想
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2007年05月13日(日) |
コミュニケーションのこと、働くということ。結論は特に出なかった。そりゃそうだ。 |
大学生のときは、PCで長文メールのやり取りを頻繁にしていた気がする。
いまでは、ほとんどしない。長文のメール自体、なんだか昔のもののよう。
ここにだって、感情的なまとまった長い文章は書かなくなった。
まともにことばと向き合って、誰かを気遣ったり、何かを深く考えるという時間が減っている。
お金には全然ならないけど自分にはとてもとても大切だったはずのことを、
お金のために削ってしまっている、と、言えなくもない。
人に向かって自分のことを「まだまだ若い」とはもうあまり言えないけれど、
実際、心の中ではまだまだ若いと思っている。まだまだまだまだ。
(ただし人生の3分の1と考えると、もうだいぶ遠いところまで来たなぁって気もするか。)
働くことの意味。
自分にとって、お金を稼ぐということよりも大切なのは、
遊んでばかりのいい加減な娘ではないと、親に知らせることかもしれない。
世間体、と言ってしまうと、ずいぶん弱くて格好悪い気がしてしまうけれど。個人的には。
本当は、全財産を一気に株につぎ込んで、少しずつ儲けを出していくギャンブルまがいの人生でも、いいと思っている。
あるいは、生きるのに困らない程度にだけ働いたら、あとは余生としてのんびり過ごすとか。やり過ごす、という感じで。
誰のことも気にせず生きていいのなら。そうやって生きられるのなら。
(こんなことを母の日に考えるのも、不謹慎なような、理に適っているような。)
ほとんど何も生み出さない生活。隠居生活。
でももし今そんな生活になれば、自分にも何かできるんじゃないか、若いんだから、と、ふと思ってしまうに違いない。
活発に動いて自分の価値を自分にも他人にも納得させたい衝動と、
何もしないで好きなときに寝て好きなときに起きて好きなときに食べることを望む怠惰さ。
・・・なんか、普通っぽいかな。これが普通なのかな。
みんな何考えてるんだろう、とか思ってもみるけど、
本当はみんなが何を考えていようと、関係ないと思っている自分がいる。
誰でもいい誰か、の考えなんて結局どうでもよくて、
自分の信じる人たちの思うことにだけ敏感に反応して、
そういう人と深くコミュニケーションをとっていくことが、
自分を育てていく、という気もするし。
でも、やりたい仕事のことを考えれば、誰でもいい誰かの意見がすべてになっていくのかもしれなくて。
自分がどうやって生きていきたいか、真剣に考えなければいけないのだけれど。
とにかく「ラクしたい」気持ちだけが先行して、高い壁にぶつかる気力が出ない。
いま、本当になんともいえない時期。
そして、自分が、転職活動のような重大でだからこそ面倒な問題を先延ばしにしたこともよくわかっている。
というようなことをつらつらと書き連ねてきたけれど、
これもコピーの課題が面倒臭くて進まないことによる現実逃避だと、わかっている。
明日午前は派遣会社の健康診断。
朝は普段の出社時間と同じくらい早いけど、実は朝礼のある日だから、ちょっとお得。
カゴメ 野菜生活100のCM。「ハンバーガーの山」篇(井上真央のほう)について。
ハンバーガーのときの飲みものは「アレ」って感じ、というのは、紙パックの「野菜生活100」のことらしい。
ハンバーガーで野菜生活といえば、マクドナルドしかない。
うまいこと考えたなぁ、カゴメ。
マックで野菜生活を売ってもらってるのはいいけど、野菜生活を頼む人はそんなに多くないはず。
もしマックで食事をする人が次々と野菜生活を飲んでくれれば、けっこう儲かるに違いない。
CM内ではマックって一言も言ってないけど、
マックでハンバーガーを頼もうというときに少しでも「アレって感じ」と思ってもらえれば、というところだ。
とにかく健康が前面に打ち出される今日この頃、このCMは効くのだろうか。
個人的には、やっぱりアイスカフェオレなんだけど。
菅浩江『五人姉妹』を、4月の半ばくらいに読んだ。
またまたまたまた、会社の先輩から借りて。
その前には同じく菅さんの『永遠の森 博物館惑星』を借りていた。
やっぱり、借りていた。・・・。
結果として、借りなきゃよかったかも。
めちゃめちゃ面白かったから。
『博物館惑星』の方は、共感覚者の捉え方とか、
徹底的に嫌なキャラがいたりとか、
いろいろ思うところがあったけど、
『五人姉妹』の方は手放しで面白かった。
個人的に、心情が書き込まれてる方が面白く感じる。
近未来の舞台がしっかりしていて、人間もきちんと書ける作家さん。
素晴らしい。
この先輩には、本当に感謝感謝だ。