1日雑記

2003年08月31日(日) 後悔

例えそれがどんな事であったとしても
真剣になれることがあるのはいいことだ。
……そんな言葉を何度か聞いたことがあるような気がする。

少しとらえ方を変えると
例え、自分にとってそれほどくだらない事だとしても
世の中には真剣になれる人も居る。

一言で言ってしまえば価値観の相違なんだけどね。

しかしながら、俺は時々自分のしてる事に
意味があるのか考えてしまったりする。
それは、後になって今過ごしている時間が
無駄であったと後悔する日が来るのではないかと思うから。

で、何故そう思うかとさらに考えてみれば
後で後悔する自分は、普遍的なものの考え方をするという
前提を無意識のうちに作っているからかな、と。

三つ子の魂百まで……だっけ?
人ってのはそうそう変わるものでもない。
にもかかわらず、今のあり方を後悔するのであれば
それはきっと考え方が変わるからである。

きっと今の価値感と今後の価値観が変わってしまったときに
人って言うのは昔の自分の在り方を後悔するんじゃないのかな?



2003年08月30日(土) わからないこと

相変わらず育児について調べてみたりする。

ひたすらむなしい思いに駆られつつ、ネットを散策。

とりあえずいきなり保育園と幼稚園の境界に頭をなやませる。
何歳からが幼稚園だ?
年少組みってのがあったきもするし
多分重複する部分もあるのだろうと勝手に納得。
……正解ぷりーず(;;


一体、親には子供の気持ちは分からないんだと
何度考えたことだろう?

で、肝心のその気持ちはどこにいったのだろう?


子供の考えていることが分からなくなってきた年頃です。
すれ違いって悲しいんでしょうね。


とりあえず、全裸でうろつく小学校教師なんてものが居る限り
子供に大人は理解できないでしょう。

今年採用された23歳の教師だそうですよ。
誰が面接のプロで、誰が人を選んでいるのやら。

こんな事やった本人が罰せられるのは当然として
この場合、採用した側の責任も追及すべきなんじゃないだろうか?

教師というものをそれなりに考えたからこそ
あえて……。



2003年08月29日(金)

そーいえば、昨日はメンチカツ丼なるものについて
少し話しました。

まぁ、出来立てだったし、熱かったから
待たされたにしても、学食でそれを食べられたのはよかったかな?
巷で噂のモスの500円オーバーバーガーについては
10分くらい待たされるという噂もあるし。

問題は、蓋をせずに丼といっている事にある。

ゴハン大盛りようのプラスチックの御飯茶碗に
ゴハンと具(?)を乗っけて終わりなのだ。

ドンブリモノの蓋はただの飾りではない。
蒸らしという大切な意味を持つのだ。

……まぁ、味に厳格なわけじゃないし、
かまわないといえばかまわないんですけどね。


ついでに考えると
恐らく蓋をしないどんぶりなんて丼とは呼べない!
という人はたくさんいるでしょう。

で、そーすると蓋をしない
どんぶりモノはなんと呼ぶべきでしょうか?

メンチカツを卵とじしたもの(タレ付き)
……なんかちがーう



2003年08月28日(木) 疑問2

連日分かりにくい話で申し訳ない限りですが……。
人の優劣について考えてみた。

優れた人と劣っている人。
その基準はなんなのだろうか、と。
……いや、学食のメンチカツ丼が切れてて、
出来るまで数分待たされたんで何となく考えただけだったりするけど。

とりあえず学力、という言葉が出てきました。
頭の中に。
でも、全ての東大生は人間としてすばらしいか、と聞かれれば
恐らく答えはNOかな、と。
必ずしもいい人ばかりじゃないわけです。

んで、あぁそうか……色々な項目について
ひとまとめにして人の優劣考えるから
分かりにくいんだ、と気付く。

学力は学力、人格は人格として
それぞれに優劣が……って。

そこまで考えてまた疑問。
何故優劣をつけるのか、と。

これについては謎です。
人間の優劣という概念そのものに何の疑問も抱いていなかった事が
最大の謎です。

で、一応の結論としては
残念ながら、優劣について考えないようにしようとしても
「劣等感」を感じることがあるんですよ、人は。

劣等感ってものから優劣を自然なものとして受け入れてしまうような
感覚をもってしまったのではないかと。

ある意味必然なのかもしれませんね。
優れたものとそうでないものを判別するのは。
猿は本能的にそれをやっているわけですから。



そういえば、最近もう1つ疑問に思うことが。
湯船と蛇口と手桶の関係。

よーするに、湯船から手桶でお湯を取ることることありますよね?
……いや、ない人もたくさんいると思うけど。

あれって左手でやるか、右手でやるかってことです。

あんまり気付いていないと思いますが
生活している部分部分は、多くのことが規格化されています。
例えば、パソコンのディスプレの電源をちょっとみてみると
右側についてませんか?
……中央ってのもあるとは思うけど、ほとんど右。

例えば扇風機。
「切る」「弱」「中」「強」
恐らくは左からこの順番にならんでいるのでは?

……まぁ、それはそれとして
湯船にはそれがないような気がするんですよ。

母方の実家では、左側に湯船が位置するし
自宅では右側に位置します。
昔すんでた家も右。
友人宅では左。

でたらめなんですよ。

確かに、最近の風潮として
手桶を用いて湯を使うことは少ないかもしれませんが
昔からそれが利用されているならば
湯船の位置も規格化されていてしかるべきだったのではないかと。

それが規格化されていないことについて
ひたすらの疑問を感じる次第であります。



2003年08月27日(水) まわればまわる

何気なく読み返してみた昨日の日記。
やたらと末尾が『が』で終わってる事がおおい。
読みづらいというか、くどくていやですね。
小学校以来、句読点すら満足に書けないのは
恥という意外になんと呼べばいいのやら。



んで……

幸せってなんだろー?と素朴に考えてみたりします。

ぼーっと。

ありきたりで平凡な人生ってありますよね。

あれは幸せなんでしょうか?

ドラマとかで、受験生が時々

「一流の大学に入って、一流の会社に入ってなんになるんだ!」

なんて事いってたりします。異音同義(⇔同音異義)で。

……勉強嫌いで適当な大学入った俺のことは置いておいて。

なんになるのだろう?と考えた後に

何がダメなんだろう?と考えてみる。

結局のところ、幸せの感じ方っていうのは

その時代の背景によるわけです。

平凡であるといっても、同じように生きるのは困難を極め――

まぁ、それはそれとして。

悪役っぽい台詞ですが

「俺達が楽しければそれでいい」

天動説はともかくとして、

自己中心に回らない世界というのも悲しいし。

もう少し主観的に生きてもいいんじゃないかとおもう。

楽しむために。



2003年08月26日(火) キライ

そうそう、かなり前の話ですが
電車で「フリフリ」な服着てる女性がいたわけです。
なんとも形容し難く、フリフリになりましたが。

まぁ、そのときは何でこんなカッコしてる人が居るんだろう?
とひたすら疑問に思ったわけですが……。
およそ、私にはどのような場面であれをきるのかが分からないし。

そんなこんなで月日は流れたわけですが
本日、あの服の名称が判明いたしました。
所謂(いわゆる)「ゴシック&ロリータ」と呼ばれる服かと。
通称ゴスロリ。

相変わらずなんで着てたかは謎ですが……
とりあえずそういうジャンルとして確立されているようです。

分からない人から言えばひたすらに謎ですが
着ている人から言えば色々な葛藤などもあるようです。
いや、楽しんで着てる人もたくさんいるようですが。

葛藤を抱く理由としてはやっぱり普遍的じゃないからかな、と。
あとは子供に対する憧れ、
のようなものを書いている方もいましたが。
まぁ、好きなら好きでいいと思いますけどねぇ。


これまたどーでもいい話ですが
俺が嫌いな番組の1つに24時間テレビがあります。
特に愛は地球を救うなどというあたりが。

ただ、俺がひねくれてるだけだとは思うわけですが……。

俺の持つイメージとしてはわざわざつけたタイトルといい
「裕福な国の傲慢さ」を象徴しているようにしか思えないのです。

そして、出演する人々の行動に
TVの前で涙だした、というメッセージなどが送られるわけです。

一生懸命生きる人たちの姿に感動した、という理由はわかります。
しかし、地球を救う、というテーマであるならば
もっと別のところに涙が流されるべきなのではないかと……。

感動するべき事をして、それに対して感動する、
ということが多分きらいなんです。
感動とは、もう少し自然なものにたいして行われるべきだと。
悲しみも同様に。

作られたものは凄いかもしれませんが
その作るための労力は、
もう少し効率的に使われてもいいと思うのです。
……救うのであれば。

日本で行われていることに感動する、といいながら
部屋ではエヤコンが無駄に使われていたりとか……
そーいった相反する矛盾した行動は
嫌いな人間からしてみればなんとも滑稽……とまではいいませんが
奇妙にうつるものです。

これは余談ですが、愛は地球を救いません。
愛が救うのは人で、人が地球を救わなくては。
さらに言えば、地球を窮地に追いやっているのも人間です。



2003年08月24日(日) 結局ゲーム

そーいえば、最近ある事情により
ネットゲームから離れている。

で、感想。
……休日、暇ですよ。


正直なところ、こんなに手持ち無沙汰になるとはおもいませんでした。

それだけの時間を費やしているってことで
憂慮すべき事態なのかもしれないんですが
……なぜかあまりそう思わないんですよね。

まぁ、あれです。長電話だと思えば。
もしくは長チャット。


で、そういう訳で普通のゲームも久しぶりにやってみたりと。
ダーククロニクルってやつ。
昔CM見たんで何となく買って見ました。

……最近の小学生とかはゲームも難しい事やるんですねぇ。
それとも対象としている年齢が
明らかにファミコン世代、なんでしょうか?

もう少し気楽にできるゲームかとおもったら忙しかったです。
まぁ、楽しい事はたのしいんですけどね。



2003年08月23日(土) 筋肉

これでも、大学のほうで保健、のような事を勉強した。

その中で記憶にあることが、
「女性と男性では筋肉の性質が違う」というもの。

女性の場合、同じ状態で保つ事につよくて
男性の場合、動かす状態につよいというもの。
具体的に言うと、
女性が腕を曲げて、鞄を腕にぶら下げ続けるのはらくだが
男性の場合は苦手である。
逆に、男性では腕立てのように、動かす事はできるが
女性では苦である、というかんじ。

1年か2年も前の話しなので詳しいことは忘れたが。

何でこんな事を思い出したかといえば
電車で子連れの母親を2人ほど見たからである。

混んでいる電車の中で腕に子供を抱える母親。

今でこそ、ベビーカーなど、ベビー用品はそれこそ数多ある。
が、動物として、人間が子供を移動させる事を考えると
抱える以外にないわけです。

つまり、何故そういう筋肉に違いがあるかと考えたとき
生物として、母親は子供を長時間抱えることを
前提として生まれているからではないか、と考えてみました。

男女差別や、そーいった性質の話じゃないので
子育ては男親、女親かぎらず……ということはこの際関係なしです。

まぁ、一番根底となることからして
正しいかどうか分からないわけだからなんともいえませんがね。



2003年08月19日(火) 位置

で、何気なく考えてみたわけですが……
俺は人の痛みを分かるんでしょうかね、と。


ひどいことを普通に考えることができるんですよ。あんまり抵抗なく。
もちろん実行に移すことは稀なんですが……。

不思議なものでね、例えば弱者をけなすような事を考えることはできる、
でも、抵抗なくそれを考えられる部分に嫌悪感を抱く、と。

んで、自分がどの辺りに居るのかを疑問に思うわけです。

……まぁ、外道と呼ばれない程度にしたいと思います。



2003年08月17日(日) ぶーぶ

お盆休みも終わりそうなこのごろ、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

俺は久しぶりに運転してきました。
……やっぱり怖かったけど。

サイドミラー普通に出し忘れてたし。
まぁ、普通ですよね?



2003年08月14日(木) ふとへやみると

コアラ。

アライグマ

クマ

さて問題です。
これらは一体なんでしょうか?

<答え>
俺の部屋にある人形


はっきり言って自分でも何故こんなものがあるのか謎だ。
むさい男の持ってるもんじゃないと思うんだが。

まぁ俺が買ったって訳じゃないが。

そーいやディズニーランドでミッキーの手は買ったな。
3000円なり。

手触りがいいんですよ、手触り。
そのために持っているのかもしれない。



2003年08月12日(火) 少し長い話

毎度毎度ですが、ばかばかしくてよく分からない話に付き合ってください。

先日、歩いていたらセミが死んでたわけです。
こういう昆虫とかの死については、はかない、とか
色々なことがいわれます。

小学校だったか、読んだほんでは
蜻蛉の一生(だったかな?)などという文がありまして
小さな体に一杯の卵と、すぐに死んでしまう虫についての
色々な話が載っていた気がします。

これらの生きる事の意味、を一語で語るならば、
種の存続のために、ってことで終わります。
各個体の意味について考えるのは人間くらいですし、
それをさせるのは知能って部分です。

だから、種の存続、だけでもいいと思うのですが
あえて別の考え方をしてみました。


例えばセミは、各個体で生きている意味はなく
実は人がしらないだけで、
セミという種、すべてを統括している意識があるのではないか、
ということです。
だから、セミ全体で、一つの意識を持ってるのではないかってことです。

例えば一度くらい、聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
シムシティといわれる、町を作るゲームです。
あのゲームの中には『人』が居ますが
それぞれが意識を持っているわけではなく、
プレイヤーという『意識』のために
ゲームの中の人々が生きているに過ぎません。
その意識が色々な指示をだし、動きますが
中にいる人たちそれぞれの死については意味のない
必然のものとして扱われます。
プレイヤーのゲームを存続させるためだけに存在し
プレイヤーの意識さえ無事ならば、問題ないわけです。

妙な話ですが、人にしても
脳みそによって考える『意識』が存在し
それを神経などを通じて『細胞』という各固体が動きます。
各細胞は生まれたり死んだりしますが
意識が無事ならば問題ありませんし、
『人』という一つのものは意にも介しません。

それと同じように、セミの種という一つの意識があると考えれば
セミという各個体(人で言う細胞)は
死んでも問題ないのではないか、と。

もちろん、その性質から、その事実を人は知りません。

では、何故この考えに抵抗があるのでしょうか。
答えは簡単で、セミ一匹一匹が、バラバラに存在してるからです。
細胞とかはくっついてるけど
セミとかは各個体がバラバラに生きているから
それ全部で意識があるなんて考えないわけです。

でも、ふと考えれば
空気中という空間を通して
『意識』を伝えることは普段から行ってます。
例えばリモコンや、ラジコン。
あれはコントローラーから、本体を動かす事をしてるわけですから。

これに当てはめれば、もしかしたら
セミの鳴き声はこれに相当するかもしれません。

セミの種、という意思が、あるセミを鳴かせるという動作をすると
他の個体が近づいて、新たなセミというものを作ろうとするわけです。


まぁ、要するに本当はセミ単体ではなく
セミという種、全部で一つの意識を持っているのではないかという話し。

まったく分かりにくく、ばかばかしい話しにお付き合いくださり、
ありがとうございました。



2003年08月11日(月) ぽっきり

「でりけーとなおはだ」とは無縁の我が肉体。
毛はボーボーだし。
顔もあれだし。
無頓着だし。

荒れるだけ荒れても放置してるし、
そもそも気にならないし
傷だらけなわけですが―――


でもなぜか、石鹸とは相性があるらしい。
痒いんですよ、最近。

色々理由を考えたところ、石鹸だと言う結論が。
そーいえば昔も痒くなって、石鹸変えたら治ったんです。

いやですね、自分が思ってるよりも弱い体ってのは。
きっと中高年になったら、体に関してはずっとこんな感じなんだろう。
出来るはずなのに、と思いながら意地張って馬鹿を見る。

ちょいとまえから、頑固といわれる事が多くなった。
3つ子の魂100まで、と(あってたかな?)。
このまま成長したら、そのうち馬鹿を見るのは確実かな。
折れるところで折れたいものです。



2003年08月10日(日) 六本木○ルズ

某知人が仕事の関係で関西のほうから
2日間ほど六本木ヒルズのほうにいくらしい。

何につけては良く食べる人なので
仕事は二の次で2日間でどれだけの料理を食べられるか、
という事を悩んでいた。

かなーりの甘党で、週末には数個のケーキを購入したりやら、と。



さて、東京都民の私としては、与えられる情報があれば与えたいところ。
―――ごめんなさい、何も分かりません(TT)
所詮おいらみたいなやつは、そんなところで遊んだりしないのですよ。

つーか六本木ヒルズ自体、名前聞いたことあるなーくらいものだったし。


じゃ、ちょっと検索してみるかーってことで、googleを。
……はて?やたら数が少ないな。
もしかしてたいしたところじゃないのかなー?と思いつつ
検索結果のページを覗いてみる。
「……六本木ビルズって何?六本木ヒルズ―――」
などという言葉が目に止まる。

検索欄を見てみる。
『六本木ビルズ』
えぇ、素で間違えてましたよ。
六本木にビルがたくさんあるから六本木ビルズなのだと。
ヒルでしたよ。

こんなおいらは東京都民ですよ。
所詮区を全部いえませんよ。


んで、ヒルズに直して再検索。
たくさんの情報が〜。
……つーかでかいですな。

で、どんな店があるのかなー、と。
……まぁ、たくさん店があるのはいいとしましょう。

貧乏学生が遊べる場所じゃないってことは分かりましたよ。
おいらはカップラーメン
(っていうか『まるちゃん・緑のたぬきBIG』)さえあれば
幸せなんですよ。

あぁ、人の幸せって安く買えるんですね。
人ってすばらしい(TOT)



2003年08月09日(土) わからないこと

よくわからない事を何気なく行うこと度々。


電車の先頭車両に乗る。(改札に近いわけでもない)

ホームの端、ギリギリを歩く。(もちろん電車の来ないときに)

普段の半分以下の速度であるく。(普段は結構早足)

箸を左手でもって食べてみる。(この上ないくらい右利きです)

階段をスキップするように下りる。(てんてけてんてん♪)

冬に窓を開けて寝る。(風邪ひくことも……)

夏に厚い掛け布団。(もちろんかなり汗をかく)

クッションやらを唐突に買ってみる。(お金ないのに)

よくわからないことを度々考える。(でも理屈っぽいと思う)


ひとつひとつの事に、理由付けをしたりもしてみる。
実際、上のいくつかには理由があるだろう。
とはいえ、無駄なことがひたすら多いと思う。

だけど、ふと思えば俺にとっては重要な事なのかもしれない。
逆か。俺を形作ってるものがこんな事なんだ。

……まったく書いててよく分からない。



2003年08月07日(木) 一貫

で、日記登録した後に一応読み返すわけです。一度くらいは。

文章の末尾めちゃくちゃでしたよ(;;


こういう部分をしっかり出来てないというのは、どーにも、ね?
だらしなさが出ちゃってるんだと思いますが。
一貫性の無さ、ってところがですね。

タイピングになれてくると、誤字脱字のオンパレードだし。
そろそろもう少し、正確に早くタイピングしたいと思うこのごろです。



2003年08月06日(水) キルト

キルト、という言葉を聞いたことは一度くらいあるでしょう。

何を連想するでしょうか?
布?民族衣装?どちらを連想するでしょうか?

知っている方も多いかもしれませんが、
カタカナでキルトというと
布(生地)にしても、民族衣装にしても同じキルトです。
ただし、実際のところ、スペルは違います。

生地は   Quilt
民族衣装は Kilt
である。

ちなみにKiltのほうは、スコットランドの民族衣装である。
一言で言えば「タータンチェックのスカート」を「男の人」が着る。
日本ではその違和感から、印象的であるため
小中学校で学んだ事を覚えている人はおおい。

ちなみにおいらはQuiltとKiltを混同してしまっていたので
キルト=タータンチェックの生地と解釈していた。


まぁつまらない話しなんですがね。
外来語やらというものについて、先日色々決めてたそうですが……
こういう部分はずっとなおらないんだろうなぁ、と。
知識の問題だからね。

勉強ぶ〜そ〜く〜(;;



2003年08月05日(火) らいと

例えば、3時間かけて、ワード1,2枚程度しかかけないとへこむ。

かなり空白が多いものの、普段は13,4枚で仕上げる。

前回は24枚。びっくりだ。

うまくまとまらない。

書かないとだめだと思うものもあるんですが……と。



2003年08月04日(月) おやすみ

つーわけで、帰省してまいりました。
で、助手席に座り続けたら足の筋の痛みがでて、とまらない。
毎度毎度、教育実習に行き始めたころから痛み始めて
なおりゃしない。

とりあえず痛いし、今日は早めに寝ます。
おやすみー



2003年08月01日(金)

セミや鳥が鳴き、木々の葉を透過した光が降り注ぐ。
光を受けた葉は美しく、陰となる葉もまた、美しい。

……だめだ。

学校で、のんびりと上を見上げるとすんごい綺麗だったんですよ。葉。

陰になってる部分と、日が当たって新緑のように綺麗な緑。
そのコントラストがなんとも。

それを伝えようとして、何が良いのか。
絵と言うのはひとつの媒体だろうがそのものじゃない。
写真は実物に近いが、何かが足りない。
これらは音も聞こえない。

文章という媒体。
読者の想像力に依るところがおおきいが。

ふと思ったところで、背景描写(ここでは文章での)をする場合、
なるべく克明に書くことが望まれるのだろうか?

綺麗だと伝えるのに、あまり多くの言葉を並べるとくどくなる。
かといって少なすぎる言葉では表現しきれない。
想像させるのか、想像を掻き立てるのか。

少なくとも俺程度の語彙、表現力じゃ
綺麗な風景を表すことができないことが分かってします。

己の無力が恨めしい。


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