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2004年10月31日(日) 平和ボケ

今日もたっぷり寝た。朝起きたら昨日と打って変わっていいお天気で、これなら昨日じゃなくて今日母に遊びにきてもらえばよかった(バスで数十分の距離なのに大げさ)
掲示板のほうで語学を勉強している人たちで励ましあったりする。朝寝してから飛び起きて心を入れ替えてフランス語を勉強した。勉強してもすぐ忘れるかも知れないけど、しなかったらまったく入ってこないわけだからこつこつやろう。ないよりましだ。
趣味の語学の勉強でうんうん言っている暇があるほど、私の周りは平和だということだ。
夫は米国出張から帰ってきた。兄も今日まで米国出張だったらしい。考えてみたら、事実上戦争をしている国なんだなぁ。中東は危ないけど米国は安全だと思っているわれわれも平和ボケしている。

朝晩の冷え込みが急に厳しくなってきた。明日からもう11月。


2004年10月30日(土) 母来る。

夫出張中、かつ夜の仕事が休みなので、一日のんびりできる。久しぶりに部屋を片付ける。床の面積が広がる。
母がお昼前に遊びに来る。4時間ぐらいおしゃべりをして帰っていった。
本当は散歩がてら近くにご飯を食べに行こうかと思っていたのだが、雨なので家で適当に作って出す。母は外に行きたかったのかなぁ。土曜日だけ雨が降るなんて運が悪い。お茶を入れて買っておいたおやつを食べて、少しお土産を交換した。
体調がよくないせいもあって、ちょっといらいらして母に当たってしまって申し訳ないことをした。夜も早寝する。


2004年10月29日(金) なんとか。

非常勤先Bへ。心配された講義は、朝早起きして準備。演習問題なども混ぜてなんとか形になった。彼らも大学祭を控えてちょっと浮き足立っている。お昼は専任の人とちょっとはなれたお蕎麦屋さんへ。店先の無人店舗でバジルの葉っぱを一袋100円で売っているのを買う。100円は高いけれど、自宅の温室育ちのバジルがやっと本葉4枚という状態なので仕方がない。これで久しぶりにバジルのパスタが食べられる。残りはオリーブオイルに漬けておこう。

夜は夏の集中講義の打ち上げで中華料理。
年配の男性が多い。女性は私のほかは事務職のが3人だけ。一応反省会ということなのだが、ちょろっと報告があったほかは、サーカスの話とか、少年時代にとった蛇の話とか、きのこの話とか。で、最後に話は「きれいなおねえちゃんがぴちぴち」とかいうところに落ち着く。うーむ。まあ罪のないセクハラというか、罪がないからセクハラというか、あまり相手にせず、愛想も振りまかず、おいしい料理を真剣に食べて帰ってきた。お土産に月餅をもらってうれしい。


2004年10月28日(木) かなり回復。

フランス語で復習小テスト。
用法(複合過去、半過去、単純未来、条件法、接続法、受動態)にあわせて動詞を活用させて書き入れる穴埋め問題。答えあわせをしたら、接続法で書くべきところをまるまる条件法で書いてごっそり間違えていた。採点した先生も驚いたことだろう。一貫して間違えているので、そこだけ直せばいいともいうし、そこをまったく理解していないともいう。まだらに間違えるのよりはいいのか、よくわからない。間違えないのが一番いいのは間違いない。
今いるクラスの人々は前のクラスメートよりなんとなくブルジョワっぽい。一人のマダムがクリスマスは家族とお子さんの婚約者と一緒にパリで過ごすといったら、口々に「あら、いいわね、その頃のパリはきれいだし」とか「レストランが早めにしまるから気をつけて」とか「Bon marchéの食料品売り場に行けばなんでもそろうから、買ってきて部屋で食べてもいいしね」とか フツーに話してた。前のクラスだったら「えーっ!パリぃ?」とか「いいなぁ!」とか「すごーい!」とか羨望の声が上がっていたと思うよ。
昼食後まっすぐ家に帰り、何をするというというわけでもなく夜になる。夫が出張中なので、ほぼ家事放棄。お冷ご飯をあたためて、レトルトのハッシュドビーフ、昨日の残りの大根サラダで夕食。みかんも食べる。

風邪を引いたせいで明日の授業の準備がまったくはかどってない。ひぇええ。


2004年10月27日(水) 救出作戦

今日は事務仕事の日だが、朝から微熱があって体調が悪いので一日休ませてもらう。こんこんと眠る。途中で地震。免震構造のマンションにしては揺れを感じるので、東京もかなり大きいのかと思ったらそれほどでもない。後から報道を見ると、下から突き上げるような地震だったというので、地震のタイプにもよるのだと思う。たしかに免震構造って横揺れに効果がありそう。それにしても余震が震度6ってなんなんだろう。日本列島に何が起きているんだろう。

体調は悪くても食欲はあるので、せっせと食べる。夕方テレビをつけたら土砂崩れで埋まった車の救出活動を生中継していた。男の子が助かった直後で、何度もその様子を繰り返し流していた。他の局もすべてこの映像。他にもっと伝えるべき情報があるのではないだろうかとの疑念もある。
#それにしても中越地方の公共機関の建物はどれも立派。

程なくしてイラクの新たな人質事件報道。バックパックに短パン・長髪姿の青年が自分を探しにイラク国内に入り込んでつかまったという話だ。使命感というより好奇心で行動したらしいが、これでも政府は全力を上げて人命救出に当たらなければいけないのだなぁ。もちろん命は失って欲しくないけれど。2chの中東情勢板はどうなっているか見ようとしたら、トップページでモナーが使い捨てカイロを差し出して微笑んでいた。の「新潟ガンガレ、超ガンガレ」http://eq.maido3.com/だった。ほほー、これはこれは。


2004年10月26日(火) だめだめ。

フランス語。
地下鉄のダイヤが乱れているとかで、もともとのルートであるJRに乗り換えていく。いつもより10分以上早くつく。宿題をまったくやってないことに気づいて、教室についてからあわててやり始めるが、他にも宿題を理解していない人、プリントは持っているが宿題と思っていない人、簡単すぎてはなからやってこない人などがいて、それぞれ頓珍漢な状態。イベント満載+地震でびっくりという盛りだくさんな土日を過ごしてしまったので、月曜日もなんだかんだ時間がとられてしまい、復習がまったくできていない。というかすっかり存在を忘れていた感じ。一人ひとり当てられての暗誦は私だけ暗礁に乗り上げる。先生がっかり。みんなすごいなー。よく例文なんか次々覚えられるよなぁ、と感心する。感心している場合ではない。

昨日から朝起きるとのどが痛い。風邪引きそう。上あごの奥の軟口蓋(なんこうがい)が腫れている感じ。身体の向きによるとのどが詰まったりして。昼間動いているときはそうでもないが、今朝もまた腫れている。面白がってRの発音をしてみたらすごく上手に摩擦音が出た。

帰りに郵便局に寄って義捐金を払い込む。係りの人は伝票うけとると、あ、と小さくつぶやきながら大きくうなずいて、手数料欄にしっかりと「免除」と書き込んでくれた。「お預かりします」という普段聞き流す言葉がしっかり心に届いたような気がした。こんなことで満足してはいけないが、それでも何かの助けになればと思う。道路に面した入り口から局に入ったのに、地下鉄に連絡した入り口から出て、傘を忘れてきた。どうもぼんやりしていていけない。風邪のせいだろうか。
赤十字のサイトhttp://www.jrc.or.jp/を見ると、大型台風の義捐金募集もたくさんされている。このように超大規模な災害が起きると他がかすんでしまいがちだが、助けを必要としている人は他にもたくさんいるのだ。道路行政にはさまざまな批判があるが、物流の確保を悲願して建設した道路や線路が無残に壊されている姿は、人間の営みをあざ笑うかのような「自然」の狼藉のあとに見える。
それと同時に、都市部に暮らす不公平さに多少の罪悪感も。


2004年10月25日(月) そうだ、郵便局にしよう。

朝、駅に行く途中、私の後ろから自転車を飛ばしてきた女子高生@ぱんつ見えそうと、その先の見通しの悪い路地からノンブレーキで出てきた前後に子供を乗せたママチャリが、出会いがしらに衝突しそうになっていた。双方かろうじてよけたが、ママチャリはバランスを崩していったんママが自転車を降りてよろめく格好になり、女子高生はスカートを翻してさらにスピードを上げて去っていった。どっちもどっちだけど、見ているほうははらはらする。

昼、食事に出ようとしたら交差点の歩道で子供乗せママチャリグループが談笑。その横を通り抜けようとした私に、左からもう一組ママチャリが突っ込んでくる。私の右側にいるグループに合流しようとしたらしく、お互い「待った?」「ううん、大丈夫」とかにこやかに言い合っている。彼女の目はまっすぐグループの方向を見つめていた。子供満載ママチャリは重量オーバーでブレーキの効きが悪いし、ハンドルを取られてコントロールしにくいのだ。場所はランチタイムのビジネスマンが行きかう都心の交差点。待ち合わせするなとは言わないが、人どおりが多いなら降りて自転車を押すとか、安全に対する配慮をもう少し持ってほしい。事故が起きてからでは遅い。

夜はママチャリの話題ではないが、ボーっと電車にのっていたら、駅でいったん電車を降りた若者が、振り返りざまに入り口近くのサラリーマンをぱすっと蹴り上げていた。卑怯者。多分武道をやっているんだろう。蹴りは鮮やかにサラリーマンの右腰あたりを払って、そのまま立ち去っていった。いざこざがあったようにも見えないが、夜9時過ぎともなると一杯気分の人もいるので物騒なことである。蹴られた人は冷静を装っていたが、服についた泥をはたく動作を繰り返していた。見ているほうも軽いショックである。

さて、中越地震の義捐金募集の要領が決まったようである。我が家でもいくばくか寄付することにしたのだが、振込先が郵便口座であるのを見て少しほっとする。この手のものは手数料無料になるので窓口払いが多いが、最近銀行の窓口で振込みして対応の悪さとのろさにうんざりしたからだ。窓口払いは郵便局のほうが圧倒的に親切だし、規模の小さいところに行けば待ち時間もそんなにかからない。民営化にすればサービスがよくなるなんて幻想だと、もともと民営である銀行の姿を見てそう思う。


2004年10月24日(日) 一夜明けて。

朝からテレビ局各地は地震関係の報道が続いている。こういうときはやはり民放よりはNHKにチャンネルを合わせてしまう。日が昇って次々と被害の実態が明らかになる。目を疑うような惨状が映し出されている。同じ画像が流れ続けているので民放に変えると、長野県知事が災害対策について話していた。長野県では台風23号の直前に老人ホームなどで入所者を(浸水しやすい1階から)2階に上げる訓練をして、それが台風のときに功を奏したのだという。この人は確か阪神淡路大震災のときに、原付に乗って日用品を配ったりしていたなと思い出す。大阪のホテルに泊まっての優雅なボランティアだったため、彼をそしる向きもあったが、私を含めて何もしない人々よりはずっとましだ。
教育テレビでは、全国各地から安否を気遣うメッセージが、字幕とともに次々と読みあげられる。インターネットや携帯電話がこれだけいきわたっても、電源がなければ使えない。似たような短いメッセージに一人ひとりの必死の思いがこめられている。見ていると胸が詰まってしまう。
昨日の東京は、台風がうそのような朝からの好天だった。台風被害にあった地では多くの人たちが後片付けや復旧に追われていただろう。この好天は幸いなのか、むしろむなしく映るのだろうかと考えていた。そして夕方にあの地震である。震源となった小千谷市や長岡市では停電が続いている。今日になっても震度5の地震が何度も起きている。被災地の人たちはどんなにか怖いことだろう。科学の発達は目覚しく、あらゆるものが解明できるような気になっているが、自然の脅威の前にはまだまだ力が及ばないのだ。まだ義捐金などの情報は出ていないようだ。金融機関休業日だからだろうか。ライフラインの復旧と、せめて被災者への暖かい部屋と食事の確保が一刻も早くなされますように。

追記:Feliceさんの10月24日の日記で知った日本赤十字社義捐金のサイト→
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/index.html


2004年10月22日(金) a such kind of day

なんかばたばた移動しているばかりで疲れたなぁ。

非常勤先Bへ行ったあと、午後はシンポジウムに行くつもり。教員食堂でお昼ごはんを済ませて、教員室によって帰ろうとすると、人身事故で電車が止まっているという話。でもとりあえず駅まで行ってみるとすでに運転再開になっていて待ち時間が長いながらも乗り換え駅へ。ここからJRを乗り継いで目的地駅へ。ここからは徒歩で15分だというが、シャトルバスも出ている。バス停に行くと目の前で出て行ってしまった。ここで10分待ち。でも歩くより早いかと思って次のバスに乗ると、これは1時間に1本もない迂回ルートを通るもので、バスに乗ったら20分以上かかった。セッションの1番目に聞きたい発表があったのだが、どうせ時間的に間に合わないしと思って腹をすえて座っていたものの、思わぬ市内観光をしてしまった。
ところが、会場に行くと午後のセッション開始が15分遅れになり、それ以降全部進行が15分繰り下がったのだという。果たして会場にすべりこむと聞きたかった発表者が拍手の中で、席に戻るところだった。んが(-"-)。
それ以降の発表は、行きがかり上聞いた感じになってしまったが、あまり自分とは関係のない話と思いきや、実践的な内容で面白かった。最終発表者は大学の大先輩に当たる人で、いつか同窓会的な集まりのときに彼女が最近の話題提供という感じで講演をしたときに、絶句させるような質問をしてしまった(というか話を聞いてこちらが絶句してたのだが)ことがある。彼女のやっていること自体は、さすがにこの世界が長く顔も広いだけあるものだったが、最後の彼女のアナウンスメントにまた私は絶句してしまった。予稿集に載せたE-mailアドレスは先だってウィルスに感染してしまったたため破棄してしまった。今は新しいアドレスを使っているのでそちらに送って欲しいというのである。メールアドレスが感染するって何よ。それはあなたが不用意にあなたのPCをウィルスに感染させてしまっただけではないか。早晩新しいメールアドレスもウィルスに感染して破棄することになるでしょう(←予言)。しかしメールアドレス破棄してあんまり支障がないんだなぁ。常勤だからかな。
帰りは早く帰りたくてシャトルバスを使わずに一生懸命歩いた。バスに乗るほどでもない道のりだということはわかったが、電車がまた車両故障とかでストップ。やっとの思いで動き出した電車に乗ったら、反対方向。次の駅で折り返してその後非常勤先Lへ。実は非常勤先Iの準備をこっちで済ませてしまおうとおもったのである。が、しかしいろいろと手違いがかさなってやりたいことはここで出来ないことがわかり、ほとんどただただ消耗しただけになってしまった。


2004年10月21日(木) 尊敬と感謝

ノーベル化学者N氏の講演を聴く機会があった。ノーベル賞学者の講演を聴くのは、F氏、E氏について3回目。この2氏の講演は学生向けの記念講演だったせいか、あまり印象に残っていない。E氏は「ノーベル賞を受賞すると講演することが多くて、あちこちで同じ講演をする。何度も同じような話をするので、かつて講演に飽きてしまって運転手に代わりを話させた人がいた…」というような話ぐらいしか覚えていない。で、運転手に話をさせていたところ、会場から質問があり、もちろん運転手では答えられないので「では私の代わりに運転手に答えさせましょう。彼はいつでも私といるのでよくある質問には答えられるのです」といって会場にいる本人を指名して答えさせたとかいう笑い話(笑えないけど)である。F氏の講演は晩年のものだったが、ほとんど記憶にない。多分レベルが高すぎたのだろう。N氏の話は語り口も内容も面白く、久々に講演で興奮するという体験をした。
今回のN氏の講演は、シンポジウムの目玉として行われ、ノーベル賞受賞が云々という過去の話ではなく、現在超一流の研究者として牽引する立場として、わが国の科学技術の将来を憂い、あるべき姿の提言するという内容だった。かつての報道などで見るN氏からは、かみそりのように鋭い、他を寄せ付けないきびしさを感じていたのだが、実際は骨太な職人気質で情熱を持ち、かつ情に厚いという印象を持った。語り口はテンポよくはぎれよく、そしてあらかじめ暴言があるかもしれませんなどと、とぼけたりもして飽きさせない。
話は科学技術の国外流失を憂うところから始まり、日本にもNature誌やScience誌に匹敵するような科学研究発表の場と専従の編集委員(大学教員などが本業の傍らに行うボランティア的なものではなく)をおくべきだと提言する。そして、被引用数によって論文の重要度を示すというアイディアに基づいて、インパクトファクター(ガーフィールドが提唱)という指標が用いられるが、提唱者自身が警告しているように論文数や被引用数で研究者の業績を数値で測り、それで順番付け(格付けではなく)をして研究費をだすようなことは愚の骨頂であると断罪する。インパクトファクターの指標としての解釈や使い方が間違っていることを、実例を挙げて説明してくれるのだが、本人が高インパクト者ランクの上位に常に入っているのだけに説得力があり、痛快である。本当の格とは、その人の研究態度や内容、人格などあらゆる要因から醸成されるものであって、それらをただ、論文数などのただ一つの要因だけを取り出して、機械的にそれを測ろうというのは、アメリカ的な大衆文化であるといってはばからない。このようなシステムのもとではいずれ研究者たちはやせ衰えて滅んでしまうだろうというのである。
格と順位を混同してはいけない(たとえば国立大学のランク付けで東大と東京芸大のように専門分野が異なる大学を同じ軸上に並べられるだろうか?)、社会でも家庭でも各自がそれぞれの機能を担う、かけがえのない人であるべきである、私にとってかけがえのない人は、まず秘書そしてN大時代にさまざまな実験器具を作ってくれたガラス職人であり、その人たちには常に感謝の気持ちで手厚く遇しなければならないなど、なるほどと思う刺激的な発言が続いた。会場では感動して涙している人もいたようだ。
講演の最後に会場から質問を受け付けたのだが、図書館員だという人が「欧米の図書館に比べて、日本の図書館員は専門職であるという実感を持ちにくいが、どうすれば専門性を持つことができるだろうか」という一種禅問答のような質問をした。それに対してN氏の答えは以下のようである(うろ覚え)。

「私は図書館のことは良くわかりません。が、多分すごく感謝されるお仕事だと思うんです。人間というのは尊敬されるか感謝されるというのが大切だと考えるわけですが、しかし、尊敬されるというのはなかなか難しい。ならばせめて感謝されるというのはできそうに思えます。感謝されるというのは、人の役に立つこと。そのためにはその人のニーズをしっかり汲み取ることが必要です。私は図書のことはわかりませんが、あなたも人に感謝されるように、そういう気持ちをもってお仕事に取り組まれていかれるといいのではないでしょうか。」


2004年10月20日(水) そこにいてくれることです。

昨日購入したばかりのサハラに紅茶をつめて出かける。アールグレイとかハーブティとか香りの強いもののほうがありがたみがあるかも知れない思いつつ、中身はロンドンのお土産でもらったアッサム。職場について早速試してみる。当然のことながら熱々。思いがけず熱いお茶がのどに飛び込んできてあわてる。その後、ちびちびと飲み続けたがやはり半量以下になるととたんに保温力が鈍る。飲んでも飲んでも減らない仕組みはないものか。

さて、今日は皇后陛下の古希のお誕生日である。私は、何かのときに「典雅な親善外交」担当としての皇族がなかったら不便だなぁと思う程度の天皇制支持派だが、皇后陛下はいつも気にかかる存在である。好きとか憧れとかではなく、到底私にはまねのできない女性モデルとして尊敬の念を抱いている。周知のとおり、望まれて望まれて皇室入りしたが、もちろんご本人は苦悩につぐ苦悩であったことと拝察される。しかし、そういう立場になった以上はとことんその役を演じきり、いまやこの方なくて皇室は語れない圧倒的な存在感をかもし出している。そしてただその環境におとなしく従うだけでない。決して声高に主張することなく、子供を手元で養育したり、内親王を学習院以外の民間の幼稚園にいれたり、さまざまな変化を皇室にもたらした。何十年の月日をかけ、少しずつ自分の思う家族の姿に皇室のあり方を近づけるべく変革を実行してきた、意志の強さと秘められたしたたかさや激しさがある。特に名実ともに皇室のトップ女性となったここ数年のご活躍や発表されるお歌などに、それが現れている。
そしてこのスーパーウーマンから生まれた皇太子もまた苦悩の人である。皇后陛下同様、望んで皇族しかも天皇直系の長男に生まれたわけではないが、常に誠実に皇太子としての立場を歩んできた。そして「一生全力でお守りします」発言は、ただの育ちの良い世間とかけ離れたお方という世間のイメージをよい意味で大いに裏切った。結婚後も折に触れて夫婦仲むつまじい様子が報道され、さらに先だっての「人格否定」発言等、婚約時の約束はうそでなかったのだと、好感度はあがっているだろうと思う。少なくとも私は、皇后と皇太子のセルフコントロールの強さと、好きなものを率直に好きという気取りのなさに感じ入っている。

ところで、宮内庁Webページで今までの皇室の記者会見や文書回答などを読むことができる。「皇太子同妃両殿下ご成婚10年に際しての文書回答(平成15年) 」を読んだ。文書回答なので会見の緊張がないせいかお二人の率直な言葉が並んでいる。中でも印象的だった問答は、「お互いに感謝したい点,学んだ点,そして注文したい点」という問いに対して、皇太子の「(前略)感謝したい点は,まず,雅子がそこにいてくれることです。雅子がいてくれるだけで心が明るくなるのを感じます。(後略)」という答えがある。あまりのストレートさに、どきっとしてちょっと胸が熱くなる。が、同時に独身時代の心の闇を感じさせるものである。さらに続く注文点では「注文したい点は,余り無理をしないようにということかもしれません。大変まじめで忍耐強く,よく努力するので,少し気を抜けるように私も力添えができればと思います。とある。予兆はあったということだ。


2004年10月19日(火) サハラ

紅茶が好きだ。
世の中にそこそこおいしいコーヒーが飲める店は多いが、紅茶がおいしい店は少ない。「紅茶がおいしい」を売りにすると、とたんに味わい方や作法にうるさいことをいう小難しくかつ値段の高い店になってしまうのはなぜだ。スタ○バックスやタリ○ズのような気軽さで紅茶が飲める店が欲しい。タリ○ズのアイスティーは、アールグレイ風味で違和感なくおいしいと思うが、ホットは飛行機の中で配られる紅茶みたいで悲しい(でも、最近ではミルクティーを頼むとコーヒークリームではなく、牛乳が入っているのは良いポイント)。ドト○ル系のエクセシオ○ルカフェはロイヤルミルクティがあるのでポイントが高いが、ミルクをいれなくてもおいしい紅茶が飲みたいのだ。淹れたてでなくても高級でなくてもいいからマシな紅茶が飲みたいのである。しかも気分転換にちょっと飲める量がいい。
自分のオフィスがあれば、自分の好きな紅茶が飲めるのになぁー。PCルームや図書館は飲食禁止なので、わざわざ外に飲みに行くのも買いに出るのも億劫なのだ。というわけで、外でおいしい紅茶を飲むのはあきらめて、ステンレスポット(いわゆるマホービン:魔法瓶というのもすごいネーミングだけど、確かに温度が変わらないのは魔法のように画期的だ)に自前の紅茶を入れて持ち歩くのはどうかと思いついた。フランス語教室にきているマダムの一人が、生ビール小ジョッキがそのままポットになったタイプ(マグタイプというらしい)を持ってきていて、授業の合間にちょこちょこっと飲んでいる。なるほど、ますます欲しくなった。近所のスーパーで探してみると、水筒型のマホービンは軽量小型廉価で数百円からある。マグ型はやや高めで2980円だった。コーヒー10杯分ですかー。今後宝の持ち腐れになる可能性もあるので、ちょっと高いなぁと二の足を踏む(←だったら使いたおせ)。
今日も教室でマダムがそれを使っていたので、使い勝手などを訊いてみて、「地球に優しい」とか「オリジナルが飲める」とかいろいろセールスポイントを聞かされてやっぱり帰りに買うことにする。ただし、近所のスーパーではなく繁華街のディスカウントショップをあたる。ここで火事が起きたら間違いなく大惨事だなと思いながら、雑多な商品をかき分けかき分け目的の商品を発見。探したぜ、ベイベー。値段はぐっと安くなって1980円(元は4200円だと!)。メーカーは象と虎の2種類あって、容量は象が350ml、虎が360ml。貧乏性なのでたくさん入るほうを選ぶ。名前はサハラ。オアシスじゃないんだな。


2004年10月18日(月) いろいろあるもんだ。

非常勤先Lへ。
地下鉄駅を降りたところで、通路がいつもより込んでいると思ったら、階段のところに救急隊員が輪になって男性を取り囲んでいた。階段から落ちたのか、頭を打ったらしい。チェアー型担架が脇にあり、救急隊員の一人が頭の傷を丹念にチェックしている。脇のエスカレータでその様子をやり過ごして地上へ。地下鉄出口ににはストレッチャーがおいてあり、さらに救急車の隣には消防車が停車していた。隊員の運搬と、搬送が困難な場合のレスキューとで消防車も一緒に出動するのだろう。人一人階段でこけただけでも、なかなか物々しいことである。
学校に到着すると、校舎の入り口のガラスが派手にひびがいっていた。管理の人がガムテープで応急処置をしている。中学や高校なら日常茶飯事だが、文系学部中心の大学でこんなことがおきるとは。事件なのか事故なのか、それが起きたのは日曜日の夜なのか、それとも日中か。部外者が入り込む可能性もあるし、一概にこの大学に在籍する学生の仕業とは言えない。

そういえば、先日非常勤先Bで不審な若者に声をかけられたばかりである。PCルームに行こうと、エレベータを待っていた私に、いかにもここの学生らしい若い男性がニコニコと近づいてきた。彼曰く「教員ですか?」。は?と聞き返すと「教員ですか?」と聞いてくる。
私「はい、そうです」
彼「あ、僕も教員なんです。僕教職員なんです」
私「はぁ」
彼「何を教えているんですか、いつもこの時間に来てるんですか」
私「いえ、これからPCルームに行くところなので」
彼「PCルームはどこにあるんですか?」
どう考えても様子がおかしいが、上にあります。上に行くと係りの人がいますよと答えたところでエレベータが来たので話を切り上げる。
「あ、ぼくここの教員じゃないんです。今日はちょっと見学に来ているだけなんです」と言い残して去っていった。なんなんだ。部外者なんだろうな。

さて、非常勤先L。昼食に出ようとすると、狭いキャンパスの中に大きい観光バスが4台も止まっている。高校生の大学見学ツアーらしい。記念写真を撮ったり自販機でジュースを買って飲んだりしている。こんなところを見学して何がわかるというのだろうか。さらに他の大学に回るらしく、バスは行き先別に分かれていた。女子高生、誰に頼まれたわけでもないのに、寒空にぱんつの見えそうなミニの制服を着て(一部未だにルーズソックスで)歩いていた。ご苦労様です。


2004年10月17日(日) あぼーん。

先日、夫が家に帰ってくるなり「今日さー、『あぼーん』の意味はじめて知っちゃった」と言った。
あぼーん。
いわずとしれた2ch用語である。不適切な書き込みがあったときなど、元の書き込みが削除されて、書き込み者、書き込み内容、投稿日が「あぼーん」に書き換わる。一説によると語源は"a bone"で、転じて「死ぬ」とか「葬り去る」という用法も。
その手の情報に疎い夫がなぜそんなことを言い出したのか、しばし言葉を失ってしまう。かろうじて「なんで(-"-)?」と聞き返した。
「○×さんから『この間の研究費の申請あぼーんされちゃいました』ってメールが来た。意味がわかんないからgoogleで調べた。だから今週末は申請書書き直してくださいだって。」
○×さんというのは夫の共同研究者で、大変賢い人らしい。賢くて仕事が出来るので、日々仕事に追われている夫とは違って2chを徘徊する暇があるのだな。というわけで「あぼーんやらなくちゃ」などとつぶやきながらWordに向かって格闘する週末の夫。

ところで、知人からメールが来た。

すっかり絵文字がスタンダードになって、しかも最近は
OTL とか見て ガックシ とかメイルする今日この頃.


OTLって何?TDLの親戚?Optional Term Language?さっぱりわからないので検索してみた。
「失意体前屈」だぁ?これも2ch用語らしい。
はてなダイアリーによると
これも→orz. これも→○| ̄|_. これも→_| ̄|○. これOTLの仲間。ふりがなは「もうだめぽ」だという。
こんなサイトもある。
2ch用語を本気で知らないと世の中についていけない時代がもうここに来ている。


2004年10月16日(土) とことん手を抜く人たち。

久しぶりにのんびりモードの土曜日。
先週は台風の中一日外出だったが、今日は夜の仕事だけなので気が緩んでしまい、午前中と午後それぞれ1時間ぐらいずつ昼寝をしてしまう。だらだら。夜は仕事。先週休講した分を今日やるので準備はそれほど大変でなく、それもだらだらに輪をかけている。やらなくていいとなるととことん手を抜く私である。
授業の資料はすでにwebにアップしてあるので、予習もしておくようにいっておく。まあ、しているわけがない。毎回授業の後に、簡単に授業での良かった点、悪かった点などをメール報告してもらっているのだが、メールボックスを開けてみてびっくり。授業開始数分前に前回の分をようやくメールしている人がいる。2週間も前の授業の様子を克明に覚えていることがあるだろうか、いやない(反語)。案の定、適当に作文した感じの中身のない文字列が並んでいる。ちょっともてそうなキレイ系の4年女子。レポートも授業態度もいつも手抜き。要領がいいなら別の意味でまだ許せるが、本人は上手く切り抜けているつもりで駄々漏れの手抜きは本当に腹立たしい。こういう子はきっと昔から周りの男の子たちにちやほやされてここまできて、これからもそのまま行くつもりなんだろうなぁ、と思わせる。今まで何回か厳しく注意してきたつもりだけれど、暖簾に腕押しぬかに釘なので、最近はそのままにしている。怒ってもらえるうちが花だよ、君のそのかわいさがいつまで武器になるかね(-"-)と、なんてこっそり心の中でつぶやいてみる。


2004年10月15日(金) 居場所を作る。

どこに行っても、なんとなくその場にいつの間にかなじんでしまい、主のような顔をして歩き回り、そしていつの間にか誰よりもそこから遠いところに行ってしまう癖がある。とりあえず自分の居場所が欲しいのだろうか、などとセンチメンタルなことも考えるが、今の生活もいつか遠いところに行ってしまうかもしれないと思いつつ、目新しいところをきょろきょろとする。
非常勤先Bへ。授業のあと専任の人に誘われてイタリアンレストランへ。二人だけで食事をするのは初めてだ。いつもの通勤路とは反対方向にある穴場的な店で、珍しげにきょろきょろしてしまう。ちょっと奮発してコース。パスタに前菜、サラダ、ガーリックトースト、デザート、コーヒー。もう満腹。学校に戻って図書館やPCルームで少し時間をつぶすがあまりにおなか一杯なので、あまりはかどらず。このままだらだらするよりもいっそ電車の中で寝ようと、帰ることにする。義父がこの間手術して、快気祝いということで、夜は夫の両親と4人で会食の約束がある。
いったん講師控え室に戻ると、よくバスで一緒になる他の非常勤講師の人が一本バスを逃したとかで一緒に出ることに。女性3人姦しく学校を後にする。非常勤というと講師控え室で黙々と過ごし、教室に向かい、また戻ってきて黙々と帰り支度をして帰るのが普通だが、こんな風に誘い合わせて帰れるのはうれしい。先週はこのメンバーでケーキを食べて帰ったし。眠気もさっぱりして、四方山話をしながら帰る。うち一人は中国語の先生でだんなさんはあちらの人である。今夜夫の両親と会食があるという話をすると、「私、いつもたくさん食べて、夫の両親に嫌がられるんです(笑)」という。外国語を話しながらたくさん食べるなんてすごいですねというと、「違うんです、日本語なんです。夫の両親は戦争中日本の占領下で育ったので日本語がぺらぺらなんです」といった。ここにも戦争の影がある。
会食は夫の実家の近くの中華料理店。店を選んだのは私たちだったが、ここは戦前からある中華料理の草分け的存在の店の分家筋らしく、義父は○○町にあった店と同じかどうか店員に尋ねていた。義父にとってはその当時おいしいと思った懐かしい味だったようで、喜んで食べていた。その後、夜景がきれいなビルの喫茶にいってコーヒー。目の下にどっしりと暗い皇居の森が見える。義父は皇居のことを「きゅうじょう(宮城)」という。昔の人らしくてなんとなくいいな、とその響きを好もしく思う。


2004年10月14日(木) そして私は木炭になる。

結婚記念日。特にお祝いはないらしい。2進法で1001年だ。

フランス語教室(←考えてみると、日曜日以外はフランス語教室に行っているかどこかの大学に行ってだけだから、書くだけ無駄だという気もしてきた。)
むーん。相変わらずクラスメートのみなさんは熱心。活発に質問もされるのでいいのだが、マニアックな質問に入り込んでいっている気も。先生はすごく親切で優しくて例文もどんどん出してきてくれるのだが、その親切さがあだになるというか、初学者には厳しいかも。多分このクラスは既習者の総復習に向いている。なんとなく初級のときに比べて人数が激減しているのもうなずけるような気が。邪推?
お昼は以前のクラスメートと食べる。クラスの後はいつも顔がつかれ切っているので、年若いクラスメートが「今日も完全燃焼?」と聞いてきた。ううん、違うの。不完全燃焼なの。不完全燃焼で木炭のようになっているのよ。灰のようにはならないの。そういうと、30代後半の女性が「おおお、あしたのジョー」といった。本人はいたって上品な山の手風若妻なのだが、お兄さんがいるらしい。小さいときのチャンネル権は兄に握られていたのだな。最近は練炭自殺が相次いでいるが、木炭ってそういえば小学校のときに割り箸で作ったことがある。試験管の中に割り箸を入れて、そこの部分をあぶるのではなかったか。案外危険だった記憶がある。でもそんなに難しいことをしなくてもアルミホイルで包んで簡単に木炭が作れるらしい。ふーん。なるほど。http://moritetsu.net/challenge/waribashisumi.html
いや、別に木炭を作る必要はないんだけど…。

帰り道に昨日もらったイギリス英語を聞く。こんなに大変な思いをして勉強しているフランス語よりも、最近ぜんぜん勉強していない英語のほうが聞けるししゃべれるのは酷い話だ。
やっぱり日本人は相当英語を勉強していると思うよ。


2004年10月13日(水) イギリスかぶれにはたまらんCD

非常勤先Lへ。先日の台風の傷跡か、地下室の入り口には土嚢が積みっぱなし、銀杏の若葉が一面に散っている。
英語担当の人から「これ、面白いんですよ」とCDを聞かせてもらった。イギリスの街中で会話をライブ録音したという、その名もLive From London。本体はリスニング教本で、本の体裁はそれほど魅力的ではないが、その付属CDはすばらしい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789011321/249-3608480-3036309
まずパイロット(本物)のアナウンスから始まり、ツーリストオフィスや、地下鉄の乗り換え案内、買い物でのシーンなど、これでもかこれでもかと現地の会話が効果音つきで入っている。morningが「もぉおーにん」とか、do youが「でゅー」とか、聞こえてくるし、lovely多発だし、おばちゃんのしゃべり方とか買い物のシーンとか、いやー、なんか、とにかく匂ってきそうな生なましさなのである。全部聞き取れないまでもイギリスに行ったことがある人なら、「あるあるあるある」と思わずひざを打つか、ホストファミリーを思い出して涙するか、ぐふぐふ笑ってしまうか、これだけ楽しめて価格は1500円。やっぱり英語教材はフランス語教材より安い(←オチはそれか)。


2004年10月12日(火) 紅玉

午前中フランス語。
相変わらず、わたわたしているうちに時間が過ぎる。このクラスは、初級が始まった頃は20人ぐらいいたと思うのだが、今は途中から入った人を入れて7人ぐらい。生き残った人たちはみんなやる気があって、しかもこのクラスのほかにもいくつか授業をとっているらしい。これといった目的なくのんべんだらりと勉強している私にはとてもついていけないなぁ、と思いつつやり遂げるしかない。帰りは最寄のJR駅からバス。天気予報が当たって午後から強い雨になる。バスに乗ってすぐにうとうととし始めたのでよくわからないけれど、途中でずいぶん渋滞していたらしい。もしかしたら口をあけて寝ていたかも知れないが、ちょうどいいお昼寝タイムになった。
夕方、生協の宅配で紅玉が4つ届く。紅玉がカタログに載っていたのがうれしくてつい注文してしまったけれど、さて何にしよう。鮮やかな赤い色を冷蔵庫にしまいこむのが惜しくて、白い角皿に載せて食卓の脇に飾る。


2004年10月11日(月) 文化の香りのする街

昨夜遅くまでかかってフランス語CDのデータ転送をしたのに上手く再生できなかった。フォルダの階層が深すぎるのかとか、データ量が多いのかとかいろいろやってみたけれど、ある一定数以上のフォルダはフォルダ内を見ることも出来ない。結局、データ量の限界よりコンテンツ数の限界が問題だったらしい。語学のCDは単元ごと、例文ごとにファイルが異なるので、いたずらにコンテンツ数が増えてしまうのであった。格納されているフォルダごと数を減らしてみたら再生できるようになった(というより、再生できる数になるまでフォルダを減らしたというのが正しい。今のところ4フォルダと5例文ぐらい再生できる。一つのCDに80超のコンテンツが入っていることになるので、300〜350ぐらいのコンテンツは入れられるはず)。でもデータ量は、マーラーのシンフォニーをがんがん入れても大丈夫なぐらいあまっている。データ転送と不具合の解明に結局のべ12時間ぐらい費やしてしまった。午前中はそれだけで終わる。
昼過ぎにスポーツクラブへ行き、夕方からちょっと離れたJR駅までバスで駅裏散策に出かける。和菓子屋さんで餡蜜を食べて、おみやげにどら焼きを買って、商店街を見て、駅裏の住宅街にあるレストランで早めの夕食。うっそうと茂る森があったり、趣のある個人商店が並んでいたり、ちょっとかわったゲージツっぽい家が散見されたり、なんかうちのあたりと違って文化の香りのする街である。


2004年10月10日(日) のたのた

朝起きたら9時過ぎていた。今日はのたのた過ごすことに決める。
「のたのた」というのはここのところ、あこがれている言葉である。のんびりとも違う、ただひたすら怠惰に過ごしたいという願望をこめて「のたのた暮らしたいの」というのが最近の私の口癖である。
のたのた暮らすのは案外難しい。布団に入ってゆっくり本を読もうとしてもすぐに眠ってしまう。本当はのんびりとお茶を飲んで過ごしたりするのがいいだろうが、すぐにメールチェックしたりして日常に戻ってしまう。彼の場合、つまり動いているかフリーズしているかどちらかの状態しかない。案の定、朝食を多めに食べてお茶を飲んで簡単に後片付けをして、乾燥機から洗濯物を取り出して仕分けをしたりしているうちに、夫は布団に入って丸くなっていた。
空気は冷たく、布団は軽く、数日前のサイバラ毎日かあさんの漫画そのままに昼寝。んー極楽。その後書類を処分して、夫のお古のMP3プレイヤーにフランス語教本のCDから録音作業。これでもっと手軽に勉強できるはずだが、意外と手間がかかる。手間の分だけ勉強しないと。


2004年10月09日(土) ラッキー。

朝から学会へ。
この学会は広く門戸が開かれているものの、同窓会的性格が強い。常勤の組織に属さない私としては、懐かしい人や恩師にお会いしたりという顔つなぎの場としてのメリットも大きい。休憩時間にはそれぞれ顔見知りの何人かと言葉を交わしたり、アポイントメントを取ったり、さまざまな用事がいっぺんで済むというのは、やはり対面ならではのメリットである。加えて非常勤人事が動く時期でもある。「来年度もよろしく」とささやかれたりするのも、この時期ならではの風景である。
この日東日本は台風22号が直撃する日。学会の後は夜の仕事へ行く予定で家を出る。雨風もそれほどひどくなく、始まる時間帯がピークだというが、休講など思いもよらないまま家を出る。学会で顔をあわせた人たちには口々に「学生の身の安全が保証できないから休講にすべき」といわれて、それもそうかと思って大学のWebページを見るが、休講は教員の指示で決まるとしか書いていない。それじゃ休講にするべと思って電話してみると、すでに3限以降休講になっていた。担当者は各教員の自宅に電話を入れている最中だというのだが、それなら前の日に連絡してくれよと思う。Webページに載せてくれれば見ますからといったら「なるほど、そうですね」と言われた。むー。
学会が終わる頃は案の定バケツをひっくり返したような大雨。会場をでることもできない。たまたま親しい人が車で来ていて建物の前まで車を寄せてきたので、私ともう一人とちゃっかり便乗して近くの駅まで送ってもらうことにする。地下鉄は動いているので、最寄の地下鉄も考えたのだが、立地的に川も近いし、坂の下なので危ないかもしれないと思って避ける(後から報道をも見たらそれが大正解。その駅でホームまで水が入り込んでその路線ごと運休したのだという)。運転する人の経路を外れず、友人と私の経路の範疇になるJR駅まで送ってもらう。前も見えないほどの大雨である。駅ビルで食事をすることにして、2時間ほど居座っていたらすっかり雨も風もやんでいた。自宅最寄のJR駅からバスに乗るつもりでいたら、バスの姿がなかった。運休していたらしい。台風真っ只中にいながらほとんど被害を受けなくて済んでラッキーだった。


2004年10月07日(木) あまってるの?

地下鉄の人員削減が著しいのである。
ホームにぜんぜん駅員の姿が見えないし、ワンマン運転の路線も増えてきた。この前は昼間だというのに寝ているのか具合が悪いのかホームでひっくり返ってる人がいたのだが、知らせようにも駅員がいない。駅員はどこへ行ってしまったのかと思っていたら、改札口にいた。もちろんほとんど自動改札なので切符を切っているわけではない。どこにいるかというと、自動改札の外に立ち、出てくる人々に向かって、「ありがとうございます」と頭を下げていた。有人改札でも、自動改札を通り過ぎる人に向かって頭を下げている。本末転倒というか、乗客も駅員もお互いなんとむなしい作業であろう。まさかそれがサービス向上とは思ってないだろうな。それにしてもそんなに人が余ってるのか。


2004年10月06日(水) びっくりしました。

もうすぐ結婚記念日。
こんどの14日で丸9年である。去年の8周年は、夫が「ちょうど節目の年だね」といったので、ちょっとびっくりした。夫にとっては2の3乗というのはすごくきりがいい数字だったらしい。二進数で書くと1000年だし。
ところで、うちにはホワイトボードタイプの小さなスケジュールボードがある。主に夫の夕飯不要の日と出張などの予定を書き込んでおく。今朝は「じゃあ今年は1001年かなぁ」などと思いながら、予定を夫に聞きながら書き込んでいた。

夫:えーとね、来週の○曜日はご飯いらない。月末は出張でいない。
私:うんうん、それから?
夫:それから14日もいない。この日は研究室の新歓なんだ♪
私:…(-"-)
夫:(とがめるような視線に気づき)え?何?
私:…(=”=)
夫:なに?なんかあるの?
私:(無言で左手の薬指から指輪をはずして夫に渡す)
夫:??
私:指輪の裏に彫ってある文字を読んでみてくだされ。
夫:えーと、(声に出して読み出す)「T to R 1995,Oct,,,」あっ!そうかー。
私:ええ、そうなんです(-"-)
夫:ご、ごめん〜でも、この日しかできなかったんだよ〜(涙)
  そうだ!じゃあ、新歓、れいこなさんも来る?歓迎するよ。
私:結構だ。

そのフォロー(と、夫が思っている)にもびっくりしたが、まさか、声に出して読むとは思わなかったじょ。ていうか、結婚指輪を見た時点で気づけよっ。あーびっくりした。


2004年10月05日(火) 80円均一。

午前中、仏語教室、ヤバッ。この場合の「ヤバイ」は、今風の若者がいうような「極上」を示す言葉ではなく、われわれの年代が言う「ヤバイ」だ。そういえば、一昔「場合」のことを「バヤイ」という人々がいたな。いまだにそういうことを言う人って、少年野球の監督とか青年団の世話役などをやっていそうである(偏見)。話がそれたが、クラスのほかの人たちも盛んに「難しい、わからない」を連発して青くなっているのだが、私の場合はもう真っ白な灰。ただただおとなしく青ざめているのみ。いかんいかん、もっとモチベーションをあげて行かなきゃお金と時間がもったいない。
さて、近所の個人商店がばたばたと店じまいしているのだが、今度は心のオアシス100円ショップが店じまいすることになって、現在80円均一で在庫処分中。ここはダ○ソーなどの大手とは違って、昔ながらの100円ショップらしいオーソドックスな品揃えなので、中にはうーん、100円はちょっと高いかなというものもある。それが一気に80円ですよ、奥さん。2割引ってなんてお得感なんでしょう。買う気になってみてみると、小ぶりなケースにスプーンとフォークとお箸が入ったランチ用のセットとか、ノートPCを入れる用のソフト素材のケースとか、もうほしいものざくざくで、昨日から今日にかけて800円分も買っちゃったわ(←小心者)。それにしても100円均一が高く思える日が来るなんて…。


2004年10月04日(月) なぜこんなこと気づかないでいたの。

ユーミンの歌は、ある時期のものなら好きでもなくいろいろ歌えるが、"Anniversary"は好きと断言できる歌である。これを聞くと、学生時代淡々とずっと長く付き合って卒業後すぐに結婚した友人カップルを思い出す。
ところで、「非常勤先Lキャンパス中私の書斎よ」計画着々と進行中である。非常勤講師というのは、たいてい講師控え室以外に居場所はない。担当が少なかった頃はすぐに家に帰っていたのであまり切実ではなかったのだが、掛け持ちが増えてくると宙ぶらりんの時間が多くなり、あっちこっちに自分の居場所がほしくなってくる。先週一箇所無線LANの設定をしたが、今日はもう1箇所別のスポットの設定をしてもらった。ついでに図書館内の教職員閲覧席でも無線LANが使えることを発見。受付で教職員閲覧室を使いたいんですけど、というとノーチェックで通してくれた。そうですか、学生には見えませんか。ここは事務所の裏手の倉庫みたいなところだが、背の高さほどもあるパーティションで机をひとつずつ区切ってあるので、一応プライバシーは確保される。これで耳栓で音を遮断するかイヤホンで音楽でも聴いていればまったく問題ないじゃないか(飲食はできないけど)。しかもPCルームと違ってエアコンが効きすぎていないのがうれしいぞ。
まったくもって「なぜこんなこと気づかないでいたの」なのである。思わず1フレーズ歌いかけてしまった。ここの図書館は大きさも手ごろだし充実しているので、できるだけ長くここにはお世話になりたいなぁ。こうやって人は権力に恋々としていくのだろうか(違います)。


2004年10月02日(土) 指遊び

おとといの日記にジャンクメールの話を書いた。同じジャンクメールを受けとった人がいないか検索してみたら1件ヒットした。で、そのページをあちこち読んでみたら、とてもすばらしく気に入ったので、そこのBBSに書き込んでおいたらその人が私のBBSにも遊びに来てくれた。わーい。縁は異なもの乙なものである。
仕事の帰りに電車の中でラテン系外国人の母と日本人の父とその間の息子が3人で座っていて、そのうち父と息子が指遊びを始めた。見ていると足し算のようである。はじめに両方の人差し指だけを出して後は握ってひざの上におく(手話でいうところの「馬」みたいな感じ<わかんないって)。相手のこぶしに触れると、触れられたほうは触れた指の数だけ、出してある指を増やさなければいけないらしい。つまり、AB二人のプレイヤーがいるとすると、はじめの状態は「A(右1左1)」「B(右1左1)」。次にAの右手がBの右手に触れるとBの右手が+1になるので「A(右1左1)」「B(右2左1)」。今度Bの右手がAの右手に触れるとAの右手が+2になるので「A(右3左1)」「B(右2左1)」となっていき、6以上になると0クリアの状態になり、こぶしを握って下ろさなければならない。ただし、左手が終わっている状態「B(右2左0)」でも、右手指の2本のうち1本を左手に移行して「B(右1左1)」として復活させることができる。それを早いテンポで展開していって両方のこぶしが終わった状態「n(右0左0)」「になったら負け。どこのなんという遊びなんだろう。子供は夢中になってやっていた。算数の勉強にもなるしいいね。


2004年10月01日(金) 食欲の秋

非常勤先B初日。1〜2限続きなので、やや緊張ぎみに就寝。この大学は後期は別に履修申告できるらしく、フタをあけてみるとあらかじめもらっている名簿とは違う場合がある。1限は名簿に載っている学生が4人来なくて、載ってない学生が2人きたので今のところ予定数より2名減。2限目はもともと履修者が1名だったのが内定式で欠席だというので自然休講。ラッキーなんだかアンラッキーなんだかよくわからない。それでも名簿に載ってない学生が来るかも知れないので教室に30分ぐらい居残り。
すでにおなかがすいてきたので教職員食堂で早めに済ませて、図書館へ。それからPCルームに行って、非常勤先Tの授業準備など。が、しかし案外ソフトがそろってなくて仕事がはかどらないので、もう帰ろうかと思い、途中のケーキ屋さんで一服。ケーキと焼き菓子とお茶。さらにお土産用のケーキも買う。ここまできて図書館に用事が残っていたのに気づいてケーキの箱をぶら下げたまま図書館へUターン。
本を一冊借りてふと見渡すと、書架やコピールームなどを興味深げに散策している初老男性に多いことに気づく。一人だけではない、2〜3人もやたらうろうろうしている。そういえばさっき図書館に来たときもそうだった気がする。新しい非常勤講師の人なのだろう。ここの大学は社会学系だが、図書館は大学規模のわりに蔵書数が豊富だし設備も整っている(文学系は弱いが一般図書も公共図書館なみにある)ので、さぞ宝の山だろう。
ケーキを途中で食べたのに、夕方6時ぐらいに猛烈におなかがすいてきたので、夫の帰りを待たずにお冷ご飯とレトルトカレーで先に済ませることにする。今日は9時ぐらいに帰るといっていたので、待っていられないし、そんなに遅く食べたら身体にもよくない。さくさくっと食べ終わって、さて仕事をしようと思ったら、電話がかかってきた。用事が早く済んでいつもどおりの時間に帰ってくることになったという。んが。


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