もしかしたら、食器棚のグラスが倒れてすごいことになってるかも…!と恐る恐る帰宅しましたが、何も問題なし!でとりあえずほっと胸をなでおろしたところです。地震の被害ゼロ、です。出かけていたのに、電車の運行停止にさえひっかからなかった。そうして地震がおきてからしばらくして、生きてるかい?ていう確認のメールとか電話とかがいくつか来て、なんか私って1人じゃないんだな……。という、わりとじんとすることを思ってしんみりしてしまいました。なんだこれ、何を再確認してんだ。 そういえば、しばらく前に台所の蛍光灯の紐が、強く引っ張りすぎて根元から根こそぎ取れちゃったんです。あ〜の時はびっくりした!んでそれが、根元から取れたんで、なんかいろいろ外したりしないとまた新しい紐もつけられなくて、なんとなくそのままにしてあったんですけど、電気つかないと(紐がないからつけられない)夜とかだとやっぱ暗いので、ロウソクを立てて洗いものとかしてんの。なかなか風流じゃん!いいじゃん!なんか二ノ宮金次郎っぽくて!(……?)……とか思ってなおす気ゼロだったんですけど、なんかさっき和室の電気つけたら、つけたら……ブチッ…って…、ええええええええええ!?こ、ここもですか…?まじ…?(呆然) そ〜んなこの家の欠陥ときたら、数え切れないほどです。さて、本格的に地震がきたらどうなることやら、と思っていられるのは多分平和な証拠なのだと思うよ。なんて他人行儀なこと言ってないで、まずは紐をリプレイスしようよ!
夏休みに入ったらきっとうっざいくらい毎日ここに書いたりするんだろうな〜……とわりと確信をもって予想してたんですけど、そんなこと全然なかったね……。なんでだろう、と改めて考えてみて、暑いからだろ……という結論に瞬時に達してしまう時点でもう相当暑さにやらてるんだと思います。 ……なんて冷静にいってみていますが、内心あっち〜まじあっち〜!とバタバタしながら、汗ダラダラ流しながら、キーボードを打っています。そういう点を考えるといいよね!みえないっていいよね!そうやって夜になってようやくちょっと涼しくなったな…とほっとしたところで、一台しかない扇風機を布団に向かった母親に奪われたので、再び生ぬるい空気が周辺を取り巻いています。加えてパソコンが発する熱。うちわのつたない送風でさえ救いに思えるのは、いいことなのか悪いことなのか…。いや、でも、パソコンうちながら汗流してるとか、そういう姿は気持ち悪い以外の何ものでもないぜ…。そして極めつけに首に巻いたタオルと、髪の毛総上げにしたこの格好は面白い以外の何者でもないとも思うよ。そういう自分を頭にうかべつつ愕然としているわけです。自然の風は素晴らしいと思うケド、でも風がふいてなかったら涼しいも何もないんだよね!こんなところで温暖化の影響をかんじる。もうひとつの要因は、この家は熱がこもりすぎる。 つまるところ言いたいことは、クーラー早く買いませんか…母上… わりと切実に。
「何も考えていない状態」を言葉で形容したものが、「ぼーっとしている」状態なのだと思っていたのだけれど、では本当に何も考えていない状態というのは有りうるのか?と、この間誰かが何気なく発した言葉が、気になって気になって仕方なかった今週末です。いや、でした、か。だってさ、何もかんがえていない状態に、「あ、今何も考えてない…」と思ってしまった時点で“何か”考えているわけじゃないですか。そう考えると、「何も考えていない状態」を知覚することは自分じゃどうがんばってもできないんじゃないかなあ、と私の頭では思うのですが。どーなんだ。 なんていうどうでもいい葛藤は置いておいて、(……うそうそ。人間の精神世界はどうでもいい葛藤なんかじゃありません)(なんでフォロー…)(…)ロンドンで同時テロがありましたね。ロンドンでテロ、と一番最初に聞いた時に一瞬ヒヤリとした感覚がしたのは、テロそのものにというよりもロンドンという街への思い入れの深さ故なのだと思う。知り合いも多少いる。もう長年足を踏み入れてないとしても街並みも覚えている。そういう私の中で日常生活に近い部分の「現実」が傷つけられたから、ドキリとしたのかなあと思うわけです。他のひとたちは分かりませんが、私は自分の現実に惹きつけられないと何かを嘆いたり糾弾したり怒りをぶつけたりとかいったことは到底できません。正直、遠い場所のお話とかしか思えません。それがいつか回りまわって自分にかえってくるのだとしても。第三者は調停することはできても、双方の気持ちは理解できないと思うのです。否、しないほうがいいのかもしれない。ちなみにそういう、「回りまわって…」とかいう表現もどうも苦手です。ロンドンがきたから日本も危ない!?とかいうそういう関連付けはおかしいだろうと思うのです。あれ、目的はテロを防止することだったっけ?とふと我にかえるわけです。 新聞の一面の写真、爆発後ロンドンの地下鉄を徒歩で歩く人たちを見て奇妙な既視感。ああ、そういえば私も地下鉄を歩いたことがあるなあ、と。IRAのテロと今回のテロは果たして何がちがうのか?規模?時期?背景? …とかいうようなことをつらつらと考えながら、やっぱり「何も考えてない状態」ってのは難しいよなあ、と思うわけです。網戸の外に虫の声。
できれば夏休み中はどこか、都会の喧騒から離れてゆるりとした時間をすごせる場所にでも長期間滞在したいなあと思っているのです、が。悲しいかな、バイトなんてものをやってしまっているがためにそれも幻想と化すのでしょう。現実的に言ったら、静岡の祖母の家にいくくらいが限界なんだけども。それでもあそこの空気はここに比べたら断然ゆるりとしている。もう今年くらいしかゆっくりしていられる時間はないだろうから、おばあちゃんの話をゆっくり聞きたくはあるのだけれど。何をするにもお金だ!困ったもんだ。 ちょっとさっきまで朦朧としながら翻訳文を打ってたんですけど、私って本当に文章書く仕事むいてんのかな…。とちょっと疑問に思ってもんもんとしてました。だってさ…、いつも文章書いてるときなんか苦しいんだよね…。確かに波に乗ってるときは楽しいんだけど、いっかいつまっちゃうと…なんか思考回路停止状態で必死のところで打ち続けてる。レポートとかは一回構想が決まったらあとは適当に文にすればいいだけなんで、こんなこと言っちゃあれだけど割りと惰性で打ってるんですけど…。訳文とか自分でつくる文とかは違うんだ。頭の中にイメージはあるのに、それが文章にできなくて。すごい苦しい。自分の語彙の少なさにうんざりする。そして自分にうんざりする。こうゆう悪循環の中で、多分ぐるぐる苦しくなっていくんだろうなあ。精神衛生上よろしくなくない?ということにいまさら気づきました。遅すぎる。我遅すぎる也。 なんか本当に、「そうだ、京都へいこう」的なノリでどこかに行きたいです。今年はお中元バイトやんなかったから、すごいのんびりしてる。それが嬉しい。忙しいと、色々考えることがおっくうになるから、私は定期的に暇な時間と一人になる時間が必要なんだなあと最近切に思うのです。 そうだ、どこへ行こうか。 |