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2003年04月26日(土) 書評:中村航「夏休み」(文藝賞受賞第1作)


ずいぶん久しぶりに「文藝」を手に取る。前に「文藝」を買ったのはいつだったかね、と記憶をたどる。それが学生時代であったことは確かなのだが、それ以上には思い出せない。ひょっとすると、買ってすらいないのかもしれない。永江朗氏の「TOKYO書店見シュラン」が渋谷・青山の書店を取り上げており、わずか数ページの記事だが、見るべきものはあると思ったので、贖罪のつもりで購入。

そこに、中村航氏の「夏休み」があった。

主人公夫妻と妻の友人夫妻の軽妙なふれあいを、割合に軽めの、それもエスプリの利いた(古い表現だ)タッチで描いている。主人公が仕事でマニュアルを作成した製品をめぐる小話が面白い。主人公は仕事の後にドライバーの先端を磁化するマグネタイザーという名のその製品をもらう。

「僕はそれで家中の金属を磁化してまわった。ドライバー、ヘアピン、クリップ、くぎ、画鋲、バーベキュー用の串。それらが鉄板に張り付いているのを見るのは、わけもなく楽しかった。」(文藝2003年夏号173頁)

その後、主人公はその製品を妻の友人の夫(カメラ分解マニア)にあげてしまう。

「「最初は何でも磁化してやろう、って思ってたんです。」
吉田くんはテーブルの脚あたりを眺めながらぽつぽつと語った。
「そうしたら、何というか、全部新しくなるような、生まれ変わるような気がしたんです。」
でも……。「ドライバーにクリップ、安全ピン、栓抜きにコルクスクリュー。僕に磁化できたのはそれだけでした。」(中略)
「それから……、くぎも磁化しました」
「それで全部?」
「……はい」」(同号207頁)

この一文に象徴されるように、氏の文章には、私生活から普遍へ、という目論見がある。それが、端正な文章で流れるように語られる。初期の村上春樹によく似ている。中村氏本人は、村上春樹をほとんど読んだことがないようであるが、「村上春樹に似ているが、村上春樹より嘘がうまい」と評されたことがあると語っている。

私は、その評価はある程度正しいと思う。村上春樹氏がこの路線と文体と放棄して久しいので、新たな書き手がその継承者となるのは、村上春樹氏の文体のファンのためにはよいのではないだろうか。

最近、保坂和志氏といい、この中村氏といい、ミニマルな傾向のある小説が売れているようだが、それはそれで喜ばしいことではないだろうか。これらの作品が村上春樹にいかに似ているかという議論(又は非難)は全く見当はずれである。

とりあえず、幾度かくすりとさせられながら、午後の喫茶店での数時間を読書の快楽に浸って費やすことができたことに、正当な感謝をささげなければならない。中村氏は、第39回文藝賞を「リレキショ」で獲得している。これが受賞後第1作であるとのことであり、今後に期待したい。






2003年04月25日(金) 書評:阿部和重「ニッポニア・ニッポン」


留学を控え、仕事をセーブしているので、これまで読めなかった文学作品を読みまくっている。この4年間に「読むべき本」の長大なリストが作られており、これらは日本にいるうちに読んでおかねばならない。

そのうちの一冊である。阿部和重が日本の若手の作家の中で、ある程度の位置を占めてしまっているのがなぜなのか、それがわからないので読むのだ。すでに、「インディヴィジュアル・プロジェクション」「無常の世界」など単行本になったものは読んでいる。

ストーリーは単純である。ストーカー行為がばれて引きこもり生活に入った少年が、自分にまつわる神話をでっち上げて、トキの救出/殺害を計画する物語。「ニッポニア・ニッポン」はもちろん絶滅を運命付けられたトキの学術名である。着想はいかにも陳腐であるし、それは作者によって自覚されている(はずである)。

ある計画を立案し、それを実行するという典型的なお話である。具体的な行動が記述の対象となっている点は、「インディヴィジュアル・プロジェクション」と同じである。違うのは、少なくとも最初は他者の意図する事件に巻き込まれ、それに対処して行くという体裁の巻き込まれ型小説であった「インディヴィジュアル・プロジェクション」に対し、「ニッポニア・ニッポン」では、少年自身の妄想的な計画を実行していく過程の話が対象となっており、行動を主人公が把握しているという点で分岐型小説であるということであろう。

小森陽一氏は、前者のような巻き込まれ型小説を泉鏡花の「草迷宮」になぞらえて「迷宮型」、後者のような分岐型小説を夏目漱石の「それから」になぞらえて「迷路型」と呼んだ。この分類が有効かどうかはわからないが、とりあえずの分類にはなる。

肝心の評価であるが、小粒であるという印象が拭えない。視点を少年の立場から、最後に別の立場に移す試みも、効果がまったく不明であるという点で、失敗に終わっている。とりあえず視点を切り替えてみないと、つまらないということに気づいたのかもしれない。あまり大きな構想で組み立てられた作品ではないことは断言できる。阿部氏にしては、やや安直に書いてしまったのかもしれない。

数時間の読書の快楽はあったので悪くはないが、だから何?といわれてしまうと次の句が告げなくなるようなタイプの小説である。「インディヴィジュアル・プロジェクション」でのチリチリした焦燥感が良かっただけに、ちょっと残念であった。







2003年04月20日(日) 西麻布 La Réserve


少々前のことになるが、記憶に新しいうちに書き留めておく。

その日は早めに仕事を切り上げ、修習生との会食で西麻布のレストラン"La Réserve"へ。秘書のチョイスなので、私は、そこがヒラマツ系のレストランであるというほか、まったく前提知識のないまま着席することとなった。

一つしかないというコースの料理が順に運ばれてくる。フォアグラのシャーベットという、メニューの字面からは想像もつかない前菜から始まり、馴染みの素材が考えたこともなかった方法で調理されている。そのいずれも創意工夫が施されている。中でも、軽く火を通したサーモンに各種の香草や柑橘類を取り混ぜて細かく刻んだものを乗せ、上から熱いスープをかけるという料理は、スープが注がれた瞬間に広がる香りの渦が絶妙で、強く印象に残った。(後で聞くと、「サーモンのミ・キュイ 香りのアルペジオ」という名前がついているとのこと。)サーモンの身がやわらかく、甘い。そのほかの料理も野菜を中心とした構成で、素直に胃に染み透る。久しぶりに、美味しいという言葉が口をついて出る。

個室のテーブルについた従業員が、押し付けがましくない配慮をしつつ、色々解説してくれた。知ったかぶりの会話(所詮、底が浅いのでスノッブにもなれないのである)をし、行ったことのあるヒラマツ系の他のレストランの話などをする。

デザートも三品付いてコースの一部を構成しており、それだけでも私のようなデザート好きの人間にはかなり嬉しいところなのだが、これがまた凝っている。3本の短い試験管のような食器に満たされた3色の液体が出てくる。それぞれ、ポンカン、グレープフルーツ、オレンジのムースのようなものである。ムースの表面に満たされた白いクリームを頂いてから、試験管を持ってジュースのようにぐっと飲むようにと誘導される。適切な指示がなければ、どう食べたらよいのかも見当が付かない。このような食器が他の用途に用いられるとは思えないから、おそらくは特注の専用の食器なのであろうと思われる。また、広尾のCafé des Prèsで出されるのとよく似た熱々のタルトタタンが出されて、美味しく頂く。

美味しい料理を前にして、修習生との会話も弾む。その後、副支配人とシェフが出てきて挨拶される。美味しい料理に礼をいい、他の階を見せてもらう。凝った内装の最上階の席に案内してもらい、偶々携行していたデジカメで写真を撮らせてもらう。シェフ夫妻や副支配人と名刺を交換し、退去した。コースのメニューは定期的に入れ替えるそうだ。留学前にもう一度訪問したいと思わせる店だった。


"La Réserve_0304"







2003年04月19日(土) 書評:E・ホワイト「マルセル・プルースト」


エドマンド・ホワイト著「マルセル・プルースト」(田中祐介訳・岩波書店)読了。

ハーブティに浸されたマドレーヌによる記憶の奔流という、あまりに有名な場面とともに、小説の理想的完成形であるとまで評される「失われた時を求めて」(A La Recherche du Temps Perdu)の作者であるプルーストの評伝である。フランス文学に興味のある者なら誰もがその存在を知っているが、それを本当に読んだ(読み切った)者が一体何人いるのかさえも不明という途轍もない長さの小説を書いた作者である、ということのほかに、喘息を避けるための「コルク張りの部屋」や華麗な交友関係、ジッドが彼の作品を没にしたことを終生悔やんだという象徴的な事柄だけが一人歩きをする傾向がある、そして、私自身がなによりもその全巻の翻訳を有しているにも拘わらず、安易にプルーストに言及することができないでいた、というのも、私はそれらのごくごく一部を原文で読んだほか、翻訳の書籍ですら一巻を除いては軽い流し読みしかできていないという事実が良心を苦しめたからだ。

と、少々プルースト張りの文体に(悪い方向で、かつ形式的に)毒された書き方をしてしまうわけだが、もっとも手軽に「プルーストという偉大な知性」を知るためには、このエドマンド・ホワイトというゲイ・カルチャーの擁護者による評伝を読むのが良いということをまず断言してしまう。いかにして、あの特異な文体が成立しえたのか、いかにして、あのような長い小説が成立しえたのか、なぜ、語り手だけが異性愛者なのか、などの疑問はこの本によって解き明かされているといえる。

ただし、「失われた時を求めて」それ自体についての興味をお持ちの方は、先にこの本を読むべきではないと思う。というのは、プルースト自身についての知識をいかに深めても、彼の作品について何かを知ったような気になってしまうという危険、すなわち、そのテクストそのものに接近することはできないばかりか、かえって遠ざけてしまう危険があるからである。

かつて、学生時代に、「プルーストは、任意のページを開いてそのページを読むという読み方が望ましい」という趣旨のことを仰った、教授であり思想家でもある人間がいた。記憶が古いため、この発言は正確に再現できてはいないであろうが、私はこれをよりどころにしてプルーストに接してきた。まだ読まれたことがない方で、プルーストに興味をお持ちの方は、全7巻の第1巻「スワン家の方へ」を手に取り、最初の数ページと、中ほどの数ページを読むことをお勧めする。それにより、この作家の文体と永遠に訣別すべきか、人生を通して「まだ読み終わっていない」という後悔と満足という相反するが両立する感情に身を委ねるべきか、決めるべきである。それからでも、このE・ホワイトの手になる評伝を開くのは遅くない。







2003年04月16日(水) 書評:J.D.サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」


村上春樹が訳したということで話題になっているJ.D.サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」読了。村上氏にとっては、必ず訳さなければならない本であったといえるし、それを知っている氏のファンにとっては読まなくてはならない訳といえる。

日本語に訳されたものでは、野崎氏の難解な名訳が知られている。あの訳のために挫折した日本人は多かろう。私も何度か挫折した。ほかにも挫折した友人を多数知っている。今回の村上氏の訳は野崎氏の訳より、読みやすさは格段に上である。およそ意味のない語尾や話し言葉として明らかに不自然な表現に悩まされることはなくなった。訳は原文の味を損ねないぎりぎりの範囲である。

訳における村上氏の自己主張は控えめである。それはすなわち名訳に近いと言ってもよいということである。なお、期待する向きの多いと思われる訳者による解説はサリンジャーの要望により付されなかった旨、巻末に記されている。その理由は、1964年以来途絶えたサリンジャーの筆が物語っているのかもしれない。一説には隠遁者も同然の生活を送っているという彼であるが、かつてはNYの出版社に自分の作品構成に文句をつけることもあったらしい。ほとんどの作家がそうであるように自分の作品に相当の思い入れがあるのであろう。その彼が自分の作品に対し、日本の人気作家による解説を付けることを無粋なことと考えることはありそうな話である。しかし、限定版に付されている小冊子や出版社のウェブサイトで訳者解説に近いものは読むことができるようである。私はそれらを読んでいないし、また、読む気もしないが。

さて、ここまでは訳に対する論評であり、以下が内容に関する論評である。読んでいて感じたことは、きわめて私的なことであるが、このような私的経験を通じてしか論評できない未熟さをあらかじめお詫びしたい。

今回読み通してみて、その文章の過剰さに呆れた。なかば笑ってしまったほどだ。そして、呆れてしまった自分に自己嫌悪を感じた。この自己嫌悪の感情を正当化しようと試みたが、うまくいかなかった。これが素直な感想である。

ある時を境に、私は自分の文章を削るようになった。何かのできごとがあって、そのせいでそのようなことを始めたわけではない。それは、時期が来れば訪れるべきことであったと思う。それから、無駄なもの、悪影響を与える可能性のあるもの、過剰なもの、を極力排除するようになった。たとえ有益であったとしても、全体として誤解を招くような不調和な表現を削除し、何度も推敲を重ねるようになった。これは、法律家としての当然の作法であるし、小説においても明晰な文章を書くためには必須のことであった。

かつては、考えることすべてが過剰で、しかし、精彩に富んでいた。自分の見ている世界を他の人間に伝えることが非常に意味のある行為に思われた。むしろ、それは義務であるようにさえ思われた。それは若者に特有の高揚感であった。だからこそ、文章を書くことでそれらを定着させようとしたのである。よりまともな文章を目指して「削ぎ落とし」をするようになり、その技術がようやく自分の物になってきたとき気が付いたのは、もはや何一つ語るべきことはないということであった。当然のことであるから説明を省略するが、文章の書き方は、そのまま思考様式にも影響を与える。思考様式は、既に変化を終えており、あれほど語る価値のあると(無根拠に)思われた世界への感受性が鈍くなっていたのである。

つまりは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公ホールデン・コールフィールドが激しく攻撃の対象とする「インチキ」で狡猾な大人に自分もなってしまったということであろう。(ホールデンは、父親である弁護士のインチキさに対してもほとんど生理的な嫌悪感を持つ。)

1951年の発表以来、この小説が長く各国の読者に読み継がれているのは、この小説が、個人の失ってしまった私的な領域に、深い部分で呼応する作用を持っているからであると思う。決して中学生・高校生の特権的な書物ではない。自分の中にホールデンと似た部分がかつてあり、そして苦い思い出とともにそれは封印され、さらに封印されたことすらも忘れ去られるという現象。それを成熟と呼ぼうが、何と呼ぼうが、いずれにしても正当化することはできないのである。







2003年04月13日(日) 掌編小説:傘を持っていない


細かい雨が降っている。ガラス窓に斜めに流れる水滴の連なりを見ている。傘を差さない人の群れが、幾分前かがみに小走りに行き過ぎる。キーを叩く手が止まっているのに気付く。画面に表示された文字が意味するところを考えながら、でも,結論は出ている、と思う。雨を逃れた人々が喫茶店に入ってくる。粉っぽい湿気が半ば開かれたドアから侵入する。既に紅茶は冷めている。何度目かのハービー・ハンコックのMaiden Voyageが流れている。傘を持っていない。帰るべき場所も方法もない。紅茶を啜る。追い求めていた浮遊感は意外なほど苦い。カップの縁が薄く汚れているのが見える。紙の束で切った人差し指の先が鈍く痛んだ。


"at a cafe"






2003年04月08日(火) 私信兼雑文:特定の意味を持たない日付


望んでいた便りが来たので、嬉しくはあったけれど、この日が自分にとって特定の意味を持たない日になっていることが哀しい。






2003年04月07日(月) 書評:水村美苗「本格小説」



「人気のあるらしい村上春樹の作品で感じたような、これは小説を読む尋常の速度ではないという思いにかられつつ読み終えたところである。単純に過ぎるストーリーを小説の仕掛で読ませようという心意気は十分に評価できるが、いかんせんその筋立ての粗末さのみならず本人がいくらかは感づいているらしいその肝心の仕掛の仕立ての悪さとにより、再読に堪えないものになってしまっているのは素朴な小説の味わいがあるだけに非常に残念というほかない。」などと、某元学長のように毒に満ちた愛の告白をしてしまうことを最初にお許し頂きたい。

一応誤解のないように行っておくと、この小説は、お話として非常に面白く、作者は読者を楽しませる努力を怠っていない。下巻などは、三時間で一息に読んでしまったくらいである。市ヶ谷のエクセルシオル・カフェのアッサムティが空になってからお替りをする間もなかった。店員に「閉店時間です」と告げられると同時に読み終えた。

いろいろ面白い細部はあって、例えばプリマヴェーラという洋裁の会社を建てる三姉妹(もちろんボッティチェリからの引用)とか、「えふ子」とよう子の話を橋渡しとするとか、そもそもの構造からして、私小説に対置する概念として持ってきた「本格小説」の仕組みをちゃんと機能させるために、私小説によって導入する(「本格小説の始まる前の長い長い話」)とか。私小説と本格小説の対置はだれもが指摘できることではあるけれども、それをあざといと見るかどうかで、この小説の評価が分かれると思う。

少し退屈かもしれないが、自分の覚書代わりに、この小説の語りの構造を簡単に分析しておく。

まず最初に「私小説的な文章」=「誰もが語り手と作者を同一視するが、その真偽は宙に浮いたまま」という前提がある。これを上手く利用し、より強固な構造を持つ(と思われる)第三者視点の小説に連結し移行させるという企ては、面白い。そしてそれを可能にするため、語り手が別の語り手の語るさらに別の語り手から聞いた話を書き留める、という三重の入れ子構造を用いるのも面白い。つまり、ツチヤフミコから聞いた話をカトウユウスケがミズムラミナエに話し、それを作者=水村美苗が小説という体裁に整えるという構造である。この「本格小説」の構造は、最終的にカトウユウスケのレベルで破綻し、「私小説」と同じく真偽不明の状態にまで引き下げられるのであるが、このような戦略を用いる意図は理解できるし、その目論見はある程度成功していると思う。

しかし、作者は頭が良すぎるのかもしれない。上手く作り込もうとすればするほど、何かが滑り落ちていく感触がある。これは、作者自身がある程度は気付いて作中で吐露していることでもあるが、それにしても不毛である。巧みすぎるが故に名作の地位を得られない、そんな小説であるような読後感を覚えた。しかし、じっくりと味わえば、それなりに再度読むに値する点もあるのかもしれない。

いざ書評を書き始めてみると、相当批判めいてしまった。しかし(矛盾するようだが)、面白く、引き込まれる本であるのは間違いないので、是非手にとってご覧になることをお薦めする。とりあえず、カズオイシグロの凡作よりはよい出来である。








2003年04月02日(水) たまには仕事の話を(第4回)


昨日の続きです。今日は、仕事で使う言語について。

2. 英語について

外国のクライアントとのやり取りをする機会は多いので、渉外弁護士(*注)にとって、英語は必須です。ただし、事務所に在籍している弁護士がいわゆる帰国の方ばかりかと言うと、そんなことはありません。むしろ帰国の割合は少ないです。(これは事務所によっても異なると思います。)私も日本生まれの日本育ちですし、英語の能力は高くありません。

とはいえ、日常的に英語を使わざるを得ませんので、英語を使うのが大嫌いという方は、かなり辛いかもしれません。私自身の場合、扱うドキュメントの約半分くらいが英語です。英語でメールを書かない日はほとんどありません。英語を使う場面は、メールなどのCorres、会議、契約書のドキュメンテーション、リーガルオピニオン(法律意見書)やメモランダムの作成、などが主たるものです。いわゆる法律英語も使うので(揶揄的にlegaleseと呼ばれることもある)、語彙はちょっと特殊ではあります。

ちなみに、英語以外の外国語を使うことはほとんどありません。私は仏文科出身ですが、フランス語が必要とされたケースは弁護士になって以来の4年間でわずか二回、それも大して時間の係るものではありませんでした。

なお、渉外案件を取り扱う渉外弁護士の法律事務所と一口に言っても、外国のクライアントの割合に応じて、英語を使う頻度が異なります。渉外を扱う事務所の中でも、部門によっては全く英語を使わないところもあると聞いています。

次回は、独立と事務所の大規模化について思うところを書いてみます。


*注)「渉外弁護士」の定義は、特に決まったものがあるわけではありません。日本の司法試験に合格して司法修習を経て弁護士登録した者で、海外の企業の取引案件や外資系企業が絡む企業再編、その他企業を巡る法律問題について取り扱う弁護士を指していうこともあります。ここでは、100名を超えるような大規模な法律事務所で、渉外案件を取り扱う事務所に所属している勤務弁護士(アソシエイト)の視点から書いています。






2003年04月01日(火) たまには仕事の話を(第3回)


渉外弁護士(*注)というと、「死ぬほど忙しい」「英語ができないとつとまらない」「会社組織のようで、弁護士になった意味がない」などといわれたりします。そこで、今後は、これらの質問に順番にお答えします。もし、これら以外にご質問があれば、掲示板でリクエストいただければ随時ここでお答えします。文体が変わっていますが、気にしないで頂けると幸いです。(掲示板ではログが流れてしまうので、できればblogに残したいのです。ご理解下さい。)

1. 忙しさについて

まず今日は、「渉外弁護士は死ぬほど忙しく働いているのか?」という疑問についてお答えします。

確かに、ここ数年は忙しかったと思います。外資系企業の経済活動が例をみないほど活発となり、護送船団方式と言われた官庁主導型の企業のあり方が、規制緩和により、頼るべきものが法律しかなくなったため、仕事量が非常に増えたことが一つの大きな原因です。今後も仕事の量は減る兆しはありませんので、忙しさはなかなか緩和されないかもしれません。

多くの若手弁護士は、朝は9-10時から事務所に居て、夜は12:00を回ってもまだ仕事をする者もいます。忙しいときは土日も事務所に来て仕事をしています。これだけ聞くと、「やはり忙しい」と思われるでしょう。

弁護士になって最初の1、2年は仕事の全体像が見えないことや経験不足もあって、仕事に時間がかかることが多いですが、3年くらい経つと、なんとかコントロールできるようになってきます。Quality of Lifeを重視する方は、朝早く来て夜も早めに帰るなど、それなりに仕事時間を調節しているようです。

たとえば、私は、Transactionもの(大型の取引案件)を扱う事は仕事の性質上それほど多くないため、比較的気侭に仕事をしています。それでも忙しい時は深夜まで仕事をします。徹夜になることもあります。ただし、土日は可能な限り休むことにしています。実際にこの一年間で土日に事務所に来たのは、10-20日くらいでかなり少なかったと思います。土日の両方来たことはありませんでした。主観的な感想をいえば、忙しいときは忙しいが、健康を害するほどではないし、会社員でももっと働いている方は大勢居ると思います。

ちなみに、これだけ仕事をするからこそ、非常に多くの有益な経験を積むことができるわけで、悪いことばかりではないと思います。NYの有名な法律事務所でも、若手の弁護士は同じ位働いているようです。

今後、弁護士の人数が大幅に増えるにつれ、事務所が大規模化していけば、もう少し忙しさは緩和されるのではないか、と楽観的に考えています。

次回は英語について。

*注)なお、「渉外弁護士」の定義は、特に決まったものがあるわけではありません。日本の司法試験に合格して司法修習を経て弁護士登録した者で、海外の企業の取引案件や外資系企業が絡む企業再編、その他企業を巡る法律問題について取り扱う弁護士を指していうこともあります。ここでは、100名を超えるような大規模な法律事務所で、渉外案件を取り扱う事務所に所属している勤務弁護士(アソシエイト)の視点から書いています。







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