弁護士の素顔 写真,ギャラリー 小説,文学,司法試験合格体験記 法律関係リンク集 掲示板


1997年04月23日(水) 夜が明ける頃には


再び自宅起案。前回の自宅起案は「検察」科目であったが、今回は「刑事裁判」の判決を起案するのだ。実際にあった事案を基に、判決を書く。(といっても今回はまだ判決全文ではなく、事案の整理・事実認定の過程を知ることが主である) 刑事裁判がいかに大変なものを扱うのか、その重さをかみしめながら起案する。いつものことだが、朝方までかかって白々と夜が明ける頃に書き終わる。さあこれから一眠り。






1997年04月22日(火) 民事模擬裁判修習


民事模擬裁判修習が昨日と今日の二日間にわたって行われた。

模擬裁判と言っても、別に法廷教室を使って行われるものではなく、録画された裁判の進行の実態を見るだけのものだ。とはいえ、現役の裁判官である教官たちがそのまま出演するのだから、迫力と臨場感はさすがに見るべきものがある。いくつか理解に苦しむ場面もあったが、全体としてはとてもよくできたものだ。 実務修習に入ってから実際に目にする民事裁判は期日ごとに細分化された手続きの集積であるので、一般の人が見て分からないだけでなく、当事者代理人と裁判官にしか何が起こっているのかさっぱり分からないのである。 その意味で、このヴィデオの傍聴は大変意味が深いものだったと言える。






1997年04月21日(月) 休日はアンリ・ベールとともに

休日は古い小説を書き直したり、書き足したり、友人たちと運動をしたり、ということであっと言う間に過ぎ去ってしまった。

スタンダールのパルムの僧院を引っぱり出して読み返す。この小説もいったい何度読んだことだろう。読む度に自分の中に規範化された スタンダールを見いだして動揺したりするのもいつものことだ。スタンダールの独特の倫理観については、ベーリズムという呼称まで付されているくらいで、今なお彼の倫理観恋愛観が色褪せていないことを示している。 ちなみにベーリズムとはスタンダールの本名のアンリ・ベールからとられたもので、これに共感する人々のことをベーリストという。

もちろん彼の恋愛観がもっとも顕著な形で示されたのは、かの有名な「恋愛論」であり、恋愛の結晶化作用(cristallisation)はまさに理論化された恋愛の形であると思われる。 しかし、それよりなにより、理論でない、生の物語の形で示された彼自身の恋愛の理想型が、先に挙げた「パルムの僧院」にはっきりと打ち出されている。いささか純粋すぎるほどではないかと思われるほどの純粋さをもって、登場人物であるファブリスは古典的にも政敵の愛娘を愛し、牢獄の中にあってさえ、彼は幸福であると思うに至るのである。 このストイシズムはスタンダールの小説の主人公の造形に共通のもので、「赤と黒」におけるジュリアン・ソレルも最後に理解しがたいほどの潔癖さを持って、自らの裁判の控訴を拒否し、死刑台に登るのである。

seinを描く作家とsollenを描く作家という対立項で見れば彼は明らかにsollenを前提とした描写を行っている作家であるといえる。その点で好きか嫌いかがはっきり分かれるだろう。最初に読むなら、「パルム」のほうをおすすめしたい。最初のワーテルローの戦いのシーンが少し長く退屈に感じられるかもしれないけれど、 それを乗り切って読むだけの価値はある小説だと思う。むしろ娯楽小説として読むのが正しい。






1997年04月18日(金) 研修所の教官


昨日痛飲し、あれだけ遅く帰ったのに、我々の班は午前10時には集合し、刑事弁護起案の合議を開始していた。事案は怪しげな外国人が柔道の技で警察官を投げ飛ばしたというもの。公務執行妨害事件である。 合議自体は二時間ほどで終了し、あとは起案しつつ二三度の修正を施すことで一致した。

しばし友人たちと談笑。話の肴は個性あふれる教官たちの話題。「宇宙戦艦ヤマト」を熱唱していた教官や、かなりきわどい話題で女の子たちを引かせた(という噂の)教官 などの話題で盛り上がる。ある教官はこのホームページを毎朝チェックされているという。迂闊なことは書けないので、その場での我が友人たちのその教官への一致した見解は書かないことにする。修習開始から半月も立てば、教官だけでなく、修習生もそろそろ化けの皮がはがれてくる頃だ。僕も、クールでニヒルな仏文出身の修習生を演じようとしていたがだんだん正体がばれつつある。

その後、時間が余ったので、刑法の場所的適用範囲の問題を議論するために、インターネット上の怪しいページ実例としてを数人で見る。 comドメインのサーバーとインターネットの仕組みを説明しながら、刑法の適用される場合について、友人と白熱した議論を交わす……(ごめんなさい、半分くらい嘘です)。






1997年04月17日(木) ソフトボール大会


今日は司法研修所挙げてのソフトボール大会。修習生はもちろん、教官も参加されての各組対抗戦である。我が6組は優勝候補の誉れも高く、練習にも俄然熱が入っていた。ところが……である。

我が組は、二回戦であえなく逆転負けを喫してしまったのである。これだけならまだよかったが、結局優勝したのは練習試合で12対0で完封勝ちを納めたはずの4組だったのである。 その夜、我々は池袋に繰り出して痛飲し、途中ぼや騒ぎを引き起こしたり、三次会にも47名が参加し教官も5名の内4名が最後まで残るという、異様な盛り上がりを見せた。結局タクシーで寮に戻ったのは、2時半を回ったところだった。






1997年04月16日(水) 自宅起案


自宅で検察起案。もっとも「自宅」とはいっても、僕は司法研修所に併設されたいずみ寮に入っているので、どこからともなく情報が入ってくる。

しかしその情報たるや、かなり疑わしいものもあり、たとえばこんな具合である。
「午前中の間は各組の間で、傷害致死の共謀共同正犯という声が大勢だったが、午後に入って一変、殺人の共謀共同正犯が多数派となった」とか、「去年の模範答案が流出している」などなど。中には「昔これによく似た二回試験の問題がでて、I藤真がただ一人教唆で書いた」というものもあり話題には事欠かない。
結局僕は、朝4時半までかかって何とか仕上げることができた。






1997年04月15日(火) 修習生の給与


今日は給料日である。きちんとした給料をもらうのはこれが初めてなので、なんだか不思議な気分だ。 特にそれが労働の対価としてもらうのでないからなおさらだ。
修習専念義務の対価としてはこの額は多いか少ないのか、よく分からない。微妙なところだ。 妻子持ちの方や、今まで企業などで働かれていた方などには月16万ほどの給料ではきついのではないだろうか。 私などは、勉強もさせてもらえて給料ももらえるという意味で有り難くてしょうがないのだが。

寮祭のキャッチフレーズを「血税もらって地方で豪遊」にしよう、という声、一部にあり。 たしかに普通の人から見ればほとんど許せないような恵まれた環境にあるといえるのは確かで、また、地方の修習先では弁護士さんたちによく遊びにつれていってもらえるとの声もよく聞かれるのも事実だ。 こういった水に慣らされないよう改めて自戒する。 まずは、父母にプレゼントでも買うことを計画中。






1997年04月14日(月) 即日起案、そしてハルキ再読


ついに来た。民事弁護の即日起案だ。何とか無難にまとめたような気がして、時間前に出てきてしまったが、 友人と話をしている内に、結構見落としをしていることに気づいて暗澹たる気分になってしまった。

部屋に帰って、洗濯物を整理しながら、村上春樹の「ノルウェイの森」を35度目位に読みかえす。 一時期のブームの頃はこれを読んで村上春樹が嫌いになったが、ブームも冷めて文庫本になり、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を 読んで彼を見直してから、改めて「ノルウェイの森」を読むと、これはとんでもない小説だということに気づいたのだ。 それ以来、僕は座右の書としてこれを読み返し続けた。生きているのに疲れたり、不必要に悲しい気分になっているときに、つい手に取ってしまう小説である。 そしてそのたびに、少しずつ違う印象と、安心感を僕に与えてくれるのだ。こういった小説を書ければ、本望だと思う。
ちなみに村上春樹にはもう一作きわめてすぐれた小説がある。「ダンス・ダンス・ダンス」である。もし機会があれば、読んでみるとおもしろいかもしれない。






1997年04月12日(土) 休日


今日は一日お休み。だから、日記もお休み。再開は4/14(月)になります。






1997年04月11日(金) クリエイティブ刑事弁護


今日は一限目が刑事弁護。これで一通りの科目が出そろったことになる。 幾分抽象的だが、刑事弁護の永遠のテーマである、被告人の権利擁護と弁護人の真実義務のジレンマについて努めて抑え目に、しかし熱意を込めて語られていたk教官の姿が印象的だった。 「刑事弁護はクリエイティヴでなければならない」という言葉にいたく感動した。

昼食に、友人と近くのラドンセンターに食事をしに行ってみると、そこでご老人(の群)がカラオケをしていた。 食べている最中も、しつらえられたステージの上で花笠を持って踊りながら六人のおばあちゃんたちが拍手に迎えられていたり、一種異様な雰囲気を味わう。 「ここは熱海か湯河原か?」と友人とささやきあう。だが曲が終わるとちゃんと拍手をする僕らって本当に律儀者である。

夢のような(?)ひとときを過ごした後で、民事裁判の二回目の授業。もっとも難解とされる「要件事実」の影が講義の中に暗く長い影を落とし始めた。






1997年04月10日(木) 連日連夜


昨日の飲みの疲れが色濃く残る重い頭を抱えて、検察、民事弁護の各教科の一回目を受講する。教官のパワフルさには本当に頭が下がる思いだ。昨日一緒にソフトの試合に出場し、その後若い修習生たちを相手に痛飲し、 そして、僕らは結構疲れ切っているのに、2時間の間ほとんどしゃべりっぱなしである。昼休みに会食と称する教官5人を交えた昼食会がある。行ってみたら、いきなり司法試験を受け始めた動機を一人一人訊かれ、みんな青ざめる。 「どうぞ、みなさん食べながら」とは言うが、なにを言うか準備しながらだから、自分が今なにを食べているのか全く分からなかった。 講義が終了した後またソフトの練習。もちろんその後、飲み。こうやって一人前の法曹が育てあげられてゆくのか?






1997年04月09日(水) 授業開始


本日から、いよいよ、研修所の授業が開始される。

最初の科目は民事裁判。T教官は現役の裁判官で、実務の興味深い話をいろいろとして下さった。聞くと僕の修習地である盛岡にもいたことがあったとか。 まだ、ガイダンスのような内容で、本題にはほとんど立ち入られなかった。本当に気さくな方で、世の裁判官に対する僕の偏見は消し飛んでしまった。さらに次の科目である刑事裁判のO教官は 自己紹介の内容を事細かに覚えておられ、驚かされた。僕がWebSiteを作っている、と言ったこともチェックしておられたようで、URLを教える羽目になってしまった。どうしよう。

しかし、本当にお二方とも気さくで、裁判官という職業に親しみがわいた。授業が終わるとすぐにソフトボール大会の練習が待っていた。しかも検察教官がすでに練習試合を申し込んでいると言うではないか! 球技という言葉を聞いただけで、体が勝手に動き出す私としては、早速副キャプテンに立候補し、ソフトボール大会での優勝を目指すことにした。 驚いたことに、クラスのみんなは本当に運動神経がいい人ばかりだ。勉強ばかりしていたようにはとても思えない。これはひょっとすると本当に優勝してしまうかもしれない。

練習試合は12対0で快勝。もちろん試合後は祝勝会と称していずみ寮の談話室で飲み会である。うわさに聞いていた連日連夜の飲み会とはこのことか。 しかしいったいいつ勉強するのだろう?






1997年04月08日(火) 修習開始式


本日は修習開始式。
「司法修習生を命ずる」とのみ書かれた辞令書を受け取って、心を新たに引き締める。 なかなかジョークの巧みな(?)事務局長の講話があったのだが、引っ越し疲れか睡魔が僕の体をむしばんでいき、最前列であるにもかかわらず、危うく違う世界に意識を飛ばしてしまいそうになる。

これが終わると本日のメインイヴェント、入所パーティーである。なんと会場は池袋プリンスホテル、会費は1万円とあって、いやが上にも期待は高まる。

同じく入寮を終えたクラスの友人たちと池袋に向かい、夕闇押し迫る頃、会場に到着する。相当の人数が参加したので、その中で人を捜すのも一苦労である。 同じ期でホームページを作っていらっしゃる方を探そうとしたが、途中で断念する。どうやら共通の友人が数人いるようなので、そのあたりから攻めてみようかと思う。

さて宴もたけなわ、関西合格者の会が「満を持してお届けする」”ピーチマン”なる芝居が開幕した。ストーリーの概要は桃から生まれたピーチマンが、名前がダサイというだけの理由でみっちゃんにふられてしまい、 名前を変えるため、(何故か)司法試験を目指すというもの。某I塾のI藤講師や試験委員の前田先生、内田先生のそっくりさんなども登場して、内輪にしか分からないギャグで大いに笑わせてもらった。

その後、各クラスごとに分かれて二次会に突入。こうして、限りなくハードな修習生活の一日目はしんしんと更けていくのであった。






1997年04月07日(月) 入寮完了


ついに入寮が完了した。司法研修所いずみ寮の***号室(2002/3/4検閲削除)なので、同期の方どうぞ気楽に遊びに来て下さい。 詳しい日記は今日の深夜、また書き加えます。とりあえずご報告まで。






1997年04月02日(水) 更新作業一時中止のお知らせ


WebSiteを更新。しばらくは入寮(和光市にある司法研修所の寮)準備のため更新できなくなる。

4/7以降には更新し、WebSiteの構成自体を変える計画がある。是非その後も訪れて頂きたい。






1997年04月01日(火) フランツ・カフカと筋肉痛


朝目を覚ますと僕は自分が巨大な虫になっていることに気づいた。しかも、何故か全身が筋肉痛の嵐だ。虫にも筋肉痛があるという新しい発見に僕は打ちふるえた!
などというエイプリルフールにお約束のギャグは置いておいて、筋肉痛であることは紛れもない事実である。ソフトボール大会で暴れたからか。

しかし、カフカの有名な短編「変身」は不条理といういかにもなタームで読まれがちではあるが、本来カミュに対する批評として使われたタームであるabsurditeの訳語としては「不条理」というのは誤解に満ちた訳ではないだろうか。 むしろこれは、「ばかばかしさ」という意味で使われたのであって、別にそんな晦渋な人生の真理を表す普遍的な意味合いまではないと思うのだが。むしろ、「変身」はブラックユーモアとして読むのが正しい。その視点から考えると、 むしろ冒頭からの無意味な虫への変化、そしてそれに引き続いておこるいくつかの混乱よりも、その変化を周囲の人々が受け入れ初めてからのほうが、よけいにおもしろいと思うのだがどうだろうか。 そんなことを考えていたので、添削を仕上げるのに締め切りぎりぎりの夜9時までかかってしまった。

ちなみに映画にもなったカフカの「審判」は司法制度の暗闇に潜む無言の悪意を暴き出していて、官僚主義に対するカフカの敵意を読みとる事ができておもしろいです。それが、社会一般への弾劾にもなっているところがカフカの優れている点ですが。







[MAIL] [HOMEPAGE]