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この一週間を振り返ると、検事の生活というのは本当に忙しいんだということがわかる。 もっとも、我々修習生が感じている忙しさは、検察官の忙しさとはだいぶ趣を異にする。
この一週間は、模擬裁判で幕を開けて、その打ち上げで、現役の裁判官であるKさん(うら若き女性)と 我々修習生は意気投合し、カラオケで熱唱した挙げ句、同席した裁判所事務官の方々をおびえさせるに 至るほどの一種異様な盛り上がりを見せてしまったのだ。 その翌日(というか正確に言えばその日のうちに)取り調べが入った上に、さらに今度は検察事務官の方々や、副検事の方々と飲む機会があって、 またまた午前様で飲んでしまったのである。しかも僕はその翌日(というか当日)検察官面前調書を一つ仕上げなければならなかったのだ。 修習生活はつらく、楽しい。とりあえず、あすはアルコール抜きで行きたいものだ。
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本日は、刑事模擬裁判だった。
刑事模擬裁判はその名の通り、修習生がそれぞれ裁判官、検察官、弁護人の役割を演じて、架空の法廷の中で一つの裁判を行うものである。 通常の修習地では、一年四ヶ月の実務修習の間に一度だけ、実務修習の最後の仕上げとして行われるのであるが、 盛岡には修習生が50期51期併せても7人しか居ないため、我々もフルに参加することになった。 そして、僕は裁判官役をすることになり、裁判の三分の一を裁判長として訴訟指揮を行うことになったのである。
今回は弁護人に非常に優秀な50期の先輩修習生のY氏がなられたため、波乱含みの「荒れる法廷」となることが事前に十分予想された。そのため、 刑訴規則の細かいところまで読んでおいたのだが、まさか本当に「裁判所の今の処分に対して異議を申し立てます!」と言われる羽目になるとは思わなかった。 事案は傷害の共謀共同正犯。被告人は捜査段階から一貫して無実を主張している。 ふたを開けてみれば、三人の合議体全員一致で無罪の心証であった。検察官の立証が弱すぎたので、証拠不十分である。 裁判終了後の講評が怖くて仕方がなかった。
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忙しい。本当に忙しくなってきて、先月の平穏な日々が嘘のようだ。この忙しさはしかし、我々にとっては有り難い忙しさである。
というわけで(?)日記の更新が大幅に遅れていることをお詫びしたいと思う所存でございます。 カウンタが上がっていくのを開く度に目にし、そのたびに更新していない自分に苦しい思いをする状況がしばらく続いています。 このままでは、エッセイの形式でもとるしかないだろうか……。日記の質の低さを見るにつれ、友人の日記や、司法試験受験生の加藤さんのエッセイのクオリティのすばらしさに劣等感ばかりが募っていくのを感じる今日この頃です。 とりあえずは、不定期更新を続けていきますので、見捨てないでくださいね。
1997年09月01日(月) |
失われた1997年8月 |
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実はこの8月分の記録がない。
消えてしまったのは単純な上書きミスなのだが、修復は不可能である。 この時期には、盛岡での実務修習の開始や、検察修習の実態等の記録があったのだが、残念ながら、これをお見せすることはできない。
この文章は、四年以上も経過した2002年に書いているが、今から思い出してみても7月の終りから8月に掛けては、非常に忙しい時期だったように思われる。また、精神的にも私の人生観を変えてしまうようなできごとがあった頃だった。
研修所の仲間とのひとまずのお別れ、引越し、新しい土地での生活の開始、3人の修習生との出会い、実務修習開始、実に様々なことがあった。思い出せる限り再現したいが、やはり失われてしまったものはもう、戻らない。
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