きっと どこかで
DiaryINDEXpastwill


2005年07月27日(水) 職場同僚が退職

4月、6月と同僚が退職している。

割と長く勤め、この前の職場の20周年式典の時に、勤続表彰ももらっている方々である。

一人は、結婚して我が子と同じ年の子供もいる人である。二人目が出来てから、体調がよくないという話を聞いたことがあった。挨拶状には、転職したかのように書いてあったが、後からきた手紙では、「しばらく家でゆっくりする。」というようなことが書いてあった。まあ、小さい子供がいるので、ゆっくりというわけにも行かないのだろうけど、働きながらよりは、ちょっとゆっくりしているかもしれない。

もう一人は、独身で、私が出産後に職場復帰した時話したのでは、「もう年頃なので、結婚を考える年なのよね。」というような話をした記憶がある。それからでも10年はたっている訳で・・。未だ独身を通しているんだなあと思いつつ・・・。

もう、この職場ですることはやり終えた、というところかもしれない。私もそうなんだけど。

ただ、子育てしながら仕事するにはちょうどいいかなと思って続けているところである。

先日、いい条件の求人広告を見つけた。私の持っている資格も、今までしてきた仕事の経験も生かせそうなところだった。心がゆらいだ。その求人広告は今も持っている。

でも、今の仕事をやめるのは、やはり惜しい。それなりに認められてきているなあと思えるから。あと、給料は今と同じ位だった。

今の仕事を捨ててまで変わる勇気は持てなかった。長年やって、やっと今の状態になった訳だから。

今の職場に就職した時は、何度か転職した後で、もうここをやめたら行くところはないだろうと思っていた。

それが、長年勤め、ちょっと自分に自信がついてきたんだろう、こんな気持ちになれるのは。

まあ、今の会社がある限りは勤めようかと思っているけど。


2005年07月09日(土) 宿泊学習の話など

母の関連の話はちょっとお休み。この間にも、どんどん、月日は経ち、いろんな出来事が起こっている。

小学校5年生の我が子達、1泊2日で、学校行事の宿泊学習に出かけた。準備するものがたくさん。2日に分けて、買いにいった。なんせ双子なので、二人分いるので、量も多く思える。(いつものことだが)

一人は、新学期早々、ちょっと気になる変化があり、担任の先生とも話をしたばかり。先生からは、お母さんの言われるとおりです、とのこと。何かというと、朝、登校する時、ゆっくり、帰りも、どうも遅いようだ、宿題はしているのかどうか、まず、きちんと机に座って授業を聞いているのか心配な様子。

実際はというと、机にはあまり座っていない様子、朝も、まっすぐ学校へは行っていないよう、帰りも、授業が終わってからしばらく学校に残っている様子、宿題もしていないほうが多いとのこと。

対策について、先生に、この前の日曜の参観日に時間を作っていただいて、話し合いをさせてもらった。

まあ、いつもの結論だけれども、長い目で見て指導していきましょう、ということになった。今の担任の先生も、前の担任の先生から話は聞いているから、ということだったし、なにより、我が子のことを理解しようとしてくれている様子が伺えて、この先生にはまかせても大丈夫かなとその時思った。

その時にも、宿泊学習のことは心配しているんです、という話だったので、どうなることかと思っていたのだが、学校側からは、参加できないというような話は、こちらにはなかったので、参加させることにした。

宿泊学習から帰ってきた我が子、いろいろ新しいことがあったのがめずらしかったのか、いろんな話をしてくれた。

自分を自慢するようなことはしない、双子のもう一人が、がんばっていたんだと、いうような話をするような子供。

旦那も心配していたのかとおもったが、宿泊学習の日、家に帰ってくるなり、学校から電話がなかったか、と私に聞いてきた。電話はなかったのだけど、これも後から聞いた話だが、旦那が家にいる日に担任の先生から電話があり、手に負えないような場合は、迎えに来てもらいます、というような(?)話もあったらしい。校長先生は、親に来てもらっても、というような話もしていたらしいが、担任の先生は、それでは、この子のためにならないと断ったとか・・。

実際はというと、全く手をとることもなく、スムーズに集団行動がとれていたとか・・。先生も、この子もその気になれば出来るんですねえ、これで、一つお子さんも成長したんでしょう、と言われ、私も、そうだなあと思った。

他の子供で、もっと手のかかった子とか、いて、そちらのことを気にしていたら、最後の方は、我が子のことなど、すっかり忘れてしまってました、と担任の先生は笑って電話して来られた。

それを聞いて、我が子もがんばったんだなあと思った。

担任の先生も、前もっていろいろ心配していたのは、全くの杞憂だったというようなことを言われたが、みんなが気にかけてくれていたから、ここまで出来たのではないかと思った。

また一つ、出来ることが増えたね、我が子・・・。

さて、もう一人の方は、疲れたのか、帰ってきた日は着替えもせず、ぐったりして、夕食の途中で眠ってしまった。この日は、習い事があり、その後の夕食だったので、遅くなってしまったこともあり。

この子は、いろんなことを頑張っているが、頑張りすぎて疲れてしまわないかと心配だ。身体も元々、もう一人と比べて丈夫ではない。

優等生ではあり、親としては、将来に期待の持てる子供ではあるのだけど。

ただ、野心家でないので、ちょっと安心はしているが。人に負けたくないと頑張っているわけではないので・・。

なにはともあれ、無事済んで、親や先生は、ほっとしているところ、子供達は、楽しかった思い出が残ったようで、よかった。


2005年07月02日(土) 母死去その後

続きを書くのが遅くなってしまった。なかなか、PCに向かう時間がとれないもんで。

前回で、母が死去したところまで書いたので、その直後の事を中心に書こうと思う。

実母が死去して、まずは、病院を出ることとなった。荷物をまとめ、一旦家に戻ることになった。ただ、母は、家には戻らず、葬祭場へ行くこととなった。通夜などは、家で行わない為。

私達は、電話を受けて駆けつけてくれた旦那の車に荷物を積み込み、実家へ向かうこととなった。父は、葬祭場へ。

子供達と、夕食を済ませてから、葬祭場へ来るように言われた。親族控え室の欄に、我が家の名前があり、そこへ行くと、もうほとんどの親族が集まっていた。今晩はここで過ごすのかと思っていたが、子供がいるので、それを連れて家に帰るように父に言われた。旦那が残ってくれると言うので、お願いして、子供達と家に帰った。

死亡時間が夕方であったため、通夜葬は明日、行うこととした。

次の日、子供達はいつもどおり、学校へ行かせることとした。職場へは、通夜や葬儀の日取りなどを知らせた。

葬儀は、母が作ってくれた、和服の喪服で出席することとした。その服を出して点検したり、また、たまっている洗濯物などを干したりしていると、電話がかかってきて、「早く葬儀場に来い」とのこと。

お昼ごはんを食べてから、向かった。父親と、父親の兄弟にあたる方が段取りをしてくれているようで、私が特に何かしなければいけないということはない。

通夜葬をする為、子供達を迎えに、また一旦家に帰る。

納棺に子供達も立ち会わせる為、予定より早めに、学校から帰らせることとして、学校まで子供達を迎えに行った。

通夜葬も本葬と同じような感じで行われた。旦那のお母さんや兄弟が出席してくれていた。

通夜葬が終わった後、他の親族の方が控え室に残っている中、子供達を連れて、また家に帰った。

子供達は家で寝させた方がいいという判断の為。


ライム |MAIL

My追加