昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2007年09月30日(日) 忘れた別れは一番痛むものなり

風が冷たい、と思って、さっき窓を閉めた。今日半日、ずっと雨に濡れていた公園の中を、スーツ姿の人が乗った自転車が一台横切っていった。あの人の一日も終わるのか。わたしの何でもない一日が終わるように。

昨日か、一昨日くらいから、歩いていてもあんまり汗をかかなくなった。喉も乾かなくなった。ようやく、季節が変わるのだろう。暑くて長い夏だった。いつ終わるんだろうとずっと思っていた。入梅の日に、東京へ行って、梅雨明けの日にまた東京へ行って、真夏に引越しして、部屋を片付けて気がついたら、9月も終わりだ。
向かいのマンションの部屋の灯りが、ひとつひとつ消えていくのが窓から見える。みんな寝るのだ、明日に備えて。わたしにも備える明日があるはずなのに、寝ることに意味を見出せないのは何故だろう。

今日は、図書館に『サフラン・キッチン』を借りに行くつもりだった。予約していたのが、以前の住まいの地域図書館だったから、地下鉄に乗ってわざわざ行ったのに、休館だった。月末は休館らしい。誰が決めたのだろうか。仕方がないから、髪を切りに行った。美容師が、奮発してなんとかというヴィンテージのバイクを買った、というような話をして、バイクのことについて延々語っていたが、その方面には興味関心が薄いため、よくわからなかった。お金があったら、そうだなあ、わたしなら『ツインピークス』の全話収録DVDを買うかなあ、と思ったが、言わなかった。

帰り道、傘をブラブラさせて、東へと歩く。前の家の方面へ向かうバスと何度もすれ違う。あのバスに乗っても、そこにはわたしの帰る家はもうないんだなあ、と思う。想像を絶する寂しさだ。寂しいと何度書いたり言ったりしたところで、この気持ちの何十分の一をも表現したことにならない。しかし、そう思う以外にどうやって、ここを乗り切って行けばいいのかわからない。感情を殺すことができないのなら、溺れてしまうしかないだろう。

無印良品で、タオルを収納するカゴと、キッチンペーパーを買う。地下鉄で、多木浩二の『肖像写真』を読了した。ザンダーの写真集は、確か難波のジュンク堂に残っていたように記憶しているがまだあるだろうか、というようなことをぼんやりと考え、今夜は熱い珈琲を淹れて、来週の読書計画でも立てようと思って、駅前のスーパーでビールを6缶買って、下げて帰った。

10月になったら、前からずっとやりたいと思っていた勉強を始めよう。わたしが大学でその授業を取っていなかったと知った時あの人は、少しがっかりしたような顔をしたから。今からでも遅くないだろう。またいつか会えて、このことを伝えることができたら、きっと、ふふんと笑うだろう。そのために、そのためだけに、勉強しよう。
寝る意味が出来た。明日に備えるのではなく、いつか必ず来るはずのその日のために、一日を前に進めよう。


2007年09月23日(日) 思い出を食べて太れ

先月、引越しをした。マンションには一生住まないよ、なんて言っていたこともあったが、信念などどこへやら、あっさり妥協した。築30年の古さと、家賃のわりに広かったのと、日当たりが良くて窓から緑がたくさん眺められたので、決めることにした。とにかく時間とお金がなくて他にどうしようもなかった。
本当にこれからやっていけるのかどうか、おおいに不安だが、わたしの前にも後ろにも、いまや崖っぷちしかないのだから、前に進むには飛び降りるしかないのだ。飛び降りた場所に何があるのか知らない。何があってほしいのかもわからない。そこはどんな景色だろう。幸福も不幸も関係のない世界を生きるのは、どんな気分だろう。

まあ、いいや。と思う。朝、カーテンを開けて、目の前の緑を見て、朝の空気を吸い込むたび、そう思う。何をしてたって何を考えてたって、泣いてたって笑ってたって、時間は過ぎるし、夜は明ける。一国の首相がいなくても世界はまわるし、わたしが応援などしなくても、あなたの本は売れる。

昼休み、日傘をさして紀伊国屋へ行く。通勤途中に本屋がないので、苦手な紀伊国屋に頼るしか手がなくなってしまった。「暮しの手帖」を立ち読みして、ヘミングウェイ『武器よさらば』を買う。なんで、上下巻に分かれているんだ。昔、読んだときは確か一冊だったはず。帰りの電車でガルシア・マルケス『落葉』を読了。ほら、やっぱり、わたしたちはいつの時代も、空しく流れていく時間の前には、こんなにも無力なのだ。孤独のうちに衰退していくものは、哀れであるが美しい。

帰宅して、大切に集めてきた関連記事や資料や書評をファイルに整理する。A4の40枚のクリアファイル2冊に、ほとんどいっぱいになった。2年の間に、こんなにもたまったのか、と思う。こんなにたくさん。2年とは、これだけの重みのある時間だったのか。
今日読み終えた小説を本棚にしまいつつ、そう言えばあの日、少しだけガルシアマルケスの話をしたな、と思い出す。小説そのもののことではなくて、翻訳のことだった。別れ際のきわきわで、こんなこと話してる場合じゃないな、とわたしは内心思っていた。しかし、何を話せばよかったのだろう。あの時の、車内灯に照らされた、疲れてて、でも充実していた顔を思い出す。こうして、何度でも思い出すのだろう。そうやって、行けるところまで行こう。


フクダ |MAIL

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