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2007年08月27日(月) コバケンとその仲間たちオーケストラ・2007福島公演 2

 「コバケンとその仲間たちオーケストラ・2007福島公演」
 指揮:小林研一郎
 ソプラノ:池田理代子
 コンサートミストレス:瀬﨑明日香
 インスペクター:小栁英之
 合唱:福島県民の日記念合唱団
 吹奏楽:福島成蹊高等学校吹奏楽部

 演奏曲目

交響詩「フィンランディア」(シベリウス)
 合唱付

レクイエムより ラクリモーサ(モーツァルト)
 合唱付

歌劇「トゥランドット」より 誰も寝てはならぬ(プッチーニ)
 トランペットソロ・佐々木順一

チゴイネルワイゼン(サラサーテ)
 ヴァイオリンソロ・瀬﨑明日香

交響詩「モルダウ」(スメタナ)

ピアノ協奏曲第23番イ長調より 第2楽章(モーツァルト)
 ピアノ・小林研一郎

初恋(作曲:越谷達之助、作詞:石川啄木)
 ソプラノソロ・池田理代子

歌劇「ジャンニ・スキッキ」より 私のお父さん(プッチーニ)
 ソプラノソロ・池田理代子

荘厳序曲「1812年」(チャイコフスキー)
 吹奏楽バンダ・福島成蹊高等学校吹奏楽部

夏祭り(作曲:小林研一郎)
 賛助・福島市立蓬莱中学校

 ソプラノの池田理代子さんは、そうですあの「ベルサイユのばら」を描いた漫画家です。
 1999年、池田さんは東京音楽大学声楽科を卒業しました。つまり、自分の子供の頃からの夢の実現と可能性への挑戦として40歳を過ぎてから大学に入学し声楽を学んだのです。
 一時、関節リウマチに苦しんでいるというニュースを目にした記憶があるのですが、違ったかなぁ?と思うほど芯があり優しい歌声でした。もちろん、英才教育で声楽家となったプロとは比較できませんが、夢の具現化のために具体的に動いた池田さんの歌声は素晴らしかった。音楽してるなぁと感じるものでした。

 今日の演奏には「福島県民の日記念合唱団」が合唱として出演していましたが、ごめん。悪いけれどもとても出来が悪く、これでは合唱王国福島の名が泣くなぁと思いました。本当にコバケンに失礼な演奏でした。もちろん県内からこの日のために集まった単発の合唱団ゆえ、合同で音を合わせることもままならなかったのは分かるのですが、それにしても酷かった…
 と、考えながら聴いていて、中間の休憩時にたまたまロビーで知り合いの骨髄バンクでもお世話になっている県職員にそのことを言ったら、実は直前までコバケンのOKが出ず、合唱は無にしようかという話になっていたそうです。
 なんか、残念でした。
 たしかに、モーツァルトのそれに限らず、レクイエムを歌うのは合唱のレベルが相当高くないと難しい、というより高くなければ歌えないと思うので、即席合唱団に扱える曲ではなかったということなのでしょうが…

 それはさておき、ヴァイオリンソロの瀬﨑明日香さん。
 いやぁ、これは圧巻でした。すげぇ!です。
 2005年、フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウスコンクール優勝の実力を余すことなく聴かせてくれました。
 俺の今日の席は最前列だったので、かぶりつきで聴かせて貰ったのですが、指の動きなど人間のそれではありませんでした。あぁここまでくるのにこの人は俺なんかにはとても想像できない重厚な時間を過ごしたんだなぁと思いました。
 俺は楽器が弾けないので、ただただ感動でした。

 そして、荘厳序曲「1812年」
 ホント、感動しました。
 もちろんコバケンとその仲間たちオーケストラの演奏は身震いするほど感動しました。でもそれに輪をかけて曲の大団円時に演奏した福島成蹊高等学校吹奏楽部の「音」には涙が出てしまいました。
 練習もしたでしょう、泣いたし苦しんだし壁もあったでしょう。でも、その音にはコバケンのタクトで演奏できる喜びがストレートに表れていました。コバケンのタクトに操られ、でもコバケンのタクトに挑戦もしている、そんなパワーをひしひしと感じました。怖いものを知る前の潔い演奏とでも言うのでしょうか。実に良かったです。
 ふと、自分が壇上で感動に身震いした過去の経験がよみがえり、余計に泣けました。笑


2007年08月26日(日) コバケンとその仲間たちオーケストラ・2007福島公演

 「コバケンとその仲間たちオーケストラ・2007福島公演」を鑑賞してきました。
 福島県民の日制定10周年記念事業ということで招待されたもので。

 率直な感想。
 よかったぁ。感動。最後には目が熱くなって、その液体の処理をどうしようかと…
 ブラボー!でした。

 コバケンこと小林研一郎氏は福島県はいわき市の出身で、今では世界的なマイストロです。
 コバケンがこの「コバケンとその仲間たちオーケストラ」をやる思いがパンフレットに載っていました。

【ブタペストでの思いが、やっと実現した冬】
 ブタペストの冬。その日もまた、ドナウからの風は氷のように頬を刺した。そんな夜、コンサートを終え楽屋口を出た僕を、ご両親に伴われて、少女が待っていた。
 体が不自由であり、また、知的障がいも持っていた。しかし、演奏を聴いた喜びや感動を必死にぼくに伝えようともがいている様が、いとおしかった。この子たちにもっと自由に演奏を聴いて欲しかった。だが、しかし、知的障がい者が健常者と一緒にコンサートを聴く環境を作ることは厳しい。
 音が空気に溶けて行く様や静けさのみが支配する世界では、ほんの少しの雑音も許されない……。そういう矛盾を思いの底に沈めて、長い間、解決がないまま、悶々と過ごしてきた。そんな中で、スペシャルオリンピックス世界大会・長野との出会いがあった。世界中から集まるアスリート達に、今までの努力を讃え、そして、これからの励ましを込めて、コンサートができたら……。そこでは、嬉しかったら立ち上がったり、感動したら声を出してもいい。そんなコンサートにしたかった。だが、それは、途方もない企画だった。指揮者だけではコンサートはできない。果たしてボランティアでオーケストラのメンバーは集まってくれるだろうか。
 しかし、たくさんの人々の小さな思いは、やがて、大きな力になっていた。3月3日深夜、114名のボランティアの演奏家たちを乗せたバスはひたすら、白馬に向けて走っていた。“コバケンとその仲間たちオーケストラ”バスのフロントガラスにはそう書かれてあった。そしてコンサートではアスリートたちに、僕たちの思いを伝えることができた。彼らの眼はより輝きを放ち、立ち上がっての拍手は続いていた。しかし、それにも増して、我々演奏家たちは口々にこう言っていた。聴いてくれてありがとう。演奏させてくれてありがとう。この時を与えてくれてありがとう。出会いをありがとう……と。励ましをもらったのは、むしろ、僕たちだった。
 日本の社会が障がい者をごく普通に受け入れてくれる時がやがて来る日まで、このコンサートは続けなくてはならない。障がい者も健常者も垣根なく共存できる社会に向って歩き始めよう。そう思った時でもあった。

 この続きは日記を分けて書きたいと思います。


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