ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

驚愕 - 2000年02月11日(金)

翌日、病院からタクシーで家に戻ると、マンションの前に彼が立っていた。あんな話をした昨日の今日だし、まだ18時30分。まともな会社員が退社できるような時間ではない。驚く私。私のやつれ具合に驚く彼。とにかく中に入ってもらう。とりあえずお茶を出す。
彼は神妙な顔をしている。彼も一晩中熟考したに違いない。目が腫れぼったい。こんな時に限って、折角の顔が台無しだな、なんて不謹慎なことを考えてしまう。別に何を言われても構わない。私の覚悟は出来ていた。長い沈黙を破り、彼は遂に口を開いた。
「こんなことをするのは出過ぎた真似かもしれないけど、できれば受け取って欲しい」
差し出された封筒を開くと、現金の束が銀行の封がついたまま入っていた。私の取り急ぎの借金の額ときっかり同じ、150万円。驚いて突き返すと押し戻された。「いいから、話を聞いて。いいね?」
これまでにない強い口調に驚き、訳がわからないままに頷いた。

そして彼は命令口調で語り始めた。このお金でまずは借金を返すこと。夜の仕事は辞めて、昼間も無理をしないこと。子供のことは気にしないこと。過去は過去に過ぎないこと。そしてちょっと笑って言った。
「実は僕も軽い安定剤、飲んでるんだよね」
経理という仕事は想像以上に細かくて、人間関係も厳しく、神経を磨り減らすものらしい。痛みを解る人間に出会えるのは励みになる。だからといって病気に同情されてお金を貰うなんて嫌だ。私はお礼を言って再度断った。いただく訳にはいかない、と。彼は再び強い口調で言った。
「だから貴女は僕と結婚するんだよ」

驚きのあまり声も出ない。お金をやるから結婚しろなんて、そんな単純な意味で発された言葉でないことは解ってる。それにしても、私は男性に恋愛感情を抱けないと昨夜はっきり伝えたはずだ。それを口にしようとした瞬間、彼が語り始めた。「僕は恋人が欲しいんじゃない。家族が欲しいんだ」
家庭ではなく家族が欲しいと彼は続けた。聞くと彼は家族との縁が薄い人らしい。ご両親は健在だが殆ど没交渉。親戚縁者とは幼い頃から一切交流がない。だから心を許せる家族が欲しい、と。
「身体の調子が悪い時は、僕が家事はするし、僕だってもちろん問題だらけの人間だしね」
そう言って、お父様の被爆による遺伝の関係で強度の色弱であることや、ソラナックスの服用量を教えてくれた。でも、いずれにせよ私が彼に与えるであろうダメージに比べれば、大した問題でないように感じた。人の悩みの大きさの許容量は、人によって違うことがまだ実感できなかった未熟な私であった。
身体の具合が悪くて迷惑をかけることを説明したくて、昨夜の発作のことを話すと、彼は真顔で言った。
「そういう時に病院に付き添いたいし、看病できるのが家族なんだよ」

お互い30歳を過ぎて見合いしているのだ。過去に何もないはずもないし、何の問題もない訳がない。愛だの恋だのくすぐったい感情が起こる訳もない。家族という響きにも惹かれた。もう独りで部屋で苦しまなくてもいいのだろうか?そんなことが許されるんだろうか?この罪深い私に。それでも彼は言った。
「家族ってね、オリジナルで作っていくものだと思うんだ」
いびつな私の人生。そしてこれまで全く接点のなかった彼の彼なりに重い人生。それがクロスする場所から一体何が生まれるのだろう。なんだかちょっと前向きな斬新さを感じた。
それに遠くからハラハラしながら私のことを心配してくれているレミコのような友達や、早く落ち着いて欲しいと願っているであろう私を傷つけた人達の顔も浮かんだ。私が結婚すると言えば、きっとみんなは安心するんだろうか?

恋愛感情が不要という条件と、家庭ではなく新しい家族を作るという言葉に説得されてしまった私は、借金を返し夜の仕事を辞めて、要らないと言ったのに人並みに婚約指輪までいただいた。口の悪い人は私のことを金に目が眩んだ女と言った。何を言われても気にしなかった。確かに全くそうでないなんて、一体誰が言い切れるだろう。もう人に何と思われようが全く気にならないほど感情も麻痺していた。
自分自身でも、もしかして私は自分の罪から逃げて楽な道を選ぼうとしているのだろうかと、何度となく自問自答を繰り返した。もちろんそうでないと言い切る自信はない。でも確実に言えることは、決してそれだけではない、ということ。そしてもう一つ。熟慮できないほどに疲れていたのだ。

様々な面倒をクリアして、2000年2月11日に私は結婚した。
本人以上に、両親や友人を含め周囲が驚愕したことはいうまでもない。

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