於徒楽的日記(OFF生活編)
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うちの家族で喫煙するのは父だけである。父の母(故人)も、喫煙していた。 タバコを切らしたときは落ち着かないようで、気がつくと居なくなり、 どこへ行ったかなと思い巡らしているといつの間にかドアが開きタバコを手に帰ってくる。 以下は伝聞ながら、とある友人の発言・行動。 タバコ代が欲しい、と喫煙者Aが友人Bにねだる。 Bはまず、新しい500円玉を差し出した。 それを見たA、自動販売機ですぐ買いに行きたい、と駄々をこねる。 仕方なくB、250円を渡す。 Aは嬉々としてそのカネで自動販売機へ向かった。 500円をもらう方が、結局は2個分買えるから得だと思われるがその喫煙者Aは 損得よりも即応を選択した、ということか。またねだればもらえる、との甘えか。
禁煙マラソン、というものがあるらしい。 インターネットの掲示板かメイリングリストか、とにかくPCを使っての サークルの一種とのこと。 同じような立場で、止めてから何日目、如何にして誘惑を断ち切るか、励ましあう。 それでも脱落者は居るし、これで何とか禁煙に至る者も居る由。 確固たる意志を守り貫くことの難しさ、か。
2001年01月25日(木) |
睡眠口座を「起こす」方法 |
たった53円しか残高のなかった口座を解約ために、 何枚届出の書類を書いたか。 まず、転居のため住所変更の届出。 通帳紛失、印鑑改印の届出。 解約のための届出。 睡眠口座だったため、印鑑票の作成・届出。 この届出に対し、回答書が送付される。 「回答書に署名捺印して再度ご来店を」やて。 さらに、於徒楽はココで新たに口座を開くため、通常どおり 「ご新規」の届出。 ココみんな、住所氏名生年月日(本人証明・前住居の証明)を記入、取引印の押印。 決まりやけど同じこと書かなきゃいけないのは面倒くさいワイ。 小1時間、金融機関に張りつけやったし。
2001年01月19日(金) |
「睡眠口座って知ってるか?」 |
これはとある芝居の台詞であった。 10年ぐらい預貯金の取引がない口座のことを俗にそう呼ぶらしい。 昔口座を作った憶えがある支店へ行ってみた。ダメもとで訊いてみた。 引越しする前に作っていた口座なので、復活させようにも解約するしかない。 解約手続きは色々と手間がかかる。 まずは住所変更が必要。そしてそのときの通帳は紛失している。 取引印も変更しなければならない。 住所変更のための証明がこれまた必要とのこと。 「役所で住民票をもらってください」やて。 ひとつ賢くなったわい。
2001年01月15日(月) |
都道府県対抗女子駅伝を観る(onTV) |
今年も京都で開催された都道府県対抗女子駅伝をTVで観た。 兵庫が初優勝、2位が千葉、3位が京都。 中学生の走った区で兵庫危うしと思われたが、アンカーの10キロで引き離す。 コメントはもちろん金メダリストの高橋尚子さん。 実は於徒楽と同年代らしい。 いつも観て思うのだが、京都の観光誘致はもちろんながら、 この駅伝が金メダルを呼ぶ底力となっているんだろう。 何がすごいかというと、9区に分かれていて、 中学生枠・高校生枠・一般枠というルールが存在しているところ。 強化体制がとれているところと、有力チームがないところではレベル格差が生じるため、 「ふるさと出場」というルールで有名選手の誘致合戦がある。 今年は大寒波の影響で、気温も上がらず風雪の中を走らなければならなかった由。 南国の選手が雪の中を走るなんて信じられないとこぼしたらしいが、確かにそうじゃろ。 また、京都は盆地で、しかも北行きは上り、南行きは下りの坂。 道は碁盤の目になっているためほぼ真っ直ぐで、直角に曲がることが多い。 全国の皆さん、一度来てみておくんなましや。
先日、ビリヤードなるものを体験。 玩具のミニチュアは昔やってみたことがあるが、本物は20世紀に触ることがなかった。 ルールも全く知らない状態で、若い数字のボールから当てていくとか、狙い目とか 周りの人に手ほどきを受けて、お膳立ていただいて、なんとなく巧くなった気分。 まずはナインボール形式から習得ですな。
2001年01月06日(土) |
公現日(エピファニー)に寄せて |
本日1月6日はローマから見て東方にあるキリスト教会派の一部で、 クリスマスの祝日と位置付けているところがある。 これはイエスの誕生から12日後という意味を持っている。 流れ星を見つけた3人の博士がイエスの元にたどり着き、 生まれたことを見届け、その後再びオリエントの王に知らせるため移動し、 公に誕生の事実が明らかになったこの日を祝うのだが、 新年の前後6日間を特別とすることにまた意義を見出したくなる。 仏教の除夜の鐘のようなセレモニーの匂いがする。 もっというと、12という数字にこだわる文化の匂いもする。 だからといって日本では特に行事らしきものは伝えられていない。 2001年、新しい時代の幕開けに寄せて、 於徒楽だけでもエピファニーのことに触れておきたい。
2001年01月04日(木) |
年末年始 貧乏暇なし(1月3日所感) |
高校時代から、於徒楽は年賀状の仕分けバイトをさせていただいた。 これは大学に入ってからもしばらく続いたので、 バブル期の約5年間は郵便局で過ごした。 そして、大学卒業後、職が定着していないのだが、 基本的にサービス業関係だったため、やはり年末年始は 家庭より職場に居ることの方が多かった。 今度は久し振りの連休。お蔭でもてあまし気味である。 でも、こうやってあながち無駄でもない時間を過ごすことが出来ていると思う。 新世紀最初の夕食は知人宅で家族ぐるみ。 ゲームセンターで観たことのあるテレビ体感ゲームもプレイ。 次の夕食はこれまた自宅では食べなかった。なんでや?? でもま、ノーコメント。 3日目にして、自宅で家族揃っての夕食となった。 初詣は石清水八幡宮。エジソンのフィラメントゆかりの土地である。 何年ぶりかで行きやした。午前中に行って正解。ケーブルカーも待たずに乗れた。
2001年01月03日(水) |
20世紀の大晦日 ベートーベン「第九」を歌う |
2000年12月31日23時00分頃から、いよいよ本番が始まった。 だが、出演はこの約30分前からであった。 鞍馬の火祭というプログラムの間に合唱隊が整列して 「サイレヤ、サイリョウ」 これを手拍子と共に掛け声する。 併せて、和太鼓の打演隊が強弱緩急織り交ぜての共演。 盛り上げに一役買ったものの、長すぎたにゃ。
上手から、ソプラノ、テノール、バス、アルトの順に並ぶ。 服装は自由だったので思い切った衣装も若干。 お腹が苦しくなるため普通振袖を着て歌わないのに重ね着できるからだろうか。 於徒楽はごく普通に、ハーフコートとマフラー姿。 後日録画したものを観ると、ごま粒程度で映っていた! のを発見。 やたら頭の動くヤツでした(へらへら)。
歌い終わったあと、メインイベントである火の合成、採火、カウントダウン こういうものには役得により客席ではなくステージ前で参加できた。 とにかく興奮状態が治まらない。 今後はできれば屋内で歌いたいものである。
参考までに、京都市の公式WEBページが消える前に残しておきたいTXTを。
市民約500名による「京都21・市民第九合唱」 日時 12月31日 午後11:00 〜 午後11:30
場所 市役所前ステージ
出演者 合唱指揮 葛西 進 (京都市立音楽高等学校教諭)
参考 コンサートホールでの佐渡裕指揮京都市交響楽団の「第九」の演奏を大型スクリーンに中継
<完>
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