ある日のお買い物。 - 2002年10月27日(日) このところ、帰りが遅くて しかも朝早いものだから、 そして休日はずーっと出かけているものだから、 めっきり家でご飯を作ってなくて 冷蔵庫が空っぽになってしまっていた。 お昼過ぎの上司からの電話で 緊急で会社に顔を出した帰り、 いつもの八百屋さんでお買い物。 西友の野菜は古いくせに高いダメダメちゃん。 (でも23時まで空いてる) 八百屋さんの野菜は安いくせにそこそこ新鮮。 (でも20時くらいには閉まっちゃってる) そういうわけで平日に私に野菜を買う術はないのだ。 白菜ひとつ(新生児サイズ) 100円。 生椎茸一袋 98円。 エノキ茸一袋 40円×3。 長ネギ一束 120円。 わけぎ一束 100円。 にんにくの芽一束 80円。 チンゲンサイ2把 80円。 おうちに帰ってだしをとって お鍋3つを駆使しながら出汁を取っていて 味醂を切らしていたことに気が付いた。 ちぃ。着替えちゃったぜ。…と思いつつコンビニへ。 ヴァージンオリーブオイルまであるのに味醂がないとは 何を以ってコンビニエンスを名乗るのだ。 仕方がないので今日はお砂糖でごまかすことにする。 とはいえ、わざわざ着替え直して出掛けてきたのだ。 手ぶらで変えるのもなんだしな。 そういうわけで角のお花やさんで 小さな花束を買って帰った。 テーブルの上とPCのある机の上には今週、 黄色と黄緑と白のお花が咲いてる。 ... 時間の向こう側。 - 2002年10月19日(土) 鏡に映る彼の指が 私の髪を引っ張って、 思いきり良くそいでいく。 今日は珍しく 誰とも会わずにひとりきりで 大阪で1日を過ごすことにしていて 予定のある午後までの時間、過去へのタイムトリップ。 梅田から阪急に乗って関大前へ。 駅へ電車が滑り込む頃に 雨が窓に細い縞模様をつけて 駅前のコンビニで傘を買う。 ここは、以前はレンタカー屋さんだった。 駅前のニッショーはブックオフに。 私がいつも買い物をしてたスーパー。 衣笠は閉店。店先の挨拶をしみじみ読む。 雨の関大前を更に上へ。 懐かしくも胸が締め付けられる。 もう1年にもなろうというのに、 こうしてここへ来ると どうしても前の恋人のことを思い出してしまうし。 未練というなら未練かも。 恋人に対する、というよりも、楽しかった日々への。 講義帰りに通ったゲーセン。 女の子ばっかりでぷよぷよ大会をよくやった。 最初に住んだおんぼろアパートもまだあって。 正門前のコピー屋がなくなって 甲賀流の支店ができてる。羨ましいぞ! 大学の中は静かで、慣れ親しんだ雰囲気はそのままに 図書館前から生協横を上がって あ、1グラがほんとにない。これはさびしい…。 階段を上って法文学舎へ。 インフォシステムを動かしてみたり、変わってない。 第1学舎を移動する、6年前の自分がそこを走っているようで。 まるで幻覚のように。ありふれた映画のように。 法文坂が工事中で通れないので そのまま構外へ出る。ここも良く通った。 関前通りから1本横道へ入り 恋人の行き付けだったフォージュロンの前を通って駅前へ。 そして、予約も何もなしに 彼の店へと向かったのだった。 「予約も何もしてないんですけどいいですか」と 入っていったら彼は困ったように、 「詰まってるんですけど、 時間を改めてっていうのは無理ですか」という。 「うーん、できれば午前中に」と答えると カットだけなら、じゃあなるべく早めにするので 待っていてください、と入れてくれた。 カルテを作るので、と渡されたカード。 世田谷の住所と、03で始まる電話番号、 来店理由に「懐かしかったので」と記入して 裏返しに彼に返した。 ヘアカタログをぱらぱら見たあと、 読みさしの文庫本を読んで小1時間待つ。 相変わらずここは静かで おしゃべりも少なく、音楽だけが流れていく。 シャンプーをしてもらって、乾かしてもらって。 彼が、テーブルに置いていた文庫本を持ってきてくれて 鏡の前に座った私に持たせてくれる。 「何年ぶりくらいですか」 「もう5年になりますね。久しぶりに、切ってもらいたくて」 髪を切りながら、相変わらず隣りの人のマニキュアのかかり具合、 予約の電話の受け付け、小さな椅子を滑らせて動く。 彼が戻ってくるのをまた本を読みながら待って。 伸ばしかけているから、先の痛んでいるところだけ切って、 あとはばさばさに見えないように、とだけ伝えて 鏡の中の彼の指を、手を、 昔のように見詰めていたら。 「前、垂水町に住んでた…?」 …うん、そうです。 「昔から、本が好きで、よく本ばかり読んでた」 「うん。結構いつも、本持ち込んでました」 「『彼氏がいつもすぐ帰ってしまう』 『それは読書ばっかりしてるからじゃないのー』ってね」 「・・・よく憶えてはりましたね」 「それくらいの記憶力はね」 思い出してくれると思ってなかった。 ほんとに自己満足のつもりで来たのに。 びっくりして、そしてとても嬉しかった。 「東京はどう?」 「それなりに楽しい。絶対住みたくなかったとこやったけど」 「住んでなくても楽しいとこだと思うよ。 年に2回ほど遊びに行くけど」 そして相変わらずおしゃべりはそれくらいで 前髪、長いままにしてかき上げてたでしょう、 だから変な癖がついてぱかんと割れちゃう…と 相変わらずのお小言を食らって ちゃんとまっすぐにしてもらって。 帰り、カードをまた作ってくれて、 「また来て下さい。お待ちしてます」と いたずらっぽく彼は笑った。 今度は予約してこよう、と思いながら ちょっと嬉しいような切ないような気持ちになった。 雨の中、傘の下でさらさらと揺れる髪に 彼の指の感触が残るようで。 そして関大前に戻り、 大好きだったお店へお昼を食べに。 いつも座ってた席が空いてて嬉しくて、 ランチと食後のアイスミルクティーを頼む。 いつもの店、いつもの席、いつものオーダー。 美味しくて、変わらなくて、 いいタイミングでミルクティーも出てくるし。 珍しくマスターがカウンターから出てきて、 お皿を下げようとしてくれて、 「グレープフルーツ、甘いよ。食べない?」と 私が残してたフルーツを指す。 酸っぱいのが苦手なので残してたんだけど 甘いといわれれば頂きましょう。 そうして食べたら甘くって、 「美味しい」と笑ったらマスターも笑って。 帰りがけ、食器を洗うマスターに思い切って 「憶えてはれへんと思うんですけど、 私卒業して5年ぶりに来て、 久しぶりに食べさせてもらって嬉しかったです」と言ったら、 「そうだよねえ! 卒業しはった人ちゃうかな、と思ってたんよ。 よう食べに来てくれてはったよね!」 今どこにいてるの、と訊ねてくれたあとに、 彼はこう聞いてくれた。「どう?毎日楽しい?」 なんだかいろいろと大変なこともあるけど 意外と東京は楽しいところもあって それなりに楽しく頑張れています、と答えたら 「それはよかった。頑張ってね。頑張ってね」と 笑顔で手を振ってくれた。 店を出て、本気で涙がこぼれた。 もしかしたら、リップサービスだったかもしれないけど 私にはほんとに憶えてくれていたんだとなぜか思えた。 決して、手の届かないところではあるけれど あの場所で過ごした日々は消え去ってしまったわけではなくて 当たり前だけど私という人間の積み重ねの中に 確かに存在していて、今も息づいている。 そして、ほんの少しではあるけれど あの頃触れ合った人々の中にも 私という存在が積み重なっていて それは、思い出されることはないかもしれないけど 確かに存在している。 私が愛したあの場所で、 誰かしらのなかで私はちゃんと居続けているんだと そう思ったら元気になれる気がした。 今までで1番悲しかった日にも 私はあの店でランチを食べてミルクティーを飲んだ。 そしてそれから5年後に 笑顔であの店を出ることが出来た。 そしてそれはまた 新しい積み重ねとなって 明日からの自分を支えてくれると思う。 いつでも、にこにこして帰りたい町が、私にはあるんだから。 ... 夜の散歩。 - 2002年10月03日(木) 昔から、夜中に出歩くのが好きでした。 誰もいない、夜の道を ぽつんぽつんと点在する 白い街灯にてらされながら ただてくてくと 歩いて行くのが好きでした。 と、言うわけで 東京に来て以来、仕事の内容が変わったこともあり すっかりデスクワークが身について(1年かかったよ) 歩かないこと歩かないこと! ひょんなことから、会社の隣りの駅に住む先輩が 出勤する時は電車だけど 帰るときには歩いていると聞き 道を教えてもらって真似することに。 教えてもらうも何も、一本道だけど。 言ってみれば東京の大動脈とも言える大きな道で 車がびゅんびゅん通って空気が悪いけど 暗い歩道をてくてく歩くのはやっぱり楽しい。 車がひっきりなしに通る分、怖くないし。 昨日は最終まで少し時間があったので もう一駅足を伸ばしてみた。意外と近い。 一駅ずつ、先まで歩いてみよう。 てくてく、てくてく。いろんなことを、考えながら。 夜の散歩道は孤独で、 そして世界最小かつ最大の書斎だ。 ... 必然の結果。 - 2002年10月02日(水) 人生は必然の結果であって、 “あのときこうしていれば”という選択肢は有り得ない。 …というような内容の文章を読んだ。 それは、そう。私もそう思う。 私たちは大きなことから小さなことまで あらゆる場面で選択しながら生きて暮らしているわけで その際、その場その場のベストを選択している。 どっちも選びたくて、且つどっちでも選べる、なんて そんな呑気な選択肢はまあないし、 明らかに不利な選択肢を望んで選択することもないからだ。 不利な選択肢を選択せざるを得ない、というシーンはあるだろうが それは“選択せざるを得ない”という時点で そのときその条件の選択としてはベストなはず。 なんでこんなことを今更のように思っているかというと 今日初めての調査結果が明らかとなった拉致問題が発端。 某作家の「そんなに悲劇的か?」という発言に関して 人生における選択を自分でしたかしなかったかは大きな違いで、 抗えない力によって大きな選択を勝手にされたことは それだけでどう考えても悲劇だろう、と。 その中で見つけた幸せなどは 普通に生きてても得られたはずの幸せなので論外。 …と、まあ、思っていたのだ。 さてその拉致問題。もう見慣れた光景だけど、 遺族側は相変わらず怒っていて、報道する側はどっちつかずだ。 最近は遺族側の発言も正直気になる…。 なにを言われたって、納得なんかできんでしょう?って話です。 奪われた家族が、なにも変わらぬままに 戻ってきてくれない限り納得なんかいくとは思えない。 でも、そうならないことは明らかなわけです。 これだけの歳月が経って、 「帰国できるならすぐしたい」とも言えない (或いはほんとにそう思えない)、 そういう状況に奪われた家族は居るわけで、 その人たちはすでに奪われたときの彼らではない。 実際に会って、 本人たちの口から「帰りたくはない」と言われたら それで納得するのかといえばそうでもないだろう。 どうも「信じたくない」と「信じられない」が ごっちゃになっているような気がする。 発表には確かに辻褄の合わないことは多い。 今日発表の2度の火葬に処した遺骨だとか 事故死の割合の高さだとか。 でも遺品がないとか、お墓の場所が不明とか、 不自然じゃないことまで不自然だと糾弾してしまうと ポイントを絞っての究明ができなくなってしまう。 拉致してきた外国人が死亡したときに その遺品がないことが不自然? 遺品を残しておくのは 亡くなった人を大事に思う人がいるからこそで それをすべき家族は日本に居たのだから 本当に亡くなっているとしたら まとめて捨てていて当たり前だろう。 お墓が総じて水害で流されたことになっているけど 北朝鮮での大規模な水害は事実なのだから 有り得ないことじゃないと思う。 流されたお墓の復旧に手が回るような 経済事情でも社会事情でもなかっただろう。 ましてや、攫ってきた外国人のお墓を 誰がわざわざ土砂の中から探すわけがない。 そんなことをしてくれる国なら そもそも拉致なんかしないだろう。 「そこらへんに穴を掘って埋めました。 場所なんか、もう分かりません」と、よく言われなかったものだ。 では、太平洋戦争のときに 日本人が朝鮮半島から強制連行してきた朝鮮人の人たちは? 強制連行と拉致は違うの? 強制連行は良くて、拉致はいけないことなの? 認められていない行方不明者を入れても 強制連行してきた朝鮮人の数には満たないのではないだろうか。 あのとき、日本は彼らのお墓を作ったの? 遺品を残しているの? 亡くなったときの状況を遺族にちゃんと伝えたの? 歴代首相や天皇が、数回、 「反省の意」を表明しただけで終りにしたつもりでいるんじゃないの? 「私たちは真実を知りたい」と彼らは言う。 でも、何を以って真実というのか。 科学的実証、とひとくちに言うけれど、 存在するものの正体を科学的に証明することは出来ても 存在そのものを科学的に証明することなんか出来っこない。 知ることのできない真実は、どうしたって存在する。 無理なことだけをひたすら求めるのではなくて 併せて実現できそうなことを求めていくことも必要なのでは? どうしたって、許すことも、怒りが収まることもないのだから。 取り返しのつかないことも、あるのだから。 ある程度まで分かれば、 或いは分からなくても、心からの謝罪を求め、受け入れ、 今後は同じことを繰り返させない国作りをさせるということも あっていい選択肢なのではないのだろうか。 興味深いのが報道側の姿勢。 たいがい、世論操作とまでは言わないけれど、 有り体に言えば「どっちかの味方」的な姿勢で 大概のニュースは報じられるのに ことこの件に関しては 遺族の言い分の放送はするが、 さして遺族側の主張に立って究明の必要性を声高に叫ぶでもなく 政府のやり方を擁護するでもなく 強いて言うなら遺族側に立っているか?とは感じるけれど 外交的には意義があった、というのも弱々と伝えているし。 個人的にはもう、外交と拉致問題究明は いっそ切り離した方がいいだろうと思うけれど。 ただ、外交=支援ではないだろうから 支援と拉致問題究明は交換条件として 北朝鮮側の情報提供を求めつづけることは肝要でしょう。 でも、北朝鮮の話を聞きに行くだけじゃダメで それこそ探偵でも送り込む勢いで。 お墓が流れたというなら 土砂の跡が残るはずのその場所に行ってこい! 関係者が居なくても土を浚うぐらいのことはして 政府関係者以外からも足で回って聞き込みして来い! (それでも何かが得られるとは思えないけど) 大体、被害者の顔写真や失踪時の状況は 何度も何度も報じられているけれど、 知りたいことはちっとも報じられないじゃないか。 なんで、調査期間がたった3日になったのか。 拉致を指示したとする犯人の引渡しを要求しないのは何故か。 (どー考えても国家犯罪だけど、 軍関係者の暴走、という発表に異を唱えなかったのであれば 個人単位の犯罪として要求すべきことをしたら良いんじゃないの?) 長期教化刑ってなに? 調査結果だけでなく、調査方法の報道がないのはどうして? どこでどうやって調べて、誰から話を聞いたのか。 結果やら当事者の感想ばっかりを ワイドショーみたいに報道しているから 報道される側は考えることをしなくなって 結果風化していっちゃうんだよ。 青森の住宅公社の横領だって 私が1番知りたかったのって 「14億横領しててもばれなかったってことは そんだけ県民からお金取らなくても やっていけるってことじゃないの?」ってことなのに そこ突っ込んで取材してた番組見たことないぞ。 あの心底むかつくチリ人妻なんかどーでもいいのだ。 怒ってるに決まってるんだから県民の声も拾わんでいい。 チェック体制の不備をつくのはどっかでやってたけど お詫び言われて引き下がってくるなよ・・・。 ...
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