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2004年09月30日(木) NYの街角:Walking to the Sky@ロックフェラーセンター


Walking to the Sky

ロックフェラーセンターに最近登場したオブジェ。


Johnathan Brofsky氏によるWalking to the Skyというインスタレーション。彼のwebsiteも面白いので是非。

通る人は物珍しそうに上を見上げている。なかなか壮観。

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2004年09月29日(水) 書評:川上弘美「蛇を踏む」(1996年上半期芥川賞受賞作)


川上弘美の作品を読んでいると、自我と外界を隔てる薄い膜が溶かされていくような気がしてくる。これは、「溺レる」やその他の作品でも同じであるが、特に「蛇を踏む」では、余計にその側面が強調されている。向こう側とこちら側、善と悪、生と死といった二項対立の構図は、彼女の作品の中では心地よくほどけ、溶かされ、いっしょくたになって濃厚で甘いスープになってしまう。その誘いに身を委ねることができたならどれほどの快楽を味わえるだろうか。

ストーリーはシンプルである。道に落ちている蛇を踏んでしまった主人公。踏んでも踏んでも踏み切れない感じがする。蛇は「踏まれてしまったから仕方ありませんね」と言って去っていくが、家に帰ると母親のような女性が部屋にいる。そして憑かれる日々が始まる。蛇の誘惑は徐々に執拗になっていく。

泉鏡花の「草迷宮」を意識していると思われるところはいくつかある。異界との接点に意図せずに触れてしまうことから始まる点、奇妙な出来事が連続し、それに抗おうとする主人公(実のところ抗っているとはいえないのだが)。物語の構造は、一種典型的な巻き込まれ型である。

しかし、より根源的な部分で物事を曖昧にしてしまう川上弘美の作品は、そういった構造を問うことすらも無意味にしてしまう。向こう側からの誘惑があるから惹かれるのか、主人公の内部でそういった傾向があるから誘惑されるのか、それすらも考えることを止めてしまいたくなる。無性に眠いその筆致は、まどろみのなかの思考停止への誘いに良く似ている。その違いを女性という性に求めてしまうのはたやすいが、そればかりではあるまい。彼女の文章の端々から見える仕掛けの数々はかなりの割合でちゃんと機能しているし、恐ろしく計算されている。書くものの立場から言うと、あんな文章は普通書けないと思う。実に恐ろしい作品と言える。個人的には「溺レる」の方に軍配を上げたいが、それでも良作であることは否定できない。

そういえば、僕も幼いころに、白い蛇を踏んでしまったことがある。その蛇は可愛らしくも赤い舌をちろちろと出しながら怒って逃げていった。その後、その蛇に追いかけられて追い詰められたところまで覚えている。これは夢の中の話であるが、今も時折その蛇に追われている気がする。
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2004年09月27日(月) NYの街角:別荘への招待



現在の職場のパートナー(経営側弁護士)の一人、C氏のcountry houseに招待を受けた。 日曜日、Avisで車を借りて、同じく招待を受けた同期の研修仲間と一緒に出かけた。運転は久しぶり。

場所は、マンハッタンから西の方向に2時間ほどのPennsylvania州内である。C氏の別荘のある地域は、ゲートで区切られていて、訪問する者は全てセキュリティのチェックを受けなければならない。しばらく車を走らせる。コミュニティ内は、森と湖のある別荘地になっている。紅葉が美しい。

ようやく目指すC氏のcountry houseへ。scoutとscooterという兄妹の犬がお出迎え。結構大きい湖のほとりに面している。驚くべきことに、ここはほぼC氏のプライベートビーチになっている。プライベート・レイクショアとでもいうのか。ペタンクやホース・シュー・ゲームができるyardも二つあり、釣りができる小屋があり、サッカーができるほどの広い庭があり。湖の向こう岸の紅葉が湖面に反射して美しい。

彼の家族は、週末はここで過ごすが、もちろんマンハッタンにも住居があるそうだ。何とも優雅な話ではないか。人生の余裕のレベルが違うことを思い知る。



サッカーをして疲れるとビールとワイン。ビールはPennsylvaniaの名産、イェーグリング・ラガー。ワインは、同僚のJuanのチョイスによるものだが、私の持って行ったLenzのワインもある。秋の日曜の午後は過ぎてゆく。

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2004年09月21日(火) NYの街角:りんご登場


45&3rd付近


Briant Park近辺


38th&Lex

最近、どうしたわけか、NYCの街に「りんご」が増えている。
ビッグ・アップルと呼ばれるNYCにちなんで芸術家たちが同じ大きさの林檎の模型を、色彩豊かに、ユーモアを持って飾っているのだ。

カメラ片手に街歩きしての林檎拾いも楽しい。

20040107追記:この林檎出現は、Big Apple Festによるもの。
http://www.bigapplefest.org/index.php

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2004年09月19日(日) NYの街角:ゴスペルを聴きに


George Washington Bridgeの夕景

昨夜は、同期の弁護士宅でホーム・ウォーミング・パーティ。パーティに来ていた数名と、翌朝ゴスペルを聴きにハーレムの教会に行くことを約束。

朝目が覚めると、素晴らしい青空。しかし気温は8度Cと表示されている。NYはすっかり秋だ。


Harlemの交差点

The Greater Refugee Templeの中は、ほとんど黒人ばかり。入るとほぼ満席である。preacherはまるでTVのエヴェンジェリストのように熱弁を振るっている。客席からJesus!とかHallelujah!とか合いの手が入る。今日のテーマはsacrificeらしい。sacrificeは偉大な人間であるための対価だとか、あなたがすべきこと、それは隣人に対するsacrificeだ、などと自己犠牲の重要性を説いたかと思うと、いつしか説教がリズムに乗り始める。ステージの脇に控えていたキーボードの若者がそれに和する。それがそのうち即興の歌になり、立ち上がって声を上げる人も出てくる。隣で大人しく説教に聞き入っていた細身の黒人の老人が熱狂して叫び始める。

残念ながら今日はゴスペルは聴けなかったが、貴重な体験だった。


スパニッシュ・ハーレムのグラフィティ

その後、スパニッシュハーレムに行き、Patsy's Pizzeriaでピザを食す。


友人の運転する車でMitsuwaまでドライブしたり。充実した秋の休日。
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2004年09月17日(金) NYの街角:McSorley'sふたたび


McSoley's店内

また性懲りもなく。McSorley's Old Ale House。友人と。


McSoley'sの外。

その後、Chikaliciousへ行ったり。NYの歴史のあるBarをpinhole cameraで撮影した絵葉書を購入する。これによると、McSorley'sよりもさらに歴史を遡ることができるbarが、NYにはいくつも存在するらしい。

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2004年09月15日(水) NYの街角:路上のアーティスト/勤務開始


製作中のJim Power氏

NYCのイーストヴィレッジに、名物の街角アーティストがいる。
よく信号のポールがモザイクで彩られているのを見かけていたので、それは知っていた。

今日、事務所での勤務を終えてLagavulin 16yearsを買いにAstor Placeのリカーショップに行く途中、彼の仕事振りを目撃した。街を行く人も、時折足を止めて彼を見ている。迷わずシャッターを切る。


彼の作品はこんな感じ。

こちらのTilework by Jim Powerや、Eastvillage.comでも彼を見ることができる。なお、彼はNY市当局にも許可を取ってこの製作を行っているとのこと。路上でのアート、パフォーマンスも無許可だとチケットを切られてしまうから、当然といえば当然なのだが。日本では、こんなことはないだろうなあ。

***

NYの事務所での勤務を開始してしばらくになるが、システム周りや事務所の運営の仕方などが興味深い。1年間の予定より早く切り上げて帰国しなければならない可能性が出てきた。
早ければ、来年一月には帰国の途に就かねばならない。私の専門分野での経験を積むためには不可欠ではあるし、留学前から考えていたポストなので、喜ばしいことではある。ただ、NYの生活も慣れ、満喫し始めたのにあまり時間が残されていないのが残念だ。

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2004年09月11日(土) NYの街角:アートの現場/Uncle Bob氏/CAVEのイベント


CAVE

CAVEでイベントがあった。このギャラリーは、友人に紹介してもらったスタジオ兼ギャラリーである。この冬に彫刻家の友人、絹谷幸太がブラジルからNYに来たときにも訪問した。若手の真摯な芸術家が集まっている。

今日は例の友人と、Uncle Bobという切り絵アーティストと一緒にウィリアムスバーグの画廊を見て回る。彼の作品の実演とプロモーションも兼ねている。彼は、Daily Cuttingと称して、毎日即興で切り絵を作っている。ひとつの作品に掛ける時間はわずか2分くらい。そして、その切り絵を切った現場写真とともに写真に残している。切り絵を始めて、もう7年くらいになるという。


Priska C. Juschka Fine Artにて実演

キャラクタリズムとアートの可能性、作り手側からの心理など興味深い話をしながらギャラリーを巡る。Lunar Base Galleryでも実演する。オーナーのYuko Wylieさんと日本におけるアートファンドの可能性について立ち話。彼女は、キャラクタリズム展というコンテストを主催したり、キャラクタリズムの観点から、魅力的な日本作家の作品をプロモートしている方で、ご自身も美しい方である。


その後、日も暮れて、CAVEへ。フラニーとゾーイーという名の猫がお出迎え。もちろん、サリンジャーにちなんだ名前だ。


Dinh Cong Dat氏の作品
ベトナム人アーティストのDatは、ここのアーティスト招聘プログラム第一号だ。彼の作品は、かなり面白い。ちなみに背景の11211という番号は、彼の軍隊での識別番号であると同時に、CAVEのある場所のZip Codeでもある由。


その後、Naoki Iwakawaさんによるアクションペインティングの実演。ギターの即興演奏と映像、そしてアクションペインティングのコラボレーション。最後は顔をペイント皿に突っ込んでキャンバスに倒れこむ。迫力満点で声も出ない。

帰りがけにBrooklyn Bridgeの袂のイーストリバー沿いから、天に向かって伸びる二本の光線を見る。World Trade Centerの追悼のための、哀しげな光線。Uncle Bob氏はここでも暗闇の中、ペンライトを咥えながらカッティングをしていた。

その後、抽象表現主義の画家がかつて根城にしていたCIDAR BARで飲み、Uncle Bob氏と友人とで馬鹿話に興じる。夏休みの最後の休日に相応しい週末の一日。

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2004年09月10日(金) NYの街角:グッゲンハイム美術館/ブランクーシ展





アッパーイースト(88th & Park Ave)のグッゲンハイム美術館に行く。フランク・ロイド・ライトのカタツムリ形の建築で有名な美術館。実ははじめて訪れる。

ブランクーシ展が目当てだ。ブランクーシは「空間の鳥」や「眠るミューズ」といった彫刻が有名な芸術家。シンプルな直線、曲線の優美な名作が多い。美術館の円形の回廊とよくマッチしている。

堪能して、余韻を引きずりながら、DTUTカフェへ。ここも前から来てみたかったカフェ。古びたソファでのんびり。Wifiも完備。近ければ通いつめるのだが。

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2004年09月05日(日) NYの街角:本屋巡りの一日


昨日は、マンハッタン最大の古本屋Strandに行くつもりが、前から気になっていた46丁目のGotham Book Martへ足が向いてしまう。

入り口のデスクの女性にかばんを預け、しばらく良書探索。実に趣のあるダークブラウンのオークの書棚に囲まれた静かな空間。ささやかだが確かな幸福感を覚える。数は少ないが品揃えは面白い。高橋源一郎の「さようならギャングたち」の英訳が置いてあった。

二階に上がろうとすると、閉鎖されている。「二階はいつ開くの?」と聞くと、「多分今月の中旬になると思います。古本を全部まとめて移転している最中なので、セレクションが終わればいい品揃えになると思いますよ」とにこやかにデスクの女性に言われる。

その後、旭屋書店へ。
松浦寿輝「あやめ 鰈 ひかがみ」を読んでいると、立て続けに知人たちに出会う。NY在住日本人の溜まり場なのだ。事実他の友人夫妻にも目撃されていたことを後で知る。

結局高橋源一郎「日本文学盛衰史」の文庫と松浦を買う。その後、友人たちとかつ濱で食事し、Midtownのテラスのあるbarで夜中まで呑む。

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2004年09月02日(木) NYの街角:ニューヨークの古本屋


セントラル・パーク・サウス:8月のある雨の日の午後

常盤新平の近刊「ニューヨークの古本屋」の話題を友人がしていたので、Midtownの旭屋書店で購入。常盤新平といえば、一時期アーウィン・ショーの翻訳を読んでいたころに、その訳者としての名前を知った。私が神楽坂に住んでからは、坂の途中の2階にある珈琲貴族という喫茶店の常連であることを知った。

「ニューヨークの古本屋」は、予期に反し、ニューヨークの古本屋を紹介するものではなく、筆者のNYの思い出をつづったエッセイである。もちろん、古本屋の思い出が中心であるが、NYの街歩きの文章として読むことが可能である。この一ヶ月歩き回ったNYの姿が見えてきて、感慨深い。

***

常盤新平は、ジョセフ・ミッチェルの「マクソーリーの素敵な酒場」の解説に十数頁を割いている。その舞台となるマクソーリーの店という古いエール・ハウス(パブ)の話に触れているところを読んでいるうち、私の頭に響くものがあった。

先日、友人たちがフィリーから私を訪ねてきた。その際に、酔いに任せて立ち寄った信じられないほど古い、頑固なエールハウスのことを思い出したのだ。

その友人は、その店のことを、単に"The ale house serves only two kinds of beers, that would be well known as the oldest public house in Manhattan."と言った。既に午後11時を回っていた。床は、歩くたびにきしみ、客の足が運んできた砂で一面覆われている。写真や絵がいたるところに貼られている。中には、伝説的な人物の写真−たとえば、大統領になる前のJFK−が署名入りで飾られている。足の踏み場もないほど混雑している。

友人のいうように、LightとDarkの二種類しかメニューがない。彼女いわく、これより美味いビールは飲んだことがないというのであるが、マグを傾けると、たしかに素晴らしい風味が広がる。そのまま飲み干して、creamyだ、とだけ言って頷いた。LightとDarkを交互に4杯立て続けに空けた、その夜のことを思い出した。

あの店の名前は何だったか。残念ながら、酔いの回ったあの夜の私の記憶を訪ねても、店の名前が立ちのぼってこない。おぼろげに覚えているのは、あの店の特徴的な緑の看板である。しかし、常盤新平のこの書籍を読みすすめるうちに、私は確信に近いものを抱くようになっていった。

今、Webで確認すると、間違いない。あの店である。
http://www.hoganstand.com/kilkenny/images/mcsorleys/bio_page/mcsorleys.html
McSorley's Old Ale House。間違いない。

まだ、「ニューヨークの古本屋」は、半分ほどしか読んでいない。明日は、Strandに立ち寄ることを口実に、街を歩くことにした。

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