1日雑記

2001年06月30日(土) 忙しいとはいうけれど

休みの日に思うんですけどね。
もし休みばかりなら俺は堕落するだろう。

休むという名目、休憩、体を癒す。
実際に休むこと。
疲れた、とかいってきっと俺は家出ごろごろ。
怠惰。

例えば休みにレジャーに行く。
俺に言わせると疲れる。
休憩になってない?

多分それは目的に違い。
精神的面と、肉体的面。

精神面での回復。
もしかしたらそれが休息の本来の目的?

例えばすべてを投げ出して休みたい。
そう思うとき。
俺はきっとそのときごろごろしているんだろう。
結局それは何も生まないし休んでも意味がない。

肉体的にも精神的にもだめになる。

長期という休み。
…それまで自分のまわりを構成してる世界のすべてをなげうって
休憩するのは、ときどきならいいんじゃない?
社会が…なんたらとか言うものはすべて無視して。

問題は何に使うか。
いや、何に使うかじゃない、
それで何ができるか。
何が変わるか。
そしてそれは肉体ではなく精神面。

だけど、堕落のするための時間なら必要ない。



2001年06月29日(金) きつい

空腹にペプシ500ml飲んだら死にそうです。
ぐぁ…まじめにきつい…。(現在進行形)


昨日、バイトにゴー。
バイト中滅茶苦茶喉渇く。
終わる。水を求めて家に帰る予定。
引き止められる。

………カラオケにゴー。
歌う気なし。
3番目くらいにいきなり歌わされる。

3,4時間経過。
窓の外はお日様が顔を出す。
時計?4:30。

お開き。
お家にゴー。
帰る途中の新聞配達の自転車がいたい。

到着。5:30。
さーて、今日は学校かぁ。
おおっ!体育があるでやんの。

寝ようかなぁ?6:00。
起きる(ってか、寝たんだか寝てないんだか)
7:10。

なんか割とすっきりしてますけど?


ああ、ペプシが痛い。
(本当に腹が中から圧迫されて痛いです)
(つーか、むしろ苦しい)
次、体育だよ…。



2001年06月28日(木) 不健康

最近の行動。
とりあえず朝食を取らない。
とりあえず昼食を取らない。
なぜか平気。
とりあえず帰って飯を食う。夕方。
とりあえずバイト、または水泳。
バイトにて―
食事。
ときどき更に食す。
ときどき帰りにパン。
予定では1日1食なんですけど?
朝と昼を見る限り。
とりあえずときどき1日3食になってます。
しかも6時間くらいの間に3食。
しかも野菜がないんです。ほとんど。
そろそろやばいでしょう。



2001年06月27日(水)



   
   ―――人は、考えるほどに弱いのかもしれない――― 



2001年06月26日(火) 夢と現実

夢を見ている…。

とでもいえばかっこいいんですけどすごい内容でした♪
いやー、おれがハゲた夢。つるっぱげならまだしも
頭の上はバーコード(すだれ)
横(?)はちょんまげのごとくそりこみが(笑)
最近、髪伸びたと思う反面
なんかおでこ広がってるんじゃないかという
危機感によるためかなぁ(笑)

そんな中…一本の電話がかかってくる……

(もちろん夢の中)
内容は…某友人が原稿に疲れて
俺を飲みに誘うというものでした(爆)
ちなみにすべて原因が思い当たります。
詳しく書かんけど。

帰る、家に。そこで見たもの―それは…

猫のダンスでした。(マテ…)
猫が家の前で踊ってます。
元ネタがあったようなきもするんだけど
思い出せないなぁ…。
ンなもん、何で夢で見たのか…。
でも今日、ヘンな猫の出る漫画読んだし、
そのせいかなぁ?

、そして――

永遠に…とでも続けばかっこいいですが
続いたものは猫の食い散らかしたごみでした。
マンションという設定だったのですが
各階ごと、ごみの管理を気をつけようという笑えない内容。
なんなんだかなぁ…。



2001年06月25日(月) じつは1時間後テストです(笑)

いろいろ考えることはあるけど
書くに至らなかったりまとまらなかったり。
書く必要がなかったり書きたくなかったり。
あくまで一方的でしかないのだろうか、こういう場は.

いろいろなページを見る。
それぞれの人は迷うし、つらく思ったりしている。
それは例えば自分の意思と違うところで動いてしまったから。
それは自身に納得のいくものでなかったから。
そんな中でやめる、悪く言えば逃げ出す。

…はじめた意味を考える。
それは「好き」ではじめた事。
僕はそこから逃げることはできないと考える。
どんな道をとおっても、帰ってきたくなる。
それだけの魅力を持つ。

他者に何を期待するのか。
自身の納得のいくものと他者の期待するもののギャップ。
その差を埋めること、必要ですか?

社会の一員として(強制的に)組み込まれる。
その中で生きていくこと。
それは納得のいくことばかりでない。
すべて納得がいくというなら私はその人を信じない。

その中で自身の好きなことをする。
例えばそれを社会に開く。
それに対する社会の反応。
それが自信につながったり失望、絶望につながることも多々。

人を気にしないでやっていくことはできない。
それを否定することは人であることを否定するのと同義だから。
だからといって気にしすぎる理由もまた、ない。

人が何かを示すとき、誉められることを望む。
示す場合だけでなく、意見を求めるとき。
自信を肯定してくれる、それを望む。

自身の意見と他人の意見が相乗効果を生み、つらくなる。
そのとき、ものすごい自信になったり落ち込んだり。
正の方向でも、負の方向でもいいことはあまりない。

ただし、示すこと、それはあくまで
「遠くの他人」に対してであることが多い。
そのとき自分の「近くにいる人」、
それをもつことで打開にもなるのではないか。

親しい人、友と呼べる人、親という存在、兄弟、親友、恋人、家族。
そこに何か救いを見出すことは決して悪いことではない。
自分ひとり、強くある必要もまた、ない。



2001年06月24日(日) オチ

背景描写という概念を「理解」する。
僕は読み手としては好きでないことが多い。
特に後半は。
繰り返すいくつもの描写は展開を遅くし
クライマックスに水を差す。
が、序盤、こと、最初の描写において
背景を書かないことは…。
いかに読み手に「その空間」を与えることができるか。
更に言えばその空間を与えることができても
読み手に経験がなければ空間を受けることはできない。
TVに代表される疑似体験(経験)により
人は実体験(経験)が驚くほど少なくなった。
例えば森の中の描写があったとしよう。
多分、多くの人はその場面を頭で、
擬似空間「描き」、其処に居ることはできるだろう。
が、その場面に頭の中、
現実空間を「創り」、其処に居ることはできない。
美しい描写であるほど
その中に含まれるものは相乗的に多くなる。
一つの言葉からいくつものモノを産み
二つの言葉からさらに多くのモノを産む。
木々を描写すれば其処には匂いがあり
水を描写すれば其処には空がある。

…うわっ!なんか偉そうだ(笑)



2001年06月23日(土) 自惚れ、か?

いや、まさか完成系がいるとは思いませんでした。
おれがもし、完成された(自分で満足のいく)
文章を書けたらこんな感じであろうと。
思考パターンというのか、発想の仕方というのか、
とりあえず書きたいことが書かれてました。
ちゃんと文章となって。
…物語なんですけどね。
別にそれに影響されたわけではないけど書いてみたんですよ、僕も。
…自分の文才のなさ、経験不足を嫌というほど痛感しています。
言葉がまとまらない、適切な語彙があったような気がするのに出てこない。
構文になってない、etc、etc。
ここまでとは思ってもいませんでした。
まだ(もしかしたら永遠に)文章のすごさを理解することは
僕にはできないかもしれない。
もし、書き物をするならその程度分かるようになりたいな…。
少なくとも好きな文系統を分かる程度には。
…で、飽きない程度にWordと格闘してみます。



2001年06月22日(金) 今のところ

…時々学校を辞めたくなる。
つらいとかじゃなくて。
まぁやめることはないと思うけど。
で、昨日の朝は結構キてたんで結構悟ってました。
ダークなときほど考えがまとまったり
寝起きほど頭がさえたり
時々あるんですけど。
これが長続きすればエリートコースだな、とか思いながら
絶対に続かないことを知ってるわけです。
例によって続きはしなかったんですけど。
学校に関していえば、
はっきりいってやめても問題ないんですけどね。
今の心境としては。
ま、多分後々後悔するだろうけど。
「あのときにもっと遊んでおけばよかった」、と。
一応目的(目標)もあるし、それには今の大学に通う必要はない。
…だからやめたいっていうんじゃないですよ?
もっとほかに理由はあるんですけど。
…結局自分自身に帰結することだし
もう一度やり直せてもかわりはしないと思うけど。



2001年06月21日(木) ねむい…

寝不足。
肩こり。

死にかける

コーヒー飲んで復活を図る

髪コップが出てこない

それでも自動でつがれる

無論飲めない(金は取られる)

暴れてもいいですか?

以後移動がだるい

足がない

気づけばパンクしてる

自転車に乗ろうとする

バイト



2001年06月20日(水) テンキーコマンド 214 + K (右向き時)

暑い日が続いて…
結局だしました。扇風機。
自然風(?)がいいねぇ。
電気代もお得。
季節が巡れば思い出します。
冬には暑い方がいいと言った事。
夏には寒い方がいいと言った事。
んー…
風鈴は年間を通してでてるし…
あとは西瓜かな?
ああっ!蚊取り線香が!!
…11階でも蚊は出るんでしょうか?



2001年06月19日(火) 暑いですねぇ…

時事ネタにも近くなりますが。
大阪の児童連続殺傷事件。
今の段階では容疑者と児童、先生の状態待ちというところです。
とはいえ、週刊誌などではこぞって書き立てていますが。
…別に私は週刊誌なんて買っていませんよ?
車内広告でよく見かけるだけです。
その中に
「子供を見捨てて逃げた教師をゆるさない」
だったかな?
そんな感じの文字がかかれてたんですよね。
確か子供の父親の言葉としてかかれてたかと。
…もし本当にこういう意見があるなら悲しいです。
前述したように私は週刊誌は買わないし
記事自体を読んでもいない。
が、一般に飾られている車内広告を見て
文字以外の解釈はできないです。
また、事件自体を深く調べていない、
そういわれればそれまででしょう。
けど、教師を(少しは)目指すものとして少し反感を覚えます。
社会全体が学校、教師というものに対して
あまりにも過剰な期待を抱いているのは常々思っていますが。
…例えばかつてこんな考えをしたことがあります。
アルバイトの新米だろうとなんだろうと
給料をもらっている以上、責任はある。
新米でもベテランでも(例えば飲食店で)お客にとっては
なにもかわらない。
つまり、払う金額は一定だし、常に同じ品質のものを期待する。
新米だからといって甘えられる理由にはならない。
また皿洗いにしても、例えば食べ残し。
非常に不快である。
でもそれも給料、言い直せば食事代の中に含まれるのだから
お客を恨むのは筋違い。
…まぁ現実にはそんなこと言ってたら成り立たないし
嫌なものは嫌だ。
ときどき正論でやりこめられると非常に悔しいですが…
それと同じでしょう
言ってることが間違ってない分だけ悔しい。
話がずれました。
はっきり言ってしまえば教師の給料なんて命に見合うほどじゃない。
…すべての職種においてはそうですが。
少なくとも教師という職種において自らの命を投げ捨てて
児童を救う、そういう役割は含まれていないと思う。
現実にはあたかもそういう事があっても不思議でない、くらいの
考えをみんなが持っている。
それは多分ドラマに代表される
理想の先生像が焼きついているからなんだろう。
実際にも先生側としては子供はかわいいし
もしかしたら自分の命と引き換えにしても…
って考える先生もいるかもしれない。
でもそれは個人の差であって万人の先生に求められるものではない。
善意をあたりまえと勘違いし、あたりまえが行われないと不平を言う。
それは人として仕方のない性(さが)なのかもしれない。
それが悲しい。



2001年06月18日(月) 2回目 学校はひまです

洋は再び覚醒した。
『…これから何度覚醒するのだろう?』
自らの置かれた状況を再確認し、これが現実であることを知る。
どうにもならないことを知る。
そういう時、人は逆に冷静になれるものだ。
それをあきらめというのか。
洋は、この状況を打破できるとは思わなかった。
…と、いうよりできないと感じていた。
どうしようもないくらいに。
だから洋はこんな突拍子もないことを考えたりしていたのだろう。

冷静に周りを感じてみる。
…確かに「居る」。自分以外の誰かが。
一人(肉体を持たないのに
   この表現が適当であるかはともかく)ではない。
かなりの人数が確かに居る。
感覚をさらに収束させる。
…ふと、誰かの意識が流れ込んできた。
洋は戸惑う。経験したことのない感覚。
そいつはあせっていた。自分が覚醒したときと同じように。
洋は彼を励ませなかった。落ち着かせなかった。
否、自分の考えを伝えるすべを知らなかった。

人は自分の意思を他人に伝えるため言葉を発達させてきた。
人が進化をするにつれ言葉もまた効率のよいものへと進化してきた。
さらに人は言葉から時間的要素を取り除くことに成功する。
それを文字と定義した。
文字の出現により、その瞬間でしか存在できなかった言葉
――意思を伝える行為――はそれ自身ではないにせよ
多くの時を経て、なお残されることとなる。

もし人に言葉がなかったのなら。
たとえば犬や猫のように鳴くことしかできなかったのなら
人は進化できなかった。
感情を伝えることはできても意思を伝えることはできない。
それは進化を一代でおわらせる可能性を高くするから。
まれであるにせよ、天才は出現し、またその思考は残される。
それを土台とし、現在がある。

言葉が壊れ始めている。
日本では特に。
それは進化に逆行する流れでしかないのかもしれない。
進化とともに言葉があったのだから。

洋はまた考える。
人の意識が流れてくるなら、自分の意識を流すことも可能ではないか?
言葉に頼る必要がない。
いわば完全なコミュニケーション。
そして洋は試行錯誤しながらだんだんこの世界になれていく。
まるで生まれたての赤子のように。



2001年06月17日(日) ネタはあっても忘れたり。

書くことがないわけじゃないんです。
書く気力がないんです。
最近ずっとそう。
でも本当は違うんです。
人はやろうと思えばどうにでもできるんです。
限界までやることがないだけ。
それは限界までできないのと同じこと。
それは限界以下の力しかないのと同じこと。
自分はやればできるという考えで生きてきたとき
(自分はどうだか知らないが)
そいつはきっと限界までやれたことがないんだろう。
限界までできないなら
どんなキャパシティがあっても意味がないんだよ、ね?
体を使わなければどんどん落ちる体力のように
限界だってどんどん下がってくるんです。
疲れる、つらいとかの理由で頑張らないなら
自分の行き着く先は進化ではなく退化、だね。



2001年06月16日(土) おなかが…変だ。

日記って一日に起きたこととかを書くわけで
書くことに困るというのは本来は少ないのかもしれない。
たとえば献立ひとつとっても毎日違うでしょ?
昨日と同じ今日っていうのはないしね。
同じようでも違う。
同じだったらそれは不幸なことでしょ。
前に書いたか、日記の目的。
ひとつは人に見せることを前提として書く場合。
これは主に作家とかがやっていた。
今はインターネットのおかげで
この手の日記が非常に増えた。
その一方では自分自身しか見ない日記というのも廃れない。
人に見せる日記と自分しか見ない日記は当然書く内容が違う。
何を目的とするのか。
これがあいまいだとすべてがあいまいになってしまう。
日記に限らずだけどね。
たとえば小説。
どの観点で(一人称の視点、三人称の視点)とか
あいまいなものは読みづらいしね。
基本的なことではあるけど、基本だから一番大事なんだよね。



2001年06月15日(金) 待つ

待つということ。
すごいと思いませんか?
最初にやった人。
例えばお酒。
長年置いて上手くなるものが多い。
誰が最初に待ったのか?
例えばラーメンの汁。
コトコト数日煮込んだり数日待ったり。
人はあせってしまうととてもじゃないけど待つ時間がうっとおしい。
それが数年という時間ならなおさらだ。
時間は貴重であり、それが生活に関わるならなおさら。
待つということ。
それは現代の日本のいきかたとは正反対である。
これから先、待つということによる効果を
日本で発見できる人はいるのだろうか?



2001年06月14日(木) 気づけば

いえ、色々あって
色々ピンチです。
でも、自業自得なんですよね。
ええ、そうですとも。
例えばいくら給料日前日だからといって
財布の中に9円しか入っていなくても。
例えば提出期限が明日なのに
まったく用意できていなくて
時計を見ると3時半(もちろん夜中)を回っていたり。
しかもそれは早急には用意できないかもしれないという勢い。
今までなるようになってきましたが…
今回はさすがにピンチかな。



2001年06月13日(水) 第1回 日記に書くねたがないからじゃない、と思う

その少年――平井 洋は闇の中にいた。
闇?その表現は適切でない。漆黒…いや、無の中にいた。
いた?その表現もまた適当でない。
彼の存在はまだ不確定だったから。
意識はある。はっきりしないが。もうろうとしながら…。
ここはどこなのか。
考えはまとまらない。
次の瞬間、彼は意識を絶つことにする。
眠るかのように。
そのトキがくれば目覚めることに気づいたから。

………どれほどのトキがたったのだろう。
一瞬か、永遠にも近い時間だったのか。
その双方の違いは、ここでは意味を持たなかった。
トキという概念がないから。
それが一瞬であっても永遠であっても何も変わらない。
彼は覚醒した。
収束と発散を繰り返しながら。
しかしこれ以上の安定した自己は望むべくもない。
これ以上に安定した自分はいない。
それはなぜか解っていた。

覚醒してから、意識はしっかりしていた。
彼は状況を確認すべく、自分を「考えて」みた。
『考える?』なぜ?
目を開き回りを確認すればいい。
そうしなかったのは、できなかったのは…
目がなかったから。目だけではない。肉体が、すべてがなかった。
周りにも、「ここ」にも。
だから彼は無意識のうちに考えることを選んだ。
なぜ考えることはできるのか?
意識の依るべき処はないのに?
彼は混乱した。
だからもう一度意識を絶つことにした。
ここから逃げ出すために。

再び覚醒したとき、其処がベットの上であることを願いながら。


…ものすごく暇なら「続く」…かもしれない。



2001年06月12日(火) 本もろくに読まず、英語もダメな俺が何言うか…

海外の文学、小説でもいいや。
日本語に訳されて、それを読んで面白かったから
その作家の大ファンになった。
なのでその人の作品はすべて読むようにしている。
(日本語訳の方ね)
…まぁ…そんなに多くもないと思うけど…
少なくとも幾人かはいそうです。
間違ってないだろうか。
っていうかさ、ほんとかそういうものって
訳された時点でその人の作品じゃなくなっちゃわない?
聖書なんかでもそうなんだけど。
ホントに解りたければ、その作品を読むためには
その国の言葉を「完璧に」理解する必要があるんじゃないだろうか。
小説とか長いのならまだいいとして、
例えば詩とかね。
日本だってもののないよう以上に韻や響を重視したり。
例えば短歌ね。
言葉で伝える「だけ」なら文字を制限する必要なんてないんだし。
詩とかだって、言葉の羅列、
それに基づいた空間の想像。
そういうものがこめられてるのだろうし。
…そういう面では言葉だけでなく、
その国の文化、特にその作者の生まれ育った場所の文化を
学ぶ――というよりは感じる――必要があるのではないかと。
更にいえば感じることは生まれてまもなく吸収するもの、
そういうものが大きいのではないかと。
海外の曲、食、酒、文学なんかに対しても
日本人は理解していないとか。
結局文化を理解していないと感覚、いわゆる価値観みたいなものが
根本的にすこしちがうのだろう。
もっとも残念ながら日本人は金出して高いものを…、
ネームバリューというものをつよく求めるという面があるのだが。
金銭主義で文化の誇りを買おうとすれば
誰でも侮辱された気になるよね。
ちょっと話がずれたが、文化を理解することが
言葉を理解し、ひいては作品を理解するということに
つながるのではないか。
残念ながら文化を後天的に、完全に理解することはできない。
当然作品に対する解釈も不完全であるかもしれない。
…まぁ逆にいうと完全である必要はないんだけどね。
作者の意図とは無関係にすごければすごい。
感じるものがあればそれを感じる。
日本で考えてみよう。
例えば短歌。
非常に興味深いんですよね、こういうの。
限られた「場」のなかで「音」と共に「言葉」をつくる。
古典についても今よりもボキャブラリー(語彙)が豊富…
というより綺麗なものが多かった。
海外の文学だって、その言葉のつながりの中にある美しさ
そういうものがあるのだろう。
言葉は文化だからね。
そういう面で日本はすばらしかった。
あくまで過去形ですけど。
前に言葉と文化のつながりを話してた先生がいて
「これだけ不愉快な(壊れた)日本語が使われるなら
 日本もだめになるな」
とかそんなことを言っていた。
聞いたときは言葉一つとって、日本が崩壊とか言うかね?
って思っていましたが。
なるほど、文化という面においては
言葉が壊れていくのと同じくして文化もこわれているな。
もっとも今の日本は文化を必要としていないみたいではあるが。
また話がずれた。
言葉を理解することは国際化、という面だけではなく
視野を広げるという面でたいせつなんだろう。
同時にこれはいろんな人が言っていることでもあると思う。
通訳、実用なんかの面では翻訳機や通訳がいれば事足りる。
学ぶということは自分のため
(まさに私利私欲)のためでしかないのだろう。
それは金銭的なんかのためではなく
純粋に文化、そこにある、芸術作品(当然文学なども含む)
を理解し、その中に「何か」を見ることができる。
それだけのために。



2001年06月11日(月) いいたいのは

前にちょっとの違いが超えられない、とか書いたんだけどさ。
そのときにきっとそれは年の功ってやつの所為なんだと。
今日はふと電車の中で考えた。
この差、これって天才と凡人の違いなのかと。
99の努力と1の才能。
違う言い方をするなら100の努力と1の才能。
つまり100までは努力だけで作れる。
その先の1。これが天才を作るすべてなんじゃないかと。
これをもつか持たないか。これが…。
凡人が普遍的に100の力を持つとは思わないけど。
最高が80くらいの人もいるかもしれない。
まぁ凡人の一番すごい人が
100というキャパシティを持つとして
天才は101のキャパシティを持つのではないかと。
この1の違い。
専門の、それもかなり極めたものにしかわからない、差。
1というもの。
100の先。それは突飛にも見える発想で
十人十色の違いを持ち
1〜100までよりも複雑なパターンを持つ。
1は…もちろん時間をかけて作り出されるものだとは思う。
否、時間によって目覚めるというか…。
最後の1というものを作り出すのは
やっぱり遺伝だったり、生まれつきによるところがほとんどだと思う。
でも後天的に作られる場合もあるんじゃないだろうか。
特に劇的な変化を遂げたとき。
…その変化が今までの経験と自身と誇りをすべて打ち砕いたとしても。
たとえばソレをやり始めの人がいきなりかなりの成績を残す。
これって早熟か遅熟かの違いなんじゃないのかなぁ?
この人がとんとん拍子に成績を伸ばしていったとして
必ずトップになるとも、ね?
僕は天才のモノっていうのはその道の達人にしか
わかんないモノだと思う。
一般のひとが見て(聞いて)「この人は天才だ」と思うとき、
それはたとえば詳論かが下した評価に影響されたり
何かしらそう判断する先入観があってこそではないだろうか?
一般に評価される(つまり有名な)天才とは
当然100相当の努力が存在して
普通の人はその100相当の部分を見てすごい、と評するのでは?
歴史的な天才のものと、
巨大な評価はされなくても、相当の努力はしてる人のもの。
明確に違い(優劣)を言える人は少ないはずだ。
その努力をしている人がその道にすべてを懸けるくらいの人なら
その人は明確に、確かに先人と自分の力量の差を感じると思うが。

…人の力が数値化できるなら誰も苦労はしないけどね。
ま、上記のは概念的なものだと思ってください。
その感覚でも伝われば光栄ですが。



そうそう、うちの学校に
「このフロアは禁煙です」っていう張り紙があるところがあってさ。
ツッコミたくなるのは…
禁煙フロアに灰皿置くなよ
って、ところですかねぇ。



2001年06月10日(日) おおお?

昨日の日記…書き忘れたというより…書けなかった…。
バイト終わったの1時15分。定刻の45分遅れ。
おまけに…俺がライスの炊きミスしてしまって
料理は出ない、客は来る………。
やけどはするし
肩はこってるし。
いやー散々でした。


最近のはまり漫画。(というより買った漫画)
TOY
キャプテン翼・ワールドユース編
ソムリエ
マインド・アサシン
久しぶりに漫画貧乏〜。
3日くらいで18冊。
(金券(?)もってたからそんなにかかんなかったけど)
昔は良くなったんですけど。
あと5日で2000円
昼食(場合によっては晩飯含む)
…持つか?
んー続き欲しいしなぁ…。
破滅かな?
今月はゲーム4本買ったしな。
やってね―のに。



2001年06月08日(金) 今日の悩み

問題は400円

カレー        280円
コロッケカレー    380円
カツカレー      400円
ラーメン(+チャーハ)300円(+80円)
コロッケ定食     300円
焼肉定食       380円
てんぷらそば(うどん)300円
狸うどん       220円(280円だったかな?)

大盛は+50円

焼肉はなんちゃって吉○家の肉と同じ

あなたならどうする?      



2001年06月07日(木) ぐえぇ?

学校とかで思うんですけど。
どうにもキーボードが押しにくい。
余計なものまで押してしまう。
キーボードカバーがついていない所為だろうか?

どこまでも落ち込んだとき、
どうにもならずに…
いってみようかハイテンション。
はははははははは……笑い笑い…ぐあぁぁぁ…叫べー!!
…あ、こういうのを気が違ったというのでしょうか?

どっちかっていうと現実逃避のほうが多いんですけど。
(小)テスト―単位にかなり影響。
終わらない(やる気なし)
23時ごろからちょっとやる。
終わんない。
わかんない。
⇒寝る。
朝早く起きてやるつもり
⇒気づくといつもと同じ時間まで寝てる。
ちなみに人事は微妙に尽くしたつもりでいるんで
あとは天命を―結局は自分の力ですが―待つばかり。
っていうか結果見え見えじゃん。
来年度も受けるのか…。
なんで必修?



2001年06月06日(水) 落差が…

ことば。
どこまでも重く、どこまでも軽い。
そして…そのくせ…伝わりきらない。
そして…そのくせ…必要以上に伝わってしまう。
人は…言葉を進化させてきた。
文字も作り出した。
意思を伝えるのには不自由しないかも、が…。
例えば、謝りたいとき、謝ってすべてが終わるならどんなに。
でも、ね?
伝わること、言葉と…例えばテレパシー。
完全に相手の心がわかって…
どっちがいいのだろう。
伝わらないから分かること。
伝えることができないからこそ、分かること。
言葉だけじゃない、よ?
伝えるためのことは。
時には、言葉以上に。


やばい…やばいよ…。
バイト先のキッチンの人がまた減る。
ただでさえ少ないのに。
新しく入った人だけど…最後の作業をやれる人だったんだ。
時間的に。
最後の作業ができる人が減る
=他の最後の作業をする人に負担がかかる
∋俺
これ以上出勤が増えたら…
お給料が増えてバンザーイ…なわけあるか!!
お給料より時間欲しいよ。
いや、お給料は必要なんだけど。
割合です、バランス。



2001年06月05日(火) 現実は現実として理解してるよ。

還りたくなること、あるなぁ。
青い空がとても綺麗なときとか。
目がよければ星空とか。
…星を綺麗に見れないって犯罪だと思わない?
そんなこんなで肉体が鬱陶しいときとか無い?
青い空には…イメージ的には「影写し」
自分がそこに溶け込むかのように。
ただ…影ではなく肉体…いや、自分が溶け込みたくなる、そんなトキ。

一方では思う。
人の体って美しい。
ナルシストとかじゃないですよ(笑)。
ふと手を見るんですよ。例えば絵を描きたくなったときに。
それは直線なんかではなく
俺自身はなぜそうなってるのかも分からないけど…
ゆびは5本あり、また美しい曲線をかく腕。
電車などでつり革につかまってる人の指を見たりすると
ときどきには華麗な指の人もいる。
人の体全体が(無駄に)美しい。
他の動物だって、植物だってほとんどのものは美しい。
それは本能だからだろうけど。
その種の維持のための。
しかしそれ以外に、種が違うことにより違うそれぞれの美しさ。
違いながらも理解できる美しさ。
進化ってすごいと思う。
…機械科の人間としてはバイクとかも美しいとかって
感じることも必要なのかもなぁ…。

更に思う。
その、美しいものを持つもの。
また、美しいと理解できるもの。
それをもちながらも
精神構造(心)がクズのような輩。
信じられないような事をする輩。
善人であれとは思わない。むしろ期待していない。
せめて回りに迷惑だけはかけてほしくない。
同種でありたくない…とまでは言わないけど。
でも…空(空間)から美しいものだけを見てる。
自信は何も持たず、すべてのものの生きる様を見続ける。
綺麗なものしか(好きなものしか)見なくていい。
そのとき…体は邪魔でしょう?



2001年06月04日(月) 願わくば、変わらぬように

時間がたてば、年をとれば、環境が変われば、季節が変われば
…自然に性格や考え方も変わってくる、そう知っていた、はず。
まさに知識として。
知っているなら、いざというとき混乱せずにすむ。
そう思ってもいた。
実際は、誰もが―例えばこのような時どうする―という
対処法を知りながら、その局面に面したとき
実践できないでいる。そしてそれは災害だったり人災だったり。

今の自分の状態を混乱している、忙しさに目が回っている
…とでも表現すればこれは一時的なものなはずだ。
それがいいか悪いかはわからない。
後悔は先に立たないし、後悔するのも悪くないと思う。
それが自分だから。
問題は今の自分。
何かが変わってきた。内面的な何か。
例えばあることに対し、今までと同じ感情でいられない。
そこには苛立ちにも似たもやもや感がある。
この変化が恒久的なものであるか、一時的なものでるか。
今までが楽しかったので、できれば変わりたくないきはする。
一時的なものであるように願う。
いつまでも、って訳にはいかないだろうけど、
それを知ってはいるけど、
それでも変化に戸惑う。
小さな変化かもしれないけど、
大きなウエイトを占めるものではあるから。


突然話し変わって…
槙原氏の歌がちょっと気に入ってる昨日。
バイト中(およそ6時間以上)頭ん中で繰り返す。
この前はチャゲアスでしたが。
さらにその前はゲームの曲でしたが。
急にある曲を気に入ることがある。
んー槙原氏の歌もきっと4日くらいはマイブーム?
(せめて歌詞くらい覚えれ…)



2001年06月03日(日) 分かりにくいぞ

『…痛っ』
見ると指から血が出てる。
何かに刺したのかと思いその場所を見る。
ガラスが割れて爪楊枝みたいになったものが突き出てる。
どうやらそこに刺さってしまったようだ。
ほとんど痛くない。たいした傷でもない。
ただ…血がなかなか止まらない。
ちょっぴり深かったのかな?
皿洗いの最中ということもあり濡れている所為かもしれない。
一区切りついてからバンソコを貼るためにバックルームへ。
それまでに出た血をエプロンでぬぐっていた所為で
エプロンにかなり血がついている。
指をちょっとけがしただけなのにこんなにでるのか…
そんなことを考えながらバックルームに行く。
同僚がいる。
自分「このバンソコ使っていいのかな?」
相手「何でそんなに冷静なの?」
血はでてるが痛くないから冷静なのだが…。
人目には結構でてるようにみえるしなぁ。

自分に客観的になれるという人。
自分に対して冷静であれる人。
自分の死の際にあっても冷静であれる人。
俺はそうだとは思わない。
が、作られた世界の中にはそういう人が書かれる。
ふと思う。
自分が自分に大して客観的であれるなら
誰が自分に対して主観的であれるのか。
自分自身にさえ客観的に見られてしまう自分は何者であるのか。
自分として考える人がいない、それはとても寂しいこと。
それ以前に何のために存在してるのか。
自分を主観的に考えないなら
自分を客観的に考えている自分は存在意義を失う。
主観的過ぎるのも良くないけど。
バランスなんだけどね、要は。



2001年06月02日(土) フッ…っと

「におい」を感じるときがある。
懐かしい「におい」というのか…。
無論嗅覚的なものではなくて。
そういう感覚に突然襲われる。
この感覚を「におい」という風に表現していいのか知らないけど。
直感的に「におい」かなって思ってるんですよね。
今日講義を受けてて慣性の法則がでてきたんだけど
なぜかニュートンが慣性の法則を考えているところを想像したら
この感覚に襲われた。
不思議なことに「バック トゥ ザ フューチャー」の記憶も
そこには(多分)混じってたんだけど。
多分というのは…
いつもは、大体においてこの感覚は思い出そうと思えば
思い出せるんだけど。
その場面(空間)を思い出せば。
今日のだけは思い出せなくてね。
なんだったのかなぁ?



2001年06月01日(金) をを!!

今月はGWもあったせいで(おかげで?)
今月、バイトが…
100時間
とっぱ!
アルバイト初めて3ヶ月めにしてこれなら…
まぁ、すごいんじゃないかと。
今までほとんど経験無かったわけだし。
んで、バイト先の人からいただいた言葉。
「全然あめーよ」
ふと、他の人のカードを見る。
232時間。
…あの…人として何か間違ってる気がするんですけど…?


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加