えー、実家に帰省すると日記に書き残して、もう1ヶ月以上が経ちます。 まだ、実家におります。
実は、帰省して数日後の7/12だったかな。 今まで、IT講座やら、先のことやらいろいろ考えていて、静養に実家に帰省したのですが、ほっとしてしまったのか、頭が真っ白状態になり・・・。 死んでやる!という強い気持ちは無かったのですが、気がつけば、薬をプチプチと、目の前に広げていました。
心療内科に通院して、約4年で溜まった薬が約3千錠くらい。 古い眠剤を中心に2千錠ほど、用意しました。 あとは、ザクザク飲む込んで、横にいた、おかめいんこに「おやすみ」と言って、眠りました。
その後の記憶は断片的で、後で聞いた話ですが、 母はいつもと様子が違うことに気付き、 福岡の罹りつけの医師電話で相談したらしいのですが、 「そのまま、眠らせてあげてください」 と、言ったそうです。 それでも母は、「いつもと違うんです!」と食い下がったらしく、 そうすると、「朝まで様子を見て、目覚めなければ、救急で連れて行ってください」と、言ったそうです。 医師の言うとおりに様子を見ていたそうですが、夜中に私に触れた時、硬直が始まっていたらしく、すぐに救急車を呼び、佐世保にある救急病院に運ばれました。 4年通った医師の態度に、母は、物凄く怒り心頭。 すぐに救急車呼べば、胃洗浄で済んだのに・・・と、自分を責めているので、 本当に申し訳ないです。
最初の二日間は意識不明状態。 で、意識が戻って、私は微かにだけど、部屋で大暴れしたのを記憶しています。 「家に帰るんだー!」 「出せ!このやろー!」 とか、叫び暴れて、5人がかりでも押さえ切れなかったらしいです。 で、面倒見切れないということで、実家から離れた、別の病院に転院。 そこでも見れないとのことで、国立医療センターに救急車で転院。 この頃から、微かに記憶が残っています。 すぐにICUに入りました。 幻覚を沢山見て、最初は水も飲ませてもらえず、無意識に歩くので、 腕も縛られました。
4,5日経って、ようやく落ち着いた時、脚の怪我に気付きました。 様子を見てくださいと言われていたので、12時間くらい、寝たままの状態でいた為、右脚を下にして、ずっと圧迫していたので、血が溜まって、大きく腫れてしまい、ふくらはぎの筋が麻痺してしまったのです。 一時は、切断・・・とまで、宣告されたそうです。
ICUを出てからは、1日リカバリー室に居て、次の日、精神科病棟に移りました。 右のふくらはぎは、大きく腫れていて、激痛との闘い。 それと、薬の飲み過ぎで、今度は、一切飲まなくなったので、その差で、 身体に禁断症状が出て、全身痙攣と、精神的苦痛の日々。 自業自得なので、どうしようもないのですが。
やっと、最低限の薬を処方してもらい、精神は少し安定しました。 脚は、腫れが少しずつ引いてはゆきましたが、足首が上に上がらず、 指も動かない状態。 リハビリが開始され、電気治療と、歩行訓練から始まりました。 その病院も8/2に出ることになり、実家近くのリハビリの出来る病院に、 そのまま転院しました。
今度は、リハビリがメイン。今度は、マッサージ付きです。 病室は6人部屋で、めちゃ狭かったです。 しかも、ご老人ばかり。 医療センターに居た頃は、若い人と同じ部屋だったし、屋上に行って、 優しい、おじさんたちとワイワイ話しながら、楽しかった。 どうも、私はおじさんと話す方が、盛り上がるようです。
両親の仕事の都合で、結局3週間入院して、8/22に退院しました。
脚は、完全に治るとは言われませんでした。 そして、神経なので時間もかかると。 でも、現在、全然動かなかった足の先が少しですが、動くようになりました。 ゆっくり時間との闘いなんだと思います。
本当なら、フットケアの学校に通っている筈だっただろうに。 自分でも、なんでかなあ・・・な状態です。
両親は、もう私を独りに出来ないと言っているので、同居になりそうです。 福岡、大好きなので、離れたくないけど、こんな状態では我侭言えないし。
でも、前向きに考えるように心がけてます。 せっかく、こうやって、存在してるから。 まだ、生きろ!って、ことなんだと思って、がむしゃらに行くしかないかな。
いんこ軍団は、元気です。 母が面倒見てくれて、ほんとに感謝しました。 今では、父が教えた「なんばしよっと」をたまちゃんがとき〜たま喋ります。 もかちゃんは、卵を産みました。 私がいない間に、成長しています。
掲示板の返事が遅れたこと、本当に、ごめんなさい。 しばらくは、PCが手元に無いので、遅れがちになりますが、 これからもよろしくお願いします。 ほんとに、ご心配をおかけしました。
リハビリ頑張ります。
|