シロクマ日和 |
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[ ヤマギシ ] 1997年11月28日 帰りの会が終わって帰る支度をしていると、ネコピーとワカピー(アダナ) がうちのクラスに来て、今日でそろばん教室が終了することを知らせてくれた。 最近、後悔と共に思い出す日も増えていた。 必ず行く約束をして、そこで別れた。 しかし今日は塾の日だ。お母さんは、塾のかばんを持っていけば?と言った。 私もそうしようと思った。でも、社交辞令みたいな挨拶でなく、自然に そろばんをしに行きたかった。「まだつづくよ」と伝えたかった。 押入れの中から使い古した青いカバンを取り出した。すぐ取れる場所に、 中身は昔のまま、ずっとそれはあった。お気に入りだけど普通の服を着て、 春休みに買ったお土産を持って、階段を走り降り、髪を整えて、 玄関にあった真っ赤な林檎を手に、私は家を出た。 私には小さな不安があった。私は、今年の四月にこのそろばん塾を、 何の挨拶もなしにやめていた。4年間もお世話になりながら。 本当は三月の最後の日、その前の日、何度も言おうと思った。 「中学校に入ったら部活が忙しくなるので一回やめます」 何度も練習した。けれど、寂しくてその日は結局言えなかった。 次に来た時、次こそは、それははもうない。 それがずっと後悔だった。 そして、「ミツオカさんは来ないんですかー?」と聞いた旧友達に 対して、先生は「あの人はもう来ないでしょう」と言ったそうだ。 あの人はもう来ないでしょう。 そう思われて当然だけれど、「あのひと」という言葉は胸に突き刺 さり、私がどうしても言えなかった「もう来ない」を口に出して言 われたことが寂しくて仕方なかった。 先生はいつも言葉を選んだ。怒られる時も私達は決して傷つかなかった。 だから、その言葉はとてもゆっくりと、とても淋しい。 ペダルをこぐ足も自然に重くなり、冷たい風が「今更何しに来たの?」 「あの人はもうこないでしょう」を繰り返した。 空には星が出ていたのか出ていなかったのか、とても暗い道だった。 それでも足はペダルをこぐのをやめなかった。止められなかった。 今ここで会えなければ、きっと一生会えなくなる事が分かっていたし、 自分が先生に会いたがっているのも知っていた。お礼も全然言ってい ない。自転車も足も、通いなれたこの道をすごく懐かしんでた。 体が温まってくる。いろんなことを思い出す。 月曜日は点数がマイナスじゃない人だけ本が借りられた。 図鑑は全種類揃っていた。あれはびびった。図書室よりちゃんとあった。 サッカー入門とか釣り入門とか、おまじないの本も女の子用に。 ギボアイコの心霊写真の本が人気でーあー私、今でも本棚を結構覚え ている。「ちいさなスプーンおばさん」とか「岩窟王」とかあそこで借りた。 1人暮らしの先生が文句ばっかり言ってるくせに本屋でこの本選んでる のかーと思うと子供ながらにすごく嬉しくて、「恋のおまじない入門」等は 大爆笑だった。でも少し私達は感謝と尊敬をした。 それに、夏休みには毎年理科の工作やら研究の本を揃えてくれた。 水曜日は、クジ。壁に給食袋みたいのが下がっていて、その中にプ レートみたいなパズル、ずらしてって絵をあわせるやつ。 あれが入ってて、1コ引く。各自そのパズルのコピーを最初に貰って ケースに入れている。それでそこにハンコ押して。被ってたらダメで。 全部当たると3千点か、3千円文の券とかユニセフ募金ができた。 あー懐かしいー。帰るときに引くんだ。 「パネルパネル」「あーもー早く引きなさい」 「当たったー!!」「わー私ダメだー」「ギャー」「うるさいよ」 私が小4ぐらいの時、先生が結婚されて。 丸付けしてる脇の棚にケーキ入刀の写真とか飾っちゃって。 みんなで散々からかったのでそのうちなくなっちゃったんだけど。 結婚されてから、昼はサラリーマンとして仕事を始めていた。 パネルや本とかでサービスしすぎだよなあと常日頃思ってたんだ。 色々思い出す。 時々褒めてくれたこと。沢山の仲間のこと。沢山話したこと。 もうすぐそこを曲がれば教室だ!!匂いも色も違う! どきどきした。ドアの向こうでは楽しそうな笑い声が聞こえる。 少し躊躇ったが、昔のように勢い良くドアを開けた。 「こんにちは!!」 一瞬誰もがびっくりしているのが分かった。青島君や大内姉妹、 それから先生も 「おお〜っ」 と驚きつつ喜んでくれた。ほっとして、「月謝払ってないんだから 入っちゃだめ」とか言われそうだと思い反撃を考えたりしつつ、 靴を取ろうと下を向いた。その瞬間。 「おかえり」 が聞こえた。私は俯いたまま、すごく幸せに笑った。 やあこんにちはこんにちはと昔のように一度席に付き、お土産を配 り、月謝の代わりと言って林檎を渡した。8ヶ月の空白を埋めるよ うに少し私は多弁になり、元気が空回りしているような気さえした。 それを知ってか知らずか、 「この林檎腐ってないか?」「春休みのお土産?いつの話してんだよ」 と昔と変わらない口調でそれ以上に話してくれたことが嬉しかった。 けれどまた席についてそろばんを始めようとしたら、 「いいよ、そんなことやらなくても」と言った。 笑って無視した。先生が少し嬉しそうにしたので安心した。 そろばんも調子良く弾けた、稲場やら悪ガキ連中も私のことを覚えて いたんだか何だか、みんなとの会話も楽しかった。 その間、色々な人が花束を届に来て、懐かしい人たちの話にも花が 咲いた。最後の日だっていうのにいつもと変わらずそろばんやらせ るし、ケーキも何も用意しないし、何だか来週来てもやっていそう な雰囲気だったけれど、教室のあちこちは片付いてしまっていて、 なんだか広くなっていた。 稲場(小3)が帰る時間になって、寂しそうに帰った。 と思ったら、またドアを開けて「さようなら」と言う。 「今度こそさようなら」「ではさようなら」外は寒いのに、何回も 何回も帰って来た。すぐ戻ってくる時もあったし、しばらくして からきたりもした。うろうろしているのが曇りガラスに映っていた。 きっとひねくれてるから言えないことがあったんだろう。 でも淋しいとかお礼とか好きとか、丸出しだった。 先生も笑ったり、「いい加減にしなさいよ」って言ったりしながら 嬉しそうで淋しそうだった。 結局私達も帰る時間になった。結局最後まで「忘れないよ」とか お約束のくさい言葉はなかった。 「元気でな」と言った。最後の号令のようでもあったし、 初めて聞く普通の、先生ではない個人の言葉みたいでもあった。 年賀ハガキを書く約束をして、みんなとも別れた。 風がびゅんびゅん吹いた。少しも目頭が熱くならなかった。 わざと上を向いて走った。 星のひとつも、月すら見当たらなかった。 こんにゃろ、と思ったけど、不思議とそれも気持ちよかった。 1997年11月28日(金) |