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私が地味なOL時代(笑)を送っていた頃(つまり何年も前)、国民的美少女の小田茜が主演する女子高生モノのドラマを毎週見ていた。 あくまで小田茜の可愛らしさがウリで、ストーリーは少女漫画がそのままドラマになったような、毒にも薬にもならない当り前のものだった。 で、なんでそんなものを見ていたかというと、暇だったからというのもあるが、実をいうと小田茜の同級生役で出演している娘が気に入っていたのである。 ポチャっとして、口をあけてガハハと笑うような役どころだが、良く見るとちょっと南国風の顔立ちで、おさるさんのようなベビーフェイスである。 可愛いなと思いながら見ていた。 いつもオープニングを見損ねていたので、名前はわからないままドラマは終わってしまった。それからしばらくして、なんとなく「ポンキッキーズ」を見ていたら、その娘がウサギの格好をして踊っていた。 名前を見ると安室奈美恵とあった。 それからさらにしばらくして、なんとなく「夜もヒッパレ」を見ていたら、4人組のダンスグループをバックにその娘が踊っていた。どうやら歌手だったらしい。 ずいぶんスマートになって、眉の形と髪の色が変わっていた。沖縄出身だということをその時知った。道理でトロピカルである。 そして私がヒイキにしていたその娘は、あれよ、あれよという間に若い女のコの絶対的支持を誇る、超人気スーパーアイドルになってしまった。 あれだけ大がかりに売り出した美少女は、大人になってただの美人になってしまったが、美少女の脇役で出ていた彼女の人気は、いまやどまるところを知らない。 蛹が蝶どころか、芋虫から蝶に変身するまでを見た感がある。 昨日テレビでその彼女が結婚したことを知った。しかも来年6月にはママになるという。いわゆる「できちゃった結婚」であるが、それすらも街行く女のコにとっては彼女らしくてかっこいい生き方らしい。 りえちゃんはちょっとうまくいかなかったけれど、ゴクミといい、彼女といい、やっぱり10代のうちにエスタブリッシュしてしまうと、若くして結婚、さらに母という転身もためらいがないのだろう。 最近人気だというCHARAというお人も、若いながらすでにママであるそうだ。 パッパと自分の人生を突き進んで行く彼女達の姿は実に小気味がいい。若いコ達がまねしたがるのも、よくわかる。だからといって渋谷辺りをお腹の大きなアムラー達が闊歩したら大したものだが、そこまでは真似できないだろうな〜。
以前住んでいたところで、ある知的障害者の団体のボランティアをしていました。(それはそうと、私はどうもこの「知的障害」って言葉はどうも好きになれません。好き嫌いじゃないとは思うんですけどね、なんかいやなんです。) その団体はいわゆる「青年学級」と呼ばれるもので、区役所の生涯教育一般(つまり大人向けに公民館で開かれる講座など)を統括する部署が運営しいます。ボランティアといっても区の嘱託主事という身分で、参加回数に応じてわずかばかりの「謝金」も振り込まれます。 さらにいうと、源泉徴収もされていたんですが…。 設立主旨は、養護学級や養護学校の卒業生に休日に余暇活動をする場を作ろう、ということで、活動日になると平日には作業所などで働いている人達が、学級に集まってきます。 余暇活動ですから、当然活動内容は「遊び」です。一年を通して、いろんなことをやります。夏はキャンプ、冬は雪遊び、春にはピーナツ堀り、秋にはいも堀り…。普段の日は会場となっている中学校に集まってクラブ活動やバスや電車を使っておでかけもします。 ところで「障害者手帳」というのをご存じですか。 これは各都道府県毎に名称が違いますが、障害の種類や程度が記載されていて、身分証明書でもあり、これを呈示して運賃の割引が受けられたりします。 この手帳は申請をした人だけに交付されるもので、障害を持つ人全員が持っている訳ではありません。 ある日の活動は、隣の区までバスに乗っていくことになっていて、みんな手帳を持って集まってきていました。出発前にふと見ると、数人で手帳を見せあっています。その中の1人は手帳を持っていませんでした。それを聞かれた子はもともと手帳を持っていない、と説明したようです。すると、もう1人が尋ねました。 「ふぅん、じゃあ君は普通の人なの?」 普通の人…? そう言った彼の顔は、ごく自然な屈託のない表情をしていました。 自分は普通の人じゃない、と認識している彼の気持ちはそこからはうかがえません。彼の中での「普通の人」の定義がどういうものかもわかりません。 わかりませんが、誰かが、あるいは私自身を含む社会が、そう教えこんできたことは確かでしょう。 当り前のようにそんな言葉を使う現実って, なんともいいようのない気持ちになりました。
「里芋掘り」に行った。 町の広報紙に案内が出ていたのを見つけたのである。十月中の毎土日に、千円で五株分掘らせてくれるらしい。場所は町はずれの公民館だという。 役場に問い合わせると、特に予約や申し込みは必要なく、当日現地に行けばよいとのことだった。ぬかるんでいるかも知れないので、長靴を用意するようにいわれる。 朝起きると、秋晴れの畑日和である。長靴を用意できなかったので、懇意にしてくれる近所の家に寄って長靴を借りる。たくさんとれたら分けてあげるね、などといいつつ出発した。 会場となっている公民館のある集落は、普段は忘れ去られているような町境にある。崩れ落ちそうなトンネルを抜け、少し迷って公民館に到着したが、それらしい雰囲気はない。 駐車場の入口の大看板には「きれいな水で育んだ里芋を掘ってみませんか?」と書いてある。建物の中からガヤガヤ人の声がするので入って聞いてみると、会合中。リーダーらしい女性が出てきて、「里芋掘りは終ってますよ」とすまして言う。 …なにぃ?終ったぁ? 落胆の色を隠せない我々に、「ちょっと聞いてみてあげてもいいですけど、もう全部掘り終ってますよ。こっちにあるのは予約のですし」と、とりつくしまもない。目が点である。 あまりのショックに「こういうのって、どこに文句を言えばいいんでしょうねぇ、役場でしょうかねぇ?」と、ちょっとふざけて言うと、反論が来た。 ふざけたつもりでも、私の話し方は素がバリバリの東京弁なので、きつく聞こえるらしい。向うもカチンときたのか 「どうしても文句を言いたいっていうのなら、役場でもいいと思いますけど、こういうのっていうのは、限りのあるもんで、文句をいうとかいうこととは違うと思いますけど?」と、伸ばした語尾をゆらす 土地の言葉でたしなめてくる。 たしなめられてもねぇ…。こっちは今週役場に電話して確認したんだし、役場じゃ時は終りそうなんて言ってなかったぞ。そう言うと「土曜日に大勢きて、それで終りです。何人くるかはこっちもわからないし、限りのあるものでしょ?掘ってしまえばおしまいだし…そういうもんじゃないですか…」と完全に論点がずれている。 ああ、この人には私たちの気持ちはわかってもらえない。 私たちがどんなに芋掘りを楽しみにして来たのか、今どんなにがっかりしているか、里芋の収穫なんて珍しくもなんともないこの人には、わからない。 ご高説有難く拝聴致しました。 …入口の看板の「里芋掘り10月31日まで」という文字を横目で見ながら公民館を出た。 役場に言ったところで、ラチがあかないのは目に見えている。 どうしてこうなるのか。のん気というか無責任というか、この土地のこういうところはずい分慣れたつもりだったが、未だ修行が足りないようだ。 時間がぽっかり空いてしまったので、その先にある小山にガシガシと登って釈然としない気持ちを解消し、さらに車でダート道の山越えをして帰ってきた。気分爽快である。 長靴を返しに行ってコトの顛末を話すと、そりゃ残念やったねぇと、お父さんが山でとってきたキノコを分けてくれた。お母さんは畑にいって「田舎に住んだら、やっぱり土地の人と仲良くなって野菜を分けて貰うのが一番よ」と笑って、山ほど野菜を持たせてくれた。 その晩は、里芋の代わりに色とりどりの野菜が食卓に並んだ。どれもみんなおいしかった。
ここに住んで丸2年が過ぎた。 これから我が家となる団地の駐車場に降り立った時、針葉樹の香りがした。高原に来たみたいだ、と思った。 車で買物にでかけた。一番近くのスーパーでも4キロはある。 私がここに来た秋は、半径10キロ圏内に駐車台数2500なんていう大規模なスーパーが立て続けにオープンした時で、その巨大な駐車場も初日は30分待ちだったとかいう話だった。 おかげでその年の県内の流通業界の売上は過去最高になった。他に楽しみがないのか、と思った。 品揃えはどこも、品数はあるけれどセンスや品質がどうも… という感じで、全体に安いけど変なものが割高だと思った。 休みごとにDIYショップや大手スーパーをハシゴしては、家の中を整えていった。へぇ、どこも駐車場がタダなのね、と思った。 東京に帰った時、買物にでかけた。歩いて買物に行けるのがうれしかった。品物を選ぶために店を見比べられるのもうれしかった。 ここだったら、またダーっと車を走らせるか妥協するかないからね。(あ、買わないっていうチョイスもあるか) 都心のデパートに行った。「なんだ、買う物あるじゃない!」 とにかく、ちょいと気のきいた小物を買い込んではギュウギュウ宅○便で送った。おかげで北陸−東京間のクロネコの料金とサイズ、重さの関係はバッチリ頭の中に刻み込まれた。 東京に帰ったときは必ず洋菓子を食べる。 お菓子を洋菓子、和菓子で考えたら、さすが金沢。和菓子はおいしいと思う。でも、ケーキの類は一体…。 おいしいケーキ屋さんはどこにあるのか、さがす気力もない。あとパンもね。 さんざん街を出歩いて、買い物をしてこっちに戻って来る。空港に降り立つとすでに、人影まばら。窓からみえる山々と空が目に染みる。あたしの帰る家はあの山の方なのね…。 途中でスーパーによって食糧の買いだし。お刺身を買って帰る。やっぱり、こっちのお刺身はおいしい。安いし。夫は実家に帰った時に、 「東京の刺身なんざ、ちゃんちゃらおかしくて喰えねぃや」 という主旨の宣言をしたらしいけど、同じだけお金を出すなら、この辺じゃもっといいものが食べられる。 魚介類だけじゃなくて肉や野菜もそう。 そうして東京とこっちを行ったり来たりしていた頃、あるとき東京の店員の態度に違和感が…。 「ありがとうございます」といいながら、そっぽを向いている。しかも銀座にある老舗といわれるデパートである。あ〜ら、びっくり。やるべきことは、きちんとやってる。手もテキパキと動いてる。でもやる気がないのか、誠意が感じられない。 この辺の店員さんは、一言でいうなら「気はきかないけど、親切」である。なんだかバタバタと動いているわりに、仕事は捗らない。でも、親切である。 スーパーのレジでも人の目を見て応対する。別にマニュアルに書いてあるから、そうしているわけでもないだろう。品物のありかを聞くと、仕事の手を休めて売場まで案内してくれる。時々、聞いた方が先に見つけてしまうこともあるが、わからなくても一生懸命である。暇だからでしょってアナタ、それをいっちゃあオシマイである。 東京の店員のそっけない態度は、自分が気にしなかっただけで、きっと前からそうだったんだろうけど、ちょっとショックだった。 そうはいってもCD買うのも服を買うのも髪を切るのも未だに東京。 「東京、東京ってそんなに東京がいいかねぇ」といわれても、仕方がない。 「あたしは、ハイヒールはいてアスファルトの上をカツカツ歩きたいのよっ」と言って、その分こっちでヒンシュクを買った。
聴覚に障害をもちながら、夫妻でトライアスロンにチャレンジし続けている 高島良宏さん の講演会が、10月のある日、地元の高校で開かれました。 テーマは「障害も今では誇り」、 印象深かった部分を、記憶を頼りに(勝手に)抜粋してみました。 -------------------------------------------------------------------------------- 僕は昔、ラグビーに憧れていた。 でも、聴こえないから、声を出し合えないから危ないと、断られた。 上京して働きはじめた頃のある日、僕は落ち込んで、東京に住んでいる聾学校時代の先輩に相談に行った。先輩は体育大学に通っていた。先輩は言った。「耳」は聴こえなくても、音を感じる「目」があるじゃないか。 僕はエアロビクスを始めた。 音は聴こえなくても、体でリズムを感じることはできる。インストラクターを目指して数年間頑張ったけど、聴こえないからインストラクターにはなれなくて、結局あきらめた。 僕達はいつもあっちこっちで壁にぶつかり、夢に破れている。 「音」は僕にとって憧れなんだ。 そして僕はトライアスロンを知った。 トライアスロンを始めるのに僕はなんの抵抗もなかった。トライアスロンは確かに苦しい。苦しいけれど達成した時の満足感がある。大会に出るために外国に行けるのも楽しみだ。 日本では聴こえないという理由で参加できないことも多い。大会に申し込むたびに、必ず聞かれる。 「日本語が話せますか?」「日本語がわかりますか?」 僕は、日本の中の、どんな小さくてもいいから、独立した島が欲しい。そして、そこには聴こえない人だけが住む。島の人みんなが聴こえなければ、コミュニケーションはもっとスムーズになる。その島ではお医者さんも、学校の先生も、警察官もみんな聴こえない人がやる。 もし、島に聴こえる人がやって来たら、僕は尋ねてやりたい。 「あなたは手話ができますか?」、と。 …普通の人、聴こえる人にとってはスポーツはレジャーだと思う。でも、僕達にとっては常に乗り越えなければならない壁がある。 僕達にとっては、レジャーじゃなくて、チャレンジなんだ。チャレンジだからこそ、成し遂げた時の喜びは大きいんだ。
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