想
目次|過去|未来
2002年03月30日(土) |
あんまり難しいことは考えていない。 |
呆れるほど濁った川面も、晴天の下では美しい青色になる。
世間では、いい意味でも悪い意味でもそういうことは結構ある。
本質を表す。悪人と子猫。
表面に気をとられて実体が見えない。
詐欺師?
2002年03月28日(木) |
秘密はしまっておきたいから。 |
箱根で、寄木細工の秘密箱を買った。
ひみつばこ。
響きも素敵。モノも素敵。
******
世の中こんなモンなんだなぁ。
自分次第とはよく言ったもの。
凄く書きたいネタが幾つかあるが、
もう少し時間ができたらにしようと思う。
今日はもうそろそろ日も昇る頃だし、寝ることにする。
あぁ、書きたくて仕方がない。
明日が来るのがあと20時間くらい遅ければなあ・・・。
何にせよ、安定しているということはいいことだ。
ちなみに、付け足しておくと、
「安定しているべきところ」が、ね。
アルコールに弱くなったのは、歳の所為なんだろうか。
それとも、1人の人生で飲めるだけの酒を飲んでしまったからなんだろうか。
どちらにせよ、なんだか嬉しくない。
たぶん、酒を殺して飲もうと思えばいくらでも飲めるとは思うのだが。
そうまでしなければならない職業でもないし。
休肝日休肝日。
2002年03月23日(土) |
最終日 〜アホバカ自慢〜 |
驚くべきは、この日の昼飯。
単純な言葉で伝えたい。
まずは飾らずに。そう。
「ますのすし@上野駅」
でも、これだけじゃ伝わんないなぁ。
あのときの自分の奇妙さを、もう少し詳しく話そうか。
* * * * * * * * * * *
とにかく、最終日だったんだ。アートの。
そんなわけで、僕は正午も間近の上野駅へと降り立った。
胸をときめかせながら。あの感動が再び蘇ることを確信して。
ところが、気付いてしまった。
(・・・腹減った・・・)
人間だから。時間の経過に伴い腹も減る。
とりあえず駅構内のコンビニでサンドイッチでも買おうかと
思ったその矢先。
両の眼に飛び込んできた、紛れもないそのことば。
「富山名物 ますのすし」
・・・ここで、話を少し前に戻さなければならない。
あれは多分、ひと月ほど前のことだ。
近所のスーパーで、全国駅弁大会(仮名)が催された。
何週間か前からそのイベントに目をつけていた僕は、
その日が来るのを心待ちにしていた。
確かにその日も仕事があることはわかっていた。
けれど、まさか運命がそんなに残酷なものだなんて、思いもよらなかったんだ。
仕事が終わってそのスーパーに行くと、確かにまだイベントは終わっていなかった。
ただし、僕が求めていたその駅弁だけが、キレイに売り切れていた。
よりによって、それだけが。他の数種類の弁当たちは、まだ棚に積まれているというのに。
(やっぱり、人気あるんだ。・・・明らかに旨いもんなぁ・・・)
その駅弁こそが、言わずと知れた「ますのすし」だったのである。
僕はだから、結局、オアズケを食らった形で放って置かれていたわけだ。
普段の僕なら喜んで食べるそこらのコンビニの「ますのすしにぎり」じゃ、
もうとても満足できないくらいに、本家「ますのすし」への欲求は高まっていた。
そんな中、駅構内でただでさえ目立つ濃紺の幟に、
ひときわ印象深く染め抜かれた「富山名物」の文字。
この状況で、食べない方がどうかしている。
* * * * * * * * * * *
片手にますのすしの入ったビニール袋を下げ、
まさしく意気揚々とそのコンビニを出てきた僕。
さて、実はここからが問題だったのである。
念願のますのすしを手に入れたのはいい。しかし、だ。
何処で食べよう?
もちろん上野だから、駅から一歩出れば行楽に最適な公園がある。
そんなことはもちろん理解っていた。仮にも元下町っ子だから。
けれど、そんな僕の足を止める想いがあった。
(最近、アホなことしてないなぁ・・・)
アホえねるぎぃが切れかけていた最中だったのである。
天の声を聞いた僕は、何を想ったか、階段を下り始めた。
しかも、狙ったのか期せずしてそうなったのか今では判然としないが、
その階段が、まぁるい緑の電車のホームだったことをここに記しておく。
何が言いたいかというと。
そのホームには、3〜4分に1本の割合で、電車が入ってくるのだ。
大衆の目に晒されながら、
僕はその薄い円形のますのすしを、
実に旨そうに、満足げな笑みを浮かべながら、
五感をフルに活用し全神経をますのすし唯一点に集中させて、
約20分かけて味わい尽くした。
御馳走様。
ちなみに、この日山手線上野駅のホームで、昼頃、
喫煙所の隣のベンチにひとりで座ってニヤニヤしながら笹の葉を広げ、
ピンクのますと白いご飯を無心に食べる黒服の東洋人を見かけた方。
特に、運悪くそいつの目の前で乗っていた車両が止まってしまい、
ドアが開いた途端に目を丸くされた数人の方。目までばっちり合ってしまった方。
ご迷惑をお掛け致しました。それは紛れもなく僕です。
また、この文章をお読みになり、
(変態?)
とお思いになられた方。
ご迷惑をお掛け致しました。あながち間違いとも言えません。
今後も精進してゆきます。
2002年03月22日(金) |
棄てる神あればなんとやら |
言ってみれば、きまぐれで拾ってきた石と同じような感覚。
形や手触りで選ばれた石たち。
いくつもいくつも。
手元になんとなくあって、どんどんそれが増えていって。
どの石がいつ拾われてきたかなんてことは、
拾った方はほとんど覚えていないし、それはあまり重要なことではない。
それでも、拾われた方は、忘れていないのかもしれない。
覚えていないのはこちらだけ。
人生の転機。運命の出会い。
なかなか、理解し難いところではあるが。
******
行ったり来たり。
こんなことをしばらく繰り返している。
ただのアホでしかない。
***
不器用?
いやいや。
本日、カウントダウンの日。
って思った人、他にいないかなぁ・・・。
2002年03月17日(日) |
西の空の三日月が今にも消えそうだ。 |
溜まっていた燃やせるごみを棄てるために外に出て、その月に気付いた。
ビミョウな、らっきー感。
三日月といったら、Dreams Come True の名曲を想い出す人は多かろう。
実に切ない雰囲気の漂う、いい曲だ。
******
楽しみにしていたことができなくなるのは、
楽しみなことがないときよりもずっと辛い。
少なくとも、彼女にとってはそうらしい。
いや、知ってたけどさ。
******
霞んでゆく 細い三日月
霞んでゆく 胸の・・・
空に想いを寄せても
いつだって この手は届かない
痛いのは自分のせい
辛いのは自分のせい
抑えてしまう自分のせい
抑えきれない自分のせい
これも長い長い生の中の一瞬
今まで届いたことがないから
もう届くことはないんだと
知っている
2002年03月16日(土) |
非常に中途半端にそして無駄に漢字を多用。コレはコレで。 |
どうしたらいいかわからない
さっぱりと片付いた部屋の中でひとり小さく呟いた筈が
後から後から止め処ない涙になって流れてきたので
余計に、如何したら良いのか理解らなくなってしまい。
あのひとの、ストレートすぎるほんの3行の言葉が、
嘘か本当か判別不能なその気持ちを、妙にはっきりと伝えていて。
それが本当であったら
いや、
本当だと信じられる自分だったら
と、思わず綻びていきそうになる守りを固める。
自分にはこの言葉さえ信じられないのだから
と、頑なに拒まなければ潮に流されそうな自分を其処に見る。
(崩されるなら、いっそそのままに崩されてしまえば良いものを。)
こんな自分を「信じて」くれる幾人かを想いながら、
それに応えられない自分の、誠実なまでの不誠実。
本当に困ったことになったものだ。
もっと巧く生きていける筈だったのに。
何時か、リセットボタンの創造に勤しんだこともあったが。
今では、此処から無理をしてまで動く体力はない。
兎に角待つことを、もう覚えたから。
******
以下後日談。
ねぇねぇ。
「嘘」の反対って、「本当」ぢゃ、ない?
だいたい、反対って何よ。反対って。どーゆーコト?
何しろ、500円で釣り銭の来るローソファを
近所のリサイクルショップで掘り出してしまったものだから、
驚くくらいに片付いた部屋になってしまった。
・・・とてもあの恐慌状態からは考えられない。
片付けた本人がそう思うのだから間違いない。
5時間あると、人間、結構なことができるものらしい。
フツーの一人暮らしだったら5時間本気で掃除し続けられるのが珍しいのでは、
などということに思い当たったりもしたが。イヤイヤそんなことはないさ。
2002年03月12日(火) |
顔を斜めにすると視界が涙で曇らずに済む。 |
シアワセ とか フシアワセ とか、そういうのは他人が決められるものじゃないんだなぁ。
というのが、ある女優の一人芝居を観た30分後の率直な感想、というか、考え、なのである。
何を今更、とは、どうか言わないでほしい。
どんなに周りが親切でも、どんなに現在に恵まれていても、金があっても、家があっても、他の何があっても、その人が シアワセ か フシアワセ か なんてことは本人にしか決められないことで。
折角そばにいる人を、シアワセにできないのはなぜだろう。とか思ってしまっても、その人が本当に シアワセ なのか フシアワセ なのかは本人にしかわからないことで。
その人がホントウのことを言っているのかウソを吐いているのかということは、もしかしたら、もしかしたら本人にだってわからないかもしれなくて。
それでも、人が人を シアワセ にも フシアワセ にも するというのは確かなことのようなのだ。
ここまで考えて、芝居のタイトルを思い出した。
そうか、所詮あれは幻の、そこに在るわけではないのに確実に存在する、光でしかなかったんだ。
そうか。そうだ。
人は別に、シアワセでなくても生きてゆける。
光という存在それ自体が、既に幻のようなものなのだから。
******
嗚呼。
なんてわかりにくい感想なんだろう。
春。
散歩に最適。
生きていることには、感謝できる。
そんな自分になることができた環境と、過去にも、感謝できる。
現在にも。
一刻も早く感謝できる心境になりたい。
何もしない、という贅沢。
束の間の、嘘のような時間。
何かしようと思えばすることは様々あるのに、
敢えて何もしないことを選べる贅沢。
贅沢だ。
実に贅沢だ。
緩やかに。
そしてたぶん確実に。
時間が流れてゆくごとに、
自らを制しきれなくなってゆく。
箍が外れ、自由になり、開放され。
それは本当に少しずつ進んでゆくのだけれど、
気付いたときにはもう岸辺は遥か遠くにあって、
いくら手を伸ばそうと、声を張り上げようと、
もう元のように救われることはない。
地にしっかりと足をつけて、
自らを支えることも、
もう、今の僕には、
できない。
支えを求めるのは、あまりにコドモじみた行為だ。
今となっては。
自分の他の何かに頼ろうというのが間違っている。
今となっては。
何も知らない素振りをしよう。
何も見ていない振りをしよう。
それも。
今となっては。
誰かが雁字搦めにしてくれるのを 、 ただ此処で待っている。
この身の全ての力が奪われるのを、ただ此処で待っている。
卑怯の烙印は承知の上。
求めることを蔑むのも、
求めることを恐れるのも、
自分の弱さの為せる業でも。
どうしても、赦せないこと。
今となっては。
2002年03月03日(日) |
世間は雛祭だというのにこの絶望は何処から来るのだろう |
やさしくして。
彼女はそれを望んでいるらしい。
あたしを慰めて。
独りにしないで。
強く抱き締めて。
まだ信じさせて。
心ごと、抱いて。
そこで彼女が言うことは。
これ以上近づかないで。
束縛されるのは絶対に嫌。
何もかも、もうたくさんなの。
止めましょう?
未来なんて見えない。
心なんて何処に在るの?
「誰か」の方がいいんでしょう?
あたしの何が、そんなに欲しいの?
必要な人間なんて、いるわけない。
好き、だなんて、今さら思えないのよ。
所詮みんな同じなんだから。
その、躯を、頂戴。
いい加減、疲れてしまったね。
それでも彼女と離れるわけにはいかない。
ある日突然、目の前に現れて。そして。
心を掻き乱すだけ乱して、帰っていく。
時にはしばらく此処にいて、
人をどん底に突き落としてわらっている。
少し哀しそうな顔をして、 わらっている。
壊れてしまいそうになる。
******
空気のようにただ其処に在るだけの生き方。
他人を望まない生き方。
まるで、死んでしまった様でもいい。
ただ、其処に在るだけの生き方。
ややまとまった時間と精神的な余裕ができたので、
涙が出るほど散らかっていた部屋の一部を、掃除した。
どれくらい汚かったのかといえば、少なく見積もっても、
自分の部屋が片付いていると思っている人の部屋の約48倍、
どうしようもなく汚いと思っている人の部屋の、16倍くらい。
とにかく、もしかなりキレイ好きの人が突然家に訪れたとしたら、
即座に片付け始めるか発狂するか、という程の汚さだったのである。
妙なやる気に後押しされて片っ端から片を付けたところ、
しまうべきものはしまわれ、捨てられるものは捨てられ、
なんとか、こざっぱり程度にはなった。
片付けた後というのはなんとなく気持ちがいい。
ただ、この状態を明日からどう維持するか。
これがいつでも問題なのである。
今回だって、1週間もつかどうか怪しい。怪しすぎる。
それから、今思い出したこと。
隣の部屋の散らかり方は、
これ以上に根が深いんだった・・・。