ユキマークブック。...ゆき

 

 

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鏡に映る指。 - 2001年12月20日(木)

今日は美容院に行って、
パーマをかけなおしてもらってきた。
すこしずつパーツ分けされた髪が
さらに小分けにされて、
サイズ違いのロッドに巻かれていく。
少しずつ、少しずつ。
こうして髪がひっぱられるのって
なんでこんなに心地好いのだろう。

まだ、安心して任せられる美容院は見つからない。
こうやって、鏡に映る美容師さんの指を見ていると、
遠くなってしまったあの指を思い出す。

彼の指は細く、白くて華奢だった。

学生の時、ずっと通った
忘れられない美容師さんがいるのだ。
(別に何かあったわけではない)

ある日、学校へ向かうなだらかな坂道の途中に、
小さな美容院がオープンした。
あのときも、
私はお気に入りの美容院を捜し求めていたのだ。

そこは3席しかない小さな店で
基本的には彼がいつもひとりだった。
オーナーにして唯一のスタイリスト。
1年ほどして、アシスタントさんがいたこともあったけど
何故か次に行くとまたひとりで、
その次は別の人で。
一緒に仕事するには、難しい人だったのかもしれない。

黒い服を良く着ていた。
小さな細い体で
プラスチックフレームの眼鏡をかけて、
小さな椅子に座って私の髪を切って、
たまに椅子を滑らせては
隣の人のパーマのかかり具合をチェックして、
電話がかかってくれば
「ごめんね」と言ってまた
カウンターまで椅子を滑らせて予約の受付。

気の向いた時にしか喋りかけて来なくて
馴れ馴れしい時すらある美容院での世間話が
何より苦手な私には居心地が良かった。
いつも、彼の好きな音楽がかかっていた。
音楽にこだわりがあって、
部屋はスピーカで埋まっていると笑った。

道路に面した小さなカウンターで
書き物をしたり道路を眺めたり
学校に行く途中に見掛ける彼の姿は
なんかひとりぼっちな感じでおかしかった。

ある日、
「この間さあ、彼氏と歩いてたでしょう」と
私の指輪を指差しながら言われた。
「外にいるときも、お客さんって分かるん?
 そんな1人1人憶えとるん」
「分かるよ、そりゃあ。
 良く歩いてるでしょ、学校行くときも通るし
 駅の近くは良く彼氏と一緒に。
 俺、帰る時とか車で横通ってんだよ」
ふーん。
美容師さんって
カルテ見て思い出してるだけなんだと思ってた。

私が、パーマ液のにおいが好きだというと
小瓶に入れて、持って帰るか?と馬鹿にしたり。
今度は彼氏も連れて来い、
かっこよくしてやる、と言ったり。
あんまりたくさん話さなかったけど
話した事は結構憶えてる。

2時間も座りっぱなしでいろいろ思い出したけど
彼の何が良かったって
うるさいことを私に聞かずに
いいように仕上げてくれたことだ。
「伸ばしたい」とか
「ウェーブかけたい」とか
「切りたい」とか言えば、
「可愛い感じがいい?オトナっぽく?」
「うーん、じゃあ、こんな感じでいくか」
と、さっさと決めて
実際に切ってみながらニュアンスを変えて、
ずぼらな私でも再現できるスタイリングを教えて、
そりゃあもう楽ちんだったのだ。

彼の手にかかると
いつもは手に負えない私の髪が
大人しく、形を整えて。
彼の店の前を通らないと学校に行けず、
ちゃんとしてないと彼に悪い気がして
一応きちんと毎日していたなあ。
せっかく綺麗にウェーブをかけてくれたのに
時間がなくて後ろでまとめてしまった日には
見せたくなくて傘で顔を隠したり。

大阪へ帰っても
学校に顔を出すことはまずないから、
あの店が今もあるのかどうか
彼は今も変わらずにいるのかどうか
私には分からないけれど。

3年ほど前に
学校までふらりと出掛けた時に
電車の中からみた私の部屋と彼の店は
中までは見えなかったけど
あの頃とは違う表情を見せられた気がして
そこにあの時間はもう絶対無いと
言い渡された気持ちになった。

確かにあった時間。
過ごした時間。
でも今はもう無い。


...

透明人間にしてもらった。 - 2001年12月19日(水)

今日は、『メメント』を観に行きたくって
19:00の回に間に合うように
会社を出る・・・つもりだった。

渋谷まで、電車の乗り換え入れても
めっちゃ混雑しとったとしても
まあ、20分くらいあれば着くので、
新宿でFlagsに寄る時間を入れて
よし、18時には出よう!
計画としては正しかった。
定時の17時半を目指して仕事は進めた。
けれども、何故か、電話はなるし
FAXは届くし、トラブルは起こるし
疑問は混乱を招くし、質問が途切れないし、
どういうことなんな・・・で、
机の上が収拾のつかない状態のまま、19時。

そうこうするうち先輩が
20時前に帰る仕度をしながら、
「あら?今日は早く帰るんじゃなかったの?」と笑う。
「そうなんですけどねえー」
「ゆきさんの“早く”は20時なの?」
そんな話を聞きつけた上司が一言。
「そうなの?大丈夫よ、私にはゆきさん見えてないから」

そして、ボスは、私の相談には乗ってくれたけど
何か仕事をくれたり、FBをしたりすることなく、
私は21時に、無事会社を出ることができたのでした。
(残業ついてないけど)



...

出張から帰る。 - 2001年12月06日(木)

さて、私も泣いてばかりいたわけではなく。
ちゃんと6日は仕事をしたのです。
そういえば、5日の23:14、
1日の終わりに降り立った岡山駅前は
なかなか見ごたえのあるイルミネーションが綺麗でした。

先輩たちには、
「知らない人に声かけられても
 ついていっちゃだめなのよ」
「暴走族とかヤンキーとか
 目を合わせちゃダメよ」
「人、歩いてないんだからね!」
・・・などとひどいことを言われましたが
確かに人はいないけど
静かで別に危なくなかった。
誰にも、「飴ちゃんあげるから・・・」とか
言われなかったし。

さて、7日には大事な仕事があるので
6日中には帰らなくてはなりません・・・が。
某社屋でメインの仕事を終えたのが18時過ぎ。
シャトルバスに飛びのって
今度はもうひとつの本社屋まで運んでもらって、
こっちで研修をしてた上司に届けものをし、
「あなた、何時の新幹線で帰るの!?
 ちょっとー、絶対乗り遅れないのよ?
 前科があるんだからね!」
(先日実家へ帰る新幹線に乗り遅れて
 とぼとぼ会社へ戻ったものだから・・・)
と、お礼の代りにそんなことを言われ、
結局19:05ののぞみも19:22のひかりも逃して
19:30のシャトルバスで岡山駅へ向かい
最終20:07ののぞみで帰るのです。

おみやげコーナーで
自分用にアキヒトさんお勧めの
阿藻珍味の尾道らーめんを買い、
東京にこれから帰る連絡の電話をし、
課の先輩たちにくるみ大福を買い、
隣の課とバイトちゃんたちに白桃ゴーフルを買い、
新幹線の中でご飯にしようと
ままかり寿司のスタンドに行ったら、
「まあー、今から東京までー?
 もう夜じゃなー、気ぃ付けてー」って。
なんか、ほんわか嬉しかった。

あ、ままかりといえば、
“ママカリパーキング”っていう駐車場を見つけて
おー、岡山らしいわぁ、って思った。まる。


...

紐解かれる記憶。 - 2001年12月05日(水)

いつまでも終わらない仕事を
旅行鞄に突っ込んで
19:53分発ののぞみに飛び乗る。
初めて、東京から岡山まで。岡山まで。
ちくりと胸が痛む。

車内アナウンスが
途中駅の到着時刻を告げる。
名古屋 21:33・・・
京都  22:12・・・
新大阪 22:26・・・。
ああ、そうか。こののぞみは・・・。

21時までの勤務、
先輩たちは優しくて、
『今日は、海を渡るんでしょう?
 後はやっておくから早く行きなさい』
そういって、いつも送り出してくれた。
東山線から9番出口を駆け上がって、
名古屋駅構内を
ちょうど反対側の新幹線口まで
大きな荷物を抱えて良く走った。
それでも、嬉しかったんだ。あのとき。

窓の外、流れるビルでは
四角く切り取られた光の中で
まだ仕事をしてるひとたちの背中が見える。
広いフロアにひとり・・・ふたり。

岡山までの2時間、
ずっとうきうきしていたんだ。
着いたら、なんて言おうって。
今日は、階段の前にいてくれるかな。
それとも、車の中で待ってるかな。
間に合わなくて、ちょうど走ってくるところかも。
ぎゅうって抱きついたら
なんて言うかなあ・・・。

誰かと話したい。
なんでもいいから、話したい。
携帯を取り出して
片っ端からメールを打つ。
どうしてなんだろう、こんな時に限って
誰からも返事が来ない。

高松駅からフェリー乗り場の前を抜けて
オレンジ色の街灯に照らされて走る。
必ず電車に酔う私に、
「お疲れさま。なにか食べられる?」
私は、背もたれを倒して
ひどく酔っていればそのまま帰るし
気分が良ければどこかで何か食べたいという。
深夜の高松は車が少なくて
なんだかどこまででも走れるみたいな気がする。

車掌さんが検札に来る。
窓枠においておいた切符を片付けて
代りにMDを取り出す。
音楽を聴こう。最近の曲を。
ふたりで聴いていない曲を。

悲しい。
淋しくはない。
ただ、悲しくて涙が出てくる。
ふたりで聴いていない曲なんて、ない。

隣のおじさんに気取られないように
窓の方を向いて泣く。声も出ない。
涙の通り道が、熱くて、ひりひりする。
・・・眠ってしまおう。

もうすぐ、岡山に着く。
岡山駅の外へ出てしまえば、
ホテルに入ってしまえば、
亡霊のような記憶から逃げ出せるはず。
イヤホンを取った耳に飛び込む乗り換えのアナウンス。
瀬戸大橋線、マリンライナー69号、0:04・・・。

窓に映る船の灯り。
走りすぎる途中の小さな駅。
坂出からの20分が、いつも長くて。
・・・長くて。

線路の突き当たりでは
あのひとが、笑っていたのに。
わたしが、笑っていたのに。







...

世代交代 - 2001年12月01日(土)

とあるイベントに行って
懐かしい歌をライブで聴く機会があった。

彼女は、もちろん今でもソロで
シンガーソングライターとして活動を続けているが、
以前は、バンドのボーカルをやっていた人だ。
もう、12〜3年前のことになるのだろうが、
女の子ばかりのロックバンドで
当時は絶大な人気で、
私は特に好きではなかったけれど
代表曲は今でも大体歌えるし、
彼女がそのバンドのオーディションのときに
「もし私が落とされる理由が
ぽっちゃりした体型のせいだとしたら
絶対痩せてみせますから!」と審査員に直談判して
ボーカルの座を勝ち取ったというエピソードまでも憶えている。

この日、武道館のステージに立った彼女は、
最初、当時の彼女たちの代表曲で私も大好きな曲を、
別のひとが歌うその隣で、
とても穏やかに伴奏をしていた。
そして、コーラスをつけていた。
その後、同じく当時の代表曲を、
今度はのびのびと、張りのある声で聴かせてくれた。

あの頃の彼女たちは、
デビューしたてで、まだ10代で若くて、
メンバーには女の子しかいないのに
自分たちで曲も詩も書いて演奏もするバンドだと
目新しい存在として扱われていた。
まだ一般的じゃなかった茶髪で
ウェーブのかかった長い髪に大きなリボンをつけて
ミニスカートでくるくると踊り唄っていた。

今日の彼女は、
艶のある黒髪で、ショートヘアで、
飾り気のないTシャツにジーンズ。
あの頃には聴けなかったニュアンスの濃い曲を作り歌詞を書く
かっこいいオトナの女性になっていた。

良く伸びる声が、当時から彼女の声の魅力ではあったけれど
結婚をし、母になり、歳を重ねて、
彼女の声は色を帯び、深みを増し、武道館の高い天井を震わせた。

彼女は、なんだか泣けちゃうような心のこもったMCのあと、
彼女の次に唄う歌手の紹介として、
イントロの部分をアカペラで唄った。彼女が作った歌だ。
とてもとても、素晴らしかった。

今回のイベントで
バックバンドを務めたメンバーは
ちょうど彼女がバンド活動していた頃に
同じようにJ−popの第1線で
若手として活躍していた人も多くて、
それが、いまや、経験のある中堅、あるいは大御所として
今の若いミュージシャンたちから
尊敬を集めていたりするんだなあ、と思った。

彼女も、そうだ。
あの頃は、オーディションでバンドを作って
中高生の人気を集めて、曲をヒットさせて、
それは、もちろん才能のひとつの顕れではあったけれど、
やっぱり、彼女たちの上には
さらに才能にあふれた、経験を積んだミュージシャンが山ほどいて
そんな中ではどうしたってひよっこ。
それが、今や、若いミュージシャンに曲を提供し
ドラマの主題曲を書き下ろしたりしてる。

こうやって、世代交代が行われていく。
それは、音楽の世界のことだけじゃなくて
もう、私たちの世代が
社会の柱になってきてるってことだ。
私は、今、ちゃんと前の世代から
バトンを受け取れているだろうか。

いつまでも、子供の振りをしているのは楽だ。
いつまでも、新人ちゃんとして甘えているのは楽だ。
でも、もう、私には私に課せられた役割がきっとあって
そこから逃げては行けないんだと思う。

上の世代の先輩たちから
ちゃんとバトンを受け取らないといけないし、
そのバトンを、次の世代に引き継いでいく責任がある。
まだ、何色のバトンが
私に託されているのかは分からないけど。

私は、どう生きていくべきなんだろう。
受け取ったバトンを、
どれくらいより良いものに進化させられるんだろう。
進むべき道も
今いる場所も
模索中の不安定な私だけれど、
それは、今、バトンを受け取るべき立場の世代に共通なことなんだろう。

誰から渡されるのか
何色のバトンなのか
順位をどれだけあげられるのか
自分のチームはここでいいのか

誰に渡すのか
どのコースを進むのか
ゴールはどこなのか
何キロくらい走らなくちゃいけないのか

分からないことはたくさんあるけど
とにかくバトンは受け取ろう。落としたり失くしたりせずに。



...

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