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2005年12月31日(土) かすみゆく日々:一年の暮れ方


NYから、Tokyoへ。
今年一年間を総括するのは容易い。けれど、この一年に得られた経験、知り合った素晴らしい人々をまとめることなどできるはずもない。

さらに前へ進んでみることにする。泥濘に足を取られないように。

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皆さん、今年一年ありがとうございました。
お世話になった方々、このwebsiteを通じて交流させていただいた方々、訪問していただいた方々、皆様に心から感謝したいと思います。

サイトの更新は滞ってしまいましたが、のんびりやっていくつもりでおりますので、適当にのぞいて見てください。

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2005年12月25日(日) かすみゆく日々:HDD換装


ノートPC(Let's Note CF-T2)が不調。
HDDから異音。カーネルにエラーが発生し、ブルースクリーンが連続して現れる。
このシリーズを使い続けているが、HDDの耐久性がやや弱いのは共通している気がする。持ち運びが多いために壊れやすいのは仕方がないことかもしれない。

このシリーズの最新機種のスペックをチェックするが、わずかなグレードアップしかないようだ。反対に、重量の点ではT2より重くなっているし、現在使っている交換用バッテリが使えない。

HDD換装を決意。

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新宿のビックカメラへ。
脇目もくれず、一直線にPCパーツ・自作コーナーへ向かう。
品定め。データシートでPinのアロケーションを確認済みのHDDの中から、5V駆動型の5400回転・流動軸受のHDDを探す。結局、バルクで約15,000円のHitachi Global Storage社製、HTS541080G9AT00を購入。バルクのHDDが陳列されているガラスケースに張り付いて品定めをする姿は、まさしくgeekである。

ほかに、HDDケースは必須。HD革命Copy Driveがあったので吟味。環境を完全に移行するためには、この種のソフトが必要だが、現在持っている同種のソフトは使い勝手が良くないので、探していた。比較の上、購入(結果として正解だったが、パーティションソフト同梱タイプを選ぶべきだったかも)。

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帰宅し、環境を整える。CF-T2のHDD換装に関する情報収集。ネット上には、ほとんどなし。当該HDDの換装の実績は見つからなかったものの、別のHDDの換装記録を頼りに手探りで術式開始することに。

深夜、作業開始。

幸運にも、データ移行が終了するまでは、HDDは生きていてくれた。新HDDへのデータ移行成功。しかし、隠しパーティションエリアがHPAで保護されているようだ。この部分は結局諦める。リカバリしなければならない場合が面倒であるが、救命が優先だ。

電源とバッテリを外し、裏面のネジというネジを外す。一番手前の一列のネジが硬くて開かない。たしかT1をバラシたときも同じ経験がある。ひょっとすると、特殊なネジ止めを施しているのかもしれない。HDDに近い、もっとも肝心な部分であるだけに、力を入れて何度も粘り強く試す。最後には、ネジ山が崩れてしまい、いくら精密ドライバを揮っても動かないという最悪の事態になってしまった。

仕方なく、別の方法を試す。奥から手前に向け、キーボードを取り外し、スピーカにつながるコードのジャックを丁寧外す。キーボードのフィルムコードの爪を外側から外し、傾けて優雅に引き出す。そこからは少々強引だが、筐体がたわむのを委細かまわず、割れない限度ぎりぎりまでこじ開け、HDDを引き出す。フィルムコードを外す。Matsushita製のHDDを覆っている黒いプラスティックシートを取り去り、クッションとなっている黒くて細長いウレタンをそっとつまみ上げる。ゆっくりとHDDをジャックから外す。筐体の一部がピシと音を立てて割れるが許容範囲内。

ここで、新しいHDDのピンのうち、3.3Vのロジックへの電源供給ピンである41pinと、そもそも穴が存在しない44pinを折る。さすがに失敗するとまずいので、HDDケースにて一応動作確認。5Vの駆動系への電源供給pinから、ロジックへの連動がなされているため、これで動作するはずだ。逆に、これを行っておかないと、3.3V駆動型2.5インチHDDを仕様としているCF-T2の場合には、いずれショートして電源落ちを招くことになる。Pinのアロケーション等についてはここでチェック

旧HDDの代わりに新HDDを同様に包み、フィルムコードの先のジャックに装着する。元のとおりに安置する。ネジが外れなかったことから、強引な姿勢で何とか設置仕様と試みる。フィルムコードの装着口のプラスティック・ジャックが上手く外せず、苦闘することしばし。ようやくある程度まで装着できたと見て、そのまま元の状態へと戻す。キーボードを元のとおりにし、所定のネジ穴にネジを固定する。ネジ穴の位置は、よく記憶しておかなければならない。ここにはダミーのネジ穴が、まるできつね狩りの意地悪な罠のように散在しているのだ。

さて、外見だけは元通りになり、バッテリを装着。逸る気持ちを抑え、電源を入れる。画面は真っ暗なまま、Operating System cannot be found.の文字列が。

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そこで、再び丁寧にネジを外してバラし、HDDの在り処までたどり着く。この時点で、既に午後11時30分。世間では、そろそろトナカイの鈴の音が聞こえてもいい頃だ。HDDに繋がるプラスティック・ジャックの爪を丁寧に外し、斜めに立てる。フィルムコードをゆっくりと押し込み、ジャックを元の方向におし戻す。かちりと言って上手く装着できたことを確認して、HDDを再び所定の場所へ安置し、ぐらつきがないことを確認してから、ネジをキリキロキリキロと締める。

外見だけは再びもとどおり。焦りは禁物。安定した場所に置き、ACアダプタにつなぎ、電源を入れる。

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全く何事もなかったように、以前と変わらない壁紙が現れ、寸分たがわぬ位置にデスクトップ上のフォルダが現れる。成功である。

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反応が早くなったこと、40Gから80Gへの増設、データのスムーズな移行、流体軸受けの効果か静音化できたこと、これだけのメリットがありながら、〆て20,000円である。素晴らしい。さらに、余勢を駆って、Feature Toolを導入。Quiet Modeにする。この効果は特筆ものであった。HDDのカリカリ音がほとんど聞こえない。ここに、完全静音化ファンレス80G流体軸受装備実働6時間連続使用可モバイルノートが出来上がった。

動作に不安が全くないことを確認したのち、パーティションを切りなおす。フォーマットを待つ間、従姉妹がロンドン留学の際に買ってきたお茶を飲む。さても静かな、夕べかな。

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2005年12月05日(月) 書評:カート・ヴォネガット「猫のゆりかご」


「猫のゆりかご」(Cat's Cradle)とは何であろうか。このタイトルでピンと来る人は少ないに違いない。それは英語圏では、「あやとり」を意味する。なるほど、ハンモックのような紐の形は、子猫がすやすやと眠るのに適していそうでもある。

この小説の中には「架空」の「偽宗教」が登場する。あえて括弧でくくったのは、この宗教が二重の意味で捏造であるからだ。ボコノン教というその偽宗教は、カリブ海に浮かぶ架空の島で、貧困にあえぐ人々を救うために捏造されたという設定だ。辛く厳しい現実を、嘘で塗り固めて見せないように仕向ければ、人々は幸せに違いないとのコンセプトでその宗教は作られている。そして、常に書き足し続けられる経典の中で、全ては嘘っぱちであることを教祖自身が宣言している。島の支配者である大統領に、ボコノン教を弾圧させ、信者を死刑にすると宣言させ、自分の首に賞金をかけさせるという念の入れようである。その理由が、その方が宗教らしいからというのだから恐れ入る。

主人公は、ドキュメンタリーのライターである。広島に落とした「原爆の父」である科学者を追い、原爆が落とされた当時、その科学者が何をしていたのかを知ろうとして奇妙で長い旅に巻き込まれていく。そして、その科学者の子供の、小人のニュートから、父親が何をしていたか聞きだすことに成功する。それがタイトルの「猫のゆりかご」である。世界の裏側で何人もの人間が原子の熱で蒸発していたときに、彼は、それをしていたのだ。

そして、その遍歴で彼は自分自身の属する「カラース」に次々に遭遇し、ときには「グランファルーン」に巻き込まれて閉口しながらも、やむにやまれぬ事情によって核心へと迫っていく。むろん、そこには核心などあろうはずもなく、環礁の中心のように空虚である。「全部嘘(フォーマ)だ」というコンセプトがじわじわと効いてくる。そこにあるのは、ただ、世界とは隔絶された場所の、しかし世界全体への脅威となりうる兵器を持つものが三人揃う小さな南の島を巡る悲喜劇である。そしてやがて、主人公はボコノン教に自分が既に入信していることを知らされる。挙句の果てにその島の大統領に指名され、あや取りの紐が円環の中で無数の組み合わせを作り出すように、物事の連鎖と連鎖の末、「世界の終わり」への道が開けてくる。

この小説以後、ヴォネガットはSF作家ではなく、文学の徒であるとの認識が一般的となった。「猫のゆりかご」がマニアックで熱心な読者層を獲得した理由は、このストーリーそのものの魅力ではなく、おそらく、ボコノン教の魅力である。ストーリーの合間に語られるその教えは、実に人を食ったもので、それでいてクールである。そのすっとぼけた珍妙な教えの数々が散りばめられたこの小説を読み終わるころには、あなたも紛れもない一人前のボコノン教信者になっていることだろう。請け合ってもいい。

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2005年12月04日(日) 書評:ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」


99年デビューの新人ジュンパ・ラヒリは、今ニューヨークでもっとも注目される女性作家の一人だ。それは、若く美貌の作家であるというだけではなく、若くして「病気の通訳」でオー・ヘンリー賞を、同作を含む短編集「停電の夜に」でPEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞そして2000年には新人作家としてピュリツァー賞を受賞するという華やかな経歴のためでもある。

その名前からも推測できるように、ラヒリのルーツはインドである。インド系ベンガル人の移民である彼女は、幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育った。彼女の短編のいずれにも、自らのよりどころとする文化が色濃く刻まれている。

この短篇集に収められている中からいくつか取り上げると、移民してアメリカナイズされたインド人家族をタクシードライバーがインド奥地の遺跡に案内する「病気の通訳」、インドに望郷の念を抱く女性にベビーシッターに預けられる少年の視点を描いた「セン婦人の家」、そして冷え切って遠慮がちなインド系アメリカ人夫婦が自分の秘密を5日連続の停電の夜に打ち明けあう、表題作「停電の夜に」など、それは自らの出自とアメリカという国の接点を繊細に緻密に描いているものばかりである。

ガルシア・マルケスなどに通じるマジックリアリズムの匂いも濃厚に感じ取ることができる。生まれてこの方ずっと病気で、ありとあらゆる医者・薬師・呪術師・宗教家に言われたとおりの治療法を試したが全く効果がなかった女性が、あることを境に突然治癒するという「ビビ・ハルダーの治療」など、その典型であろう。最新式の流し台をすえつけたことでアパートの共同体にひびが入り、その結果、共同体の中でもっとも弱き者であった門番が追放されるという筋書きなどは、「百年の孤独」のエピソードを思わせるところがある。

彼女の筆致は、時折凄みを感じさせるほど上手い。文章の巧みさはあらためて指摘するまでもない。心理描写を過剰に行わず、行為そのものに語らせるのが上手いのだ。本筋に関係のない心理描写はもちろんそのまま書くのだが、ポイントになる部分は決して地の文では触れない。この文章作法は基本的なことではあり、大学の創作課程のではおそらく一番最初に教えられる種類のことだと思うが、熟達した作家でもなかなかうまくいかないものだ。また、彼女は、文章を削る作業を徹底して行っていると思われる。おそらく。それほどにまで、無駄な文がない。書き過ぎの文は、たったワンフレーズであれ、時として作品全体を壊すことがあるが、この短編集に収められた短編には、それがほとんどない。

また、これは全体としていえることであるが、短編の構成が骨太である。短編であることに堕していないというべきか、あるいは短編ならではというべきか。

唯一懸念があるとすれば、インドと米国の文化の違い、あるいはもっというならばポストコロニアリズムに根ざした彼女の武器は、時として弱点にもなるということであろう。このまま書き続けていけるのかという心配を人事ながらしてしまう。しかし、この短編集からは、そういった弱点の気配は微塵も感じさせない。

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2005年12月03日(土) かすみゆく日々:まどろみから醒めて、再開

事象はただ過ぎ去るのみ。
ほんの少し、余裕が持てるようになって、再開することにした。

とりあえずは、最近書き溜めていたものを小出しにしていく予定。

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