NORI-☆
My追加
Happy Happy Birthday!
そんなわけで、今年の誕生日は 淡々とやり過ごそうと思っていたのだけれど、 そうは言ってもやっぱり誕生日は誕生日、 朝起きて来た家族が口々に 「お誕生日おめでとう!」と言ってくれるのを聞くと、 じんわりうれしい感じがしてくるのは現金なものである。 結局、会社でもついつい昼休みに 「今日誕生日なんです」と言ってしまったため、 気のいい同僚・若旦那が外出の帰りにケーキを買ってきてくれ、 夕方、職場でちょっとしたお祝いをしてもらってしまった。 (やれやれ、これじゃぜんぜん淡々とやり過ごす、じゃないや(^^;) 同世代が多いこの職場では、 「じつは年女なのよねぇ…」という話も それほど扱いに困るネタでもなかったりするのである。 ただ、同じ干支であることが判明したバイトの美少年・傾国クンが、 「えっ?ひのえうまって、何か特別なことあるんですか?」 と不思議そうに聞いてきたので、なるほど、同じ午でも、 丙午がネタになるのは同一周期中だけなのね、 ということがわかったのは面白い発見だった。 (もうすでに、傾国クンが一回り下の同じ干支であること程度では 何らショックを受けることはないのだった。。。) 思いがけない展開に驚きつつ職場を出ると、 さらに保育園でも、サトシが先生やほかのお母さんたちに 「今日はママのたんじょうびなんだよっ!」と宣伝してくれたので、 またまた「あらあら、それはおめでとうございます(^^)」と お祝いを言われてしまったりして、なんだかくすぐったい気分である。 でも、サトシとしては、母の記念日を人に教えるということが 嬉しくて仕方ないという感じで、本人の手柄でもなんでもないのに、 妙に誇らしげにしているところがすごくかわいくていとおしいのだった。 結局わかったことは、 誰であれ、誕生日を祝ってくれる人がいるということは やはり人として幸せなことである、ということであった。 ホームページの掲示板に友人たちがお祝いメッセージを 寄せてくれたのを見たとき、この思いはさらに倍増したのだった。 そんなこんなで、なにやら暖かい心地で家路につき、 夕食を済ませて子供たちをそろそろお風呂に入れようか、というころ、 「ただいま〜」と夫が帰宅した。 おかえりおかえり!と走って出迎える子供たちに、 「ケーキ買ってきたよ!」とパパ。 確かに、今朝家を出るとき、 「ケーキ買って帰るよ」と言ってはいたけれど、 それは早く帰れたらの話だと思っていたので、 こんな時間にケーキが買える店を探すのは大変だっただろうに… とちょっと感動していると、 サトシがいきなりキビキビと動き始めた。 「よし、それじゃこれからパーティーを始めるよ!」 「ちょっと待ってね。今お誕生日の看板描くから…」 え?何をするって?とあっけにとられている両親の前で、 さっさと自室からスケッチブックとクレヨンを取ってきて、 リビングのテーブルに向かい始めたサトシ。 見る間に新しい画用紙に 『ままのおたんじょうび』の文字が書き込まれていく。 「…とりあえず、寝る時間も迫っていることだし、 ケーキを食べよう。俺の食事はあとでいいから…」 とパパに促されて食卓を片付け、ケーキの用意をしていると、 その間にも、サトシのクレヨンは踊り、 画用紙には次々色鮮やかに花の絵が加えられていく。 「ママ、看板できたよっ!ママが好きなお花を描いたからね」 ひまわり、パンジー、バラ、チューリップ、桜、タンポポ、あじさい と7種類のお花で囲まれた、素敵なバースデープレートが完成していた。 すご〜い!サト、上手!ママうれしいっ♪ 「看板を壁に飾って、さ、パーティを始めるよっ! ケーキにろうそく立てて、フゥッってやるんだよ」 サトシにどんどん仕切られて、とりあえずリビングの正面の壁に 両面テープで「看板」を張り、 ケーキをお皿に並べて(ワンカットのケーキなのだった) 一つ一つにろうそくを1本づつ立てて火をつける。 「じゃ、いただきましょうか?」と席につくと、 「まだっ!電気を消してからフーするんだよっ!」と サトシの仕切りが入る。 電気を消して席につくと、 ろうそくの灯りでサトシとヨシキの目がきらきらしている。 「じゃ、フーするよ?」と確認すると、 「ちょっと待って」とまたしても待ったをかけたサトシ、 椅子からすべり降りて、テーブルの正面におすましして立った。 「それでは、これからママのお誕生会をします」 おめでとう!と声がかかり、3人の拍手がパチパチと響く中、 ママは感謝してろうそくを吹き消す。 全部消えると、また拍手…ママは心からありがとうと言い、 思いがけなくそして瞬く間に準備された 感動のイベントが終わった。 拍手の中で再び電気がついたとき、父と母とサトシの目に入ったのは、 口を大きく開けたヨシキが目の前のイチゴショートの大きなイチゴに、 まさにフォークを突き立てようとしている決定的な瞬間だった。 「あっ、ヨシくん!!…(^^;)」 みんなの視線が集中した瞬間、 ヨシキがパッとフォークから手を離し、 慌ててパチパチと手をたたいてその場を取り繕ったので、 ほかの三人は大笑いに笑い崩れてしまった。 笑われてきょとんとしたヨシキもエヘヘヘと笑い出し、 夜のお誕生パーティがさらに楽しくなったことは言うまでもない。 いろいろな思いといろいろな出来事があったけれど、 家族と大勢の人に祝ってもらった誕生日は、 結局とても幸せで満ち足りた気持ちで幕を下ろした。 サトシが張り切ってあっという間に描いてくれた「看板」、 キビキビと指示を出してイベントを仕切ってくれたこと、 そして家族揃って心から祝ってくれたこと、 どれもこれも素晴らしく、 結局、これまでで一番嬉しい、 心に残る幸せな幸せな誕生日となったのである。 ★サトシが描いてくれた「お誕生日の看板」は、 「1番ホーム:Believe in Miracle」にあります。
2002年01月09日(水)
/
5分の3……誕生日前夜
明日、1月9日は私の誕生日である。 いまさら隠すこともないので言うが、実は年女である。 12歳、初めて自分の干支を迎えたときはただ嬉しくて、 ペガサスの青い単色版画の年賀状に 「今年はわたしの年です!」なんて誇らしげに書いていた。 1月生まれなので、新年を迎えることと自分が歳をとることが 自分の中でばっちりリンクしているのである。 二巡目は社会人2年目、いわゆる花の盛りというやつで、 クリスマスケーキだのお肌の曲がり角だのという話は 自分とは全く関係ない話、進む未来は光に満ちて、 「年女の今年は、飛躍の年にしたいと思います」 などと気負った抱負を書いていた。 年賀状は、子馬と子供のほのぼのタッチの多色刷りで、 なかなか好評だったっけ。 三巡目の今年はさすがにそんなこと(年女だなんて)、 聞かれない限り言い出す気もさらさらなく、 年賀状に書く近況のメインは子供のこと。 早生まれでない同級生の大半は昨年が三巡目だったわけだが、 去年の年賀状にも年女コメントを書いていた友達は ほとんどいなかった……あたりまえか(^^;) それでも(人には言わないけれど) 還暦までの干支めぐりも、ここでちょうど半分、 折り返し点まできてしまったのね、と実は感慨深いものがある。 「思えば長いこと生きてきたもんだ…」と言ったら、 還暦過ぎた母に「なーに言ってるんだか。これからよ!」 と笑われ、確かに、これからが大変だという自覚はあるけれど、 でもやっぱり、還暦3/5は大層な遠路だったと思うのであった。 歳をとるということは、 振り返る人生の総量が増えていくということで、 総量が増えていくということは、 その中で過ごしたそれぞれの時間の占める割合が だんだん少なくなっていくということなんだよね。 物理的には。 一昨年だったか、旧姓で仕事をしていた時間より、 今の姓を名乗っている年月が長くなったことに気付き、 もうそんなになるのか、と驚くとともに、 駆け出し社会人で一生懸命がんばっていた旧姓の私が なんだかどこかへ行ってしまったような気がして ちょっと淋しく思ったものだったけれど、 さらにそのうち会社生活だけでなく、人生を通じて、 今の姓で過ごした時間の方が長くなるはずなのだ。 サトシが4歳になったときには、 結婚してから二人でいた時間より 親になってからの方が長くなったんだなぁと しみじみ思ったものだけれど、 そのうち二人でいた3年間なんて消し飛んでしまうほど、 4人家族の歴史が重くなっていくわけである。 もちろん、割合的に小さくなってしまった時間は、 存在が希薄になってしまうというわけではないけれど、 そのときそのときに自分の中で大きなものを占めていたことが だんだん小さくなって一つの点になっていくのは なんとなく淋しいことのように感じる。 もちろん、そうでなければ、何十年という時間の堆積に つぶされてしまうのだろうとは思うけれど。 それにもう一つ、誕生日が子供の頃のように 心浮き立つイベントでなくなってしまった大きな要因がある。 ここまでの人生の約半分を「若い女の子」として過ごした経験が、 「若い」という形容がもたらすさまざまな恩恵から 徐々に遠ざけられていく自分に対して、 非常に面白くないものを感じているというのが、正直なところなのだ。 恐らくこの先もっと人生の総量が増えていけば、 若さの恩恵の替わりに得られるものの大きさがわかるのだろうが、 いかんせん、この価値観が優先する時間が、 ここまでの人生の総量に占める比率が高いのだ。まだ。 そんなわけで、3巡目年代というやつは、特に女性にとって、 きっとけっこう試練の時代なのではないかなと思う。 そういう「フクザツな心境」も時の総量が増えていけば やがて笑っちゃうくらい小さな点になっていくのだろうけど、 とりあえず、今はまだその諸々の思いは点どころではなく、 べったり「面」となって頭上を覆っている感じである。 だけど、そこで弱気になったりいじけたりしては 悩みを点にするだけの推進力も出ないようだから、 明日からは、この折返しを出発点にして、 新しい価値観を育てる日々にしなくちゃね!
2002年01月08日(火)
/