1日雑記

2004年04月30日(金)

ふと、日記の最初の方を見てみると
2001年、3月の終わりごろからつけ始めている。

今2004年の4月だから、丸まる3年はやっていると言うことだ。

最初の頃のことを考えてみれば
何か言いたいことがあったのだと思う。
考えていることはたくさんあったが
それを表にだす場所がなかったのだ。

その証拠に最初はずいぶん長い、分かりにくい文を書いていた。

結果として、日記じゃない日記になってしまったが
まぁそれはそれでよいのではないかと思う。


そういえば最近の流れを見てみると
自分の考えは朝日新聞に近いのかなぁ?と思ったりもする。

某所で朝日新聞の考え方は偏っている、というような
評価を見たことがある。
言われてみるとそうなのかな、とは思うが
かといってこの考え方に批判的にならない自分はそこにいる。

最近朝日新聞の社説を読んでいると、他社の社説を取り上げたりしている。
そういうところの考え方を読むと
自分とは意見の異なることが結構あるのだ。

そんなこんなで、朝日新聞は自分に結構あってるのかなぁ、と。


それは別として読売新聞はとらないんですけどね、俺。

以前、若かりし頃……いや、今も若いんだけど
「ご主人ですか?」などと聞かれたときから
二度と俺は読売新聞を取らないことを心に決めたのだ。

俺は……俺はおじさんじゃな〜い!



2004年04月28日(水)

希薄である。

最近、普段の生活を考えているとこんな言葉が頭をよぎる。

何が希薄か、と問われれば、素直に答えることはできないが希薄である。

例えば、毎日の生活の内容が希薄なのかもしれない。
……恐らくそれはあるだろう。
代わり映えのない日常を過ごしているのだから。
しかし……それはそれとして、
一日一日が無為徒食のまま過ぎていくかといえばそうではなく
小さいながらも得ているものはあるのだ。

人間の変化というのは分かっている様で分かりにくい。
そんな急激に変化する生き物ではないのだ。

他に希薄な理由があるとすればなんだろう。
最近疲れる所為か、良く眠る。
休日などは寝て起きて寝て起きてをただ繰り返す。
……まぁこのあたりはお世辞にも生活が充実しているとはいえないのだが。

学校から帰っても、疲れて仮眠を取ることが多い。

起きている時間が少ないから希薄に感じるのだろうか?


このように、何か考えてみはするものの
具体的に何が希薄なのかもわからない。
自分が希薄なのか、生活が希薄なのか、
あるいは世界そのものが希薄なのかもしれない。

すこしそんなことを考えていた。


ついでに空を見る。
凄い雨の後、青空が顔を覗かせる。
そして、ふと思う。
いや、前から何度も思ってはいたことなのだろうが……
空だけが見える景色ってあまりないのだな、と。

都心に行けば、視界の半分はビルで埋め尽くされる。

都心でなくても木もあれば、電線もある。


そんな中、空をみて綺麗だなーと思うと
行ってみたくなる。
バベルの塔を連想した。
バベルの塔は天まで届こうとする建造物の事。
結果的に天の怒りを受けたんだかなんだか忘れたけれど。

どこまで積み重なるか分からないけれど
空に上ってみたくなる気持ちはわかる。

……意味合い違うのかなぁ。



2004年04月27日(火)


最近の政治家見てると、実に楽しい。

イラクの自衛隊派遣を反対をする人間は
反日分子であり、彼らのために税金を使うのはおかしい、らしい。

まだ所得がないので、そう凄い額を納めているわけじゃないけれど
間接的に消費税を払っています、私。

少なくとも、そういう私から言わせてもらえば
このような政治家に給料を払っていることのほうに
むしろ違和感を覚えます。

もちろん、一介の政治家の意見だし
人の意見は様々でしょうが……
これは裏を返せば、自衛隊派兵に賛成している人が
人質になった場合に限り、税金を惜しみなく使え、と言うことでしょう。


実際に政治家がいないと国は動かないし
曲がりなりにも選挙で選ばれた人だから……
こんなところで吠えていても仕方ないのですがね。



2004年04月26日(月)

本日の昼食。

フランスパン。
ベビーチーズ。
紅茶。

以上。

……うん、お世辞にもリッチとは言えない。
でもこのなんとも言えぬ美味さはなんだろう。


余談。
昨日の昼食。

5個入りのデニッシュのクリームパン。
ソーセージ。
緑茶。

以上。

……うん、そろそろ俺、体壊すかもしれない。
でかいソーセージ10本を一人で食べたわけで―――
このなんとも言えぬ気持ち悪さは何だろう。

かたまる〜あぶら〜ぎっちょんちょん♪



2004年04月23日(金)

3年ぶりに(まじめに)英訳に勤しむ。
本文『――― are given 〜〜〜』
脳内『ん〜?あぁ、現在完了か』
……ごめんなさい、ごめんなさい。
頭の中が完全にだめになってます。
こんなんで院生やってていいのだろうか?


書くこともないので最近やっているゲーム(?)
http://websoccer.b-bob.net/
なんかちょっとしたサッカーゲーム。
なんとなく楽しい。
暇な人は少しやってみてはどうでしょう。



2004年04月22日(木)

そういえば最近は頭をあまり使っていないような気がする。

考える、という行為のことであるが。

Why

この言葉をたくさん持ちたいと思う。


色々とやることがある。
だけどきっと大丈夫。
そう考えている時は自分はまだ若いから、と理由をつける。

普段は冗談半分、老けこんでみるのだが……。
体はまだまだ大丈夫。


同じ流れの話ではあるのだが
電車で疲れた顔をすると負けた気がする。
そんな感じ。



2004年04月21日(水)

辛いわけではないのだが……。

やらなければいけないことと
やるべきことと言うのは
意味が似ていて少し違うような気がする。

正直勉強を好きであったことは無かったと思う。
しかし、研究に興味があって大学院へと進んだ。

大学院の講義は面白い。
ただし、凄い疲れる。

大学の講義は楽か、と問われれば
そうではないはずなのだ。

要するに、受ける側の意識の違いである。

恐らく内容としては極端に変ってはいないのだろう。
だたし、受ける側の集中力が違う。
大学という時代でも真剣に受ければこのくらいの
講義の内容ではあったのかもしれない。

少なくとも真剣に受けていなかった自分は
ほとんどの講義は役に立っていない。

実際、話を聞いていると自分の無知がいらだたしいほどだ。

おそらく、やらなくてもどうにかなるんだろう。
出席さえしていれば、今も。
それはやらなければならないことではないが
やるべきことだ、と。


目の前にあるやるべきことを考えると頭が痛くなる。
自分の性格上、全部はやらないだろう。

1.修士論文の勉強
2.講義の内容についての勉強
2、5 数々出てくる英文の翻訳と英語の勉強
3.通信教育での高校情報の免許の勉強
4.教員採用試験の勉強
5.アルバイト(探し)

ふと思うわけだ。
当たり前だが、一日は24時間しかないのだ、と。
1時間が24回くれば一日が終わり
それから睡眠時間を削ればどれほどのこるか。

やるべきことだからこそ、
気持ちが重い。嫌なのではなく、つらいのでもなく、重い。



追記
ヤフーみてたらあまりにも面白かったので。

イラクの人質になった人たちに対して。
福田官房長官曰く……

本人たちの配慮が足りなかったことは否定できない。自己責任とは自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかることで、NGOや戦争報道の役割、意義という議論以前の常識にあたることだ。


自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかる


そうだよね、そのとおりだ。
何でか分からない分からないと言いつづけるどこかの総理に是非聞かせたい。
靖国参拝のほうがずっと分かりやすいだろうに。

いいかげん人の振り見てわが振り治せないもんかね。
政府は国民の代表しているだけで偉くもなんともないと思うわけだが。
責任者だったらせめて責任くらいとろうよ……。



2004年04月20日(火)

そこはそれ、イラク問題は色々と責任について賛否両論のようです。
流石に人質になってるときには責任問題なんて言わないわな。

そういえば最近新聞などで見る言葉といえば
『自己責任』

自分で責任を取るからイラクに行かせてくれ、と言っても
行かせてくれないんでしょうね、恐らく。

周りに迷惑がかかるから、とか。
そういう風に言うけど、
要するにそう諭している本人に迷惑がかかるから、ってことなんですよね。
はっきり言わないというか、あくまでいい人ぶるというか。

自己責任って言葉としておかしい気がするわけです。

自己責任=責任転嫁するなって事なんだろうか?
それだと意味が通らないんですよ。
責任転嫁は自主的だから。

自業自得……因果応報……どれも違う。
責める人たちは自分達に被害が及ばないように、と言っているのだ。
それが故意ではなくても、自分達に被害が及ばないような行動をしろと。

こういうことを形容する言葉がいまいち見つからない。
考えてるんだけどね。

まぁ、こんなくだらない事を示す言葉を
考えたくもなかったのかもしれない。



2004年04月15日(木)

無事、イラクで人質となっていた3人が開放されました。
良かったね、とまず言いたい。


さて、この先について考えてみる。

女性の方、カメラマン共に
またイラクに行く意思はあるようなコメントであった。

昨日友人と議論にもすこしなったのだが……。
さて、これで再びイラクを訪れ、つかまってしまった場合
我々はどのように感じるだろうか。

今回のことでも、自己責任でイラクに滞在し(目的はともかくとして)
その上でつかまってしまったのであり、
彼らのことで国がどうするということはわがままだ、と。

確かに正論である。
ご家族が懸命に助けてくれと訴えていた。
それを見て胸を痛める人がいる半面
こんなに悲しむなら行かせなければ良かったではないか
というような意見もある。

しかし、少し思い返してみれば
人質となったことで政府は責めていない。
本心はどうか知らないが人道支援、と言うことで
人質をとったグループを責めることはするが
人質となった3人について責任を求めることは言っていないのだ。

あくまで悪いのは犯人グループであり
3人は悪くない、ならば彼らが責められる理由は無い。
そう解釈もできるのではないか。

そして、彼らを責めない政府は我々が選んだ政党なのである。
この後の事は知らないが
現状で彼らは攻められる立場に無い。


もしも選挙にも行かず、
彼らを非難したり自衛隊に意見している人がいれば
私は笑うだろう。
(選挙権を持ってる人をですよ)


どうでもいいのだが
ディスカッションというものがある。

自分の意見をもって相手と議論する。
これが面白いもので
相手の意見が自分の物と違うということで否定していくと
だんだん自分の意見のつじつまが合わなくなっていく。

これは経験の少ない人ほどその傾向が強いと思うのだが……。

最終的にできるものは穴だらけの奇妙な意見になってしまう。
こういうのって楽しいな、と思う。
皮肉じゃなくて、純粋に楽しめると思うのだ。

……最近はその機会も減っちゃったなぁ。



2004年04月14日(水)

しかしまぁ……何についても批判する人というのはいるものだ。
イラクの人質3人の家族にも誹謗中傷が多くあるという。

人命がかかっており、その家族が心配するのは
当然のことだし、たとえ原因が何であろうと、心配なものは心配だ。

確かに言い分はわかる。
危険を承知でイラクに行き、それが原因でつかまってしまう。
それが原因で自衛隊の撤退するというのは
なるほど、難しいだろう。

当然、行かせてしまった家族にも責任がある。

しかし、それは今言うことであろうか?当人達に。
何よりも彼らがそれを痛いほど承知しているのである。

人の気持ちを考えずにものを言える神経というものが分からない。
言っていいことと悪いことがあるというのは
小学校で学ぶはずだと思うのだけれども。


しかし……そもそも自衛隊派遣しなければ
人質になることもなかったんですよね。
もちろん、国にも『文句』は言うのだろうけど
弱者に対してはそれ以上の仕打ちをする。
そういう人も結構おおいのではないだろうか。

……なんていうか『人道的』じゃないですよね。


そーいえば新聞を読んでいると
小泉総理大臣や川口外務大臣などが人質の人たちが
イラクのために働いているということのほかに
端々に自衛隊の正当性を説いている。

一方、イラクの宗教者のコメントとして
人質となった3人はイラク人のために働いていることをコメントし
自衛隊についてはアメリカを
支援しているように認識していることが見て取れた。

先日は自衛隊と3人を同列に語ることで
逆に犯人を刺激すると批判されていたが……。
なんていうかこういう状況でまで自衛隊を正当化したいのだろうか。
非常に変な気分である。



2004年04月13日(火)

合格しました。
北海道○報大学に。


別の大学の院生がなにいってるんだか、という感じですけどね。

……正確に言うと学生じゃないんですけど。
科目等履修生ってやつです。
必要な単位をとるやつ。


要綱を見る。
26単位(/1年)
いや、1年以上の在籍もできるんだけど
もろもろの都合により1年ぐらいが限界かと。

大学院の内容を考えてみる。
8科目。
ちなみに最低ラインは7科目。
この余剰の一科目はちょっと面倒かもしれない。

それに加えて13教科。
あーんど研究。
バイトも入れないと駄目だと思う。

……1年、無事に過ごせるのだろうか。



滅多にCD借りないんですけど
最近TUTAYAのカード作ったのでちょっと借りてみる。
谷村新司と井上陽水。
……ほかに借りるものがあるだろうと思いながら借りる。

ところで、乾杯って曲を聴きたいとおもった。
頭の中では谷村新司というイメージが何故かある。
適当に見てみるも見つからない。
まぁいいや、とおもってベスト版みたいなものを借りる。
インターネットで調べてみると長渕剛でした。

……いや、いいんだよ?気にしてないよ?
調べて分かってすっきりして―――
それでもこの釈然としない思いはなんだろう……。

学校でCDを聞きながら過ごす。
研究室だしヘッドホン着用。
頭の中に音楽が響くんですよね。
難聴になりたくないなーと思いながらも
ボリュームを上げてみたりする。

ふとおもった。頭に響く曲を聴きながら。
耳元で音がでてるんだよなー……。
これってもしかして
谷村新司が自分の耳元で歌ってるのと変わらない?
いや、曲の感じからするとささやかれてる!?

なんていうか想像してしまった俺は負けです。
……いぁ、曲好きですよ?(TT)
でもしばらく尾をひきそうです……。



2004年04月12日(月)

なんつーか、道を歩いている女性を見る。
綺麗だったり、可愛いい人が多いなーと思う。

電車に乗る。
混んでいたのもあり、すぐそばに女性が居る。
顔、この人も綺麗だよなーと思う。
その人はつり革をつかんでおり
位置的に俺の目の前に手があった。

んで、思ったわけです。
手の綺麗な人は少ないのかもしれないと。

道行く人の顔や手をじろじろ見てるわけじゃないし
別に確かな確証があっての話じゃないですけどね。

足タレ……でしたっけ?足が綺麗でCM等に足だけ出演してる人。
そーいうノリで、手タレってのかちょっと考え中。
「綺麗綺麗!」のハンドソープのCMじゃないけどさ。


日本……だけじゃないけど化粧っていうのがあるわけです。
綺麗に見せる為(昨今じゃ身だしなみという感がつよいのかな?)
色々ハイライトやシャドーを考えながらファンデーションを塗ったりと。

そういうので綺麗に見える部分っていうのはあるんだとは思いますが。
最近じゃ男性化粧っていうのも普通なんだろうけどね。
経験無いや。
……髭の濃いのどーにか隠したくて少し興味あるけどさ。

そーいえば以前バイト先の子がすっぴんで来て
その顔見たらなんとも言えなかったってことがあったなぁ……。

話がずれたかもしれない。

要するにネイルアートとかは良くあるけど
手、そのものの化粧って聞かないなって。

手を洗ったりするから化粧するもんでもないとは思うけど
それはそれとして腕の部分くらいなら化粧してもいいような気はする。

いぁ、化粧品って高いしむりだろーけどね。

なんだか取り留めの無い話になってしまった。
切り上げっと。



2004年04月11日(日)

イラクの人質事件。
24時間以内に解放するといってから
そろそろ24時間がたつ。
しかし一向に音沙汰がない。

無事である事を祈る。


チャットでイラク撤退をすべきか、という話になった。
結局結論はでない。
国という枠で同一視できないからだ。
世論、という言葉はあるが、決してそれは統一された意見ではない。

だからどちらが正しいという事はないのだ。


白と黒をはっきりと出来ないというのは非常に厄介。

けど世の中を動かしているのはそういう曖昧なもの。


さてここで―――
そのとき、私は白黒はっきりした意見を述べ
その上で相手の意見をしっかりと受け止めるか、
あるいは白と黒どちらが正しいとはいえないから
白と黒、どちらとも主張しない、か。

確かに白と黒だけじゃないけれど
自分の意見を白黒はっきりさせるのは必要……かもしれない。



2004年04月10日(土)

どーも気持ちに余裕がない。

フラストレーションがたまっているよーな。


ところで、今まで研究室にはパソコン詳しい人が
ほとんどいなかったのですが……
今年度はそうでもないみたいです。

外見、その実ともにいわゆる(?)アキバ系の彼ですが
もろもろ含めて俺よりすごい!
成績は学科で一番らしいし。
研究室はいってから比較的俺は活発に言うようになりましたが
それ以上に喋る喋る。
教育実習いってきたのもありまして声は
比較的出せると思ってましたが
俺よりはるかに声でけぇぇぇ!
しかも片手タイピングの速度がかなり速くて正確。
普通の人よかタイピングは早いだろうと思ってましたが
この人には勝てる気がしない。

……いや、なんか最近むしろタイピングの速度と
正確さを著しく欠いているよーな気はするんだけどな、俺の方も。



2004年04月08日(木)

イラクで日本人3人が人質となり、自衛隊の撤退を要求してきた。


小泉総理大臣を始め、与党にしてみれば
懸念していたことが……というところだろう。

当日記者会見で、自衛隊の撤退意思は無いという。

イラクの復興に携わるために行った人間を
拘束し、人質にするとはゆるしがたい、といっていた。

なるほど、その通りである。


しかしふと、こうも思う。
人質に取っているグループは子供を殺されたなどと言っていた。

たとえ、どのような方向性で、復興し様としているかはともかく
イラク人の多くの人もまた復興のために頑張っているのは事実だ。

結局、米国によって殺されてしまった人たちの中には
そういう人も多く含まれる。

それを支持した日本も当然ターゲットになるわけだ。

責任について問われ
何に対する責任か、と言う政府。

様々なことに対して曖昧にしてきたツケ(責任)に対する
責任ではないのだろうか。



2004年04月07日(水)

日本国の首相は相手の気持ちがわからないらしいです。
靖国参拝が違憲であると評価が判決がでて
それにより、各国がなぜ反対するのか分からないと何度も言う。

単純に考えれば、親の敵が眠っているところを
公人だろうが私人であろうが
敵の国の首相が訪れるというのは理解しがたいのだろう。

仮に親の敵でなくてもいい。
愛国心について日本も最近敏感になっているはずだ。

国を襲った人間達を参拝するというのは
愛国心からも肯定されるものではないはずである。

そういう面から考えても、首相が理解できないというのは可笑しい話だ。


愛国心といえば国旗国歌の話も思い出す。

先日から騒がれている都立学校の教員の不起立問題。
石原都知事が従順することこそ教育として大事だ
と、いった内容のことを話していた。

上からの命令に従うというのは確かに大切だし
教育者としては、そうあるべきかもしれない。

一方で国旗国歌は強制ではないと言っていた人たちのものは
都合よくなかったことにされているようだ。
さらに教育に関わるものでありながら脅迫まがいの命令である。
教師にとっても生活がある。
当然処分というのは軽い問題ではない。

今の状態が強制でも脅迫でもないというなら
まず辞書を書き換える事を薦めたいものである。

これでいったい何を子供達に教えることを期待しているのか。
知識といったもの以上に、親の背中(社会の背中)を見ながら
子供というのは成長していくのである。



2004年04月06日(火)

さて、世界にいったい何人の人がいて
どれほどの人が結婚し
何人の子供が生まれるか。

人と人との出会いは時として
―――詩でも歌でも小説でもいいが―――書かれる。

そのうちのいくつかは運命といった言葉がついたりするわけだ。


新宿を歩いていて、人がたくさんいた。
知り合いには会わなかった。


人と人が出会う確立など、数字にしたらとてつもなく小さい。
その中から、本当に最高といえるパートナーに出会えた人は
いったいどれほど居るのだろうか?

浮気とか、そう言った話ではなく
今隣にいる人間よりももっと自分にあった人間が
他に居る可能性のほうがはるかに高いのではないか。

なんとなくそういうことを考えていました。
……とりあえず隣に居る人が居ないわけで
私にゃかんけーないとは知ってるけどさ(T_T)



と、まぁそういう考え方もできるんだけど
実際のところは人と人との関係っていうのは
時間がはぐくむものですからね。

確かに今以上にふさわしい人に出会っていたなら
という考えはあるかもしれないけれど、
それで極端に何かが変るわけじゃないってことです。

ベターなバートナーはそれこそ星の数ほど候補がいて
それがベストになるかどうかは時間とお互いの生き方に依ります。

運命とか簡単な言葉で言うことは簡単かもしれないけれど
実際のところ、相性・関係、そう言ったものは
後付なんだろーな、と思う今日この頃。



2004年04月05日(月)

本日(月曜日)大学院の入学式だったので
有楽町まで行ってまいりました。

その帰りに、新宿紀伊国屋書店の方に寄ったわけですが
その途中、立て看板につかまったのだけれども
バランスを崩して倒れてしまったおじいさんがいたわけです。

んで、立とうとするんだけれどなかなか立てない。
そんな状況に遭遇しました。

そこで、その人を助けようとした人が
老若男女問わず居まして……。
まだまだ捨てたもんじゃないなーと。

昨今の人と人とのつながりの薄れたこの世、
まだこういう事ができる世界なんですね。



2004年04月04日(日)

さて、宗教についての何かを書こうとすると
これがさっぱりわからない。

別に私は神様を信じていないが
無神論者とはとてもいえないと思う。
別に神は居ないと『主張』しているわけじゃないからだ。

どの神様がいるかどうかと言う訳でもなく
神様が居る、居ないと論じているのでもなく
宗教そのものに興味がないだけなのだ。

と、22年間それで通してきたのだが
ここにきて宗教的な思想がどのようなものであり
例えば宗教的な対立とはどうして起こるか、ということを
知識として知りたい、あるいは設定として考えたいと考えたとき
まるで思いつかないという事態に陥ってしまった。

Aという宗教はBという宗教を否定するから
戦う事になった……なんてあまりにもいい加減な話だろう。

気に入らないから叩きのめすなんて
恐らく一般的な考え方じゃない。

ありそうなのは開祖が死んでから
宗教的な考え方の(とらえ方の)違いによる確執か。
それによる対立。

なにかこう……
知識が足りてないと悲しくなる事が
年をとるにつれて増えてくる。



2004年04月02日(金)

心にぽっかりと穴が一つ。
そんな気分になった今日一日。

あまり電車に乗らないためか
最近まいなす思考に陥る事が少なかったのでちょっとつらかった。
(電車に乗ると時々イライラがつのるんです)



なんていうか……子供の頃、破壊衝動ってありますよね。
レゴブロックでもいいし、積木でもいい。

何かを作った後に壊すということ。


プラモデルをいくつ壊しただろうか。
オモチャをいくつ壊しただろうか。
模型も壊したし
そうそう、ゲームで言うならシムシティ。
作った町を破壊する。


結局のところ、子供の頃からあったその衝動が
今も心に残ってるって事なのかもしれません。

ただし、成人してから……と言うわけでもないけれど
壊すもの、壊せるものがなくなってしまったから
その衝動が時々内へ向く、みたいな。


歩いてて壁をコブシで殴る事があったり。
コンクリートだから壊れないけど。

んじゃ気が晴れるからといって
自分のコブシが壊れる位に殴ることもないわけです。

自分が壊れる事には残念ながら恐怖を覚えるようです。
これで恐怖感じなくなったらそれこそ飛び降りたりするんだろうけど。
恐怖ってすばらしいね。
包丁見ても自分に突き刺さなくて済む。

もしも破壊の衝動が自分に向いて
恐怖とか、そういうタガというか、
自衛するための何かがが外れたときに
もしかしたら自虐的な行為しちゃうのかな、とは思う。


いまだ水泳に行っていて
泳ぐとすっきりするのは
もしかしたら力を出せる事だからかもしれないな〜っと。
思いっきり力を外に発散する機会なんて
昨今滅多にないもんだ。しかも全身運動。

考えてみれば叫ぶということすら何年やってないだろうか。
あぁ、カラオケには行くけれども。


泣き喚けばすっきりするかな、と思いつつも
泣ける理由もなければ叫ぶ理由もない。

なんだかわからないイライラだけがただつのって
そのことにイライラする、と。


時々怖いんですよ。
イライラが破壊衝動に変わって
破壊衝動が自分に向いて
自分を制御してる何かが外れたらと思うと。

頭をかきむしりたくなるような事、ありますよね?


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