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2001年09月26日(水) 日々雑感:Imagine


ジョンレノンのImagineが「何故か」ラジオ局の自粛曲リストに仲間入りしていた、とおもったのも束の間、全米が釘付けとなったチャリティーコンサートで、ニール・ヤングがImagineを熱唱していた。やるな、とおもったのだが、意外にアメリカにも冷静な人々がいるということが判って、少し安心する。しかし、かの国民の大半は、ブッシュ支持である。一般市民を巻き込んでの戦闘もやむを得ないと思っている。

週末の空は高く、透き通っていた、素晴らしい秋の日だった。
あの日のNYも素晴らしい秋の日だった。






2001年09月25日(火) 日々雑感:無限の正義


なんともはや、呆れ果てた感がある。

「正義」という言葉の大安売りだ。どこまで行けば、その限界が見えるのかと思えば、予め限界を取り去ってしまっているそうだ。

WTCでなくなった方も、ハイジャックでなくなられた方も、このような具合に「正義」に利用されることを望んでいただろうか。ブッシュJr.には、テロを未然に防げなかったという、それだけでクビになって然るべき事由があることを皆忘れているのだろうか。(もっとも、事件の二ヶ月前に最後通牒をつきつけていたそうだから、パールハーバーと同じく、泳がせて置いたというのが正しい所なのかもしれないが)。テロの規模が予想より大きくてびっくりしたというのが正直な所ではないだろうか。彼の言葉が、演説が、表情がおおげさな役者の演技にみえるのは、その背景にある根拠の弱さを諮らずも露呈しているではないか。

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そして、姿勢を正して媚び諂う日本の首相。対米支援の立法を約束したらしいが、彼に思想があるとすれば、「一蓮托生」だろうか。「死なばもろとも」だろうか。いずれにせよ底の浅さが透けて見える。一国の国民の運命を委ねるにしては、余りに無思慮・無分別でないか。こんな首相に、日本の有権者はエールを送っているのだ。攻撃すべき対象を同定する根拠すらも要求せず、盲目的な追従。狂信者とどこが違うというのか、ときかれたら、返答できまい。

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彼らは、世紀の愚者としていずれ名を残すだろう。もっとも支持される首魁は、もっとも輝かしい衣をまとって最大の愚行を行う。これは歴史が証明している。

プレビシットに支えられた日本の愚者と、アメリカの愚者が手を組んで、何をするというのだ。

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とりあえず、一つだけ日本の首相に注文をつけたい。
「アジアに目を向けよ」である。
この戦争が始まると、間違いなく、アジアの安定は害される。そんな程度のこともわからず、何らの対策も取っていないとしたら、それは、本当に彼が愚かである証である。
日本でテロが起きる可能性は高い。また、アメリカが介入できなくなる中国対台湾にも目を向ける必要があるし、アジア各国のイスラム原理勢力にも要注意だ。

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人間をダンディズムや美学の犠牲にするのは本当にやめてくれ。
(静かに暮らしたいだけなんだ。ただ、それだけなんだ)






2001年09月17日(月) 渉外弁護士とは?


今回は掲示板でのお問い合わせがあったので、文体を変えてご説明します。

渉外弁護士の仕事や生活の実態については、余り知られておらず、イメージが先行してしまっているようですね。あまり渉外弁護士の方でHPを開設されておられる方が少ないためでしょうか。

いずれコラムを設けようと思ってはいるので、ここでは簡単に説明させていただきます。

最初に、渉外弁護士という言葉は、ここでは敢えて用いないことにします。
というのは、「渉外」と一口に言っても、その事務所の規模、形態、扱う仕事の性質などにより、様々な仕事のやり方があり、一般化するのは不可能に近いためです。英語を使う仕事の割合が相当多いというところを「渉外」と呼ぶのだと思いますが、定義として曖昧です。また、他の事務所の状況を本当によく知っているわけではないので、申し訳ないのですが、ここでは、私の所属している事務所のアソシエイトを念頭においてお話しさせてください。

(1)仕事の時間帯

まず、仕事の時間帯ですが、日によって朝7時ころに事務所に来る場合もあれば、午前10時ころに来る場合もあります。極端な場合には、正午を回ってから出勤という場合もあります。

帰る時間もまちまちです。私の自己最高記録は午後5時帰宅というのがあります。もっともこれは非常に例外的で、通常は午後11時から12時30分くらいがもっとも多いと思います。

非常に忙しいときは、週に2回ほど1時、2時を回ることもあります。もっとも酷い場合には、完全徹夜ということもなくはありません。さすがにその場合には、翌日の午後6時ころには帰宅します。
一般化はできませんが、やはり〆切のあるお仕事なので、出版社等と同じく、勤務の時間帯が不規則になりがちです。

(2)仕事の内容

仕事の内容は、以前の日記にも書いたと思いますが、企業法務が中心で、個人相手の仕事は国選や当番を除き、ほとんど行っていません。具体的には、各種契約書(和文・英文)のドラフティング・法的検討、会社の設立・再編や労働法関係などのジェネラル・コーポレイト、銀行・証券会社、保険会社を初めとする金融機関のレギュレーションの関係の助言、国内の訴訟、倒産法制関連の作業、ファイナンス(シンジケートローン、証券化、流動化なども含みます)、税務関係の助言、国内外の証券発行等々広汎に及びます。いずれをとっても一口では説明できませんし、なかなかイメージもしにくいかと思います。

(3)職業的魅力等

職業的魅力も、扱っている仕事により、また個人のポリシーにより様々なものがあると思います。

私個人は、体系的な法的知識がないと構成できない取引を、法的に整理して、依頼者の求めている効果を実現させるところに魅力を感じます。特に、日本で従来行われていない全く新しい取引について、法的問題を徹底的に突き詰め、問題がないような形に整理し、これを契約書などの形に完成させるというのが魅力です。だれも考えた事のないような問題を考えるというのは、困難が伴いますが、やりがいはあります。非常に幸運だと思うのは、そのような種類の仕事や相談が多く持ち込まれる事務所に所属できたということです。新聞に出るような案件も扱っていますので、これも結果論ですが魅力かもしれません。

逆に辛い所は、といわれると、これも個人的な話になってしまうと思いますが、自由になる時間が比較的少ないことです。それでも、私はできる限り土日は仕事をしないようにしていますので、そんなに辛くはありません。また、余りにも多くの仕事を抱えてしまうと、やはりストレスを感じます。寝ていても仕事のことが頭から離れないこともあります。夢の中で仕事をしているとかも良くあります。貴重な人生の切り売りをしているような気がして、むなしくなることもなくはないです。特に文章を書きたいと思っているときには、なおさらです。

それでも仕事を辞めないのは、やはり魅力があるからだと思います。仕事が私にとって魅力がなくなり、自分にとってプラスにならないと思えば、いつでも辞める覚悟はあります。

(4)その他

ちなみに、掲示板に書き込まれた方が親切にご説明くださったようですが、大手渉外事務所の初任給とされている金額はまあそんなものなのかもしれません。しかし、東大以外は入るのが非常に困難、という件については、そんなことはないとお答えしておきます。私自身文学部出身ですが、法学部以外の出身者も意外に多いですしね。

まずはこんな所で。






2001年09月13日(木) 日々雑感:世界と君との戦いでは世界を支援せよ



契約書とリーガルオピニオンの修正作業をしていると、突然、1通のメールが入った。題名は付されていない。

Both of World Trade Center Buildings in New York are now on fire as a result of crash of airplane!

弁護士から事務所内のAll Lawyers宛てに回ったメールである。
続いて、NYの弁護士事務所とのミーティングがキャンセルされたとの情報が入って来た。その弁護士によれば、電話の背後で叫んでいる声が聞こえていたとの話であった。

同僚で、今NYに留学中、研修中の面々の安否確認をした方がいい、との声が上がり、早速電話をかけてみるが全く繋がらない。世界貿易センターのすぐそばに住んでいる先輩が心配だ。しばらくして、Sidley Austin Brown&Woodが世界貿易センターに入っていることに気付いて慄然とする。ここは、私も親しくしていた先輩弁護士が研修しているLaw firmである。

みな青ざめて連絡を取ろうとする。机を並べていた先輩弁護士が無事か、私も、何度も何度もご自宅に連絡を試みる。その度に「この地方への回線は現在busyである」とのアナウンスがむなしく流れる。

その間もニュースでは、ビルの崩壊を伝えていた。

あの下に、何人の人がいるのか想像してみて絶句する。
あの下に、よく知った顔が居るかもしれないのだ。
実に貧困な想像力しか持ち合わせないので、身近な人がまず真っ先に浮かんでしまう。

事務所の関係者の全員の無事が確認できたのは、翌日であった。亡くなった方や、その親族、友人の方には、本当に気の毒としか言いようがないが、ほっとしたことはやはり否定しようもない事実だ。自分の身勝手さに嫌悪感を催しつつも、犠牲者のご冥福をこころからお祈りしたい。

(私信:Y先生、お電話有難うございました。本当にご無事でなによりです。)

****

ここのところ、戦争の話題とカミカゼの話題を続けていただけに、自己嫌悪ではある。

一連の事件は、テロリストの犯行との見方が強まり、いま、報道では、テロリストやその支援者が特定されたとのニュースが流れている。

彼らテロリストは、その信念に従い、その信念に殉じたのだろう。彼ら自身の内部では、完結した論理によってその行動が支持されていたのであろう。神風特攻隊が美化されたのと同じで、反米感情を抱く国々においては、彼らは英雄なのかもしれない。

しかし、カフカのこの言葉が、今私の胸に強く響いている。

「世界と君との戦いでは世界を支援せよ」

逆説的な言葉ではある。誤解を招きやすい言葉かもしれない。しかし、自分自身を支える信念を常に検証し、相対化する契機となる言葉である。ここでいう「世界」はどこまでも広い。「世界を支援する」場合には、また、同じ言葉に束縛されるはずである。

***

アメリカ国内は、報復ムードが高まっているようであるが、冷静になってもらいたい。ここで、テロリストのみならず、一般の人々を巻き込むような報復をするとなると、まったく話が別になる。本当に、冷静になってほしい。こんなときだからこそ。今は平和な極東の島国の片隅から、ここのところそればかりを願っている。






2001年09月10日(月) 書評:Pascale Roze 「Le Chasseur Zero」

パスカル・ローズ"Le Chasseur Zero"(ゼロ戦)を読了。
筆者は、この小説で、ゴンクール賞を獲得している。これが筆者にとって初の長編小説であるというから恐れ入る。

この小説の主人公である女性の語りには、一つのノイズが一貫して流れている。
それがゼロ戦のエンジン音となるまでのくだりは、説得力がある。

フランスの少女である主人公とゼロ戦を結ぶ線が、神風特攻隊隊員の手記を通じて主人公自身によって見出され、そして内面的に主人公を蝕むカミカゼの幻影との共生の試み、挫折、そしてカミカゼを克服するまでの物語、と要約してしまえば、ありきたりの架空の物語にすぎない。その類の話は消費されるために生産され、そして消費されて行くのが通常である。もし、この小説を単なる主人公の成長を追った小説とみなすのであれば、その価値は消費財のそれへと接近する。

だが、そのような読みでは、この小説の魅力を十分理解したとは言えないのではなかろうか。私の意見では、むしろ、乾いた文体から紡ぎ出されるその強度に注目すべきである。センテンスの短さ、リズム感は、カミュに通じるものがある。描写のみの力で読者に緊張感をもたらすのは、非凡な才能といえる。

ただ、随所に甘いと思わせる何かがあることもまた否めない事実ではある。題名からして甘い。というのは、Zeroは、Chasseurと組み合わせてゼロ戦を指し示すだけではなく、筆者のRozeのアナグラムでもあり、Chasseurは、狩人という含意がある。この事実は、筆者自身が明らかにしていることである。すなわち、題名がある一定の読みを強制しているおそれがある。そして、自分自身を追い求める(あるいは追い詰める)旅との読みは、むしろこの小説の魅力を半減させる可能性すらある。

それでも、おすすめの一冊。願わくばこのような文章を書きたいものだ。






2001年09月04日(火) 書評:カズオ・イシグロ「僕たちが孤児だったころ」

俗に我々が「9月末案件」と呼ぶ取引の案件のため、本日も深夜作業となる。

毎日のように〆切の来る案件に追われている。
これから、我々渉外系の事務所に属している弁護士は、9月末案件、12月末案件、3月末案件という大きな山を越えなくてはならない。
僕らの長い冬がまた来るのだ。

反面、読書量が何故か増えている。
カズオ・イシグロ「僕たちが孤児だったころ」読了。

相変わらず絶品の描写である。
抑え目の文章といい、読者に対して不誠実な主人公の造形といい、ストーリーテリングの基本を踏まえた秀逸な作品といえる。

ただ、「日々の名残り」と比べると、やや格が落ちる気もする。
とくに日本人の古い友人との再会のくだりは、構成的にも疑問符がつく。

個人的には、なまじドラマティックでない内容の方が、この作者の持ち味が生かされると信じている。ドラマ的に盛り上がる所を上手くかわすところにこの筆者のユーモア感覚が感じられるのである。内容はさておいても描写だけで読ませるというのは相当な力量である。

いま、あの戦争を書くことが意味を持つというのは、上手く説明できないけれど、感覚的にわかる。それは、例えば日本において、60年代にあの戦争のことを書くというのとも違うし、70年代とも違うし、90年代とも違う。

改めてあの戦争を書いてみたいと思う。






2001年09月02日(日) 日々雑記:ねじを巻くのを忘れて

週末はPC探しに有楽町へ。
有楽町のそごう跡に新しく出来たビックカメラで物色するも、
食指の動くようなモノは見当たらず。

結局、西武でオフホワイトのシャツだけ購入する。
United Arrows製のボタンダウン。

あきらめきれず、その足で、秋葉原へ。ここを訪れるのは本当に久しぶりだ。
5、6軒の大型店を回り、PCを巡る現状を把握する。
つまりは、端境期なのだ。

WindowsXPが出るまでの谷間に当たり、メーカーは新機種を出そうにも出せないのだ。しばらくは購入をあきらめた方がよさそうだ。

帰宅すると、家に忘れた腕時計が止まっているのが見えた。
2日ほどつけないでいただけで止まってしまう。
機械式は、だから、逆に血が通っている感じがして好きだ。

ねじを巻かない休日はこんな具合に暮れて行く。







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