1日雑記

2001年07月30日(月) さよならの形

さて、まず報告させてもらいます。
今日から8月の20日前後まで日記の更新が止まります。
…多分。
いや、携帯で利用できそうではあるんだけど
金がかかるし。
と、いうわけでしばらくさよなら。

もう一つ。
完璧に自分の話ですけど。
20歳になりました。今日で。
もう、迂闊に悪いことは出来ません。…しないけど。多分。
10代にさようなら。

いろんな意味で区切りであると思う、20歳。
平均寿命から考えるとおよそ4分の1。

気づけば時間は過ぎていく。
もう、19ではないのか、と。
そんな実感をする暇もなく。

何をするべきでどのように生きるべきか。
…当面は生き方をかえる気はない。
ただ、今以外のどこで区切りをつけられよう?
今以上の区切りなど…。

正直なところ、少し戸惑っているのかもしれない。
20という数字は思ってるほどに重い。
悲観的なまでに。
少しは予想を裏切ってくれ、そんな感じ。

10代でいるうちは甘えられた。
甘えていた。
これから、甘えることは…するのかな?
したくはない。
少なくともけじめはつけたい。

また、考える。
変わることの重みと変わらないことの重み。
10代と20代の間には大きな隔たりがあるんだろう。
その一方で10代から20代へと変わる瞬間…
俺は皿を洗っていたし気づきもしなかった。
結局毎日の延長ですらない。

何も変わらずに過ぎる、過ぎる、過ぎるというだけ。
その中の過程でしかない。

そこにある違いは結局は意識の問題。
それは自分でつけられること。
区切りがあるからつけられる。
当然、自分でつける事だって可能なのに。

もっとも世間の目は変わるけどね。

ただ、やっぱり年なんてモノは毎日の延長ですらないと思うよ。
年を取るときより日常の中にあることのほうが
ずっと有意義であることが多いのだから。

例えば、二十歳になったからといって急に酒に強くなるわけでも
タバコを吸っても平気になるわけでもない。

単なる区切り。
それが重要であるのか、無意味であるのか。

意味を考えている時点でボクにっとっては無意味ではないだろう。
それがどんな意味を持っていたとしても。

結論。
ボクは10代に別れを告げる事を変わるところではなく
単なる通過点としてみることにする。
ゴールではなく中継点。
押し返し地点ですらなく、単なる給水所。
給水することの意味、効果、影響。
その結果はゴールしてから考えることにしよう…。
ゆっくりと。



2001年07月29日(日) すすすぅ…

そこに文章があった。
どうするべきか?

ボクはそれを読み込むべきであったかもしれない。
それは理解できることだったか?
…全部ではないにしろ、半分は。おそらくではあるが。

ただし、僕はそれをしなかった。
早い話が眠かったんだね。

このあとにバイトが控えている。
だから寝る時間が少なくなる。

そして今は眠い。
眠気はやる気をそぐ。

だけどそれを理解すべきであるための期限、
それまでの時間は多く残ってるわけではない。

状況的にも、厳しい。

結局は自分なりの解釈をそこに加えるだけなんだ。
それで一つが完結する。



2001年07月28日(土) こんなとき

少しピンチ。
教習所は(きっと)暇です。

①音楽を聴く    ⇒環境がない(ウォークマン故障中)

②何かを書く    ⇒安い電子辞書がない(漢字が…)

③GBをやる    ⇒貸し出し中(本体を)

④寝る       ⇒えいえんはあるよ



2001年07月27日(金) 逆に

一言で相手を切り捨てるとき
「よかったね」とか「気持ち悪い」とか

いや、俺はやってないよ、一言で相手を切り捨てること。
…多分。

望むべきものはそんなものじゃないし。

いや、やるなら多分徹底的にやりたくなるから。
それでも殻は破れないんだろうな。

だから人を誉める技が欲しいかな。

結局後悔はしてしまった。
いや、感覚的にはしていないんだ。
精神面がね、落ち着かないの。
もはや意思の問題じゃない。

本来は馴れの問題なんだろうけど。
後悔馴れなんてまっぴらゴメン、願い下げだね。



2001年07月26日(木) 気づく、こと

  
   

   涙の質と   流すことの意味



2001年07月25日(水) ひねくれて

選挙に行ってきました。
不在者投票。
実のところ小選挙区は誰でも良かった。
だが、どうしても入れたくない人がいた。
「○○○○をよろしくお願いします」
「○○○○、○○○○です」
「○○○○をよろしくお願いします」

だからうるさいって。しつこいし。
しかも具体性がない。名前だけ連呼して何を期待する?
選挙にいけるようになったら
絶対こういう人には入れたくないって思ってたから。
あー実現できて少し満足?



2001年07月24日(火) ためこんで

どのくらい疲れて、どのくらい悩んで、どのくらい痛みを感じ
そのくらい悲しく、どのくらい激しく、どのくらい自分を…。

あんまり自虐的なのはよくないんだけれど。
俺の場合、自虐…なのかなぁ?

冷静なときの自分から見れば
自虐的なときの自分なんて、ただ自分を堕して見る事で
逆に自分を慰めてるだけなんだよね。

それによって救いを見出すっていうのか。
ちょっと冷静になれば
とてもじゃないけど、自分が許せなくなるような行為かもしれない。

でも、おれは今までの人生の中でこうしてきたし、
それは代えようとおもっても変わるものではないとおもう。

そんな風に落ち込んだフリ(あえてここではこういう)をして
物事を考えることで、自分なりの見解を出すことが
少なからずともあったと思うし。

もっとも、今のこういう自分が嫌いか?ときかれたら
この面においては嫌いだとおもう。
また、反省の出来ない自分も。

だけど、総合的に今の自分が嫌いかと聞かれたら…
別にそんなことはない。
自分の誓う部分で好きなところがあるのかもしれない。
本当にそんな部分があるのかわからないけど。



2001年07月23日(月) 投票日いつだったかなぁ?

どういうわけか…っていうかそろそろ二十歳だから
あたりまえといえばあたりまえなんだけど
選挙の通知がきました。
厳密にいえばまだ19なんだけどね。
あーあ。20かぁ…やだなぁ…。
さよならティーンエイジャー。

…それはともかく、選挙の話とかしたんだよね。
でさ、憲法改正?9条だっけ?
確かに反対なんだけどさ。

ただね、悲観的っていうか…こうも考える。
戦争を起こさない限り日本は存続に値する。
一方でもしも戦争を起こすくらいならその時点で滅びてよい。

だから憲法を改正したければすればいい。
もしもそれで戦争が起きるなら(起こしてしまうなら)
いっそ滅びたほうがいい。
おきなければそれに越したことはない。
もしも同じ過ちを繰り返すのなら…。
そこまでおろかでないことを信じる。

今回やろうとしてる改正は
どんなに奇麗事を並べたって結局は武力を持つことの正当化。
唯一の被爆国という立場。
これを誇っていうのはお門違いだが
この立場の国が武力を正当化しようというなら
そんなおろかなことはないでしょう。

武力を縮小、廃絶させていくことのできる
最先端にいるにもかかわらず、わざわざ後退するとは愚の極み。
結局自ら痛みを感じることのできない国なのか。
卑怯者とののしられようとも。

国の本質が変わらぬ限りは。
それを行うのは不可能なのかな。
国が国民で成り立って以上。

自己優先。その考えはいけなくはない。
傍から見てるといやになるけど。
英雄願望とともに滅びろとはいわない。
やれることと、やるべきことを。

まさにいうは容易し、行うは難し。
僕も…



2001年07月22日(日) ダイエット?

昨日

朝。
お茶とヨーグルト

昼。
紅茶

夕。
お茶とカステラ

夜。
水とバターロールみたいの1個と
一人分の小さいピザの1カケ

今日

朝。
寝てる

昼。(現在)
食う気しない


…そろそろ食わないとヤバイ?



2001年07月21日(土) つまり

めがね取ってきました。
やっぱり嫌いです。
だからあんまりつけません。

朱に交わりました。
紅くなりました。
結局は自分の所為。
後悔…してるのかな?
後悔は…もう一度やり直せたとき、違った結果をもたらせる?
俺はその自信がない。
だから後悔じゃない、のかな?



2001年07月20日(金) 文章がまとまらん

ゴジラ(アメリカ版)みてました。
んー…前にもみましたが…今ひとつ?
前半はまだしも、後半は恐竜映画でしょ?

あーゆうのみてると面白いよね。
日本とアメリカの違いとか。

アメリカだとどうしても
カーチェイス、ラブロマンスが関わってくるわけで。

いや、悪いとは言ってない。
カーチェイスはなんだかんだでスリル感が出るし
恋愛に関しては一つのテーマとして
区切りが付けやすい。

作品自体に大した影響をもたなくても
恋愛を完結させればそれでひとつの結論になる。

こういうのは形式だと思うんですよ。
作品の。決まりきった形。

それによって良し悪しはあれど大幅な失敗作は生まれない。
いい作品が生まれることはすくないが。

ゴジラについての批判のおおくは
「あんなのゴジラじゃない」だと思うんですよ。
作品のでき自体を批判するよりも多分ソレ。

それはゴジラ自体に一つの形式があるからだと思う。
ああ、ゴジラだなって思うでしょ?映画見てると。

それ自体の形式をもってるのに
特にゴジラに関して言えばシリーズ何本もでてるのに
そこに別の形式を当てはめることが失敗だったのではないかと。


あと、いくつか気づいたのが日本人のあり方。
…というか描写のされ方。

やっぱり偏見(別に悪い意味ではない)があるんだなって。
ほとんど中国人だったし。
たぶん「本物」を写しても逆に本物らしく見えない。

ごれは日本から見たアメリカも然り、なんだろうなって。
本物よりも本物らしいもの。
それはみる人次第ってことなのかな。



…だめだ…文章が…かけない…



2001年07月19日(木) 本日は

最近どうにも…友人とチャットやってて
言葉遣いが悪くなった気がする、僕が。
言葉遣いというよりも…なーんか性格が…変わったような…。
変わったというか…悪くなったというか…。
暑さの所為だと思いたい。



2001年07月18日(水) まとまらないなぁ…

久しぶりに書いてみましょうか。


人の記憶の中で、そこには自分がいて他人(ひと)がいて…。
家があり――そこは人が依るための場所であるのだが
憩い、楽しむ、時には悲しみ、喜ぶ、場。
そこは生活という場であり人というつながりがある。

また記憶とはいえ空気はある。
匂い…雰囲気…とでもいえばわかりやすいか。

その空気、再び感じるときの懐かしさ。
匂い、忘れられぬ。

結局、長い(といっても僕は
      せいぜい20年くらいしか生きてないわけだが)
生活の中で、幾度となく、どことはいわず、記憶をめぐる。
意識的に出会ったり、無意識的にであったり。
その中でそのとき思い出した場所には
今は別の匂い。

帰ろうと…いや、行こうと思うなら行けるのだが。
戻ることはできず。
戻りたくても、戻れても、そこは違う空間。

人は懐かしむことができるし、再び合えることだって。
…一方ではもう、二度と…。
そのとき、どこに行っても、
あの時と「同じような」匂いさえも感じることはできなくて。

人の意思とは別に物は残る。
形あるものいずれは滅す。
それでも形あるものは受け継がれるし
それにはそれの時間がある。

そして形を見れば思いは鮮明になるし
記憶に浸り楽しむことさえも。

ものに限らず、風景でさえ。

これだけの、記憶を思い起こされるものがあれども
永遠普遍なものは一つもない。
その記憶を繋ぎ止めるものは何なのか?

人がモノを忘れることだってある。
年をとると、なお。
記憶の喪失と、命の喪失。
どちらが…まだよいのか。

両者は他人に対して、傷を残す。
自分を記憶することは認識することでもあるし
記憶がなくなることは繋がりがなくなることでもある。
仮に一方的であっても…むしろ一方的であるからこそ
それは非常に深い悲しみを与える。

…それは命の喪失とどのような違いが?
生きてこそ浮かぶ瀬もある
この場合は適当でない気がする。

生きていて救われるのは周りの人。
どのような形であれ、生きて欲しいと。
其処には記憶が残っているから?

何を言っても僕も「生かす」道を取るだろう。
どのような状況にいても。

自分に当てはめたとき、どちらを望むのか。
それはわからないけど。

もしかしたら、記憶をよみがえらせるきっかけを残したいのでは?
もの扱いする気はないですよ?念のため。

人は時間に救われ、笑えるようにもなる。
万人がそうだとは言わない。
できればそうであってほしいとも、願うが。

そのとき感じるのは罪悪感であるのか…。
自己の嫌悪であるのか。

笑えることは忘れられることなのか。

むしろ受け止められること?
その上で――

思い出したくないこと、いやなこと。
いくつもの記憶。
その中でつらいことは…忘れたほうがいいのか、
それとも、許容できるまであがくほうがよいのか?



2001年07月17日(火) 深く考えないで…


 時期、

  蝉は求愛をはじめ 、森に都会に喧騒が舞い降りる

 雲は純白に、白く…
   空は青く、蒼く―― 高く、広く

……………なんて書いてられるかぁ~~~!!!
あっついぞ、こんちくしょうっ!
ぐぁ~~~!!!ふざけんなっ!一体なんなんだ!?
あの駅の蒸し方は?
なんて外歩いてるときより汗をかく!?
喧嘩売ってんのかぁ~~!?
買っちまうぞ、ゴラァ!!
ぬぉぉぉぉっっ!
こんな状況下で、まじめに書けるかぁ!
くそうっ!なんかインターホンが鳴ったような気もするが
まじめに対応する気なし!
居留守してやったぜ、へっ!
勧誘だったら…自分を押さえられそうにないし。
まぁいいか。これから寝るつもりだし。
気づかなかったってことにすれば。
<悪>

ダメですねぇ…
自我を押さえられないようじゃ…

人はいかなるときでも、内面はともかく外側は冷静に装えるのに。
少なくとも人前ではそうある事が望ましいです。社会の中では。

ただプライベートなとき、そのときは…
もっと素直にあるべきでは?

自分の使い分け、言いかえれば「けじめ」、です。
けじめはつけましょう。精神面でも。

<冷>



2001年07月16日(月) 今日の冒険

① 腹が減る
② 学食へ行く
③ メニューを見る
④ …食う気しない
⑤ いや、ほんまに
⑥ 結局たぬきうどん
⑦ …しまった!あげはきつねだった!!!
⑧ 食欲ないのに揚げ玉(油)
⑨ 逝けと?
⑩ 七味
⑪ 割と食えるもんで
⑫ 汁
⑬ むせ返りそうなるほど>⑩が原因
⑭ 完食(汁まで)
⑮ 俺は勇者?<遊び人



2001年07月15日(日) 今日

視力がね、0.1切ってました。
悪い悪い、しかもメガネを付けません。(もちろんコンタクトも)
そんなんで生活できるのか?
…できてるんですねぇ?一応。
不便は…あまりないかな?

とりあえず今日めがね作ってきました。
一応持ってるんですよ?
昔作ったの。

で、めがねつけて0.1とかいわれちゃったよ。
どうでもいいけど。

免許とろうかと思ったので作り直す。
こんなもん?

むかしは2.0だったんだけどねぇ?
いや、小学校のころ。

いつの間にやら…。



2001年07月14日(土) どっちかっていうと

18日間。
長いんだか短いんだか。
さんざん考えたが結論は出ず。
3週間足らず。ながいね。
でもねぇ…普段の行動考えると…
あっという間なんだよね。

「やべぇ!給料がピンチー!」
とかいうのに気づくと次の給料日まであと18日とか。
何とかなるもんだし。

日記なんか見ても18日なんてすぐだし。
これ書いたとき、どんな気分だったとか…
結構覚えてるし。

夏休みなんて18日間、一瞬でしょ?
なんだかなぁ?



2001年07月13日(金) ぐゆぅぬぅ?

あつくて…頭が…働かなくはないんだけど…
文章が…書けないわけではないんだけど…
深く考えたくなくなる…。
書きたい事はあったんだけど…。
昨日なんか特に。
イメージの音楽と記憶のつながり…とか。
あまりのギャップ、違いすぎる匂い、とか。

うだうだ…うだだ…うだうだだ~だ。



2001年07月12日(木) 好きな言葉

「うつろう」って言葉好きなんですよ。
季節のうつろい、とか。

んで漢字なんですけど。
イメージ的に鬱(欝?)ろうだったんですけど。

「うつろい」で変換すると「移ろい」
まぁ意味的にはこっちなんだけどさぁ…。

よく考えれば
むしろ「鬱」でどうするっ?って感じですが。

んで、漢字にすると「移」かっこ悪いから
ひらがな万歳!こんちくしょうっ!

知らないで使ってたらアレだったけど
知らない方が幸せだったかなぁ…とか。

あ、正確には「うつろ・ふ」です。
古語。
これを現代風に使うと「うつろ・う」なんだろうね。

…虚ろって言葉もごっちゃになってたかもなぁ、おれ。



2001年07月11日(水) あー…難しい…

雨、大きな樹の下で

風、穏やかな草原の中で

雨は草木の芳香をかきたる

風は匂いを運ぶ

雲が過ぎれば光はよみがえり

雫は光をうつし 緑は映える

草木の芳香と色は安らぎを与え

光は母のぬくもりを

風は母のやさしさを

うつろいゆく時の中で

今 私は ここに います




…いや、背景描写の練習なんですけどね。
もうちょっとどうにかなんないかなぁ?



2001年07月10日(火) う~う~

なんとなく日記の下の部分を見る。
過去の日記が1ヶ月分づつおいてある。

…あれ?もう5ヶ月分もあるよ…。
7月分を考えなくても
なるべく毎日書くようにしてるから
30×4=120にち分くらいは書いてます。
なんともまぁ…よく書くなぁって。

多分そのうちの半分くらいは自分の考えを書いてて。
日記ってその日起こったことを書くものなのかな?
って何回か考えもしたけど。
まぁ、日記の使い方なんて人それぞれで。

でも、考えなんてそんなに変わるものでもないし。
そうすると必然的に同じような内容を書くことになるんだろうなって。

こういう公開性の日記にしてるわけだから
なるべくなら他人を楽しませようかとも思ってるけど。
同じような内容なら飽きるかな、とか。

ちょっと前には良く思ってたことなんだけどね。
中学校、高校の会話。
実は同じ内容の会話が多かったんだよね。
同じ内容、同じ話、同じところで笑う、同じ者に同じように批判。

そのとき自分はなんとも話題が少ないかな…っとか。
でもそれぞれに楽しんだ時間ではあったから。

また、愚痴はいいたくなるだろうし
嫌悪感を抱くのも同じ人間に対してだろうし。

ふと、その人に対する愚痴を思い出して。
内容が同じだったとき。
その人への不満はそれだけなのかと。

嫌な人、居ます。
すべてが嫌な人、居る…かな…?

その人に対する不満。
10回いったら10回ともちがう、とか。

別に許容する必要はないんだけどね。
嫌なものは嫌で。
それも一つの生き方だし。

一方で嫌なものは見ないようにする。
そんな生き方もできるのかな、とか。
やりたくはないよ、もちろん。

でも否定しきれないとき。
こと、人間関係において、どれほど簡単なものがあるか。
それを認めたくなくても必然としてそばに居る。

そんなとき、嫌なものを見なくてすむなら、ね。


…ありたい姿、は
すべてを、許容できる、人?



2001年07月09日(月) 書けないと書けない

それまでのすべてを失っても得たいと思うもの。
それを現実のものとしたとき、戸惑うこと。
迷いがしょうじるのは本気ではないということ?
違うとは思うけど、後悔をしたとき。
迷っても、それを選ぶこと。
どこにいっても後悔は先に立たない。
決断したことに、敬意を。



2001年07月08日(日) 読みにくく、目が痛くなりそうです。色。


ゲームのパッケージ。
ときどきかっこよく見えて実は意味のよくわからない文句が。
「飛べない翼は誰のためにはばたくのか…」
だそうです。

いや、語呂はかっこいいんですけどね。
意味わかんないでしょ…。
いや、わかんなくはないんだけど、意味を持たないっていうのか…。

ちょっと考えよう、具体的に。
飛べない翼=飛べない鳥=ペンギン
ペンギンのはばたき。
………か、かわいいかも………。

ここまでいくと悩殺されるでしょ。
うん、間違いなく。

あーもういいです。
俺のためにはばたいてください、ペンギン。
それでいいです。
つーか鶏は却下。
小学校のころ飼育小屋で嫌になるほど見たから。



2001年07月07日(土) どっちかっていうと


体痛てーよ。
筋肉痛だか肩こりだか。これからバイトな訳で。
生きて帰ってこれますように。

ため息が多くなります。

バイトにしても人手不足のところに飛び込んでしまったので
やめるにやめられないし。
やめるつもりはないけど。

時間がもったいない気もするけどね。
でも…給料のない生活なんて考えられないし。



2001年07月06日(金)

最近(っていうかちょっと前)のはまり曲。
サウダージ。
そろそろ飽きたので別の曲を探しましょうか…。
んー…ウルトラソウルでもいきますか?
あう…そういやifも聞きたいんだよなぁ…。

さらに最近(っていうかちょっと前)のはまりドリンク。
モカ・ジャバ…だったかな?
なんかコーヒーにチョコレートとか言う説明文が。
あの70円くらいの紙コップのやつです。
ちなみにホット。
これが痛いので最近はデカビタCです。
90円。ただ…後味悪いです、デカビタ。

一昔前には紅茶も結構。
ゴールデンルールってちょっと渋いと思いません?
入れ方が悪いのか?

何だかんだで一番飲んでるのは緑茶なんだけどね。
夏は麦茶も多いけど。

そうそう、コーヒーもやってたことあるんですよ。
なんか家にサイフォンがあったので。
コーヒーミロまであったし。

結論。キリマンジャロはすっぱいよ。

ちなみにコーヒーって飲めなかったんですよ、おれ。
子供のころのトラウマで。
でもサイフォンでコーヒーつくって
しかもブラックで飲んでるんだから笑えますなぁ。

飲めないってね、痛くなるんですよ、頬が。
内側が。なぜか。

多分子供のころどっかのレストランで
親の飲んでたコーヒーを飲もうとしたら
親に脅かされたのが原因かと。
今でもなんとなく覚えてます。
なぜ脅かされなきゃならなかったのか未だ謎ですが。

コーヒーといえば…
やっぱあれがすきです。
コーヒーに生クリームだか牛乳だかと
コーヒーシュガー。
シナモン、ナツメグ。
なんて名前だったかな…。

個人的にはあわ立てた生クリームをのせるのが好きだけどねぇ。

結局聞いた話ではドリップオンのほうが
簡単で、しかもうまいらしいです。
サイフォンのほうが味があって好きなんだけどね。

あれの原理知ってます?
中学生くらいの知識で一応わかるんですよ。

結局はコーヒーより紅茶派なんですけどね、僕は。
アールグレイ、ダージリン、アッサム、ヌワラエリア、
プリンス・オブ・ウェールズ、ニルギリ…。

ちょうどそのころウィザードリーっていうゲームやってて
キャラクターの名前に使ってたなぁ(笑)

紅茶には問答無用で砂糖は入れません。
家で飲むやつはね。
もちろん牛乳も。

利き酒とかする人いるけど
利き紅茶ができたらいいのになぁ…。
味の違いのわかる人。
においも、味も、色も…紅茶はすばらしいと思うけど。

また紅茶でも飲み始めようかなぁ…。
(↑試験が近くなると何かに逃げたくなる所為ですね)



2001年07月05日(木) 友に


僕はあなたをすごいと思う。

嫉みにも近いほど。

過去に現在(いま)に未来に、

人の複雑な軌跡の中で

あなたと接点をもてたことを

よかったと思います。

これから先、

互いの軌跡はどのようなものであるか、も

――願わくば…

これからも、あなたが僕の尊敬に、嫉妬に、

それだけのものに値するだけの人であるように――



2001年07月04日(水) 僕は――

えっとね。
欲しいもの。
語彙。
いや、結構本気で。

欲しけりゃ本でも読めばいいんですが。
おぅっ!読んでない。

やっぱりいらないと?
うーん…そういうわけではないんだけど。

あー…望んでるものが何でも手に入ったら…
きっと…つまらないだろうな。
僕は楽しむよ?



2001年07月03日(火) なんか…輪廻してるような…

慣れるということ。
同じ風景(モノ)が違って見えるようになる。
例えば家。
入居当時と住み慣れてから。
まったく違う。
方向感覚の問題や家具の問題もあるだろうけどそれ以上に。
住んでいる場所に限らず店、友人の家。

慣れる。また、近い人間にも言えるのではないか。
人についてではなく、その人の作り出したモノ。

例えば料理、絵、音楽、詩、物語…。

商品という概念。
多くのイメージとして商品=しっかりしたもの
…と、いうより、
「自分のものとは違うもの」としてのイメージ。

最近アルバイトの話をよく書くが…
例えばハンバーグ。
俺が肉を焼く。肉をこねる。盛り付ける。

お客に出すとき。
確かに僕がすごく下手ということもあるだろう。
でも、それ以上に客として食べたときのような
商品(自分のものとは違う)という
イメージはない。

それでも多分客には商品として見えているだろう。
少しは高級そうに。

上記のいくつか(料理や絵や)は
自分に近い(例えば親類だったり友だったり)
ことで、部外者のもつイメージと違う、
もう少しいうとイメージの先にあるものまで
「見えて」しまうのではないか。

えてして、知っている人間のモノ(それは人間性とかも含むが)は、
過小評価してしまうのではないかと思う。
評価される人自身も自分を過小評価しているのではないか。

それは自信、に由来するところもあるだろう。
だが、そうではなくて…
自身のモノだからこそ、見えなくていい部分(気づかないところ)
にまで気が付いてしまうのではないかと。
その人に近い人もね。

本来、作品(自身の人間性などを含む)とは
「全体」でみるのも。
「細部」と「全体」には大きな違いがあり、
一つ一つの「細部」が完成品である必要はなく、
むしろ、完成品であることは作品自体いいとはいえない。

細部と全体ではそれぞれの役割が違うのだから。

「細部」に不安定な部分(悪い意味ではなく)があり
それを含んだ上で全体を表現する。
それは時には動きを表現したりするときにも使われる。
そして不安定な部分は作品に生を与える。

完璧な人はいないし風景もない。音もなければ味もない。
細部。そこが見えてしまうということ。
それに気づかなければそれ以上のスキルアップは望めない。
が、それにこだわりすぎても自分をつぶすだけだ。


…結局何の解決にもなってないし。
なんか問題の提起がずれていってしまったような…。



2001年07月02日(月) 帰ったら寝よう…

先日のカラオケ、
実は簡単な送別会みたいな意味合いもあったのかな。

昨日(から今日にかけて)その人が最終日。
…終わったあとに飲む。
をーい…何が悲しくて日曜の夜中に…。

バイト数人でやったんだけど。
年長組みが卒業式とか言って。
それっぽくやったのはいいけど…。

「君が代」歌ってるし、みんなで。
うわっ「送る言葉」!?
酒が少しでも入ってなかったらきつかったなぁ…。

しまいにゃ胴上げやら万歳三唱やら。
変なバイト先だなぁ。
それに参加してるんだから俺も変なのか。

んで、ワインを3、4杯ほど。
酒に弱いなぁ…、俺。
それでよってたし。

帰ったのが4時くらい。
この前よりは穏やかか。

2限からがっこ。
今日、親いないし。
寝過ごすかと思ったが何とか平気みたい。

換わり変わる、代わり、替る。
流れることが不幸せで
とまることは幸せ。

意思である限り、前者は間違いだし
むしろ前者を間違いと感じること、そのほうがいい。

とまること、それは実は不幸です。



2001年07月01日(日) けっきょく

何かこう…難しくみえることをここに書くことがあるんだけど…
どっちかっていうと読んでて楽しいものの方が書きたい。
なんとなーく書いてると重くなっちゃうんだけどねぇ?
と、いいますか…考えることが楽なんだよね、
難しく見えるものの方が。

もはや性格によるものなんだろうけど。

で、書きたいネタはあるんだよ。
気分が乗らないから書かないけど。
頭が微妙に痛いんだ。
きっと肩がこってる。
あと、寝不足。
書きたいときと書きたくないとき。

そういう時プロってすごいと思う。
小説家、漫画家。
連載モノとか?
周期が短いものなんかとくに。
スランプってあるだろうに。

スランプってさ、自分の意識によるところが大きくないかな?
スランプ中だからって、モノに精彩がない、
っていわれること少なくない?

人って気持ち次第でどうにもなるんだと思うけど。
また、気持ちはどうにでも「できる」んだろうけど。
でも、人にとっていちばん影響をもち、
どうにも「できない」のも、気持ちなんだろうね。
…前者は可能性で後者は結果。

気持ちと離れたところで動くことを許さない。
また、気持なんかにつぶされない。
強くあろう。


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