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1998年02月27日(金) 満州北部戦線の禁止された井戸


夢をよく見る。それもだいぶ長い夢だったりする。眠りが浅いのかも知れない。

少し前の話になるが、井戸の夢を見た。これも長い夢だった。
場所は、満州北部の戦線。時代は太平洋戦争の末期。ソ連の機械化部隊の脅威にさらされる、ほとんど見捨てられたに等しい拠点での話だった。

友軍からはかなり離れて、一人の青年将校がその拠点を守っていた。

といっても、兵力はほとんどないに等しく、逃げ遅れた日本人の入植者の家族が、肩を寄せ合って避難してきているような拠点であった。

勿論物資はほとんどなく、水が極めて貴重な状況であった。近くに井戸はあるのだが、司令部の命令で、この井戸は一般市民が使うことを禁じられていた。

というのも、本来は兵隊の常駐する拠点であったため、貴重な水源である井戸は、軍事用に限定されていたのだった。

青年将校は、もはや敗戦の色濃いこの時期にあっても、この命令に忠実に従い、避難民にも備蓄用の水しか与えなかった。
拠点を離れれば、水源は他にもあるのだが、ソ連軍の脅威が身近にせまっている戦況では、拠点から外に出るのはほとんど自殺行為であったし、そうするだけの勇気のある者は疲弊しきった避難民の中にはいなかった。

満州で商売を営んでいた私が家族を連れてその拠点にたどり着いたのは、その拠点の備蓄用の水がちょうど切れかけたときであった。

新たな外来者である私は、井戸の存在を知り、何故それを使わないのかと青年将校と激しくやり合う。

「禁止されているからだ」との青年将校の答えに、私はどうしても納得がいかなかった。

しかし、青年将校も、この禁止命令がもはやばかげたものであることを重々承知しているのだった。

青年将校の顔に浮かぶ苦悩の表情を見て、私は……
というところで目が覚めた。

私は……、私は、その後どうしたのだろうか?






1998年02月10日(火) 修習生の就職状況


他の地方の同期の友人と話していて、就職戦線に(勿論弁護士事務所のだ)かなり取り残されていることが判明する。

といっても、いわゆる大手渉外と呼ばれる渉外事務所(N&O,N&P,M&A,AM,MYWM,A,etc)に限った話であって、ほとんどの国内事務所、および渉外事務所の中でも比較的規模の小さいものについては、まだ採用などの話は聞かない。

渉外弁護士を目指すことに決めた私にとっては、これはかなりショックな話である。やはり地方に行くと、よほど精力的に動かないと大手渉外への道のりは厳しいのだと言うことを思い知らされた。

正直言って、志望を決めるのが遅きに失したといえよう。だが、まだ諦めてはいない。やれるだけのことはやろう。

とはいえ、これほど早く志望を決めなければならない現状には不満が残る。事実、私はまだ弁護修習中であるが、結局裁判修習(民裁、刑裁)を全く経験することができないまま志望を決めねばならなかったのだ。

また、その友人から、女性の就職状況が芳しくないことも聞かされた。就職差別という言葉が司法の世界でもリアルな言葉であり得るこの国の現実は、将来に向かって暗く、長い影を投げかけているように見える。

一昔前の法律予備校のパンフレットに、「女性でも差別されないことが司法試験を志した動機でした」と合格者のよろこびの声が載っていたことが思い出される。

あの合格者の女性は今頃どうしているのだろうか。


(一応誤解のないようにフォローしておくと、大手渉外をふくめた渉外事務所は、比較的女性を多く採用しています。むしろ、小規模の国内事務所の方が女性をとりにくいといった状況があるように私には思われます。一般化してしまうのも危険ですが。)






1998年02月04日(水) ジェネラル・コーポレート

最近の弁護修習の様子について少し。

訴状書きはそろそろ終わって、結構大きな損害賠償金請求事件の答弁書などを書いて裁判所に提出したりしている。(勿論担当の弁護士のチェックを経てから、である。)基本書などで会社法を学んでいたときに頭に浮かべていたような、典型的な取締役会の決議や、株主総会、仮地位仮処分などが絡んだ様々な問題が刻々と生じてきて、非常にリアリティを持って起案に取り組むことができた。こういった経験は、実務修習ならではのものである。

また、やはり、ある程度依頼者の方たちの話を聞いていると、「なんとかしてあげたい」と思い入れを持ってしまうので、自然と起案にも力が入る。








1998年02月03日(火) 火を盗む者としての詩人


私の好きな詩人、Arthur Rinbaud(アルチュール・ランボー)の手紙の中に、「詩人は火を盗む者です」との言葉がある。
これはもちろん、ギリシャ神話の、プロメテウスのことを念頭に置いた発言である。

詩人は、新たな文明をもたらす、火の盗人でなければならないとの自負を彼はこの言葉に込めたものと見ることができる。
この言葉は、詩人に限らず、文学、芸術を志す者の、あるべき一つの姿を強烈に宣言したものであり、僕はこの言葉をよく思い起こす。

前置きはこれくらいにして、約一年間の間暖め続けていた「文学−派ホームページ」をついに立ち上げた。ここには特にリンクを置かないことにする。






1998年02月02日(月) 真冬の滝


夕刻。同期の友人Wから切羽詰まったような、それでいてどこか白痴的な笑いを伴った電話があった。「今から泊まりに行くから」というが、どうにも事情が飲み込めない。

しばらくしてチャイムが鳴る。玄関を開けてみると、大量の荷物を抱えたWの姿がそこにあった。

「滝だよ、滝」

なんのことだかさっぱり分からず、とりあえず家に招き入れると、Wは茶を所望し、語り始めた。

どうやらWのアパートの二階の住人が、水抜きをしなかったためか、水道管を破裂させたらしい。Wが帰宅すると、あたり一面が水に覆われていたとのこと。

我々は、顔を見合わせて笑うほかなかった。力なく。







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