1日雑記

2003年01月30日(木)

ふと。

意味、意味、意味……
意味について散々語られたとき。

色々考えて、意味を見出すことに
意味があるのだろうかと考える。

意味がなければ無駄。

これって正論だろうか?
そして無駄な時間は人生にとって
百害あって一利なし、なのだろうか?


どんなに忙しくても
たった一杯のお茶を飲むだけのゆとりを…
時間にも心にも。
それだけあればとりあえず幸せかな、っと。



2003年01月28日(火)

♪君の背中は自分が思うように〜〜〜っと。
誰でも一度は聞いたことがあるであろう
「どんなときも」

直接は関係ないにしてもなんとなく連想してしまった。
「俺はどこに居ても俺だから」
そういえるほど、俺は自分があるのだろうか?

これってアイデンティティってやつか?
(ちょっと違いそう)







ところで消費税がなんで導入されたか
当初のことを覚えている人は何人くらい居るのだろうか。
本来は福祉のために導入された税金だったわけです。

今増やそうとしているのは福祉のためではなく
(正確には福祉のためだけではなく、だが)
慢性的な財政難によるものです。

消費税そのものは他の事に使用しているのだとは思うが…
なんていうのか、方便なんでしょうかね。

まぁ小泉さん、増やさないとか言ってますけど。
公約が守れなくてもたいした事ない、って言う人ですからね。

景気やらなんやらの大きな観点から見れば
増税しないといったようなものを守らなくても
たいした事ないとか言って終わりそーですけどね。
どこまで信用していいのやら。

さかさまの話。
イラクへの武力行使をめぐり
TVが連日やっている。
ふと見ていたらアメリカ支持(イラク攻撃の正当化?)には
新しい法律を作って
それの裏づけを行わないと…とか言ってましたが。

…逆じゃない?

その事を裏づけするのは
既存のものであって
新しく決めることを法律作って裏づけしても
なんら意味を持たないと思うのですが。
法律後に作ってたら法律の意味がない。
状況によって変えればいいんだから。


ついでにも一つ。
北朝鮮のことも連日やってます。
これもテレビで
「北朝鮮のドラマは娯楽ではなく
 これも政治の道具として…」とか。
内容は確かに反米的なものや
軍先政治の肯定的なものであったんですが…

そういうのが当たり前であるからこそ、
例えば反米的なものが娯楽になるんじゃないですか?


娯楽の基準は各国違うし、感じ方だって違う。

つまり楽しいと感じる世界が回りにあるから
同じような世界を語るものが娯楽なんであって
他国から見れば日本のドラマだって
国民を洗脳するためのそれに見えるかもしれない。

週刊誌なんかでもそうでしょうに。
そういう世界だから楽しいんです。


まぁ…北朝鮮だし…そうとばかりもいえないだろうけどね



2003年01月27日(月)

ありきたりなものはつまらないから
ひねくれて生きてみよう。


何をもってありきたりというのか。
「十人十色のありきたりな生き方」は日本語として適切か?
ありきたりな生き方はたくさんあるのに
同じ生き方はただの一つもない。
妙なものだね…


いやさ、現代文の問題は嫌いじゃないんだよ。
なんとなく3年前はコツがつかめてたし。
…まぁ所詮過去のことということか?

選択肢で二つまでには絞れたんだよ。
で、解答では俺と違うほうになってたんだけど
それは俺との解釈の違いだったわけだ。
俺は理解して考えた上で答えたわけです。

答えが間違ってたというよりも
解釈が異なると答えがわずかに変わるようなものを
答えの選択肢に書くこと自体が間違えてるとおもうんだけどなぁ



2003年01月26日(日)

みんな小難しいこと考えすぎだよ…俺も。

…という訳で大雑把に考えてみる。

人には2種類の状態しか存在しない。
生きてるか、死んでるか。

…といっても理不尽なもので
生から死にしかいけない上、
誰にでも平等に訪れるわけです。
嫌な一方通行だねぇ。

も一つ。
生きてる人間には
今幸せな人間とそうでない人しか居ないわけです。

という訳で結論は―――

皆幸せになろーよ…

面倒くさいこと考えないで。
ただ、単純に気分がいい時だけをなるべく多く過ごそうよ。
難しいこと考えるの疲れるでしょ…。

極端な話、麻薬も肯定してしまえばいい。
麻薬のことはよく知らないけど
過度に服用(?)してもしも死ぬのなら…
たくさん服用して気持ちのいい状態のまま死ぬなら
それって幸せじゃないの?
最後に人並みはずれた幸福感を味わって死ねるんだよ?
そうだ、安楽死も誰もが自由に行えるようにすればいい。

…だったらどんなに楽かね。
いや、個人で生きてるならそれでも良いんだろうけど。
一人で生まれ一人で育ち一人で死んでいくのなら。
人が死ねばその時点で誰かが不幸になるんだよね。
麻薬なんかは使った人が死ぬならともかく
そうでない場合はやっぱり誰かが不幸になる。

で、死が不可避である以上
人はいつか絶対幸せじゃない時間が来るわけです。
まぁ…その時間が気にならないくらい
幸せな時間を過ごせればそれで良い。


…うん、たくさん幸せになろうね



2003年01月24日(金) それには何かのわけがある〜

なんかNHKのカルタの番組見てるわけです。
なんというか、見えないのってらくだよね。
熱い!…って訳でもないんだけどね。
今度から本音はこっちで語ろうかと。
しかしなんというか…
まぁ…ネット上って性質考えると
いいところで終わるんですよね。
誰に見られるか分からないから迂闊にいえないけど
見事なまでに。
あんまりばかばかしいことを
これと似た話を少ししてみますか?
世間体気にしてしゃべるのは正直だるいでしょ。
先日肥満になったのはマクドナルドのせい…
抑えちゃいるけどあんまり胸中穏やかな
そういう訴えの判決がありました。
人種じゃないんだよね…
結局肥満になったのは本人のせいってことで決まったんだけどね。
まぁ、見えないと強く出るのは
これには少し背景があります。
あまりいい事じゃないけどね。
…いや、背景かどうか知らないけど。
コッソリした話題くらいなら
普通だったら多分訴えないと思うんですよね。
こっちで書いてもいいかもしれないなぁ…と。
それでも訴えたのは、
面倒なんで、いつまで続けるか分からないけどね(笑
実は以前、マクドナルドのコーヒーを

車の運転中か何かにこぼしてやけどした人が

マクドナルドを訴えて勝訴したことがあるんです。

これに起因しているんじゃないかな、と思ったり。

…あぁ話がずれた。

例えばですね、いいところで番組が終わるのはストレスがたまる。

それに対して訴えて勝訴できるでしょうか…?

精神的苦痛とか…ストレスによる二次障害みたいなものとか…。

ダメかな。



2003年01月23日(木)

前日の続き。

そう、人以外なら…ペンギンがいいかもしれない。
時々思い出したように何かを考えるんだ。
じーっとしながら。
もしかしたら魚をくちばしから半分くらい出したまま固まる。
それがペンギンだ。(パタパタ)



というかさ、現在の首相さん、面白いよね。
靖国参拝したあとに友好やらを言えるなんて。
相手の古傷をえぐりながら
にこやかに「仲良くしましょう」と
言っているようなもんですよ?

そんなことが相手に受け入れられるかどうかなんて
小学生でも知っている…というより人間として
それくらいのことは分かってるべきでしょうに。

そんなことを平然と行うのは
分かっていないなら真性の馬○だし
わかってやってるなら総理失格だろ。

まぁ他に総理になれそうな人が居ないのも事実なんだけどね。
前首相よか何ぼかましだし。

たとえるならアレですかね…
ビンラディン氏?
彼が
「飛行機をハイジャックして死んだ人達に哀悼の意を表明します」
とか言いながら
にこやかにブッシュに握手を求めるようなものですかね?
やってることはあまり変わらんと思うんだが。



パタパタ…
羽ばたくペンギンはきっと可愛いと思います



2003年01月22日(水)

一日中何をするでもなくゴロゴロゴロゴロゴロゴロ
春休みになったらずっとこんな生活だろうか?
客観的にみて人間やめたくなりますよ。
というか、人間としての価値は存在するのか?



2003年01月21日(火)

なんとなく思い起こすと…
今日はダメな日だ。

起きた時間が昼は3時ごろ。
この時点で今日一日はすでにダメムード満点。

なんとなく思い出したように
パトレイバーの映画を見る。
…久しぶりに見たけどやっぱいぃ。
テープがそろそろダメッポいのがかなり悲しい。

なんとなく自分の中でパトレイバーが大部分を占めたので
Googleで検索してみる。
で、なんか色々書いてあるサイトがあったので
なんとなく読んでいると6時も回る。

そこでふと見つけた精神年齢鑑定へのリンク。
何気なくやってみると…37才(実年齢21)
かなりへこむ。

TVでボブサップやらホーネストやらをやっていたので見る。
…これは…ダメだ…俺には。
先日やってた深夜番組のプロレスは面白かった。
熱かったよ。
あんな試合ばかりなら俺はファンになっていたかもしれない。

剣客商売を半分くらい見たところで
なんとなく散歩に。
ぶらぶら歩いて古本屋に寄る。
何冊か購入してまた歩く。

かえってきたら11時。
剣客商売半分で8時半だから
散歩に2時間以上も…
まぁ星がきれいだったしいいか。

帰ってきたら買ってきた漫画を読んでみる。
2種6冊。内一種は4冊で完結。
最初に読んだやつ。
…とことん分からない。
さっぱりだ。

次に読んだやつ。
…なんていうかイタイ。
ひたすら欲望の赴くままに描きたいこと描いてるような…。
…これでも商業誌なのだろうか?
一部商業誌は質がどんどん下がってる気がするなぁ。

余談ですがコンビニで弁当を買った。
小腹が空いたので。
商品並べるんで忙しいのは分かるが
弁当買ったら温めるかどうかぐらい聞いてくれ。
何も聞かずに冷たいまま袋に詰めようとしないで頂戴(;;)。



2003年01月20日(月) 勝利と敗北

テストが今日ありました。
ヤマはってたわけでもないけど
…いや、ちょっとヤマっぽいけど
とりあえず勝利だ。

それより怖いのが出席日数。
結構出てたつもりなんだけど
毎週返却されるプリントが手元にたった4枚しかない。
全部で12週くらいあるわけですが…。
…さてこれは何を意味するのでしょうか?



2003年01月19日(日) 文字

とりあえず…
内容として『ふと思ったんだけど』が多いわけですが。
今回も例にもれずに
ふと思ったわけです。

字の形というのは人それぞれの個性があるわけですが
これは何に依存するものなのでしょうか?

例えば俺は性格というものは育った環境に依存すると思っています。
あるいは顔の形も。
果たして字の形は何に依存するのでしょうか?

丸文字やなんやらという
総称的なものはあるけれど
人によって形ば微妙に違うのは事実です。

神戸のあの事件(中学生のあの事件です)で
取り上げられたものの中に手紙がありまして
『こういうような字は…』
と専門家の人が偉そうにウンチクをたれていました。

まぁ多少は人なりが文字からもつかめるということでしょう。
そうするとやっぱり正確から決まってきて
それはイコール環境によって変わってくるのでしょうか。



2003年01月18日(土)

多分俺は
演説できない人間だなっと。

日記、書いててふと思ったのが
断定的に書いていることが少ないんだよ。

〜だと思うって書いていることが多いし。

断定的に書かないのはただ自信が無いからなのでしょうか?
そういうことだけじゃない気もするんだけどね。



2003年01月17日(金)

何かを考える時間っていいですね。
最近こういう時間が減っているような気がしてならない。

ごく稀に日記を読み返すことがある。
分かりにくい。これに尽きる。
自分で書いていて自分で読んで自分で分かりにくいと思う。
あれですね、文章っていうのは
ちゃんと推敲するべきですね。



2003年01月16日(木)

ちょっとだけ分からないことが。

「人間とは何か」
分からないのはこの答えではなくて
例えばこの種の問題を研究している人は
どういう風に考えているのだろう、
ということが分からないんです。

私の見解ですが
「人間とは何か」
というような問いは、絶対にこれだ、という答えが無いと思うのです。
なぜならば1+1=2というように
絶対にこれだ、というような法則にのっとった
証明が不可能であると考えるからです。

知りたいのはこの種の問題を研究する人たちは
絶対的な答えがあると思って研究しているのか
それとも人によって解釈が異なると思って研究しているのか。
そういうことです。

もしも人によって答えが違うと考えながら
この問題に取り組んでいるのであれば
その人たちはただ、自分なりの答えを得て
ただ満足するためだけに研究しているのでしょうか?

それがいまいち分からないんですよね



2003年01月14日(火)


「…こわれちゃった」

人が壊れたのか、自分の心が壊れたのか、日常が壊れたのか
あるいは自分の『おもちゃ』が壊れたのか

とりあえず鮮血に染まった手だけは事実。

――――――――――――――――――

いや、何でもないんですけど
書きたくなったから書いたわけで…
「こわれる」という言葉から
何を連想できるかなぁ…と。

――――――――――――――――――

ふと思うんですよね。
手の消えぬ傷やしみを見るたびに。
過去の自分ってなんなのだろうかと。

結局過去は現在じゃないんですよ。
お話と経験とどれほどの差があるものなのかと。

結局過去は過去でどんなに印象深いことでも
結局思い出でしかなく
それを現実に再現することは(過去をもう一度取り戻すことは)
できないんですよ。

そう考えたとき過去にどれほどの意味があるのだろうかと。

曖昧であり、そこにあったという記憶しか証明するものがない。
それが過去。
手の傷でさえ、記憶が覚えているだけ。
証明できるのは記憶だけ。

極端な話、映画とかでたまにあるでしょう。
作られた記憶。
別にこれが可能かどうかなんて議論する必要はなくて
仮にそういうことがあったとしたら
今は一体なんなのだろうか?

今ここに居るのは過去の積み重ねだけど
過去の積み重ねを覚えていても
現在居る場所が変わるわけじゃない。


―――過去に意味はあるのでしょうか?



2003年01月13日(月)

ミッキー「HAHAHA!」

マイク「Oh、マイク!何を高笑いしているんだい?」

ミッキー「マイク、君が変なことを言うからさ」

マイク「僕が変な事言ったかい?」

ミッキー「高笑いしているのは君じゃなくて僕さ」

マイク「MyGod!ミッキー…でも君は僕のボケの前に笑っていたよ」

ミッキー「うーん…それは正しくないな」

マイク「Why?」

ミッキー「君がボケる前に僕が笑ったんじゃなくて
     僕が笑った後に君がボケたのさ」

マイク「それにどれほどの差があるというんだい?」

ミッキー「Oh!マーイク…君の口からそんな言葉が出るとは…」

マイク「期待に添えなくて残念だよ」

ミッキー「いいかい?マイク…。
     数学には命題と逆説というのがあるんだよ」

マイク「君が数学者だとは知らなかったよ、ミッキー…」

ミッキー「AがならBであるとBならAであるはイコールじゃないだ」

マイク「そうなのかい?」

ミッキー「いいかい?鳥ならば飛ぶ と 飛ぶならば鳥
     この二つはイコールじゃないだろう?」

マイク「本当だ…なんてこったい。ところでペンギンは?」

ミッキー「つまりこれから考えると―――」

マイク「オイオイ…無視しないでくれよ」

ミッキー「Oh!いいかい?マイク…。
     無視とは字の如く、本来は視覚によるものさ」

マイク「なるほど。
    つまり目の前に居る僕は無視されていないんだね?」

ミッキー「そのとおりさ、マイク。話を進めるよ」

マイク「OK」

ミッキー「つまり前の語句と後ろの語句を入れ替えたものは
     イコールじゃないんだよ」

マイク「なるほど。
    つまり君が笑ってから僕がボケるのと
    僕がボケてから君が笑うのはイコールじゃないんだね?」

ミッキー「まさにそのとおりさ」

マイク「ありがとう。勉強になったよミッキー。
    夏にTシャツを前後ろ逆に着ると
    大変になるって事がよく分かったよ」

ミッキー「そのとおりさ。Tシャツを前後ろ逆に着ると
     それはTシャツじゃなくなってしまう。
     これは忌々しき事態さ。
     Tシャツも着ないで街を歩くなんて…。
     さて、それじゃ僕は帰るよ」

マイク「今度からはTシャツを着るときはよく注意するよ。
    バイバイ、ミッキー…」


―――――――――――――――――――――

基本的に嘘です



2003年01月12日(日)

成人式という区切りを考えると
結構この日記も続けてる(書かないときもあるけど)んだなぁ…っと。
多分去年の日記を読めば
川崎市の成人式に行った、とか
Mrマリックが来た、とか書いてあると思うわけです。
…見てないから違うかもしれないけど。
あれから1年経っているんだね。

突然話が変わっているように見えますが…
私の部屋はよく汚れます。
ついこの前、掃除機かけたと思っても
すぐに埃やら毛やらが落ちています。
でも冷静に考えれば
掃除機かけてから日数が結構経ってたり、と。

二つとも共通することは
時間は思ったより早いんだなぁ…って。
というよりも、その事を基準と考えるべきだと。

もう少し身近な例で言いましょう。
毎年、年の瀬になると
「もう一年も経つんだね」とか
「ついこの前お正月を迎えた気がしたのに」とか言うわけです。
齢数十年を重ねて
毎年同じように今年も一年早かった、なんて言うのは
ある意味愚かしいと思いませんか?

この場合の早い、遅いは自分の感覚の相対的なものであるはずです。
いい加減、一年という時間の短さを標準の物とするべきでは?

まぁ…これはこれですごいことなんですけどね。
人間は適応能力があるので
「その環境」を標準のものとして
体がとらえることが出来るわけです。
いえ、嫌でも適応していってしまいます。

にもかかわらず、一年という時間の感覚だけは
毎年短いと感じることが出来る。
これは人としてすごいことなんでしょう。
(すごいことはすごいけど
 要するに生きてる時間を短く感じるわけだから
 内容的には最悪ですが)

もっとも毎年を長く感じるような人は
多分…体が持ちませんけどね。



2003年01月09日(木)

何気なしに原付で通学。
帰り道ふと大型車の後ろにつける。
少々接近して危ないかな〜などと考えながら走行。
カーブに至る。
ふと見える大型車のタイヤを隠す泥除け。
の一文字。
…何事?

そのトレーラーには何もついていなかったけど…
毒ってなに、毒って…



2003年01月08日(水)

先日、何気なしにふと思ったんですけど。
「悟りを開く」あるいは「悟る」という言葉があります。
それに対して
「間違ってたらどうするんだ?」
ってこと。


まぁ悟りということの元来の意味は正確には知りませんが
イメージとして
「その事に対してすべてを解る」
的なものがあるわけなんですよ。

悟りを開くって…
悩みぬいた末、一つひらめきを得るようなイメージでしょうかね?
数学の問題悩んでたら突然解法を思いついたような。
(ちょっと違うか)

いや、ちょっと前までは
「その事に対して絶対的な答えを得る」
という風に思っていたわけですが
少し考えるとあまりにもそれは愚かしい考えだとわかったので。

今にして思えば
「その事の根本を本当に理解する」
というような事なのかも知れないなぁ、と。


そもそも何でこんなこと書いたかというと
悟りについて考えてた折、こんな話を聞いたから。
「ある(匿名)病院の先生が
 末期がんの人に死について語るという話。
 並みの人には出来ない、きっと悟っているんだろうな」と。
それで悟りってなんなのかな…とか思ったわけです。

その事について悟った人間が
他人の意見を聞いて、
それに対する認識を変えていく事はあるのか、と。
悟りが絶対的なものであるならば
(相対的、普遍的でなくても、個人的にで可)
ともすればそれは悪い意味で頑固な信念になってしまわないのかと。

悟りきった事には間違いがあったり
修正の余地が無いというかもしれないが…
ありえないですよね、普通に考えて。
悟ったという感覚が個人の物であれば特にそうだし
仮に他人がこの人は悟ってるなんて思っても
やっぱりそれはその人個人の感覚でしかないわけです。
100人居て100人に共通の意見として通るものは
もはや人が『考える』性質のものではないのではないかと。

ちなみに上記のもので算数、数学などというものがあるきもしますが
これは新しく『考える』部類ではなく
既存のものを『習う』といった部類に入ると思うので…。
事実、新しい法則などを発見するにあたっては
100人が100人同じ考えで進むのではなく
紆余曲折を経て答えを得るわけですから。


まぁ…何が言いたいわけでもないんですがね。
悟りを開いた、何かを悟ったなどと考えるのは
本当にいいことなのかな…と。
変わっていける事がすばらしいとおもいますから…



2003年01月06日(月)

これより書かれる文章は一部歪んでおりますが
あらかじめご了承ください。

さて、お立会い。
昔の人は言いました。
その名言を格言といいます。
例えば―――
「おやつは300円まで。バナナはおやつに入らない」
などです。

こんな格言があります。
「殺したいほど愛してる!」
まさに恋愛の苦しさを的確に表している
すばらしい格言といえるでしょう。
ことわざに
「可愛さあまって憎さ100倍」
というものがあります。
これに順じて言うならば
「愛しさあまって殺意100倍」
といったところでしょうか。

この格言の同義をなすものとして
「私と死んで頂戴」

「あなたを殺せばずっと私のもの」
などがあります。

これらに対して一言述べさせていただくなら
「そんなイタイ愛は嫌だ」
で、余すことなくすべてを伝えることが出来るでしょう。


さてここで、お正月にやっていた「忠臣蔵」をあげてみます。
これには
「討ち入りに行く=死ぬ」
という方程式が存在します。
このドラマの中で討ち入りに行こうとする人に対して
「どうせ死ぬなら私のために死んで」
という場面がありました。
…曖昧な記憶ですが。
(まぁ10時間の内の2秒を取り上げてるわけですから
 そこに至る過程をまったく書いていないことからも
 これだけで判断する愚かさは語るまでも無いと思いますが)

つまりですね
「♪あなたな〜ら どぉするぅ〜?♪」
と、言うわけです。
作中では結局殺されることを受け入れたわけですが。
これがどれほど
「あなたを殺せばずっと私のもの」
と、違いがあるかを考えるわけです。

これはイタイ愛に分類されるか否か。
まさに永遠のテーマといえるでしょう。



2003年01月05日(日)

昔からよく古本屋を愛用しています。
いや…ほとんどは漫画購入(多分)だから
誇れることじゃないんですけどね。

で、大小色々なところをめぐったり
当然チェーン店も行くわけです。
だけどなぜか相性の悪いチェーン店もあるんですよね。
今日もそこいったんですが…
欲しいものはあったんですよ?
でも何故か購入したものナシ。

LD・ターミネータ2  250円
LD・バックドラフト  750円
小説・三毛猫ホームズ  100円
etc・etc…

買えない値段じゃないのになぜか買わない。
苦手意識があるのかなぁ?



そうそう、昨日録画したプライベートライアンをちょっと見る。
多少の違いこそあれ、戦争を直視すればあんな感じだろうね。
人が死ぬ…
いや、人を殺す、殺されるというのはあーいったものです。
どんなに正当化しようとしても
その現実が変るわけじゃない。
その行為に加担することも、また然り。

敵であろうと味方であろうと
吹き飛んだ片手を捜してうろついている人や
或いは腹から飛び出した腸を必死に押さえながら
母の名を叫ぶような人を目の前にして
戦争を肯定するようなことが言えるかどうか。
言えるくらいならそれだけの信念を持っているんだろう。
(もちろん死にかけている人たちにはそんなことは関係ないが)
…もっともそんなことが出来る人は
人としてどうなのか、と思うけどね。

結局のところ、死にそうな人たちを目の前にして
その人たちに自分の考えをはっきりと言えるか、
それだけの自信と確信をもって法改正なりしてもらいたいものです。
言葉遊びとも思えるような法の解釈をしながら
自衛隊なりを動かして欲しくはないからね。



2003年01月04日(土)

で、映画「ホワイトアウト」みたわけですが…。


最初に小説の後書きから簡単に書かせてもらいます。
とりあえずべた褒め。
後書きは得てして、そういうものが多いから気にはならなかったけど。
まぁ読んでいてそれなりのレベルの人だな、って言うのは
なんとなく感じましたけど。
…いや、えらそうにしてますけど
素直にすごいと思っていますよ。この人に限らず。
別に俺は評論家じゃないし
数々の小説を読破してきたわけでもない。
それでも比較的読みやすい部類の小説ではあったと思う。
ストーリ自体は…どうかなぁ…というのがちょっとあったけど。

映画について。
駄…とまでは言わないけど好んで見たいとも思えない内容でした。
もともとの小説とはいくらか違った場面もありましたが
最大の問題はこの小説が仲間同士の絡み合い、
そういうのが少ないことかと。
小説と違う部分の変な方向にずれていたような。

TVでも映画でも「思考部分」の表現って難しいと思うんですよ。
出来ないくはないけど、多用できるものでもない。
でもこの小説は基本的に主人公一人で動いている。
そこに大きな矛盾があるんだと思う。
言いたいこと、その何分の1も伝わらなかったんじゃないかなって。

ついでに言うと、人が言葉にしてしまうと
感動も何もなくなってしまう、そういうものがあるのに
表現することが出来なくて言葉に出してしまった…
そんな印象が微妙にあったかな。

映像には映像の利点が
文章には文章の利点が。
利点というよりも得手不得手といったほうが正しいかな。
作品自体が映像には不得手なんじゃないのかなっと。

とりあえず…
小説版ですが主要キャラ以外の扱いがちょっと。
もう少し意味を持たせて欲しかった…。
映画版は…せめて降雪量のもう少し多い部分で撮るとか…
どうにかならなかったものでしょうか?



2003年01月03日(金)

里帰りしてたので日記の更新してませんでした。
何してたかというとひたすら寝てたんですけどね。
後は購入した三毛猫ホームズとホワイト・アウトの
小説を読んでたりとか。
三毛猫ホームズのリフォーム…って題だったかな?
一ついいたいことがあるとすれば…
今回ホームズ出番少なすぎ。
推理ほとんどしてなかったような気がします。
まぁ面白かったのでいいのですが。
ホワイトアウトもなかなか面白かったかな。
明日映画やるとかやらないとか。
みたものかなぁ…?

あぁ…微妙に風邪気味


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