1日雑記

2004年02月29日(日)

中身の嫌な日記はさっさと新しいの書いて流すに限る―――
はずだったのにすっかり忘れてた。

そういえばそろそろアルバイト始めないとだめだなーって
思ってるんですが……
喫茶店とかでやってみたいなと思いながらも
近くにないこともあり結局ファミレスになりそうな予感。

例えば大学生活もそろそろ終わり、後悔もでてくるんですよね。

〜やっておけばよかった、と。
アルバイトなんてその一つ。

ファミレスではやっていたけど
もう少し色々な職種についてアルバイトしてみたかったな、と。

うん、どちらにせよ学費少しは稼がないと。



2004年02月25日(水) なんで死んじゃいけないの?

うちのトイレに「ひょっこりひょうたん島」の
日めくりカレンダーがあるんです。

その中で、「まず生きなきゃだめだ」
と書かれていたわけです。


さて、生きなきゃだめ。
このことに対する理由を考えてみたわけです。
そしてすぐには思いつきませんでした。


先日、ある学校の校長が責任を感じ、自殺をした時
私は教育者として、するべきではない行為であると考えました。

教育者という立場にあって、
児童生徒に死をもっての償いという事を
実体験から学ばせてしまうのは許されないと思うわけです。

ところが、生きなければならない理由を考えた時
理屈としてすぐに出てくることがなかったんです。

まず最初に思い浮かべたのが、肉親、友人が悲しむ
といった事でした。

しかしこれは、誰かが悲しむから止めろ、という事であり
本人の利害については考えていません。
例えば自殺しようとする本人にとって〜だから
自殺を止めろというようなことではないのです。

ならば自殺を止めることの理由は何でしょうか?

例えば電車での投身についても
大勢の人に迷惑がかかるから、という理由です。

迷惑でなければ死んでも良いのか?と問われて
どう答えるべきであるのでしょう。

生死や、善悪といったものについては理屈よりも倫理、
あるいは感情といった部分が大きいのはなんとなく分かりますが
当たり前のことを当たり前でないこととして問われた時
私達はどうするべきでしょうか?


その上で―――
私達の住む日本は、人を殺すという事について
死刑という制度で法的にも認めています。



2004年02月24日(火)

「料理はできますか?」
「カップラーメンが得意です」
「カップラーメンは料理とは言わないよ」

まぁ、この手の会話が実際に行われたことがあるかどうかは謎として
簡単な調理の代名詞であるカップラーメン。

今日、間違えました。

いやまぁ液体調味料入れ忘れただけなんですけどね。
なんか薄味だなとはおもったんですけど
気にせず食べちゃいました。
22年生きて初めての失敗ラーメン、か。


スキャナーをつけました。

組み立てたほうのPCのPCIにSCSIカード挿し込んで
使えるようにしましたが
なんとも対応OSWin95と3.1とか書いてあるし。
買ったのがPC98当時だった気がするし……良く動いたものです。



2004年02月23日(月)

別に最近考え事をしていないわけではない。

電車に乗る時間も増えたし、色々くだらないことは考えているが
前のように日記に書いていない為
恐らく後日思い返そうとしても無理だろうなぁ、という戯言。


例えば電車に乗りながら
これだけ人がいながら会話が無く
恐らく同じことを考えている人もいないであろう、とか。
アレだけ人がいながら、会話の一つも無く
何のつながりも無い人が一つの空間に押し込められる。

これって滑稽だと思うのは私だけなんでしょうか?


例えば先日(といってもかなり前)の新聞の話。
女子高生だったろうか、
「女の子くせに〜」というようなことを先生に言われたという内容。
それに対してタレントである、ピーコ氏がコメントをしていた。
それなりの文章の長さでかかれていたが要約すると
「ロクに社会も知らない子供が
 言葉じり捕らえてどこかで聞いたような批判するくらいなら、
 注意されたことに対する自らの行いを恥じろ」って事だったと思う。

それにしても高校生というのは
大人が思うほど子供ではなく
自分達が思っているほど大人ではないのだな、と。

これがなぜだろうか?と考えたりしたわけです。
高校生ともなると、自ら考え、結論を出すということをしている。
理屈に沿って。
そういう面では、社会(大人)が言うほど子供ではなく
保護する対象というよりは責任をとらせるべき対象だと思うわけだ。

ところがどっこい、この「自分で考え」という部分がくせもので
経験の少なさから、すこし軽薄な結論に至ることが少なくない。
そういう面では自分達が思っているよりはきっと子供なのだろうと。


これと少し関連することではあるが
例えば先日チャットをしていた。
そこで年齢は分からないまでも、軽い口論をしてしまったわけだ。

ふと思ったのである。口論の後。
例えば私は教職の免許を取れる。
=教員になれる可能性があったわけだ。

ネットという環境を考えた上で
口論の相手が高校生ということも十分に考えられる。

ということは、学校の教員と高校生の口論という図式が成り立つわけだ。
……傍から見るとどうだろう?
あまりにも間抜けじゃないだろうか?

というわけで少し反省。


就職ということを考えて、ちょっと思うわけである。
プロとアマの違いは何であろうか、と。

要約すると、期日を守ることなのだろう。
それがプロとしての責任であり
時間をいくらでもかけられるアマとは違うところであると。

プロであるならば、あるいはプロを目指すなら
この境界をきっちりと見極める必要があるのではないだろうか。



2004年02月15日(日)

私は

もっとも人として不幸な人は
他人を認められない人ではないかと

思う。



2004年02月06日(金)

という訳で、気合入れなおして水泳に行ったところ
死にそうでした。辛くて。

2ヶ月も間を空けると悲惨な事になるんですねぇ。
疲れたのでねることにします。

……といってもすでに4時だけど。



2004年02月05日(木)

やっと発表が終わりました。
これで大学生としての生活は
一通り終了したという事になります。

今後は院生としてやっていくことになります。
さて、気合のいれなおしです!


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