現実をゆがんで見せさせる。
良くも悪くも。

偏見とかとも言われるけれど……
意外とこのことに気づいている人は少ないのかもしれない。



2004年06月02日(水)

耳年増。


多くの場合、性的な知識についての事の様であるが
とりあえず、ただ年齢の割に知識が豊富、という事について。

要するに、一昨日……だったろうか、起きた
小学6年生の女の子が、同級生の子を殺害してしまったというニュース。

意味を大雑把に捉えると
恐らくこういうことなんじゃないかな、と思う。

ネットという空間はお世辞にも善意に満ちたものじゃない。

分からないと大人はいい、
いつの頃からか、俺も分からないと思う方になってしまった。



2004年06月01日(火)

先日、ニュース番組で北朝鮮のことをやっていた。

小泉総理大臣訪朝という事で
拉致被害者の話についてやっていたわけです。

んで、北朝鮮の人にアンケート(該当でたずねる)をしてたんですが
彼らが口にするのは過去の補償問題で
拉致の話については疎い。
解決したんじゃないのか、という話も良く聞く。

これを見たときの感想として
「やはり北朝鮮では偏った情報しか流していない」
と、捕らえる人がどれほどいるのだろうか。

一瞬、私もそう考え、その直後に
「良く考えたら、過去の日本の悪行(?)や補償問題について
 私は良く知らないや」
と、考え直したわけです。

恐らく、歴史の授業の中で、
そういう戦時中のことをやっていたと思うのですが
およそ、知識として持っているとはいえないわけです。

全く報道してないわけじゃないけど
各国の都合の悪い部分については
ほとんどされていない、という点においては
日本も北朝鮮も変らないのではないかと。

そういう面において
環境が金正日崇拝というものを作り出していて
生まれながらに信仰する。
そういった日本から見れば不自然なものを
情報が作り出しているとするならば
現在の日本もある面からみれば不自然なものなのではないだろうか。

……良くわからない内容だと思うのでこの辺できりますけど。



ところで、髪を切りました。
しっかし、火曜日という事があり
軒並み床屋が休みだったわけです。
普段床屋なんですよ。

で、なんとなく悔しいし
土日は出不精、横着魔人の私がわざわざ出かけるのもなぁ、と言うことで
授業のない本日を選んだわけです。
なので美容院のほうに行って参りました。

……カルチャーショック、ではないにせよ
やっぱり床屋とは少し違うなぁ、と言う感じ。

シャンプーする時間長すぎ。

だらだらと延ばしていたものを切ってもらったので
相手にしてみりゃさぞ迷惑だったろうなぁ、と。

まぁ、カットだけとはいえ高いと思ってたら床屋より安かったので
もしかしたら今後利用するかもしれません。

……

カット、カット、カットカットカットカットォカットォォォ!
分かる人だけ分かって、ごめんなさい。


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