1日雑記

2004年03月26日(金)

日本でテロが起こると思っている人はどれくらいいるだろうか。
その犠牲になるかもしれないと考えている人はどれくらいいるだろうか。

既に、テロ警戒の影響が日常生活の中に出てきている。
京王線・多摩モノレールではゴミ箱を封鎖した。

電車の中でもそれについての説明、
不信物を見かけたときは―――などという放送を行っていた。

ふと思う。
次の瞬間、ここが爆発するかもしれない。
そこで私は死ぬわけだ。

可能性はある。
でも死んでいる自分は想像していないし
恐らくあれだけいた電車の乗客の中には
それを現実の恐怖としてとらえている人は居ないだろう。

要するに、リアルじゃないってことなんだろう。

テレビを通すと全てがフィクションであるような錯覚に陥る事がある。
別に最近、というわけでもないが
もしかして人生の半分くらい
フィクションという感覚で構成されているのかもしれない。

だから意外と現実には弱い、俺。



2004年03月25日(木) 簡単に

卒業しました



2004年03月17日(水)

例えば、という言葉を良く使う。
比喩でやり取りするのを良く好む。

一方、本題をないがしろにしてしまっている事も多いことに気づく。

回り道。
急がば回れ、と。
道を渡ろうとするとき、少し離れたところに横断歩道があれば
そこに行け、と。

そのままわたろうとすると事故になるかもしれません。


人生……というか、生き方考えてると
蛇行してるんですよね。
決してまっすぐ進む事はない。

グネグネ進んだ軌跡を無駄と思うか、
そこで何かを得たと思うか……。

さて、どうなるでしょう?



2004年03月15日(月)

食べ物があって、味わうって事、ほとんどやってないなぁ。

でも口中口内炎で…。

ニュースステーションだったろうか、最後の晩餐という企画。

さて、俺なら何を食べるだろう?

そしてそれを味わうということをするだろうか?



2004年03月12日(金) 努力

どうにも、私の思考の半分くらいは
唐突な思いつきから始まるような気がします。

本日はダルイながらも水泳に行ってきたのですが
泳ぐ前にふと思ったわけです。

「俺、努力って言葉と何年くらい無縁だっただろうか」と。

何事もなるようになるさと過ごしてきて
実際なるようになってきました。

恐らくこれからもこんな日々でしょう。

ダルイっていうのは、半分以上気持ちからきてます、私の場合。
実際、泳いでしまえば体もすっきり、気持もすっきりです。

だから、ダルイって気持のとき、背筋を伸ばしてやると
少しだけ気持が楽になります。

なんていうか、背筋がまるまり、惰性で日々を過ごす。
そうしているうちに何か『頑張る』とか『集中』とか
『一生懸命』ってものが体の中からなくなって―――
いや、体の奥底で眠ってしまったのではないのかな、と。

さて、努力って言葉。
つらくても投げ出さないって事が前提ですが
……まだ、出来るでしょうか?



2004年03月11日(木)

春休み期間は2月も初めからのはずなのに
どういうわけか学校に行っているこのごろ。
いえ、理由はあるんですけどね。

一般の人に比べればそれでも随分楽なのだからと
自分を慰めているものの
やっぱり釈然としない思いはちょっとあります。


何かを書くとき、集中がなかなかできずに困るわけです。
ノって来るまでに時間がかかるし
ノるまでの誘惑も多いし。

むぅ、どうにも情けないなぁ。



2004年03月05日(金) 睡眠

とりあえずシュレディンガーの猫とトンネル効果について調べてみる。

なるほど、量子の世界じゃ当たり前のことが
当たり前じゃなくなったりするわけですね。

知らない世界ってのがたっぷりある訳で
知らないことがたくさんあるって
なんかせっかく生きてるのに悔しくないですか?

いや、興味のないことは知らなくてもいいんだけどね。


翌日久しぶりに早めに起きなくてはならなく、
眠気もあったのでとりあえず9時に就寝。
やっぱりと言うか、やっぱりなんですけど
1時ごろに目が覚める。
少しおきてて2時ごろに再び眠りにつくと
やっぱりと言うか、これまたやっぱりなんですが
眠れない。

気合で眠ったらなんと悪夢を見ました。

……いや、それはどーでも良いんですけどね。


さて、ここで一つ謎が。
例えば、眠くなくても寝ると、寝れます。
寝れないと、寝れません。

……良く分かりませんね。

つまり、1度眠り始めると、どんなに眠くなくても
睡眠を一定時間続けることができるってことが言いたいんです。

なぜでしょう?

睡眠という一定の状態を与えることができれば
それまで眠くなくてもその状態を維持することができる。
そのことについて疑問を抱いても良さそうなものでしたが……
今の今まで抱いていませんでした。

アレでしょうか、体内にも慣性力があって
体の状態が変化することを嫌う性質っていうのが存在するのでしょうか。

でもそれだと今度は目覚めというメカニズムが良く分からないんですよね。

眠りと目覚め(覚醒時)というのは明確に違うことが分かるけれど
その違いが何によってもたらされるのかについて
さっぱり分からないわけです。

医学的な何かがあるのかもしれませんが
睡眠で調べてみてもレム睡眠とノンレム睡眠とかの話題ばかり。

睡眠そのものの性質についてはほとんど述べられることがないわけです。

うーん、睡眠ってなんだろう?



2004年03月04日(木)

例えば、自分の身長が1兆キロメートルほどあったとします。
とりあえず地球の自転を止めてみたいのですが……ダメでしょうか?


とりあえず、不平不満が無いわけでもないし
愚痴がないわけでもない。
しかしその状況はNoといわなかった(言えなかった)
自分に責任があるわけです。

俺の場合、イライラが内側に溜まっていく気がするんですよね。
なんともかんとも。

理屈の部分と感情部分、矛盾があるのに無理に抑えようとするから
どこかで反動が来ちゃうんですよね。



2004年03月01日(月)

一つ悩んでみたわけです。

私は家という空間が好きですが
本日廊下から玄関のドアを開け、外に出るときにふと。

「暗いなぁ」

外では馬鹿馬鹿しいほど大きな光のエネルギーがあふれています。
要するに太陽の光。

人は火というものを使い
他の動物よりも優れた(?)進化を遂げました。
それは夜でも明かりを灯す事ができる画期的な道具でもあります。

闇を恐れている、という言葉が正確であるかどうかはともかくとして
日光という大きなエネルギーを遮り暗闇を作り
電気という大きなエネルギーを発生させ、光を作る。

ここに何か大きな矛盾があるのではないかと感じたわけです。

省エネと叫びながら、我々のやっていることはいったい何なのでしょうか?



新聞を見ていたら天声人語の総編集のようなものが
発売されると書いてありました。

ふと思えば、社説は最近読むけれど
天声人語はあまり読まないなぁと。

中学から高校受験のとき、天声人語を読んだほうがいいと
学校の先生に言われた記憶があります。

結局、新聞に目を通し始めたのは大学生になってからですが
天声人語を良く事は稀です。

これについても理由を考えてみました。

先日、暇だったので携帯からYahooにアクセスして
掲示板を覗いていたら
朝日新聞は偏っている、といった内容の書き込みがありました。

中身を読んでみてなるほどなぁ、と思うところもいくつか。

そんなこととか考えながら思い返してみれば
私がすきなのは他者を批判したゴシップ的な部分なのだろうかと。

あまり認めたくない自分の一面ではあるけれど
他人を貶した記事を読むことで
知らず知らずに優越感を感じていたのではないかと思ったわけです。

その裏づけか、あまり日経新聞(夕刊は日経です)を
読もうとおもわないんですよね。

聖人君子でありたいとは思わないまでも
人を貶すことで悦に浸ることはゆるしがたい性格……。
さてどうしたものか。


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