ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

勢い - 2002年07月04日(木)

以前にもまして、テレビドラマを見るようになった。ただ、これまではシナリオスクール時代の4年間が邪魔をして、ドラマを素直に楽しめなくなっていた部分があった。シーンが替わる度に柱やト書きが頭に浮かんでしまう癖がついていたのだ。しかしそんなことは頭から追い遣った。楽しまなくては損なのだ。ドキドキしたりハラハラしたり涙を溢しそうになったり。昔のクラスメイトの作品も卑屈にならずに素直に見られるようになった。元々ドラマが好きで始めた勉強だったことを忘れていた。

クラスの一番出世は橋部さんだ。朴訥とした、どちらかというと普段はボーっとした子なのに、観察力がとても鋭い。そして仕事が丁寧だ。何せこちらは挫折した身。彼女がゴーストからサブ、サブからメインへと、着実にプロの道を歩いている姿は羨ましくもあり、また楽しみでもあった。彼女のドラマは必ず見たし、今でも陰ながら応援を続けている。
よく穴を空ける、すなわちギリギリになって「書けない〜っ!」ととんずらしてしまうことで有名な某N女史(未婚の母がウリ)の穴埋めゴーストを一緒にやったこともある。24時間営業のファミレスで唸りながら時間と闘った懐かしい想い出。

その頃若手と呼ばれた先輩の中でも親切だったのが江頭さんだ。「ナース」の続編を橋部さんに紹介してくれたことでも分かるように、キップがよく、良い意味で大雑把な人だ。実は結構面倒臭がりなところが私は大好きだ。
そんな彼女が久しぶりに気合を入れて書いているホンがあると人伝に聞いた。漫画の原作物だという。偶然にも読んだことのある作品だった。これは見なければ。ビデオに録ってまでドラマを見るなんて、流石に久しぶりだ。全回見た。何度も見返した。久しぶりに嵌った。
世間の評判はどうなんだろうかと、興味本位でネットで検索しているうちに、掲示板とやらを見つけた。素人さんが色々と創作をしていた。彼女の作品がそれほど世間に影響を与えていることが嬉しかった。そして、なんとなく悪戯な気分になった。今は私だって素人だし。見習って創作もどきをしてみた。

今考えれば全くの勢いでしかなかったし、後悔している部分もあるけれど、それなりに楽しかった。しばらく脚本ばかり書いていたから、小説的な文章が綴れないことに気が付いて笑ってしまったり。人の反応が意外だったり。自分の拙さに呆れてしまったり。長年傍観ばかりだったネット社会に足を踏み入れたことが、大変貴重な経験になった。こういう交流もあるんだと初めて知った。世間の人って意外に優しいんだな、ということも。
皆様が様々な思いで創作している姿は刺激でもあった。正直言うと読むに耐えない物も沢山あったけれど、みんながドラマを愛し、作品を愛していることはしっかりと伝わってきた。私だってそうだ。恥ずかしげもなく稚拙な文章を掲載し、慣れるほどに気後れすらしなくなった。それで充分なのだ。プロすなわち金取る訳じゃなし。創作物には必ず作者の人生が、信念が、スタンスが滲み出る。私は多くの方々の作品を通して人間観察をしていたのかもしれない。他の方に比べれば創作に対して一歩引いているところがあったかもしれない。先のない身で馬鹿なことを考えていたからだ。

ネット上の掲示板というところは沢山の人が見る場所らしい。プロへの道は断念して久しく、自分の創作物を公の場に出す機会など他にない。しかも、いつかは消えてなくなるだろうからいつまでも恥ずかしい思いをしなくても済む。でも、もしかしたら、世の中にたった一人でも、何かのはずみに「どこかでこんな話を読んだことがある気がする」と思い出してくれる人がいるかもしれない。記憶の隅に留めてくれる人がいるかもしれない。書いた人間のことは知らなくても忘れても、書いてあったことを漠然とでも覚えてくれている人がもし存在したならば、それは私がこの世に生きていた印になるのではないか、と。自らの血を残せない代わりに。ささやかなで浅はかな願いを抱いていた。

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