SprengerDiary

2005年01月05日(水) 明けましておめでとう

▼明けましておめでとうございます。今年も柳に風の生き方を満喫したいと思います。
▼グーグルから「マツモトキヨシ ぼくらの七日間戦争」とナイスな組み合わせで来訪者。ちょと笑った。
▼メール復旧の見込み立たず。割り切って新アドレス作成。@の前を「takara」でお願い致します。
▼昨年嬉しかったことといえば、サンライズの忘年会でダンスマンの生「アフロ軍曹」を聞けたこと。自分でも安上がりな幸せだと思うw
▼年末年始の休暇は取れず、1/4だけ休みをもらう。この日、姪っ子集団が新居に。姉夫婦はもう疲れた模様で、子守り担当を仰せつかる。が、ここで愛犬が大活躍。始めはおっかなびっくりだった姪っ子たちも、すぐに慣れて、我が家にいる間はずっと犬と遊び通し。嵐の去った後、いつもより多めにおやつをあげました。
▼新年は企画書作りからスタートしようと思っていたのもつかの間、もう明日明後日には新事務所への引越し。スペース・家賃共にうちの会社史上最大級。まあ、どうせ税金で持っていかれるのだから、けちけちしてもしょうがないけど。
▼昨年は年齢的にも業務的にも山場を迎えたものの、今年の3月には肩の荷がいくらか軽くなる予定。どうも若いうちに趣味やプライベートに労力を割く習慣を身につけなかったせいか、仕事のことばかり考えてしまう。今年こそは人生を謳歌してやろうと思ったり。
▼年越しは会社で一人。毎年恒例の鍋大会参加は断念し、PRIDEとK−1見ながらぼ〜っと会社で信長online。 ネットを通してのコミニュケーションを一概に「虚しい」とか「希薄」とか考える人も多いけど、両方のバランスが成り立ってれば問題ないのではないだろうか。パソコン通信時代からの友人も、今年で知り合って12年になるのだから、人間の出会い方と付き合う長さなんて入り口に左右されるもんでもないなぁと思う。
▼大体において、自分と同じ嗜好や当たりの良さといった共通性の面で距離を近め、付き合いが始まる。ネットではその操作性の気安さから自分の現実でのライフフィールドより数倍大きなフィールドが形成され、知り合う人間も比例して大きくなる。これは、本来の勝手知ったるライフフィールドでは無いわけだから、問題点も多々ある。選別という作業は別個である以上必要なことで、心地よいフィールドを形成するためには必要なこと。現実面で顕著なのは、必要以上に心地よい状態を維持しようと、選別を強化したりフィールドを狭める点。極端な例ではフィールドを完全に閉ざして引きこもってしまえば、経済面さえクリアできれば居心地の良い空間が作れるわけで。ただ、その場合は別個と知り合い、付き合うことでの心地よさとは皆無になり、コミニュケーションの欠落となる。んでは、ネット社会に対応し、従来よりフィールドの広くなった人はどうなのか。若い人と知り合う機会も増え、その人となりを見てみると、三つに分けられる。
▼まず、多種多様な個と知り合う機会が増え、恐ろしくコミニュケーションに長けた人。深い付き合いを全員とするわけではないけど、相手のタイプを読み取り、それに応じたコミュニケーションを取れる人が結構いる。よく営業職の人に見られる能力を、ネットという場を入り口に、現実での付き合いを実践に身に付けている人が多い。ゲーム機を全て「ファミコン」という人とでも問題なくコミニュケーションを取れるゲーマーみたいなもんかも。コミュニケーション能力の低い人だと、共通事項が少ない人との間には弊害が発生するのだけど、共通事項が無い場合でもコミュニケーションがとれ、もっと凄いと多種多様な人とのコミュニケーションが可能なように広く浅い共通事項を身につけている場合も。まあ、良し悪しはあるけど。
▼次に、強固な選別を持ちえている人。どっちかっていうと自分もそっちになるかも。フィールドが広くなり、想定外の人との出会いも増えたため、それ相応にチェック機構を強化して人と接している。通常社会では必要なかったかもしれない部分も強化しているため、人見知りに近いものを相手に印象付ける場合がある。事故防衛本能に過敏な例でもある。まあ、大半は過去に痛い目を見た人なんだろうけど。
▼最後に、打たれ強いというか、気にしないというか、鈍感というか、寛容な人。自分を無防備に晒し、攻撃されても致命傷にならない凄いタイプの人。外傷じゃ無い以上、人付き合いの致命傷なんてのは金銭的か心理的なものに限定されるわけで、普通は特に後者の心理的な方が多い。心理的に打たれづよいタイプの人と言えど、落ち込むこともあるのだけど、立ち直りが見事。これも良し悪しあるけれど、見ていてなんか裏表が無く、一番強い気がする。
▼まあ、ネットで言われていた「コミニュケーションの欠落」なんてのはコミニュケーションの質が変わっただけで、もしかすると以前よりコミニュケーションに長けた時代になったわけで。それを理解できない方が欠落の気がする。ただ、人付き合いが希薄になったのは確かかもしれない。決められたパイで生きてきた世代と、いくらでも代えのある世代。いい意味での固執や状況打破の能力が薄くなり、乗換えを前提とした人間関係が主流になりつつあるような気もする。
▼どっちがいいか悪いかなんて分からないけど、全てのパイで自分を維持し、良好な人間関係を維持するなんてのはやっぱり幻想。本質的なフィールドは変わらず、他者のフィールドへの出入りが多いか、極端に少ないかのどちらかに大きく二極された時代になったなぁと、思うわけで。前者は過敏な選別の中でも自己を優位にし、地盤を固めようと攻撃性が出る問題も。後者は社会的に問題も。
▼そろそろ、個を維持するって言う感覚から解脱する必要に迫られてるのかも。教義によって相互を結びつける宗教と、ネットワークによって相互を結びつけるネット社会。どっちも似たようなもんだから、最後はやっぱり飽和の後の終局なのでしょうかいな。


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